第39話 大ゲンカして届ける
時間は飛んで、一週間後。
俺たちは久しぶりに全員揃ってミーティングをしていた。
「今日のミーティングは以上なのだ。なにか報告はあるかの?」
ミーティングの締めに毎回行われる連絡事項チェック。
俺が挙手すると、ミーナは気まずそうに目を伏せた。
その動きと連動しているみたいに、場の空気がわずかに凍る。
「…………では、カケル」
「明日から復帰する。以上だ」
「…………明日から頑張ってもらおうかのう」
「おうよ」
俺とミーナの事務的会話を耳にして、卯衣とリンゴは顔を見合わせた。
一触即発とは少し違うけれど、別の意味で危うさが漂うイヤな雰囲気。
「ではみんな、仕事にかかるのだ。ケガをせぬようーー」
「……ちょっと待ちなさいよ」
それぞれ仕事へと散りかけたところで。
リンゴがストップをかけた。
席を立ちかけた全員の動きがピタリと止まる。
「報告忘れかの?」
「違うわよ」
椅子にふんぞり返って、いかにも面倒くさそうにため息をつくリンゴ。
「最近さ、ちょー居心地悪いんですけど」
突っ込むのも面倒だが、突っ込まないと余計面倒そう。
そんなリンゴの気持ちが伝わってくる呆れたような口調だった。
リンゴの言うことは間違ってない。
確かにこの一週間、支部の雰囲気は最悪だ。
笑顔がない。
誰もボケないしツッコミを入れない。
会話らしい会話は、事務的なことばかり。
おまけに詳しい原因が不明とあれば、息苦しい雰囲気にもなる。
「カケルもミーナも、なんかあったワケ?」
気まずい雰囲気を物ともせず核心を突くリンゴ。
対するミーナは……素っ気なかった。
「…………別に、いつもこんな感じなのだ」
「じゃあ説明してもらいましょーか。何よ、世間体のために結婚生活を続ける冷え切った夫婦みたいな雰囲気! 一週間ずっとこんな感じよ? 何かあったとしか思えないじゃん!」
「…………別に、リンゴには関係ないのだ」
「関係あるわよ! この雰囲気に耐えて仕事するあたしの気持ちわかる!?」
押し問答で余計に空気が険悪になっていく。
いつもならここで卯衣が「まーまー」と割って入ってボケてうやむやになるところ。
しかし卯衣にしては珍しく、今回はまったく首を突っ込んで来ない。
デスクで仕事をこなしながら聞こえないフリ。
大人の対応である。
ただ、そんな卯衣らしくない対応が支部全体の気まずさに拍車をかけていた。
卯衣は時折チラッと俺の方を見て眉を寄せる。
卯衣にはわかっているのだ。
なぜ俺とミーナがギクシャクしているのか、その理由を。
「もう知らない! 勝手にしなさいよ! ばーかばーか! みんなばーか!」
リンゴの子供じみた激怒によって、いつもと毛色の違うケンカは終わったらしい。
バタン! と乱暴にドアを閉め、リンゴは外に出た。
ミーナは悲しい目をしながらそれを眺め、少し間を空けてリンゴに続いた。
騒がしさから一転、静かになり過ぎた事務所。
リンゴの言った言葉『勝手にしなさいよ!』が妙に耳に残る。
冷たい言葉だ。
お前のことなんてもうどうでもいい! と言っているも同然。
口は悪いが、言っていいこと・悪いことの区別をキッチリつけるリンゴらしくない。
ストレスが溜まっていたとはいえ、あの発言は無いよなと思いかけたが……。
「俺にそんなこと言う資格、ないな……」
俺には、偉そうにリンゴを批判する権利はない。
なぜなら俺は、同じことを言ったからだ。
一週間前、俺に大事なことを打ち明けてくれたミーナに対して。
★★★★★★★★★★
「今……なんて言った?」
「一線を退くと……そう言ったのだ」
