22.阿久津祥子の試み(1)
月曜日の朝はいつもごたごたしている。その理由は言えないが、この状況を一目すれば分かる。
「またこんな際どい所に痕をつけて――!考えてやってって言ってるでしょ!?隠すの大変なんだから!」
ソファのクッションがキッチンに向かって物凄い速さで飛ぶ。的は憎き犯人の背中だ。狙いやすいことこの上ない。
下手によけると朝食と弁当が大惨事になると分かっている彼はあえて避けない。ボフッと鈍い音を立てて床に落ちたクッションに彼が声を上げる。
「あっ、これ俺のお気に入りのミイラパンダのクッションじゃん。正義のヒーローを粗末にしちゃ駄目だよ、祥子ちゃん」
「何が祥子ちゃんよ。子供扱いしないで。あと話を逸らさないで」
憤然と睨みつける祥子に肩を竦めた彼は水色の弁当箱の蓋を閉めてゴムで固定する。そしてにこやかな笑顔で
「はい今日のお昼。体調は悪くない?味付けあっさりめにしておいたから安心してね」
「ええ…」
弁当を受け取った際に緩めた警戒心。その隙に乾かしたばかりの黒髪をさらりと撫でられ、額にキスが落とされた。軽やかなリップ音にデジャヴを覚えた祥子は首を捻り、昨夜のことを思い出して赤面する。対する彼はにやにやしている。
「もしや昨日の思い出しちゃったとか?嬉しいけど授業中はよそうね。俺だって仕事の間は祥子とのあんな事やこんな事考えてても顔に出さないように頑張ってるんだから」
朝からやめて欲しい。というかギャルソンがお茶注ぎながら何を考えているのよ
持っていた弁当を床に叩き付けなかったことは褒めてほしい。そんなことをしたら彼と気まずくなって終いには部屋の隅で泣き出されるのがオチだ。
「…遅刻するわ。早く朝ごはんにしましょう」
精一杯の忍耐でもって堪えた。昔の自分だったら有り得ないほどの変わりよう、なのだろうか。
温かいご飯と味噌汁、だし巻き卵に焼き鮭といったメニューを平らげ、支度を済ませた祥子は玄関で彼を待つ。
「お待たせ。マフラーと手袋忘れてたよ。防寒対策はしっかりしないと」
母親が子供にするような注意をされ、むっすりとなるのをよそに彼は灰色のマフラーを首にきっちりと巻いた。
「あなたこそ、それで寒くないの?マフラーも手袋もしないで。寒がりのくせに」
彼は普段着の上に濃い灰色のダウンジャケットを着ているだけだ。外気は身も軋むほどの冷たさになりつつある。そろそろ雪がふってもおかしくない時季だ。
防水加工のされた靴を履き終えた彼は鍵を閉め、歩きだした祥子の隣に並ぶ。
「俺って自分が身につけるものにあんまり興味ないんだよね。たまにデパートとか行っても祥子に似合いそうな服とか気に入りそうな雑貨にしか目が行かなくてさ」
職業柄かな、と無邪気に笑う彼を見上げていた祥子はふとひらめいた。
ちょうどクリスマスも近いしマフラーと手袋をプレゼントとして贈ったら喜んでくれるだろうか
選んであげた服は気に入ってくれているみたいだし、センスは間違っていないはず
「祥子、眉間にしわ寄ってる。悩み事でもあるの?俺でよかったら相談に乗るよ?」
顔を覗きこんできた彼に慌てて「何でもない」と首を振る。
この際、何か希望でもあるか聞いておこう。あからさまに聞くのもあれだが
「あの…今欲しい物ある?部屋にこういうのがあったらいいとか、暇な時に遊ぶものとか」
「ううん、特に無い」
即答だわ
階段を下りてエントランスを出ると寒さに肩が震え上がる。びゅうっと吹く風にマフラーに顔を埋めて応戦するほかない。
寒そうな素振りを微塵も見せない彼だが部屋ではこたつからなかなか出てこない極度の寒がりなのだ。猫のときは有名な歌と同じくこたつで丸くなっている。
今朝だって寒い寒いと言って布団の中で抱きついたまま離してくれず、危うく湯たんぽ代わりにされるところだった。
自分のことに関しては無頓着になるのよね
甘えるのは躊躇わないのに自分を甘やかすことは極力しない。というかしたがらない。
彼は職業柄だと言ったけれど、きっと違う。複雑な家庭で育った彼は両親に愛されることなく、それどころか利用される立場に置かれていた。執事という性質も相まって、他人のために自分を律するのは当然のことだと刷り込まされている。
それも本人が自覚していないから尚更手強い。
「じゃあ、好きな色は何?」
「色?いきなりどうしたの。俺の好きな色なんて知って何の役に――」
「役に立つ立たないじゃないわ。知っておきたいのよ。あなたのことならどんなことだって」
彼が足を止める。
「――英?急がないと準備に遅れる、って顔真っ赤じゃない。しもやけかもしれないわ。やっぱり寒いのよ、もう」
「いや寒いどころか暑い……あー、もう無理。顔作れるかな…」
「あら、赤になったわ」
口元を手で押さえて悶々としている彼に気づかない祥子は交差点の信号を眺めていた。




