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カゲビト  作者: 永眠布団
第四章 帰省

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第25話 『大罪人』

 


 さぁ来いよ。……必ず俺が救ってやる!!



 深く沈んだ闇の中、真城晴輝(ましろはるき)の声を聞いた気がして、白菊梓(しらぎくあずさ)は目を開けた。


「……ここは、どこ……だろう?」


 白菊は視線をゆっくりと動かす。

 まず初めに目に入ってきたのは、部屋の白い天井で、次いで白い壁や清潔感のある薄いカーテン。そして、床頭台や呼び出しブザーと……看護師の姿であった。


「ここ、は……病院?」


 よく耳を凝らせば、外からは救急車のサイレンの音なども聞き取れた。


「良かった。お目覚めになられましたか、白菊さん」


 二人の看護師が白菊の変化に気が付いて、内一人がこちらへと歩み寄る。

 もう一人の看護師が「私は先に、先生に伝えてきますね」と言って頭を下げて出ていくのを目で追いつつ、残った看護師へと向き直る。


「……え、えっと、その、私は一体、何があったんでしたっけ?」


 そう言葉にしながらも、白菊は自身の記憶を探っていく。

 文化祭に参加したことは覚えている。……それから何があったのか?


(確か……そうだ、真城くんが先に帰っちゃって、一人で帰ろうとしたら尾倉達に襲われて……その後は、何があったんだっけ?)


 あいつらのアジトに連れ込まれていた気もするが……、どうして自分は病院なんかにいるのだろう?

 救急で搬送されるような事態には、なっていなかった気もするが……いや、何だろう。何かすごく怖いものを見たような?


(……うーん、ダメだ。全っ然、思い出せないや)


 白菊は力無く天井をただ見上げ、はぁと小さくため息をつく。

 人間の脳というものは、あまりにも強いストレスを感じるような出来事を、どうにか忘れることによって精神を安定させるのだ。……と、そういったような話を思い出す。

 きっと何かがあったのかもしれないが、それは白菊の脳や精神が“良くない”と封じてしまったのかもしれないなと、今は納得するしかない。

 一体どんな恐怖体験をしたのやら……。あの尾倉達に何かが出来たとは到底思えないことなのだが。


「えぇっと、白菊さんは……」


 押し黙ってしまった白菊に対して、看護師がどう説明したら良いものかと少し言い淀み、しかしゆっくりと話し出す。


「白菊さんは学校の帰り道、ガラの悪い方達に襲われて……廃屋まで連れ込まれてしまったらしいのです。ただ、その廃屋が崩れてしまい……白菊さんはそれに巻き込まれてしまった……と」


「そう、ですか……」


 話を聞いて、白菊は自身の記憶を探るが出てこない。

 確かに前半部分の記憶はあるのだが……やはり襲われて以降の記憶が曖昧だ。

 まるでどこか他人の話を聞いているような感覚に戸惑いつつも、話してくれた看護師に頭を下げてお礼を言うと、再び力を抜いて目を瞑る。

 と、思い浮かべたのは真城晴輝の顔だった。


(……もしも私が、帰る途中に不良達に襲われて、病院に運び込まれたなんて知ったなら、真城くんは……どんな顔、するんだろう。……心配して、くれるかな? そうだったら少しだけ、嬉しいな)


 そんなことを考えて、白菊は携帯の置かれた床頭台に目を向けた。

 もしかしたら連絡の一つでも来てるかも。……なんてことを思いつつ、白菊は携帯を取ろうと手を伸ばし……、


(……え?)


 自身の身体の違和感に気が付いた。

 何故だろう。右脚が動かない。


 動揺し、手に取り損ねた携帯がポトリと布団に落下した。しかし今の白菊に、携帯を拾い上げる余裕は無い。白菊は恐る恐るゆっくりと、掛け布団を持ち上げる。

 何かしらの固定具(ギブス)でも付けられてしまったか。そう考え、確かめてはみたものの、しかし何も付けられてはないらしい。

 今度は動かない右脚に触れて確かめる。……が、やはり脚の骨が折れているという訳でもない様だ。少なくとも痛みなどは感じない。いや……そもそも骨が折れていたのなら、何の治療もされていないというのは変だろう。それこそギブスか何かが付いている。

 では何故、脚が動かない?

