表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

後編

 実際検索すれば、とあるサイトで奇妙な女がいると話題になっていた。

 恐らく彼女は、山根があの路線を利用しており、路線上を辿ればいつかどこかの駅で、山根を見つけることができると考えたのだろう。そこで手始めに、隣駅へ移動したに違いない。


 女は半月近くの間、その駅で山根を探し続けた。やがて諦めたのか、もう一つ先の隣駅へ移動し、そこでまた半月近く同じ行動を繰り返し過ごす。

 つまり路線を変えて引っ越した山根は、正解だった。

 内井さんも本来、その路線の電車を使うことはない。

 だがネットでの話を伝えると、二人は恐れた。なにしろこのままでは、いつかは会社の最寄り駅に現れるのだから。


 二人は道を歩いていると、背後に女がいないか、振り返ることが増えた。

 女は女で駅を移動する毎に、苛立ちを酷くした。


『ふごー、ふごー。今日も息が荒かった』

『匂いもひどくなっている。何日風呂に入っていないんだよ』

『もうすぐ隣の駅へ移動する頃だな』

『その駅を利用するオレ、嫌なんですけど』


 あの女の周りだけ、人が寄りつかない。

 あの女が駅にいるとホームに立つ人は俯き、女と目を合わせないようにする。誰も絡まれたくないので、そちらを見ないようにも気を配る。

 それでも女は一人ずつ確認するよう、粘っこい視線で、ホームに立つ利用客の全身を見つめる。

 自然とその路線を利用している乗客も、あの女がいる駅に近づくと黙りこみ、目を伏せるようになった。視線が合い、逃げ場のない車両に乗りこんでこられ、絡まれたくないからだ。


 ホームに車両が止まれば、女はやはり粘っこい目で車両の中をじっくり確認しながら、ゆっくりとホームを歩く。

 窓に両手をつき、ほとんど瞬きをせず、ただ車両の中を見つめることも増えた。その時ばかりは能面のように無表情で、荒い息づかいも治まっている。

 時には目を大きく見開き、唾を吐きながら窓を強く叩き、叫ぶこともある。


「顔を見せろ! お前だ! 正直に言わないと、神の裁きを受けるぞ! 悪の手先め! 負けてたまるか!」


 乗客は震え顔を伏せたまま、我慢する。そして女が乗車しないことを、必死で願う。

 中には自分を指して叫んでいると気がついた者が、勇気を振り絞り恐る恐る顔を上げると、人違いなのか舌打ちし、次の窓へ向かうこともある。

 人違いされた可哀想な乗客は、多くがへたへたとその場に座りこむ。

 発車を告げるベルが鳴っても窓を叩き続けこともあり、駅員や警備員が数名がかりで女を車両から離そうと格闘する光景も、珍しくなくなった。

 どの駅でも女は問題視され、電車を運行する会社も各駅へ伝達をしているのか、女が移動すると事前に対策していたかのように、駅員や警備員の人数を増やす。


『いっそ出禁にしろよ』

『あそこの路線、使いたくなくなるわ』

『でも逆に女が見たくて利用する奴も増えた』

『誰かを探しているみたいね』

『今日は神のお告げが聞こえないって、言っていた』

『やっぱ頭のおかしい女なんだよ。お前ら関わるなよ』


 ついに女は山根の勤める会社の最寄り駅の、一つ前の駅まで移動してきた。

 その頃会った山根は始終怯え、音がしてはそちらへ視線を向け、女の姿がないことに安堵する。それを繰り返し、気が休まる時間がないそうだ。それは内井さんも同じで、今では興味本位に行動したことを後悔しているそうだ。

 さらに彼女は、本気で退職を考えている。


「そこまでしなくても、大丈夫じゃないか? あの女は、あの路線の電車しか調べていないじゃないか」

「だけど内井さんが、俺の関係者だと本能で見抜いた女だぞ! 俺たちと同じ会社に勤めている奴に、また気がつくかもしれない! そいつらの後をつけ、職場を知られたら俺はどうなる!」


