港にて 04
確かに、斬りかかったはずだった。
蛇族の男に。自分の前から永久に消えてほしくて、やってくる気配に脅威を感じて。それを払いのけるために、勇気をふりしぼって斬りかかった。そのはずだった。
けれど次の瞬間、大きな衝撃とともにカダは吹き飛び、尻餅をついていた。何が起きたのかわからない。しびれて感覚のない腕でもって、どうにかして起き上がろうとし、失敗して無様にじたばたする。
「あぶない、あぶない」
そんな声が聞こえた。顔を上げると、足が見えた。
(なんで、足?)
不審に思いつつ顔をゆっくりと上げてゆく。
赤と金の輝きが、目を打った。
「無抵抗の相手に斬りかかるなんてのは、まずいんじゃないのか、警備の坊や?」
低めの声が言う。カダはぽかんと口を開けた。
そこには、女がいた。男のようななりをしていながらきらきらしく装った女が。
女は、宙に浮いていた。
それだけで尋常ではない存在とわかるのだが、それ以上に。女は、生きる力に満ちていた。
美しい、と言うのとは違う。いや、美しいのだろう。けれどもそれ以上に、女の持つ気迫が、存在の持つ力強さが、ただただカダを圧倒し、言葉をなくさせる。
目を奪われる。
心を奪われる。
魂が震える。
そこにいる女は、そこにいるだけで。見るものにそう感じさせる、そういう存在だった。
濃いあかがねいろの肌。不思議な色合いの金の瞳。結いあげた髪は白い。頭にも耳にも、宝虫細工や貝石の飾りをつけている。びっしりと刺繍のはいった、リベリの花をつむいだシャツ。ひとめで高級品とわかる角蛇の革のズボン。
その背にある翅は、光をはじき、金色に輝いている。
きらめきながら女を彩る八枚の翅は、どんな宝虫細工よりも美しい。天空の光のようだ。明るく軽やかでいて荘厳なそれは、堂々とした女に金の輝きを添える。細かな光が彼女にまとわりつき、彼女自身を輝かせる。
女王。
カダは、思った。女王がここにいる。
「船ノ人」
「船ノ人だ」
「おい、大き翅だぞ」
周囲の人々がざわめく。
「なんだ。声が出ないのか?」
尻もちをついたまま、見上げるばかりのカダに、女は苦笑した。翅を震わせると、手にした昆を、とん、と肩にかつぐ。
「怪我はないか、蛇の」
視線がそれて、背後に向かう。それをカダは、惜しく感じた。もっと、自分を見つめていて欲しかった。
「大事ない」
低い声がした。深みがあり、意外と音楽的な響きがあった。しかしその声にカダは、ぎくりとした。そちらに目をやると、フードをかぶった背の高い男が立っていた。
蛇族。
自分が斬りかかった相手だ。どうして無傷なんだ、と思い、そこでやっと、自分が武器を手放していることに気づく。慌てて周囲に目をやると、離れた所に剣が転がっていた。
「ないなら何より。だがな。避けるぐらいはしてもらわないと、心臓に悪い。自分の身を守るぐらいは、してもらえないかね?」
女の言葉に蛇族の男は胸に片手を当て、額に当て、最後に女にその手のひらを差し出すというしぐさをした。ゆったりとした動きは妙に自信ありげで、堂々としていた。
「陸に上がってまだ間がない。大気と熱に体を慣らすのに精いっぱいで、うまく体が動かせぬ。
竜の娘子には、まこと、感謝をささげる」
「大仰なことだ。まあ、そういうことなら、割り込んで良かったということか。
こんな所で蛇族が死んだりしたら、どんなたたりが起きるかわかったものではないからな」
最後の言葉は、周囲に集まった人々に聞かせるためのものらしかった。カダは、びくりとなった。そうだ。蛇族は、殺すとたたる。なのに俺は、何をした?