 一体、何がどうなっているのだろう?


 白菊の不思議な行動が気になったのだろう。

 看護師が「どうかしましたか?」と白菊に聞いてくる。

 白菊は困惑しつつも、“脚が動かない”ということを看護師へと伝えると、驚いた表情を浮かべた看護師が「先生を呼んできます!!」と言って大慌てで病室を飛び出し、駆けていく。



「なん、で?」


 白菊の漏らした一言は、しかし一人だけとなった病室の中ででは、やけにハッキリと響いたが、白菊からしてみればそんなことはどうでもいい。

 フリーズでもしたように、数秒間……完全に固まっていた白菊の脳内が、今度は忙しない程に加速して……まるで走馬灯のように“今日まで”の出来事(記憶)が溢れ出してはグルグルと渦を巻く。



 大会はどうしよう?

 みんなに迷惑がかかっちゃう。

 出られるの? 間に合うの?

 いや、そもそもちゃんと治ってくれるかな?

 折角ここまで頑張って、やっと大会に出られるようになったのに。

 みんなには謝らなきゃいけないな。

 ……治らなかったらどうしよう?

 本当に、もう走ることは出来ないの? 歩くことも出来ないの?

 どれくらい? リハビリすれば歩けるようにはなるのかな?

 一生歩けない……なんてことは、無いよね?

 嘘だよね? ちゃんとすぐに治るよね?

 なんでこんなことになってるの?

 どうして、こんなことになってしまったの?

 なんで? どうして? 分からない。



 看護師は『崩れた廃屋に巻き込まれた』と言っていた……が、その時に何かあったのか。或いは、気を失っている間に尾倉(不良)達に何かされたのか。

 色々と考えてはみたものの、やはり思い当たる節は無い。

 唐突に訪れた、あまりにも看過できない……飲み込めない状況に、白菊は頭を押さえて蹲ろうとしたものの、それでも右脚は動かない。

 脚の付け根は動くのに、膝や足首が動かない。まるで、自分の足ではない様だ。触った時の感触も、触れた時の掌の体温を感じ取ることは出来るのに、どうしても動かせない。


 得体の知れない恐怖が自身を包んでく。

 これからどうなるかが全くもって分からない。しかし何故かこのまま悪い方へ悪い方へと勝手に進んで行ってしまう、そんな恐怖が支配する。

 このままではいけないと、分かっているはずなのに……それでも自分にはどうすることも出来ない、その“どうしようもない溝”がどんどんと広がっていくようなそんな恐怖がガリガリと白菊の心臓に爪を立てていく。


 恐怖に首を絞めつけられていくような……そんな強い圧迫感に押し潰されそうになり、白菊は堪らず布団を深く被る。現実を逃避するように目を瞑る。

 誰でも良いから助けて欲しい。

 誰でも良いから縋りたい。

 大丈夫だよ、と。すぐに治るよ、と。そういった言葉がすぐに欲しい。


 今にも大声で泣きだしてしまいそうになり、それでもそれは出来ないと……残った僅かな理性でもって抵抗し、無我夢中な均衡がどちらかに傾こうとしたそんな時。

 病室の入り口に、誰かが駆けてくる音がした。

 看護師が医師(先生)を連れて来たのかもしれないと白菊はそう考え、今までの全てを押し殺して布団から顔を出す。

 何事も無いかのような表情で、その入り口へと目を動かし……そこで再び白菊は固まった。


 病室の入り口に立っていたのは――真城晴輝であったのだ。



 …… ……



 “白菊の意識が戻った”、と。


 その言葉を聞いた時、ドクリッと心臓が強く脈打った。

 それと同時に、真城の中で膨れ上がった“期待”と“不安”の感情が、その心臓の鼓動に乗った血液と共に真城の身体を駆け巡り、押し寄せてくるような……そんな強い感覚に、真城は叩き起こされて、……気が付いた時には、既に白菊の病室へと駆けていた。