「ど、どうしてだよ!?」
一週間前、河川敷のベンチ。
俺はミーナを問いただすように向き直っていた。
目の前にいるのは真剣な眼差しを俺に向けるミーナ。
不自然に落ち着き払ったミーナが、なんだか別人のように思えてしまう。
ミーナは俺を落ち着かせるように、静かに説明を始めた。
「来年度からデリバリストが5人も移動してくるのだ」
「それは知ってるけど……」
「トーキョーエリア支部在籍デリバリストは9人になる。仕事の負担も分散されるのだ。それに伴って、我が現場で行う仕事もなくなる。ゆえに一線を退くのだ」
「いや! いやいや! ミーナの仕事がなくなるなんてあるはずが……」
ミーナは黙って首を横に振った。
「今までは少数精鋭体制だったからの。我が出なければ支部は回らなかった」
学生の俺、活躍の場に制限があるリンゴ、運動能力に関しては論外の卯衣。
安定しない俺たちをまとめるミーナは、仕事に出ざるを得なかった。
しかし状況が変化すれば……。
俺はなんとなくミーナの言いたいことを悟って、思わず口に出した。
「効率よく働けるデリバリスト増えれば、ミーナが出る理由もなくなる……」
「そう。我は燃費が悪いからの」
ミーナは自虐的に付け加えた。
確かに、ミーナの燃費はネックな問題の一つだった。
人数不足のために無理して現場に出てもらっていたが、やはり効率は良くない。
卯衣が割り振りを工夫してくれたから、今までやってこれたようなものだ。
だから極端な話。
ミーナより効率よく働けるデリバリストがいれば……
ミーナの出る幕は無くなる。
「みんなに迷惑をかけないためにも、大人しく身を引くことにしたのだ」
「ミーナは……それでいいのかよ?」
純粋な疑問が口を突いて出てきた。
デリバリスト競技会で優勝して、変わったことはたくさんあった。
でも、全部の変化がいい方に進むわけではない。
少なくとも俺は、そんな変化は望んでいない。
ミーナは苦笑いしながら答える。
「自信過剰と思われるかもしれないがの? トーキョーエリア支部は、我のものだった。ずっと我が守ってきた、我がデリバリストである証なのだ」
自信過剰、なんて思わない。
今こうしてトーキョーエリア支部が残っているのも、異動の申し出が殺到しているのも、すべてミーナのおかげだ。
ミーナなしのトーキョーエリア支部なんて、考えられない。
でもミーナはそうは思っていないらしく。
「そのトーキョーエリア支部がより良くなるなら、我はそれで良い」
たとえ現場から我が姿を消すしても、の。
そう付け加えて、ミーナはベンチに背を預けた。
俺もミーナもしばらく口を開かなかった。
沈黙が、身体中に突き刺さる。
「でもそれじゃーーこれから、どうするつもりだよ?」
「まだはっきり決めておらぬが……。オペレーターへの転身が最有力なのだ」
「ミーナが事務仕事か……。ちゃんとできるか?」
「まずブルーチーズの使い方から覚えないといけないのぅ」
「ブルートゥース、な」
「そうそう、それなのだ」
「……まったく」
と言いつつも、久しぶりにミーナの作っていない笑顔が見えて安心した。
そこまで深く思い詰めてないように思える。
隠さずに不安を打ち明けてくれたことが、俺は少し嬉しかった。
そしてしばらく心の中で葛藤して……
「頑張っていこう、な?」
俺は自分を納得させることに決めた。
割り切ろう。
ミーナの下で仕事できる事実は変わらない。
それでミーナがそれでいいと言うなら、俺もそれに従おうと思った。
正直言うと、納得いかないし消化し切れていないけれど……
今は笑顔で送り出すべきだ。
