第40話 密会で届ける
かちゃかちゃ、ねばねば。
「違う。もっと空気を混ぜ込むんだ」
じゅーじゅー。
「まだひっくり返すには早い。落ち着け」
ひょい、ぐちゃ。
「へたっぴ! 出直してこい!」
「なんでトーキョー来てまでお好み焼き食ってんだよぉぉぉぉぉぉぉ!」
あっという間の夕暮れが終わって、夜。
俺はいい感じに汚いお好み焼き屋さんで絶叫した。
ソースの香りが食欲をそそるが、千島がうるさいせいで少しげんなりしてしまう。
本当は、もっとトーキョーらしいものを食べさせる予定だったのだが……。
「何食う?」
「粉物!」
即答だった。
というわけで、俺は千島にガミガミ言われながら鉄板でお好み焼きを焼いています。
まさかこんなに粉物にうるさいとはね。
傍目から見れば俺たちは、仲のいいケンカップルに見えているのかもしれない。
「てかお前の地元で食えよ」
「とーきょーえりあのお好み焼きはまた味が違ーーもういい! どけ!」
俺の腕前に突然キレ出し、千島は俺を押しのけるように鉄板の正面に詰めてきた。普段が淡々とした喋りをするだけに、突然声を荒げられると恐い。
ボロクソ言うだけあって、千島のヘラさばきは見事だった。
綺麗な円形に焼きあがった生地に、手際よくソースをかける。
そしてマヨネーズを手に取る。その発射口を確認してからお好み焼きに向き直りーー
「ーー甲賀千島流粉物妙技、まよびーむ」
「忍びの里が泣いてるぞ」
「気まずい音を鳴らさずにまよねーずを一気にかける技だ」
相変わらず嘘かホントかわからないことを言いながら、千島は2人分のお好み焼きを焼き上げた。
手首のスナップが聞いたヘラさばきを見る限り、競技会で負った手首の怪我は完治しているらしい。
「手首、治ったんだな」
「忍者は回復も早い。かけるの方は?」
「明日、めでたく復帰だ」
「なら今日はお互いに快気祝いといこう」
ヘラを置き、千島が控えめにグラスを持ち上げた。
「親愛なるかけるとの再会を祝して」
「タイミングのいい天然忍者との再会を祝して」
乾杯。
かちり、とグラスをぶつけてぐっと飲む。
お互いに酒を飲める年ではないが、こういうのは気分が大事だ。
「しかし……なんか、久しぶりにあった気がしないな」
「ふん?」
オーサカエリア流だろうか、ヘラで豪快に食べ始めた千島が首を傾げる。
「お前が忍装束を着てないからだろ、多分」
「あれの方がかわいく見えるか?」
「暗殺者の正装にかわいいも何もあるかよ」
千島は夕方突然現れた時から、忍装束を着ていなかった。
スキニージーンズに薄手の長袖シャツ。
ポニーテールによく似合うシンプルな髪留め。
スタイリッシュでスマートな雰囲気は千島そのものだ。
しかし忍装束以外の千島は初めてなので、かなり違和感がある。
千島はシャツの端を引っ張りながら説明を始めた。
「そーすの匂いが付くと困るからな。気配が消えても匂いがするのは変だろう?」
「確かに。それで見つかったら笑い話だ」
その会話をきっかけに、俺たちは無言で食べ始める。
お好み焼きが半分減った辺りで、千島がまた話を始めた。
変わり始めたオーサカエリア支部についてだった。
「やおは格下げになった」
「へえ? まあ個人の失態としてはかなりデカかったもんな」
紅陽さんも手を焼いていたらしいから、今までの罰を一気に清算したってところか。
「今では私の仕事上の仲間から、どれ……下僕になった」
「言い直してさらにヒドくなってるし」
話題に上がった2メートル級の巨人がヘコヘコしている姿を思い浮かべて、「滑稽だな」と感想を漏らす俺。
「何にせよ、下積みもなく上の地位にいるやおを快く思っていなかった同僚も多い。この際、使えるだけ使っていこうというのがぼすの方針だ」
「相変わらずドSだな」
「しかし愛のあるお仕置きだ。気持ちいい」
「気持ちいいか悪いかの感想は求めてねえよ」
話を聞いていくと、あの敗北を機に多くのことが変わったらしい。
オーサカエリア支部にとっても、競技会が一つの転換点になったようだ。
「強くなるぞ、おーさかえりあは」
店の汚れた換気扇を眺めながら、千島は目を細めた。
なんだか、初めて会った時よりもずっと表情が豊かになった気がする。
「来年は必ず、優勝を取り返す」
千島は近況報告をそうまとめて、話を俺に振った。
「ところで、とーきょーえりあは?」
「まあ……色々だ」
「ふん……?」
指をあごに当ててあざとく考え込む千島。
やがて何かを思い出したかのように、その目を伏せた。
「そういえば……秋月氏のことは残念だった」
「お前、知ってたのかよ!?」
思わず腰を浮かせてしまう。
