第二次世界大戦終結
取り敢えず再度第二次世界大戦終結と、終結させた理由付けです。
1944年10月1日、第二次世界大戦は終結した。1944年9月10日のフランス共和国マルセイユ、1944年9月13日のオランダ王国ロッテルダムへそれぞれ大日本帝国により核攻撃を受けた。そんな中で1944年9月15日に大日本帝国の山本総理兼海相が、フランス共和国・オランダ王国・アメリカ合衆国に対して即時かつ全面的な停戦を勧告したのである。大日本帝国は拒否すれば勧告を受け入れるまで核攻撃を継続すると、更に表明した事により3カ国は勧告を受け入れた。
そして1944年10月1日に大日本帝国帝都東京にフランス共和国・オランダ王国・アメリカ合衆国を呼び寄せて、第二次世界大戦終結の為の会議が開かれた。連合国からは大日本帝国・大英帝国亡命政府・イタリア王国・中華民国・タイ王国・オーストラリア・ニュージーランド・トルコ・イランが参加した。連合国各国にしてみれば太平洋憲章を調印し『完全なる勝利』という、アメリカ合衆国・フランス・オランダの『無条件降伏』を定義したにも関わらずの突如としての即時かつ全面的な停戦だった。
各国は大日本帝国の抜け駆けだと非難したが、大日本帝国は各国の財政を考慮した結果だと説明したのである。それは事実であり連合国各国は優勢に戦いを進めていたが、国家財政は悪化しており大日本帝国からの経済援助に頼っていた。その為に大日本帝国の抜け駆けを非難した直後、即時かつ全面的な停戦に賛同したのである。
こうして第二次世界大戦は即時かつ全面的な停戦により戦火が止んだのだ。その後第二次世界大戦終結への外交交渉が行われ、1944年10月1日に大日本帝国帝都東京で会議が開催されたのである。勝ち負けの定義では無く第二次世界大戦を『停戦』では無く、『終結』させる為の会議である事から『講和会議』では無く単に『会議』と呼ばれた。
交渉は難航した。連合国は確かにヨーロッパに侵攻を開始していたが東欧から侵攻した部隊はウクライナ国境まで、トルコ共和国から侵攻した部隊はブルガリアのソフィア、イタリア王国から侵攻した部隊はスイスのジュネーブをそれぞれ占領するのが精一杯だったからである。
ヨーロッパ全域の解放はフランス共和国とオランダ王国は断固として拒否した。だが大日本帝国と連合国は侵攻している現時点での地域の解放として、ブルガリアとスイスの解放を要求したのである。特に大日本帝国は要求が受け入れなければ再度の核攻撃を実行する、と恫喝した。
それは避けたいとしてフランス共和国とオランダ王国はブルガリアとスイスの解放を了承したのである。こうしてフランス共和国とオランダ王国の占領地域はブルガリアとスイスを除くヨーロッパ全域となった。大英帝国と北欧全域も含まれ、旧ロシア地域が占領地域の東端とされた。
アフリカや中東・東南アジア・中南米・カリブ海の植民地は、独立させる事になった。それは大日本帝国率いる連合国がヨーロッパ全域以外は、解放するか影響力を行使出来ていたからである。フランス共和国とオランダ王国にしてみれば植民地を失う事になったが、ヨーロッパ全域を支配下にいれる事が出来た為に了承した事であった。
アメリカ合衆国は太平洋のハワイ諸島を筆頭とした全諸島を大日本帝国に割譲する事になった。無差別戦略爆撃により壊滅状態のアメリカ合衆国は、大日本帝国の要求を断れなかった。だがアメリカ合衆国は占領したカナダについては、フランス共和国とオランダ王国と同じく占領地域のまま保持される事が認められた。アメリカ合衆国本土つまりは北米地域は無差別戦略爆撃は受けていたが、大日本帝国以下連合国による侵攻を受けていなかったからだ。
こうして第二次世界大戦はヨーロッパ全域がフランス共和国とオランダ王国の支配下で固定される、という状態で終結する事になったのである。これにより表向きは世界は平和になると喧伝されたが、それが単なるプロパガンダだというのは誰もが知っていた。それは事実であり、世界は各陣営による冷戦状態に突入したのである。
1944年10月1日の『東京覚書』が、所謂第二次世界大戦終結の講和条約代わりとされた。1941年4月にフランス共和国が大英帝国の中東委任統治領を攻撃した事により勃発した第二次世界大戦は、3年6ヶ月に及ぶ激戦となった。南極大陸を除く人類が居住する全大陸で何かしらの戦いが起きており、文字通りの世界大戦であった。
主要参戦国は連合国が大日本帝国・大英帝国亡命政府・イタリア王国・中華民国・タイ王国・オーストラリア・ニュージーランド・トルコ・イランになる。その他にもヨーロッパ諸国の植民地政府や南米諸国も形上は参戦したが、まともな兵力を擁していなかった為に何か出来た訳では無かった。
連合国と対するはフランス共和国・オランダ王国・アメリカ合衆国となる。フランス共和国とオランダ王国は大英帝国本国のブリテン諸島も含めヨーロッパ全域を占領し、アメリカ合衆国はカナダを占領するという拡大政策を成し遂げた。本来なら大日本帝国以下連合国は、それら占領地域を解放する為に第二次世界大戦を全面戦争として継続する必要があった。
だがそうなると第二次世界大戦は1948年まで長期化した、と推定されていた。何せヨーロッパ全域と北米全域を解放する必要があったのだ。大日本帝国は核攻撃を行うとしていたが、解放に際して都市を壊滅状態にしては意味が無い為に、泥沼の地上戦は必須だった。その為に現在では大日本帝国の核攻撃による恫喝を経ての第二次世界大戦終結は、最善の方法だったと判断されている。
とはいえアフリカや中東・東南アジア・中南米・カリブ海の植民地は全て独立させる事になっており、世界は新たな秩序を迎える事になった。だが根本的にフランス共和国・オランダ王国・アメリカ合衆国と、連合国側の対立構造が完全に解消された訳では無く、寧ろ対立構造を再定義し確定させる結果となった。
そして世界は東西冷戦の時代を迎えたのだ。