 一刻も早くこの不安を拭いたい。

 何も問題無かったと、そうした確信を早く得たい。

 そう思う一心で。


 “後遺症”は出ないでくれ。

 何事も無く、白菊の分離が済んでくれたならば問題ない。

 寧ろそうであってほしい。


 ……といった願望は、しかし速くも脆く崩れ去る。


 真城が駆けていくその途中、慌てている看護師とすれ違う。

 すれ違う、までは良かったが……真城は何故かそれが気になって、後を追ったのだ。

 というのも、看護師が入っていったその“スタッフステーション”らしき場所は、目と鼻の先にあり、多少寄り道した所で時間を食うこともないだろうと、そうした考えからのものだった。……しかしそれが、間違いであったらしい。


 いや……。

 実際はそれが“望まない方の結果”だったというだけで、“聞きたかった情報”という括りなら、何も“間違い”という訳ではないのだが……まぁ兎に角。

 要するに、白菊の脚が(“後遺症”)動かない(が出た)といった悪い知らせを聞いたのだ。



 一気に足取りが重くなる。

 今にも前のめりに倒れてしまいそうな程、強い脱力感に苛まれる……が、それでもと。

 何かの間違いであってほしい。自分の目で確かめるまでは信じない。否定したい。

 ただそれだけの思いで、真城は白菊の下へとたどり着き……白菊へと目を向けた。



 …… ……



 走って来たのか、肩を激しく上下させた真城晴輝と目が合った。

 白菊は、思ってもみなかった来客に目をパチクリと瞬かせ、咄嗟に……頭に浮かんだ言葉そのままに、ポンと口を衝いて出た。


「ま、真城くん!? なんで、……どうしてここに?」


 真城にも何かがあったのか?

 或いは、何らかの突発的な病状の悪化など、そういったのっぴきならない問題によって病院に訪れることになったのか?

 それは兎も角、随分とタイミングの悪い時に出くわしてしまったものである。


 状況から考えて……真城の方から、こちらに会いに来たらしい。

 喧嘩別れ……などという程では無いにしろ、そこそこに拒絶され、最後に別れた気もするが、まさかここまで心配してくれていようとは……何とも言えない心境だ。


 白菊は、ゆっくりと気が付かれないようにと掛け布団を動かして、動かない右脚を見られまいと脚に布団を掛けていく。

 しかしそんな白菊の後ろめたさとは裏腹に、真城の顔は……どこか蒼白なものだった。


「それよりも、脚が……動かないって」


 真城の言葉に、白菊の肩がピクリと動く。

 もしかしたら、先ほどの看護師とのやり取りを聞かれてしまったのかもしれないな。と、そんなことを思いつつ、これは誤魔化しても仕方が無いと諦める。

 だが、真城の蒼白な顔を見て取って、白菊は少しだけ思考する。


 不安なのは間違いない。今のこの脚の状況を何より知りたいのは白菊だ。……しかしその不安をそのままに、真城へと伝えても、ただ不安が波及するだけだろう。

 何が原因で“そう”なっているのかは知らないが、今の真城にそれは酷というものだ。

 ……であるならば、と。白菊は自分の中の不安を飲み込んで、今この瞬間だけででも毅然に振る舞うことにした。


「えぇと……大丈夫、大丈夫。心配しないで」


 そう言って作り笑顔を浮かべると、ひらひらと手を振った。


「なんかさ、廃屋が倒れたらしくてさ……それに巻き込まれちゃったみたいなの。だからその時にちょっと脚を挟んじゃったぽくってね? それで怪我をしちゃったの。……そんなに心配しなくても大丈夫だって。すぐ治るよ、問題ない!!」


 あまり心配させないよう、どうにか明るく振る舞って状況を伝えるが……それでも真城の様子に変化は無い。

 いや、それどころか……どんどん真城の血の気が引いていく。


(どうしよう!? どうしたら!?)