そんな俺を見上げ、千島はソースのついたヘラをぺろっと舐めた。
「そうか、かけるが落ち込んでいるのは秋月氏が関係しているのか」
「うぐっ……」
カマかけられていたらしい。
忍者というよりは詐欺師の手口。
「汚ねえ……」
「そうだ、忍者は汚い。汚いが、相談相手としては重宝する」
抗議しようと思ったが、言ってしまったものは帰ってこない。
俺はすべて千島に話すことにした。
優勝後、異動の申し出が殺到したこと。
在籍デリバリストが多くなれば、ミーナの出番がなくなること。
ミーナが俺に支部長の椅子を譲ろうとしていたこと。
そして、そのせいでケンカしてしまったこと。
千島は意外なほど真剣に話を聞いてくれた。
しかし……。
一通り話し終わった俺にかけた言葉は、さらに意外なものだった。
「そうか……。なら、ちょうどいい」
「は?」
思わず聞き返すと、千島は我に戻ったみたいに頭をかいた。
「いや、困っている時にちょうどいいとは失礼だったな……」
慌てて弁明する千島。
別にその辺を怒っているわけではないのだが……
気になるのは「ちょうどいい」の方。
そう不思議に思っていると、千島はどこからともなく茶封筒を取り出して俺に手渡した。
「受け取れ、かける。これが私がとーきょーに来た本当の理由だ」
ビジネスでよく使われる、スタンダードな茶封筒。
厚みはそこまでないが、仕事に使われるだけあって雰囲気的な重みがある。
その表に書かれていたのは……
「オーサカエリア支部長、月島紅陽より……」
「単刀直入に言う。へっどはんてぃんぐだ」
先ほどの「ちょうどいい」と「ヘッドハンティング」がきれいに繋がる。
つまり紅陽さんは、ミーナをオーサカエリアに引き入れようとしている?
それは俺たちが困るし、誤解があるようなのですぐに「いや!」と異を唱えた。
「ミーナはオペレーターになるだけであって、トーキョーエリア支部を離れるってわけじゃーー」
「違う」
次は、俺が異を唱えられる番だった。
千島の指がゆっくりと上がっていき、俺の胸を指して止まる。
「君の、引き抜きだ」
「…………俺の?」
展開の早さに、思考停止。
俺が、オーサカエリア支部から誘われている?
俺が動揺している間に、千島は軽く説明を加えてきた。
「現在おーさかえりあ支部は、来年の競技会でりべんじするために優秀な人材を求めている」
「ちょ、ちょっと待て!」
「ちょっと待てお兄さん?」
「……………………」
天然に心を折られながらも、俺は気持ちを整理して伝える。
「俺はオーサカエリア支部に土をつけたヤツだぞ?」
俺がいたからオーサカエリア支部は負けた、とまでは言わないけれど。
俺がオーサカエリア支部を負かした原因の一つであることに間違いはない。
それをヘッドハンティングするなんて……千島は納得できるのか?
しかし千島は。
「敵を倒す最上策は仲間に引き入れること」
あくまで冷静にそう言うだけだった。
俺からの反論は以上と判断したのか、千島は具体的な話を始める。
「新年度からの勤務をお願いしたい。学校を卒業したいなら転校先も用意できるし、名義だけおーさかえりあ支部に移すことも可能だ。契約金についてはぼすと直接話し合って決めてほしい」
「なんつーか、すごい待遇だな」
自分のことじゃないみたいだ。
「先ほども言った通り、やおは降格した。私の仕事上の仲間席が空いている」
「そこに入れてやるよ、と?」
「然り。突然支部長になるよりいい話だと思わないか?」
「それは、まあ……現実的っちゃ現実的だな」
「私としても……。その、かけると毎日会えると、嬉しい」
不覚にも、胸を打たれた。
普段無表情なだけに、恥ずかしそうにそっぽ向く仕草が妙にかわいく見える。
まあ汚い忍者だから計算高く心の中で笑っている可能性も残るが……。
心が揺れたのは否定しようのない事実である。
しかし。
「ありがたい話だが……」
俺の答えは、もう決まっていた。
俺は差し出された茶封筒を開けず、千島に返す。
「俺はミーナの下で働ければそれでいい。それ以上は求めてない」
スポーツ選手や何かの競技で一流の人はみんな、環境が大事だと言う。
周囲に合わせて向上していこうとすれば、自然と自分もそのレベルに引き上げられると。
だから、オーサカエリア支部からの誘いは決して悪い話じゃない。
より良い環境に身を置いて自分を試すのも一つの選択肢だ。
でも、現在の俺は。
ミーナの下以外で働いている自分の姿を想像できない。
想像できないってことは、そうすべきじゃないってことだ。
また状況や考え方が変われば、その時は移籍も視野に入るのかもしれない。
なんにせよ、「今は時ではない」というのが俺の答え。