「ただ……の?」
しかしその決意は。
ミーナの暗い表情によって激しく揺さぶられた。
「現場に出ないからには……我は支部長でいられぬ」
ミーナが支部長でなくなる。
まったく現実味のない言葉を聞いて、心臓が動きを一瞬止めた。
じゃあ……誰が支部長を務めるって言うんだ。
誰が俺たちをまとめるって言うんだ。
そもそもミーナ以外のデリバリストにそれが務まるか。
「それでの、カケル」
ミーナが顔を上げて座り直した。
まるで『ここからが本題だ』と言わんばかりに真剣な目で俺を見上げる。
恐くなって目を離そうとするが、ミーナから視線を外せない。
視線を絡め取られた、とはこういう状況なのだろう。
一秒ごとに増大する恐怖心に耐え切れず、俺は先に口を開いた。
「まさか、ミーナ……」
「うむ。任命なのだ」
疑問が次々浮かんでパニックに陥る俺。
一点の曇りもなく真剣に俺を見つめるミーナ。
ミーナの口が、スローモーションのようにゆっくり動く。
「カケル。我に代わって、トーキョーエリア支部の支部長になって欲しい」
時間が、止まった。
そう思ってしまうほど俺の心と身体は硬直する。
俺、支部長。
その二つの単語が全然結びつかない。
ミーナは口を一文字に結んで、俺は正面から見据えている。
冗談を言っているような顔ではない。
酸欠の金魚みたいに口だけ動く俺を見かねて、ミーナは助け舟を出した。
「すぐに返事はしなくていいのだ。カケルには学校も家族もあるでの」
「この話……やめにしようぜ」
俺は強引に会話を切った。
強引過ぎて、冷たく聞こえてしまったかもしれない。
しかし、少なくとも今は冷静に考えられる状態ではなかった。
それでもミーナは……
「心配無用なのだ。我もういちょんも納得しておる。リンゴも反対せぬであろう」
「やめだっての」
「カケルには現場だってほとんど任せられるくらいの実力があるからの」
「やめろ……」
「信頼しておるぞ、カケーー」
なおも食い下がるミーナに対して。
感情の高ぶりを抑えられなくなった。
「やめろって、言ってるだろ!」
広い河川敷に、俺の怒鳴り声が響いた。
自分で想像した以上の大声に、自分で驚いてしまう。
ミーナは一瞬肩をすくめ、目を丸くして恐る恐る俺を眺めた。
そんな一瞬で潤んだミーナの瞳さえ、今の俺を冷静には戻せない。
「そんなの……そんなの、納得できるかよ!」
その一言をきっかけに。
押し殺そう、無理矢理にでも納得させようという思いが一気に氾濫を始める。
「俺は、ミーナが上司でいてくれるからデリバリストになったんだ! それを状況が変わるから自分と代われって、そんなの勝手過ぎるだろ! 無責任だ!」
「カケル……」
「デリバリストが異動してくるから現場に出るのをやめるのか!? だったら他のデリバリストなんていらねえよ! 今までだって四人で十分やれたんだ! それで足りないって言うなら俺が学校やめて働くから!」
俺はミーナの肩を掴んで揺さぶった。
目を覚ましてくれ、と願いをかけるように。
……本当は、わかっている。
どの立場で働くなんて、そんなの些細なことだって。
肩書きに固執したって、何の役にも立たないって。
でも俺は……聞き流せなかった。
ミーナにはどうしても、支部長でいて欲しかった。
「俺はミーナの下以外で働く気はないからな! ましてミーナの上で仕事するなんて論外だ! それが通らないならデリバリストなんて辞めてやる! 俺がいる意味なんてない! だからーー」
だからまだ支部長でいてくれよ!
という俺の言葉は。
「甘えるのも……いい加減にせぬか!」
バシッ!
