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猫時々彼  作者: mia
番外編
58/58

幸福論

ジングルベルを無意識に口ずさんでいたら家族から「五月蝿い」と言われました。

しゃくだったので次は赤鼻のトナカイを歌います。



 田宮沢――今は阿久津と苗字を変えているが、彼の本当の苗字を知っているのはごく限られた一部の人間のみである。“Un chat noir”の月島姉弟、そこでアルバイトをしていた神城圭、後は田宮沢に関わる人々。

 華里の人の大抵は、彼を“阿久津”もしくは“秋”と呼ぶ。月島姉弟は姉の蘭が「阿久津君」と呼ぶのに対し、弟の琳は「秋」と呼ぶ。彼女の苗字で呼ぶのは好かないらしい。

 そして彼を“英”と呼ぶ人、それは世界に1人だけしかいない。

 そう、彼が愛してやまない彼女だけだ。


 「ただいま、って笑子?玄関で何してるの。公園かどこかにでも出かけるの?」


 土曜日のお昼前。近くのスーパーで買い物をして帰宅した彼は玄関のドアを開けた先にいる、仁王立ちで腕を組んで立つ娘、笑子に目を丸くした。幼稚園の年少組である笑子は、祥子の母が英秋とお揃いで作ってくれた手編みの手袋とマフラーを身につけ、完全防備だ。

 何やら不敵な笑みを浮かべているが間違ってもこんな笑い方をするような子に育って欲しくて“笑子”という名前をつけたわけではない。誰に似たのか、悪戯好きで我がままなお転婆娘になってしまった。母親の祥子の言うことはよく聞くが、彼の言うことは聞こうとしない。どころか苛める。

 自分と同じ色の髪と瞳をした娘を複雑な想いで見下ろしていると、笑子は胸を張ってこう言った。

 「ママから伝言。“ちょっと出かけてきます。帰るの遅くなるけど、心配しないで”だって。パパ、お兄ちゃん宿題してて遊んでくれないから、公園行ってきてもいい?」

 「そう。行ってもいいけど暗くなったら帰ってこないと駄目だよ。――あ、待って。雪降ってきた。吹雪くと危ないから今日は家で大人しくしてようね」

 「えー、つまんない!お買い物にも連れて行ってくれなかったし!お菓子!」

 頬を膨らませて地団太を踏む笑子に、しゃがんで膝をついた彼は横に買ったものを詰めたエコバッグを置き、頭を撫でて宥めてやる。

 「そんなに拗ねないで。お菓子ならパパがドーナツ作ってあげるから。また天気が良い日に遊ぼうよ。積もったら大きな雪だるまとか作れるし」

 「じゃあ、猫の雪だるま作ってくれる?かまくらも」

 「はいはい分かってます。猫の雪だるまは笑子のお気に入りだからね。今年は去年よりもっと凄いの作ろっか」

 「うんっ!やった!」

 目をキラキラさせて頷いた笑子は機嫌を直したのか、陽気な鼻歌を歌いながら居間の方へと駆けていった。どうやら吹雪の中で遊ぶのは諦めてくれたようだ。

 「さてと、買ってきたの冷蔵庫に入れて、お昼ご飯の準備……っていうか、祥子どこに出かけたんだろう?」

 対面式のキッチンに入った彼はエコバッグから食材を取り出しつつ、ソファの上で上着やらマフラーを脱ぎ散らかしている笑子に声をかける。

 「笑子、それ後でちゃんとハンガーにかけておくんだよ。ママはどこに出かけるって言ってた?」

 「知らない。あ、お兄ちゃんなら知ってるかも。ママ、出かける前にお兄ちゃんとお話してたもん」

 「そっか」

 今日の夕飯の献立を考えながら答えた彼は、後で英秋の部屋に行って聞いてこようと、取りあえずその疑問を放置しておくことにした。



 「病院に行くって言ってたけど」


 畳んだ洋服や下着やらを部屋に届けに行ったついでに尋ねると、漢字ドリルから顔を上げた英秋は淡々と答えた。ふと、英秋は母親譲りのアーモンドアイを瞬かせて、首を傾げた。