ざっと青ざめ、やばかった、と思い当たる。蛇族のたたりで死に絶えた島や村の物語が脳裏をかすめた。この島が、そうなっていたのかもしれないのだ。
それは周囲の人々も同じだったらしい。ひきつったような顔をして、みなが後ずさる。
「おやおや」
女は周囲を見回すと、呆れたような顔をした。
「今さらだな。そう怯えるようなら、最初から騒ぎを起こさなければ良いものを。
で、蛇の。お前たちも、なぜ島に上がってきたりした。こんな昼間に、ぞろぞろと。
わたしが聞く限り、お前たち蛇族は普段、人前に出ない。取次役の商人としか、話をしないのではなかったか?」
彼女の視線が、再び男に向けられる。カダは、嫉妬を感じた。
蛇の男は、かすかに笑ったようだった。
「竜の娘子。それ以外とも、話ぐらいはする」
「そうか?」
「相手が逃げ出すので、会話にならぬだけだ」
「はっ」
女はこれを聞くと、声を上げて笑った。
「仕方なかろうよ。お前たちには謎が多すぎる。尾ひれのついた物語も。
しかし、意外と冗談のわかるたちなのか、蛇の?」
「冗談を言ったわけではないのだが、竜の娘子」
男は返すと、静かに続けた。
「われらには、島の上の太陽の熱や光はこたえる。海の底で思索を続ける種族であるがゆえに。
ゆえに昼間には、島に上がらぬよう務めている。島の者がわれらを見慣れぬのは、そこに起因しよう。
とは言え、われらもまた、古き竜の盟約の元に、この世界に生きるもの。ゆえなく迫害を受けるいわれはない」
「古き竜の盟約ね」
女はつぶやくと、男を面白そうな目で見た
「蛇は、古の竜を愛するのか」
「無論。竜の娘子よ。そなたたちと同じく」
間髪を入れずに答えた男は、続けた。
「ゆえに我らがここに立つは、それなりの意味がある」
「それはわたしにではなく、島の者に言うことだろう。だがまあ、聞いてやろう。なぜ、この時に島に上がった?」
それに対して男が何か言おうとした時。
「我らの港で狼藉を働く者ども! その場を動くな! 市長の名の元に、おまえたちを捕縛する!」
叫ぶ声がした。それと共にばらばらと、武器を手にした兵士が駆け寄ってくる。
自分のような湾岸警備の民兵ではない。正規の訓練を受けた、市の兵士だ。なぜ彼らがここに。呆然となりながら、カダは思った、何が何だかわからない。いったい、何が起きているんだ?
慌てふためいた人々が、避けようとしたり、前に出て見ようとしたりして、押し合いへし合いする。その中を強引に駆け抜けて、兵士たちは女と蛇族の男たちを取り囲み、剣を向けた。
そんな彼らの背後から、一人の男が歩いてくる。
「第一分団長だ!」
「豪腕のロキシ!」
市民が歓呼の声を上げた。
巌のような体つき。日に焼けた銅色の肌に、針金のような赤い髪。いかつい顔に、鋭い眼光。にこりともしない仏頂面。だがひとたび武器を持てば、凶暴な牙爪蟲をも、一刀両断する。
豪腕のロキシの名で知られる、柳ノ魚島きっての兵士である。
へたりこんだまま見ていると、カダの方に側仕えらしき兵士が走り寄ってきた。
「民兵のかたですね。怪我は」
「あ、え、は」
穏やかに言われ、何か言おうとするのだが、頭が全く回らない。カダがあうあうと意味のない声を出している間、彼は手早くカダの体を調べ、「大丈夫ですね」といってうなずいた。
「立てますか」
「あ、ああ、はい」
手を差し出され、おろおろしながらも、カダはその手を借りて立ち上がった。尻もちをついたままというのは、さすがに恥ずかしいと気がついたのだ。差し出されたものを反射的に受け取り、ずしり、とした重みに、自分の武器であることに気がつく。ああ、そうか。落としていたんだっけ、とカダは思った。
なぜか剣の重みは、これが現実であるとカダに思わせた。
そうこうしている間も、ロキシの歩みは止まらない。彼はまっすぐ、宙に浮く女の方に向かった。その歩みには一部の隙もなく、全身から立ち昇る闘気は、びりびりと肌を刺し、周囲の者を緊張させた。
女から少し離れた所まで来ると立ち止まり、ロキシは鋭い眼光で彼女を睨みつけた。そして、うなるような声で言った。
「武器を捨てろ。遠くにだ」
女は肩をすくめると、手にしていた昆を地面に放った。がらん、と音を立てて、それが地面を転がる。ちらりと視線だけでそれを確認すると、ロキシは言った。
「久しいな、疫病神の船の女王。今度はどんな厄介事を持ち込んだ」