ミーナのビンタに阻まれて、言えなかった。
伝説のデリバリスト手加減なしのビンタを食らい、俺はベンチから落ちた。
無様に地面の上に這いつくばる。
叩かれた頬がじんじんと熱を持ち始める。
頭蓋骨が揺れるほど痛い。
しかし、それ以上にずっと心が痛かった。
ミーナが、俺を殴った手を見つめて立ち尽くすのが見える。
やってしまった、という後悔の表情。
そんなミーナの顔、見たくなかった。
いっそのこと叱りつけてくれればまだ楽だったのに。
反省して自分を納得させられるタイミングがあったのに。
お互いに、引き際を失った。
俺は立ち上がってミーナに背を向ける。
「もう……もう、勝手にしろよっ!」
そんな乱暴な声を耳にした瞬間、俺は全速力で走っていた。
後で気付いたことだが、その時聞こえた声は俺の言った言葉らしい。
こうして俺たちの関係は、未だかつてなく気まずいものとなった。
★★★★★★★★★★
「カケルさん、カケルさーん」
「何だよ」
「ちょっと休憩がてらお話ししましょうよー」
時間は戻って、現在。
ミーナ・リンゴが外に出て、卯衣と2人になってしまった。
しばらくお互いに無言で事務仕事。
肩こりを感じて一息つくと、それを待っていたかのように卯衣が俺の正面に腰掛けた。
お茶の入ったマグカップを二つ持っている。
用意周到だ。
「話すって、何を?」
ぶっきらぼうに尋ねて、突っぱねる。
誤解のないように言っておくが、これは決して八つ当たりではない。
俺は勝手に支部長をやめるつもりのミーナにもムカついているが、同時にそれを知って止めようとしない卯衣にもムカついているのだ。
「わかってるくせに澄ましちゃってぇー」
しかし卯衣は「そんなのは承知の上」と言わんばかりにクネクネ身をよじる。
こういう態度を取れば俺がNOと言えないことを知っているのだ。
ほんっとうにやり辛い。
「……ちょっとだけだぞ」
俺は仕事道具を脇にやって、正面から卯衣を睨んだ。
卯衣は俺の眼光なんて気にも留めていない様子で、お茶をふーふー冷ましている。
飲み頃の温度になるまで時間がかかりそうなので、俺の方から切り出した。
「どうしてだよ?」
「はいー?」
「どうしてミーナを止めなかったんだって聞いてるんだよ!」
「まーまー、落ち着いてくださいよ」
お茶が冷めるまで話さないつもりか、もしくは俺をクールダウンさせるためか、なかなか核心に触れない卯衣。
ずずっと一口お茶をすすってから卯衣は視線を上げた。
「確かにわたしもミーナの話を聞いた時は、早すぎるって思いましたよー。これからが勝負だと気を引き締めていたところでしたからー」
「じゃあ……どうしてだよ?」
クールダウンの時間が効いたのか、案外冷静に聞けた。
俺、チョロい。
「ミーナ、何を理由に現場を離れるって言いましたかー?」
「働き手が多くなれば自分は要らなくなるって」
「わたしの聞いたのとほぼ同じですねー」
卯衣は机に突っ伏して、考えるように「うー」と唸る。
そして顔の右半分を俺に見せるように軽く顔を上げた。
「その理論、妙に引っ掛かるんですよねー」
「は?」
何か引っかかるか?