 「お父さん、大丈夫?気分でも悪いの?顔真っ青だよ」

 「………病院って…どこの…?」

 「いつも行ってる所ってお母さん言ってた。大したことじゃないから、って――お父さん?」

 心配そうに見上げる。彼はハッと我に返り、笑顔を取り繕った。子供に不安を与えてはいけない。

 「何でもないよ、考え事してただけ。教えてくれてありがとう、英秋。宿題の邪魔してごめんね」

 「ううん。別にいいけど…」

 まだ何か言いたそうな顔をしている英秋の頬を軽くつまんで「勉強も程ほどにね。もうすぐお昼にするから」と茶化し、彼は昼飯の支度をしてくると部屋を後にした。

 ひとりになった英秋は、ぽつりと呟いた。少し、罪悪感の残る表情で。


 「…嘘ついてごめん、お父さん」



 まだ帰ってこない


 壁にかけた時計に目をやり、息をつく。さっきからこの繰り返しだ。何かをしていないと落ち着かない。携帯にかけてみても電源を切っているのか繋がらないし、祥子からは何の連絡もない。夕飯を終えた子供二人は居間でテレビを観ており、彼は皿洗いをしている。


 「遅い、なんで…もしかして重い病気、とか……?」


 情けない顔で肩を落とし、ぶつぶつ呟いている父親を、ソファの背もたれ越しから英秋と笑子が伺う。

 「パパどうしたのかな?帰って来てから、ずうっとあんな感じ。お腹でも壊したのかな?」

 「そうだったらご飯食べられないよ。…多分、お母さんのこと気にしてるんじゃない」

 「ママ?お出かけして、まだ帰ってこれないの?」

 「もうすぐ帰ってくるとは思うけど……」

 父親のあまりの落ち込みように英秋は思案する。


 本当のことを言ってしまった方が良いのではないだろうか


 皿洗いを終え、何度目ともしれないため息を吐いた父に、英秋はソファから降りて呼びかける。

 はずだった。


 「ただいま」


 玄関の方から聞こえてきた声に、彼の肩が飛び跳ねる。

 「帰ってきた…!」

 手を拭いていたタオルを放り出して玄関に走っていってしまい、英秋は肩を竦めた。

 「まぁ、いいか。お母さんが何とかしてくれる」

 「ママ帰ってきたの?」

 「そうみたいだね。今お父さんと大事なお話をしてるから、僕らはここで待ってよう」

 「うん。ねぇお兄ちゃん、“猫”が入ったことわざって何だったっけ?“きゅーしょー、猫を噛む”で合ってる?」

 玄関で交わされる父と母の会話を遠くに聞き、踵を返してテレビのクイズに熱中している笑子の隣に腰掛けた。灰色の瞳は無邪気に兄に答えを求める。

 英秋は真っ直ぐなその目に、苦笑しつつも応えた。


 「笑子、それは“窮鼠、猫を噛む”だよ」



 阿久津祥子は困難な状況に立たされていた。

 家に帰って来て靴を脱ぎ、振り返ると彼が立っていて「遅くなってごめんなさい」と言おうとした寸前、思い切り抱き締められた。

 「ちょ、英。いきなり何なの」

 「今までどこに行ってたの」

 「どこにって…英秋から聞いたでしょう?病院に行ったって」

 「なんで。嫌だ…」

 肩に顔を埋め、掠れた声で「嫌だ」と呟き続ける彼の身体は小刻みに震えていて、そこで気づいた。

 「英、まさか私が何かの病気にかかって病院に行ったと思っているの?」

 「だって病院って、そういうとこ……え?何?違うの?」

 バッと体を離し、祥子の顔を覗きこむ。

 「違うにきまってるじゃない」

 彼女はおかしそうに笑っていた。

 「…笑わないでよ」

 むすぅっと不機嫌な表情の彼は気恥ずかしいのか、そっぽを向いてしまった。そんな彼を見ていた祥子は、何かに目を留めて手を伸ばす。その先にあるのは、彼がシャツの上から着ていた桜色のカーディガンのボタン。