 山根の家で飲んでいるが、ちっとも酒は美味くない。それは山根も同じだろう。


「チクショー。俺も会社を辞めるしかないのか……?」


 ビール缶を握り潰し、頭を抱える山根は心底参っていた。

 結局内井さんは退職し、他県にある実家へ帰った。そこなら女に怯えることはないと言い残し。


 そしてついに、女が最寄り駅へ現れた。

 山根は退職する決心がつかぬまま、恐怖の日々を過ごすことになった。

 仕事中にも不安に襲われ、ミスを連発。そのたびに上司から注意を受けるが、彼の様子がおかしいことに気がついた上司が、病院へ行くよう勧めた。


「病院へ行ったって、良くなるものじゃない。あの女が俺を諦めない限り、平穏は訪れないんだから」


 それでも山根は一応病院へ行き、一か月ほど療養のため会社を休めるよう、診断書を書いてもらった。この一か月は自宅にこもり、外出を控えるそうだ。

 最近はネットでなんでも買えるから、買い物には困らないと、電話向こうで山根は弱々しく笑った。


『あの女が若い男に声をかけていたぞ!』

『神を信じますかってヤツでしょ? 聞いた、聞いた』


 またサイトを覗いていた私は、その文章に釘付けとなった。

 それは山根が初めて女に声をかけられた時に言われた言葉だったからだ。


『なんだ? 宗教勧誘しやすい奴を探していたのか?』

『つまらんオチだ』

『もちろん無視されていたけどね』

『あんな女を相手にする男がいるかっつうの』


 私はそれを見ると、すぐに山根へ電話をかけ、どうやらターゲットが別に移ったようだと、興奮気味に伝えた。

 それを聞いた山根は喜んだが、やはり万が一もあるので、このまま予定通り、病気休暇を使うと言った。


『今日も男に話しかけていた』

『昨日一緒に出かけたとか言っていたけど、男は昼間、仕事していたのにな。女の中では水族館に行ったことになっている』

『どんな妄想だよ』

『男の様子は?』

『もちろん無視。嫌そうな顔だった』


 これも山根から聞いた話と同じだ。違うのは、デート先が映画館と水族館くらいだが、女の中では妄想が完成され、それを真実と思いこんでいることに変わりない。


『その男も不運だな』


 やがてその男も駅を利用しなくなったのか、見かけなくなった。

 ネットでは会社を辞めただの、女に連れ去られ監禁されているだの、適当な噂が並ぶが、単純に駅を利用しなくなっただけだろう。そう、山根のように。


 若い男を見かけなくなった女は、その駅のホームのベンチで暮らしているよう一日中座り込み、飲み食いしてはゴミを散らかし始めた。

 不思議なことにトイレへ立つこともなく、始発から終電の間、ずっとホームにいる。


『トイレはどうしてんだ?』

『大人用オムツでもしているんじゃね?』

『電車が到着したら、車内の中を覗いたりして動くよ』


 くっちゃくっちゃと音をたてながら食べ、ひたすら電車の到着を待ち、到着しては車両の中やホームに目を走らせる。まるで獲物を逃さない獣のように。

 最近ではその駅の利用客が減ってきたそうだ。

 誰もが関わり合いたくないと思い、避けているのだろう。おかしな女のターゲットになりたくないのは、皆同じだ。


 私は直接女を見たことはないが、このままだと、いつかは彼女と出くわす。

 なにしろ私も、その路線の電車を使っているのだから。


 また女は駅を移動した。例の駅から一つ隣へ。今度は私が利用する駅へ向かって来ている。

 このままではマズいと思い、休日を使い、私は不動産会社へ向かった。山根に倣い、引っ越しをするためにだ。

 女が私の利用する駅に来るまで、数ヶ月も先だが用心に越したことはない。来月の休日に引っ越しを行う手続きを終え、これで事前に安全が確保できたと満足する。


 それなのに数日後、なぜかルールを変えた女は、私の使用する駅のホームに立っていた。

 改札口を通った私は、ある日の山根のように動きを止めた。


「あの人を隠したでしょう⁉ 返せ!」


 叫びながらホームに立っていた女が、改札口へ向かって動き出す。