単純な理論だと思うんだが。
「デリバリストの仕事って、よほど忙しい時じゃないと効率は問題にならないんですよー」
「どういうことだ?」
「例えばですねー」
卯衣は手元にある紙束を見せた。
トーキョーエリア支部に異動希望を出すデリバリストの履歴書だ。
適当に5枚選んで俺の前に広げる。
「来年度からカケルさん、リンゴさんを含めてこの7人がトーキョーエリア支部の現場を取り仕切るとしますー」
「……おうよ」
卯衣のイタズラ書きした鼻毛が気になるが、とりあえず頷く。
「しかし、この7人全員が運べない荷物があるとしたら、どうしますかー?」
「どうするって……全員の力を出し切るしかないだろ」
「じゃあ、これまではどうしていましたかー?」
「そういう時はいつもミーナが運んーー」
瞬間。
俺は、卯衣の言いたいことに気づいた。
「あっ……」
「何か気づきましたかー?」
「ミーナは……現場を離れる必要がない」
ミーナは、自分の出る幕はないと言っていた。
しかしそれはおかしい。
これまで俺とリンゴが配送できなかった依頼はミーナが請け負ってくれたのだ。
そして今後も、そういう依頼は来るかもしれない。
新生トーキョーエリア支部のメンバーが誰も運ぶことができない依頼。
そんな最悪の事態を想定して……
最後の切り札が控えていてもいいんじゃないか。
平等に仕事を割り振ることはできないが、ミーナは現場に必要なのだ。
誰より長くデリバリストをやっているミーナが、それに気づかないハズがない。
つまりミーナは……
「体力とか仕事効率とかは後付けの理由ってことか……?」
「ご明察。もっと重大な何かが理由だと思いますー」
俺はミーナの発言をそのまま受け取って、その裏を読み取ろうとしなかった。
少し考えれば違和感に気づけたかもしれないのに。
「まあ、大体の目星はついているんですけれどねー」
「目星までついてんのかよ」
少し驚いたが、すぐに納得がいく。
ミーナとの付き合いが一番長いのは卯衣だ。
姉妹のようにお互いの事情は知り尽くしている。
そんな卯衣は直接答えを言わず、マグカップを片手に意味深なことを呟いた。
「人が引退を考えるのは、身体が衰えた時だけなのでしょうかー?」
「は?」
突然の問いかけを不審に思うも、自然と俺は考えていた。
スポーツ選手の突然の引退。
選手層の入れ替わりが激しい今、そんなに珍しい話じゃない。
人並みにしかスポーツを知らない俺でも、一年に一回はそういう話を耳にする。
しかし、いざ考えてみると確かに不思議だった。
世界レベルで通用する実力を持っていても、引退する人はスパッと引退する。
体力も実力も十分あるはずなのにーー
「あ」
と考えを巡らせたところで、ふと気づく。
卯衣が俺に伝えようとしている意図。
「メンタルがついていかなくなった……?」
「ミーナにも、同じことが起きているんだと思いますよー」
スポーツは身体が資本だが、身体と同じくらい大事な要因がある。
身体能力に対する……精神の強さ。
体力のこととか、異動のこととかはあくまで後付けで。
本当は……心が、疲れていたんだ。
思えば、ミーナはいつも責任感を持って仕事をしていた。
お客様の荷物を預かることへの責任感。
先輩デリバリストとしての責任感。
そして、トーキョーエリア支部長としての責任感。
俺がデリバリストになるよりずっと前から今に至るまで……
ミーナはそれらを、一瞬も切らさずに仕事をしてきたのだ。
もしかしたら、競技会優勝がきっかけになって、その糸が緩んだのかもしれない。
だとすれば……多少弱気になったって納得がいく。
「身体が原因というならまだ励ましようもありますー。でも、本人が『できない』と言っているのを無理やり引っ張っていくのはできませんよー」
卯衣の言う通りだった。
無理に責任感の糸を張ろうと思ったって、今は緩んでいるのだ。
強引に引っ張ってしまえば、本当に糸が切れてしまう。
俺たちは、そんなミーナの心に気を配っていたのか。
ミーナの強い一面に注目しすぎたのではないか。