 そんなことを思いつつ、では何て言葉をかけたら良いのだろう。と白菊は思考を働かせていくのだが、


「……俺のせいだ」


 真城がポツリと呟いた。


「俺が、ちゃんとしていれば……」


 両手で頭を掻きむしり、目には涙を溜めていく。



 そんな真城の様子をただ見つめ、白菊は少し気になった。

 真城は何故、こんなにも悲しんでいるのか……と。

 これは、あれだろうか。隣でものすごく怖がっている人がいると、なんだか怖くなくなってくるような……そんな感じの心境か。

 自身の中にあった不安感が少しだけ鳴りを潜め、その分だけ思考力が返ってくる。

 そんな思考力を働かせ、白菊は真城の現状を考察する。


 まず、どうして真城が病院にいるのだろう?

 その答えを、真城から聞くことは出来なかったが、その服装が病院で着用する患者衣であることから察するに、白菊に面会しに来たというよりも、真城も何らかの事情で入院を余儀なくされている状況だ、ということになる。


 その上で、白菊はこの病院を知っている。

 そしてこの病院が、別れ際に真城が向かおうとしていた“父親が入院している病院”とは方角的に違うだろう、という予想は立てられる。

 もし仮に、真城が何らかの事件に巻き込まれ、病院へと搬送されるなら、それは“父親が入院している病院”と同じ所になるはずだ。

 勿論、ベッドが空いていない等の理由から受け入れを断られることもあるだろう。……が、そういった事情でもない限りは大抵、近くの病院へと搬送されることになる。

 真城は“父親の入院している(その)病院”へと向かっていた。ならば一番近い病院はそこなのだ。

 ……にも関わらず、そことは違う病院に真城が運ばれて、奇しくもそれは白菊の運ばれた病院と同じ場所。

 これで偶々、偶然にも白菊と真城が別々の場所で、似たような時間に事件に巻き込まれ、同じ病院に運ばれた。とするには無理がある。……というか、それこそ“同じ事件に巻き込まれ、同じ病院に運ばれた”とする方が寧ろ納得出来るだろう。


(……もしかして、)


 と白菊が、先ほど布団に落としたままの携帯を手に取った。

 電源を入れて画面を見る。するとそこには、真城からの着信履歴が表示されていた。それも一度ではなく複数回。

 白菊が最後に携帯の画面を見た時には、一件も入っていなかったのだから、その着信は白菊が気を失った後に届いたものだろう。

 そして、その履歴を遡っている内に気が付いた“真城への発信履歴”に目を留めた。


 それを見て……白菊は、自分の至った予想が、予想外に信憑性を帯び始め……一度、ゴクリと唾を飲む。

 未だに事件当時の記憶は曖昧だ。しかしそれ故に、自身から真城へと電話をかけた記憶も朧気ではあるのだが……例えばその“白菊からの着信”に真城が気付いて、折り返しの連絡を寄越したと仮定する。しかし何度連絡を寄越しても、白菊が電話に出てこない。……といった状況が続けばどうなるか?

 或いは真城が白菊のことを心配し、白菊を捜そうと行動を開始する……なんて可能性もゼロだとは言い切れない。

 何せと、白菊は先ほどの真城の言葉を思い出す。


『……俺のせいだ』

『俺が、ちゃんとしていれば……』


 有り得ない話……でもないのかも。と、白菊は考える。

 これももしもの話だが……例えば真城が、白菊と別れたその後で“白菊が尾倉に狙われていたこと”。或いは“その件で助けを求められていた”ことなんかを思い出し、“白菊が一人でいる現状”に危機感を持ったなら、真城からの複数回の着信や、真城が白菊を捜しに動いた経緯にも一応の筋道が立てられる。

 そして“白菊を一人にした”結果“こうなった”ということを真城が悔いているのなら、……その言葉(セリフ)も納得だ。


 妄想。或いは、考えすぎかもしれない。

 自惚れが過ぎるだけかもしれない。


 でも。

 だけど。

 もしも白菊が眠っている間に、聞いた気がした声のこと。


『さぁ来いよ。……必ず俺が救ってやる!!』


 それがただの幻聴では無かったのだとしたのなら?

 その時に、本当に真城がいたのなら?

