21.その猫、確信犯
「祥子、どういうことか説明しなさい」
責めるような口調で告げた女性はソファに座って目の前の二人、特に祥子の方に鋭い視線を向けている。神経質で頑固そうな印象を与える風貌の女性に、お茶を置いたローテーブルを挟んで絨毯の上で正座する祥子は小さくなっていた。
「嫁入り前の娘が自分よりも若い男と一緒に住んでいるなんて正気じゃないわ。ましてや母親である私に一言も言わずに」
祥子は頬を手で押さえる。熱を持ったそれは、さっき母親に叩かれた衝撃をまだ物語っている。
祥子は夏のお盆休みに実家には帰らなかった。実家で飼っている猫たちの様子を見たいのはやまやまだったが、彼をひとり華里に残して行くことはできなかったのだ。
『俺のことは気にしなくていいから、ご両親のところへ帰ってあげて。きっと気にかけているはずだよ』
彼が慮ってくれているのは分かっていたけれど、祥子はどうしても帰る気にはなれなかった。両親に会いたくなかった。
首を横に振り続ける祥子に察してくれた彼が『祥子がそうしたいなら俺はもう何も言わない。心配かけないようにちゃんとご両親には電話してね』と深く問い詰めないでいてくれた。
実家には留守電を入れておいた。父親は現役の高校教師、母親は小学校の教頭で家を空けていることが常だからだ。
華里に来てから初めて実家に顔を出さない盆休みを過ごしたことも、学校の体育祭や文化祭の準備に追われていてすっかり忘れていた。
ただ忘れていたとは言っても、今はもう11月だ。両親も特に気にしてはいなかったのだろうと思っていた。
だがそうではなかった。
狙いすましたかのように連絡も無く祥子の母がアパートにやって来て、運悪くドアを開けて応対したのが彼だったために策を練る間もなく今に至った。
祥子の隣で同じく正座をしている彼は神妙な顔をしたまま何か考えているようだ。
彼を押しのけて部屋に入った祥子の母は現れた娘に容赦なく平手打ちをして罵しりだした。祥子の言い分も聞き入れずあまりにも理不尽な態度を見かねた彼が間に入り、怒りの矛先を半々に向けることには成功したものの事態はいまだ思わしくない。
「あなたを今まで厳しく育ててきたのは決して道を外さない正しい人間として立派な教師になって欲しいと願ったからこそなのよ。それなのにあなたは親の心も知らずのうのうと……」
どうしたらそんなに口が回るのかというくらいの速さで喋り続ける母に祥子は逆に感心していた。
幼い頃は事あるごとに叱ってくる母を畏れの対象として見なし、いつもびくびくしていたが今はなぜか冷静な気持ちでいられる。
ひとりじゃないから、なのかしら
祥子は隣の彼にちらりと視線を寄越す。彼も気づいたのか、祥子の母からは見えない所で手を握ってきた。
〈大丈夫だよ〉
そんな思いが込められた温もりを握り返し、祥子は意を決して顔を上げた。
「お母さん、今まで黙っていてごめんなさい。正直に言うわ。私、彼と付き合っているの。お母さんたちが何と言おうと別れる気はありません」
凛とした強い言葉に母は口を閉じる。今まで一度も反抗しなかった娘の変わりようを目の当たりにして驚いていた。
頃合を見計らったように彼が口を開く。
「阿久津さん、これまで一度もご挨拶に向かわず本当に申し訳ありませんでした。祥子さんとは結婚を前提に真剣にお付き合いさせて頂いています。僕はまだ未熟者ですが、決してご両親を裏切るようなことはしないと誓います」
渋る様子を見せている祥子の母に彼が畳み掛ける。祥子は別のことで混乱していてついていけていない。
「順番を違えてしまったことは認めます。ですが僕はもう彼女のそばを離れることはできません。愛しているんです」
切なげな響きに胸が高鳴る。繋いだ手から伝わる底知れない彼の愛情を受け止めた。
厳しい表情だった母も彼に負け、こめかみに手を当てて深く息をついた。
「まだ私は認めませんよ。……年明けの休みに改めて挨拶にいらっしゃい。二人でですよ。お父さんともきっちり話をしてもらわないといけませんからね」
「お母さん…」
「今日はこれで帰るわ。とにかくあなたが元気でいると分かって十分目的は果たしました。それに夕飯の準備もしないといけないし」
「あ、良かったら僕が作った筑前煮をおすそ分けしますよ。昨日作って味も染み込んでいるはずなんで……タッパーに詰めますね。ちょっと待っていて下さい」
長時間正座をしていたというのに顔色ひとつ変えず立ち上がってキッチンに向かった彼。その後姿を見送る祥子の母は呆気に取られていた。
「24のあんな優男が筑前煮を作れるだなんて…」
キッチンの方から「駅までお送りしますよ」という呑気な声が上がったのに、祥子は苦笑するしかなかった。
祥子の母を最寄り駅まで送った彼が部屋に戻ってくるなり、祥子は再び正座で彼と向き合った。
「ん、どうしたの。もうお母さん帰ったんだからそんな緊張しなくてもいいんじゃ…」
「さっき言ったこと本気なの?」
「さっきって?」
首を傾げる彼に口籠もってしまう。絨毯を無意識にむしっていた手を「はげちゃうよ」とやんわりと制され、そのまま握られた。
「それで?何が聞きたいの?」
こうなった以上引き返す術もない。顔から火が吹き出る心境に襲われながらも、たどたどしく言う。
「えっと、私と…その、けっ、結婚を前提に、って……」
尻すぼみになっていく声に耳を澄ましていた彼は理解したのか「ああ」と頷いた。
自分から聞いておいて恥ずかしくなり、俯いてしまったので彼の顔が見えなくなった。
私の自惚れよね、きっと
「ご、ごめんなさい。今のは気にしないで。私も聞かなかったことにするから」
「うん。聞かなかったことにして」
返ってきた答えを受けてずんと胸に重いものが圧し掛かった。頭をガツンと鈍器で殴られたみたいだと錯覚する。
なんか泣きそう。惨めだ
きつく膝の上で握り締めた拳に涙が落ちるよりも前に、向き合って座っていた彼に抱き寄せられた。体を預ける体勢になって目を丸くしていると、
「もうちょっと待ってて。祥子のために、きちんと場を整えて正式に申し込みたいんだ。だからキミの答えはその時まで聞かない」
どこか楽しそうな呟きに思わず笑みが零れた。
「祥子、泣いてるの?」
「泣いてなんかいないわ」
「嘘。濡れてる」
指で目元を拭う彼を見上げる。穏やかな灰色の瞳と、少し照れくさそうでいて心配そうな表情の彼を視界一杯に収め、祥子は目を閉じて顔を寄せた。
嬉しくて泣いている顔を見られたくなかった
だって、まだ答えてはいけないんでしょう?
シリアスな話を考えるのが苦手だと自覚したmiaでした。
どうしても甘い方に走ってしまうんですよね。これはもう習性ですね。