千島はしばらく突き返された茶封筒をじっと眺めていた。
そして、ゆっくり口を開く。
「とんだ甘ちゃんだな、かける」
「は?」
「秋月氏が現場を離れることを憂いていた時から引っかかっていたが……君は甘い」
千島の反応は、想像以上に厳しいものだった。
「君は秋月氏のために働いているというならそれは大きな間違いだ。私たちが働くのは上司を喜ばせるためではない。荷物の送り主と届け先のためだ」
正論、だった。
正論すぎて逆ギレもできない。
「それに、どんな仕事をしていても突然上司が変わることは有り得る」
「でも、どうしても納得できないんだよ」
「そんな内部事情は、荷物を送り主にも届け先にも関係ない」
「ぐっ…………」
「私のように、一切の心を殺せとまでは言わないがーー」
腕を胸の前で組み、俺との壁を作る千島。
その表情からは「失望した」という含みが見て取れる。
「少しは大人になれ、かける」
説得力を盾に、悩み抜いた俺の心を責める千島。
きっとこの言葉は、卯衣やリンゴの口から聞いても心に響かなかっただろう。
しかし、俺に語っているのは千島だった。
厳しい世界を知っていて、俺よりずっと場数を踏んでいる。
圧倒的な説得力が俺の心を揺さぶった。
俺の一週間を30秒くらいで叩きのめした千島は「少し言い過ぎたな」と反省したようにつぶやき、俺の目を鋭い眼光で射抜いた。
「おーさかえりあにおいで。そういう基本的なことを含め、すべて教えてやろう」
言って、千島は俺の前にヘラを差し出す。
お好み焼きが一口分、乗っていた。
千島の目が「食べろ」と言っている。
「……ボロクソ言う割に、引き抜きはやめないんだな」
「惚れた者の弱み、とだけ言っておこう」
しばらく色んなことを考えながらお互い沈黙を守っていたが……。
居心地の悪さが頂点に達した。
「わかったよ。考えてみる」
言って、俺は千島のヘラから一口食べた。
千島が厳しい表情を少し和らげる。
決して、異動することを受け入れたわけではない。
でも。
真剣に考える価値があることくらい、俺にだってわかった。
ミーナを説得してミーナの下で働くか。
俺がトーキョーエリア支部の支部長になるか。
もしくは、より良い環境を求めてオーサカエリア支部に異動するか。
ここで考えることを諦めるのは、悪だ。
「できれば他言無用願いたい」
「誰にも言う気になれねえよ」
ただでさえ手一杯なのだ。
今卯衣にこんな相談持ちかけたら過労死する。
「……結構迷うぞ、俺」
「構わない。後悔しないように決めてくれ」
口では自由を強調しているが、心の中では何を考えているかわかったもんじゃない。
ほら。今だって粘着質そうな笑みをにたりと浮かべている。
が。
何かに気づいたように、千島は突然表情をフラットに戻した。
「かける、そーすが口についている」
「マジか。どこ?」
「少し待て。今拭く」
千島がハンカチを取り出して俺の顔に近づけてきた。
顔を背けようとしたが、後頭部がいつの間にか千島の左腕に押さえつけられていた。
頭を動かせず、されるがままにふきふき。
「よし取れた」という千島の呟きにホッとした瞬間。
「うぉっ!」
ちょいちょい、と。
千島の人差し指が、俺の唇をなぞった。
瞬間、デリバリスト競技会最終日の記憶がフラッシュバック。
星屑が見守る中で強引に「ある物」を奪われた記憶ーー
沸騰したかのように熱い血が顔に流れ込んだ。
「お、おまっーー」
「何か思い出したようだな?」
確信犯の笑みを浮かべて、千島は笑う。
自分の唇も触って、俺に「何か」をより鮮明に思い出させようとしていた。
「おーさかえりあに来てくれれば……あんなことは毎日でもしてあげるぞ?」
千島自身も相当恥ずかしそうだが『自分の身を切ることもいとわない』という忍者の覚悟と根性が垣間見える。
千島の策略にドハマりして顔を赤くする俺は、千島から逃げるように天井を仰いだ。
感情に流されるな。
落ち着いて考えるんだ。
まだ新年度が始まるまで時間がある。
その間に、自分と向き合ってゆっくり決めていこう。
心頭滅却により平常心を取り戻した俺は、
「昨晩もすぱっつで寝た」
「少しは落ち着いて考えさせてくれえええええええええっ!」
再び、千島の策略というドツボにハマる。
★★★★★★★★★★
今は2月。
年度末の忙しさが徐々の顔を出す時で、新年度が始まるまであと二ヶ月。
『まだ新年度が始まるまで時間がある』
その見立てが大いに甘かったと俺が理解するのは、千島との密会の帰り道。
留守電に入っていたこんな卯衣の声を聞いた瞬間だった。
『カケルさん、カケルさーん! ミーナが……ミーナが倒れましたー!』