 今回の事件に、真城も関わっているのだろう。


 もしも、そうであったなら――、


「でも、助けてくれたのは真城くんなんでしょう?」


 真城にそう問いかけた。



 確信などなかった。

 或いは、ただ白菊が『そうであったら良いのにな』という願望にも近かった。

 だが。それはすぐに確信へと変わっていた。

 真城の示した反応が、それを事実だと告げていた。


 “目は口ほどに物を言う”とは言われるが……あぁ確かに、今の真城の表情は誰が見ても同じ答えを出すだろう。

 真城の驚く顔を見て取って、白菊の記憶には無いものの……それでも白菊が意識を失っているその間、真城がどれだけ頑張ってくれたのか。どれだけ頑張って、それでも望んだ結果に至れなかったことが悔しいか。それが分かってしまった訳である。


 きっと……いや、まず間違いなく白菊を嫌っているはずの真城がだ。

 白菊を助ける為に奔走し、そして助けられなかったことに泣いている。怪我を負わせてしまったことを悔いている。自責の念で圧し潰されそうになっている。


 その思いを理解して。

 そんな真城を見て取って……だからこそ。

 言わなければならないと思った。

 言ってあげなくちゃと感じた。だから。


 白菊は気丈に振る舞って、屈託のない笑顔を引き出して。


「ありがとね。真城くん」


 と、そう言った。



 …… ……



 白菊からの確信めいた問いかけ。

 そして『ありがとね』と言って向けられた笑顔に、真城は動揺して後ずさる。


(……俺は、そんな言葉をかけられるような奴じゃない)


 そう思い、何か否定しなければと口を開けてはみたものの、思うようにするりと言葉が出てこない。

 いやに動悸が激しい。やたらと喉が渇く所為だろう。

 掠れた声しか出てこない。……いやこれは、もはや声というより音だろう。発声器官というものが、まるで機能をしていない。


 それでもと。

 せめて何かを話さねばと息を吸った時だった。

 白菊のいる病室に勢いよく、ゾロゾロと人が押し寄せた。

 それは複数の看護師。そしてその看護師に呼ばれてやって来た医師とそれから、見知らぬ一人の女性であった。


「あぁ、梓!! 梓!! 脚が動かないなんてどうして!!」


 医師や看護師達を押しのけて、我先にと女性が白菊の手を取った。

 白菊の目が、驚きで見開かれたのが分かった。

 ……話し方からして、九条が言っていた“白菊の母親”というのがこの人であるのだろう。事情が事情故なのか、面会の許可は下りたらしい。


「少し触診を良いかね?」


 そう言って四十代ほどの医師が、動かないという白菊の脚に触れ、ツボのような部分を押したりしながら痛い所は無いかといった確認をしていく。しかし何処にも異常は無いようで、


「痛みは無し。触られている感覚もあるみたいだし、……骨が折れている訳でもないようだねぇ」


 眉を寄せ、小首を傾げるだけだった。


「そんな、じゃあ大会は一体どうすれば……。――先生!! うちの娘は!! 梓はちゃんと治るんですよね!?」


「そ、それは詳しく調べてみないことには、……なんとも」


 医師に詰め寄る白菊の母親。

 しかし医師には回答が難しいようで、言葉を濁した反応を示した。

 ……そりゃあ当然のことだろう。白菊の脚が動かないのは、真城が白菊と影人との分離を誤ったが為に起きた“後遺症”によるものだ。

 “そういった知識”が無いのなら、分からないのも仕方がない。……いや、本部の人間であっても『影人を斃した際の“後遺症”』というだけで、その原因だかメカニズムだかは未だに判明し(分かっ)てはなかったか。


「とりあえず詳しく検査をしてみましょう。もしかすると廃屋の倒壊に巻き込まれた時に何かがあったのかもしれません」


 医師が周りの看護師に、検査に必要な機材の準備をするようにと指示を出す。

 そうして看護師達が散っていく中、白菊の母親は青ざめた表情でフラフラと壁に寄りかかる。


「そんな……。じゃあ大会は……、うちの娘はこの大会に出る為に、必死に頑張ってきてたのに」


「――ッ」


 口元に手を当てて、まるで白菊以上に絶望をするように、白菊の母親はその場所にガクッとへたり込む。そんな様子を見てとって、真城は心臓が締め付けられるかのような、そんな痛みで呼吸が浅くなる。