 路線が二本もあるのに、女の大音声に耳が痛くなり、しかめ面を作る。


「ちょっ……。あれ、噂の女じゃない?」

「誰に向かって言っているんだ? こっちへ来るぞ!」

「ヤバいよ、逃げようよ!」


 女を知っているのは、私だけではなかった。構内は混乱し、多くの者が関わり合いにならないようにと、駅から逃げ出し始めた。もちろん私も皆に漏れず。

 女が誰に向かって叫んでいるのか分からない。新しい相手と私に接点はないはず。だから私に向けての言葉ではない……。

 いや、私が山根の友人だと感づいているのかもしれない。きっとそうだ、違いない! 女は山根のことも忘れていなかったんだ!


「あの人の居場所を言え! 打ち明ければ神もお許しになる! 今なら間に合うわよ!」


 内井さんの気持ちが、この時ようやく分かった。

 得体の知れないものが襲って来る恐怖。

 捕まればなにをされるか分からない恐怖。

 ありとあらゆる恐怖が、女を化け物に変える。

 女は確かにふくよかな体型だが、山根が言うほど巨体と言うほどではない。足音だって離れているから、聞こえるはずがない。

 だが私の脳内では恐怖のせいで女は巨大化され、どすん! どすん! と大地を揺るがすような足音をたて歩いている。


 大勢の人間が改札を通り駅から逃げるので、駅前は利用しようと向かってくる人たちとぶつかり合い、ごった返し、思うように前へ進めない。


「あんたが邪魔をしているのは分かっている! 彼を返せ! 彼と結ばれるのが、私の運命! 神のお告げなのよ! それに逆らうのか!」


 一瞬見えた。もうすぐ改札口をくぐる女の手の中で、きらりと光る物が。それがなにか分かり、息を呑む。

 女はそれを振り上げ、叫び続ける。


「神を信じよ! 神が運命を私に告げられたのだ!」


 悲鳴と罵声が渦巻き混乱する駅前から逃げ、なんとか家に帰ると鍵を閉め、全ての窓のカーテンも閉じた。

 薄暗い部屋の中でへたりこみ、体を小刻みに震わす。

 あれだけの騒ぎになったんだ。きっと女は警察に捕まるに違いない。けれど、もし騒ぎに乗じて逃げ延びていたら? きっと私も顔を覚えられた。次に会えばなにをされるか、分かったものではない。

 あんな女に目をつけられれば、山根が情緒不安定になって当然だ。


 数時間後落ちつきを取り戻し、テレビを点けると、ちょうどニュースで女の事件が流れた。


「こちらが現場となった駅です。女は刃物を振り暴れていましたが、駆けつけた警察官を見るなり、神を信じますかと突然言うと、それまで騒いでいた姿と打って変わり大人しくなったそうです。素直に連行に応じた女は最近、この路線では不審な言動を取ることで有名になっており……」


 女は新しいターゲットを見つけたようだ。


 これからあの女はどうなるのだろう。刃物を持って暴れただけだから、刑務所に行くとは思えない。精神疾患を疑われ、病院送りになるのが関の山なのでは?

 つまりあの女は、すぐ世に解き放たれる。よほど頑丈な檻のような病院に閉じこめでもしない限り、脱出もあり得る。

 考え至り、ぞくりと震えテレビを消す。これ以上画面越しでも、女の顔を見たくなかった。


 これまで女が出没する場所は分かっていた。そう、あの路線の駅だ。

 そのルールが崩れた今、次に女がいつどこに現れるか分からない。私の引っ越し予定先近くに現れるかもしれない。

 他県の内井さんのもとかもしれない。

 これではいつ爆発するか分からない、爆弾を抱えているようなもの。

 あの女の嗅覚は凄まじい。狙った男の関係者をかぎ分ける力がある。


 山根と友人でさえなければ……。


 髪の毛をくしゃくしゃに掻いていると、ある考えが閃いた。


 そうだ、山根と関係を絶てば助かるかもしれない……。


 私は震える手でスマホを手に取り、山根をブロックすると、連絡先から山根を削除した。




 女はまた誰かに話しかけるのだろうか。

 願わくばそれは、私と無関係の人であってほしい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