ミーナの弱い一面を見逃していたんじゃないか。
そんな後悔が、浮かんでは消えていく。
卯衣は「これがまとめです」という表情で口を開く。
「それにですね、カケルさん。ミーナはずっと独りだったんですー」
デリバリストになって。
すぐに独りになって。
支部長にならざるを得なくなって。
辞めることも諦めることもできずに。
ずっと、デリバリストでいることを強いられてきた。
だから……
「せめて、引退のタイミングくらいは……自由にさせてあげましょうよー」
俺は、何も言えなかった。
言う資格なんてなかった。
ミーナに対する怒りも、卯衣に対する怒りもすっと抜けていく。
代わりに俺の心を満たし始めたのは……
他の誰でもない、俺自身への怒り。
★★★★★★★★★★
仕事を終わらせ、ミーナが帰ってくる前に支部を出た俺が向かった先は、静かだった河川敷。
静か「だった」と過去形なのは、だいたい俺のせいである。
「俺の、バカヤロォォォォォォォォォォ!」
俺は夕日に向かって叫んでいた。
青春シャウトーー改め、懺悔シャウトである。
思い切り息を吸い込んで、ありったけの力で気持ちを叫びにする。
「ミーナ、ごめんなぁぁぁぁぁぁぁぁ! ……っは、けほっ」
くらくらするくらい長く息を吐いて、俺は片膝を地面に着いた。
少しすっきりはしたが、モヤモヤしたものは晴れない。
わかってる。
この言葉を叫ぶべき場所は、河川敷じゃない。
もっとふさわしい場所がある。
本当にすっきりしたいなら、そこに行くべきなのだ。
でも。
「じゃあ、どうすればいいってんだよ……」
懺悔シャウトとは打って変わって、小さなため息。
今のところ、それが俺の一番正直な気持ちだった。
デリバリスト歴一年で支部長になって、ミーナの後任で、支部の人数も増えて……。
そんな重圧、耐えきれない。
不安だ。
ミーナや卯衣の前では言えなかったが、俺はただ不安なのだ。
ミーナたちが思うよりずっと、俺は弱い。
いっそのこと、今回の件で愛想つかしてくれれば一番ラクなのに。
そうすれば……逃げられるのに。
膝から力が抜け、体育座りになる。
自分の弱いところとか、ミーナの辛さをわかってあげられなかったこととか、全部の気持ちを再び声に乗せて発射用意。
した瞬間に。
ーープルルルル、プルルルル、プルルルル
「っっと……電話?」
懺悔シャウト、寸止め。
くしゃみが出そうで出ない気持ち悪さを感じながら、俺はスマホを取り出した。
画面に映るのは……知らない番号。
いつもの精神状態なら無視するところだが……。
今回、気まぐれを起こして俺は出た。
「はい、もしもし。どちらさーー」
『私を呼んだか、かける?』
瞬間、正座になった。
久しぶりに聞いた気のする、抑揚の少ない声。
瞬間、表情の変化に乏しい日本美女が浮かぶ。
「はぁ……。呼んでねえよ。呼んでねえけど……ナイスタイミング」
『だろう? こう見えても私は空気が読める』
電話の相手は自慢げに語調を強めた。
そしてすぐフラットな口調に戻り、話を続ける。
『近いうちにそちらへ遊びに行こうと思っている』
「そうか……。いいよ。俺もお前と色々話したい気分だ」
『相談相手渇望症か?』
「そうかもしれないな……。で、いつ来る?」
当然の疑問。
友達と遊ぶ約束をする時は必ず聞く、待ち合わせ日時。
しかし電話の相手は。
『十秒後』
「は?」
「待つ必要はない、と言っているんだ」
待て。
今、電話口じゃなくて生の声が聞こえたようなーー
ぎゅっ。
「うおっ!?」
突然の後ろから何かに抱きつかれ、俺はバランスを崩す。
ようやく安定した時にはもう、俺の耳は無事じゃなかった。
「うおい、お前……」
「きっかり十秒、だ。はむはむ」
「……耳をかじって、堪能するのやめい」
執拗に俺の耳をかじる。
かと思えば、肩越しにぬぅっと俺の顔を覗き込んできた。
普段ならすぐ引き離すところだが……。
今はその軽さが、ありがたい。
「私に恋をする準備はできているか、かける?」
こうして。
恋する天然忍者、千島千鳥は再び姿を現した。