 「祥子?何して……あ」

 「英ったら、ボタン掛け違えているわよ」

 「ああ、昼に汚れて着替えたんだっけ……格好悪…」

 オムライスを作っている時にぼうっとしていてケチャップを上の服に飛ばしてしまい、着替えていたのだ。

 ひとつひとつボタンを外し、正しい場所に留める。

 留め終えた祥子が顔を上げると、灰色の瞳が間近に映った。

 「けど良かった。祥子に何かあったら、俺、どうしようかと――」

 「しっかりしなさい。そんなんじゃ英秋と笑子に示しがつかないわよ。あなたは3人の子供の父親なんだから」

 綺麗な微笑に見惚れて頷きかけていた彼は目を見開く。


 「3人ってどういうこと?え、もしかして病院に行ってたのって…」


 視線が下にいく。まだ膨らんでいないお腹を凝視していると、柔らかな声で彼女は言った。


 「赤ちゃん、できたみたい。3ヶ月ですって」


 彼の目が零れ落ちんばかりに大きく開かれた。動揺を隠しきれないまま、お互いの額をくっつけて見つめ合う。

 「本当に?」

 「ええ」

 「やった!女の子だ!」

 「女の子かなんて、まだ分からないわよ」

 「ううん、絶対女の子だよ。祥子そっくりの可愛い女の子かぁ。名前どうしようかなぁ。ベビーウェアどこに仕舞ったっけ?」

 頬が緩みっぱなしの彼に何を言っても無駄なようだ。早々に諦めた祥子は彼の広い背中に手をまわすと、逞しい腕に腰を引き寄せられ、英の時みたいに頬をすり寄せてくる。猫っ毛が触れてくすぐったい。

 「帰りに“ふじがや”に寄って、あなたの好きな特上の栗羊羹を買ってきたの。今日のおやつに皆で食べましょう」

 「うん。でも笑子にドーナツ作ってあげるって約束しちゃったけど、どうしようか?栗羊羹は明日にする?」

 彼の提案に首を横に振る。

 「今日じゃなきゃ意味が無いわ。明日はあなた仕事でしょう?せっかくだから皆で食べたいの。笑子が怒るといけないし、ドーナツを作るのは私も手伝うから」

 ね?と上目遣いで見上げてくる可愛らしい愛妻に、彼の理性が飛んだ。瞼を閉じてさっと顔を近づけ、唇を塞ぐ。甘く、痺れにも似た感情が胸の奥に伝わり、全身に広がっていく。

 極上の甘味を存分に味わいつくした彼は、ゆっくりと目を開けた。顔を赤くして息を切らす祥子の艶やかな表情に、今すぐ床に押し倒してしまいたい衝動に襲われるのを拳を握ってぐっと堪える。

 気休めに目を逸らすと、クリスマス用にと棚に飾ったポインセチアの鉢が視界の隅に入った。赤と緑の鮮やかなコントラストはそれだけで幸せに満ちていて、居間の方から漏れてくる笑子の大きな笑い声と嗜める英秋の声に、色とりどりの世界が一層輝きを増す。


 そして何よりも幸せだと感じられるのは


 「英、ただいま」


 愛するキミが


 「おかえり、祥子」


 俺の腕の中で笑っているから


 fin.



 おまけ


 「ねぇ、お兄ちゃん。パパとママまだこっちにこないのかな?何してるのかな?」

 「いいから僕たちは静かにここで待っていよう。今はまだ行かない方がいいから」

 「成程!行かぬがホッケなんだね!」

 「……仏だよ。あと、使い方微妙に違う気がするけど」


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