 白菊は、走るのが好きなのだと。大会に出る為に、頑張っているのだと……そう言っていたことを思い出す。

 いや、それ以前に、片足が動かないということは……自分の脚で歩くこともままならないということだ。松葉杖、或いは車椅子といったものが必要になるということだ。

 もう二度と、白菊(彼女)が走ることは叶わないに違いない。


 本当に、取り返しのつかないことをしたものだ。

 自分の愚かさに眩暈がする。頭がどうにかなりそうだ。

 呼吸さえもままならず、身体がズンと重くなる。

 膨らみ続ける自責の念。自分を縊り殺したくなってくる。

 真城はまた一歩、後ずさる。


「――先生!!」


 先ほど医師の指示を受け、出ていった看護師が帰ってくる。

 どうやら機材の準備が出来たらしい。

 運ばれて来た車椅子へと白菊を乗せた後、その部屋まで連れていくとのことだった。

 テキパキと、慣れた手つきで看護師が作業をし始める。その様子を、白菊の母親は一歩引いた位置から、邪魔をしないようにと見守っているらしかった。


 真城は、そこで白菊と目が合った。

 何やら騒がしいことを、申し訳なく思っているらしい。

 白菊が、ペコリとこちらにお辞儀した。


「――――ッ、」


 それを見て、真城は……。

 あまりにもいたたまれない気持ちから、自分の罪の重さから、逃げるようにその場所を後にする。

 気が付けば目を瞑り、全速力で駆けていた。



 ……


 …… ……



 気が付くと、真城は休憩スペースのような開けた空間の前に立っていた。

 時間が時間なだけに、人が全く見当たらない。

 真城はそんなスペースの壁に寄りかかり、少しでも冷静になろうと努めるも、結局は“今日の一連の出来事”が頭から抜けてかない。

 気を抜けば溢れ出し、それだけが脳を占領し、“そのこと”を考えている自分にハッとする。


 どれだけ頭を捻ろうと、もう結果は変わらない。

 何をどうすれば良かったか、などといくら思い描いても、後の祭りである事実に変わりは無い。……そうと分かっていようとも、それでも未練が断ち切れない。考えることを止められない。



 白菊の影人が抵抗してこないという油断。

 それにより“力”の扱いを誤ってしまったこと。

 ちゃんと分離をすることが出来なかったこと。

 その結果、白菊に一生治ることの無い怪我を負わせてしまったこと。

 後悔してもしきれない過ちだ。


 ……いや、それ以前に。

 一番の問題は、白菊を“守れなかった”ことだろう。


 そもそも、白菊が“影人化”を起こすような事態になったのは、白菊を一人にしてしまったことが原因だ。

 本来であったなら、助けられたはずなのだ。

 白菊は初めから「助けてほしい」と言っていた。であるならば白菊を守る為、一人にしなければ良かっただけなのだ。

 ……では、どうして助けられなかったのか?


 その答えは単純だ。

 過去のトラウマから、真城は白菊とまともに向き合う事を避けていた。

 だから白菊からの訴えに、真城はまともに取り合わず、真城自身……白菊を助けるということを完全に放棄してたから。


 本当に助ける気があったなら。

 気付けるポイントというものは、沢山あったはずなのだ。


 それこそ、初めに助けを求められたことだってそうである。

 白菊と再会したあの時に、既に白菊は不良に絡まれていた訳だ。それだけで、白菊の言葉には十分な信憑性はあったのに……。


 黒子姿の“影無し”なんて存在を、視認した時だってそうである。

 何故、見間違いを疑った? 何故、警戒をしなかった?

 何故、勝手な自己判断で『見間違いだ』などと考えて、それ以上をしなかった?

 影人らしき存在を発見したのなら、とりあえずでも本部に知らせておけば良かったのだ。そうすれば、“黒子”の情報を得ることだって出来ていたはずなのだ。


 文化祭で不良達に襲われた時だってそうである。

 彼らは確かに真城を標的に据えていた。しかし、何故真城を標的にしていたか……そこをもっと掘り下げていたのなら、きっと気づけたはずなのだ。

 真城を倒しておきたかった理由など、白菊を襲うのに邪魔だからに他ならない。

 ……いやまぁ、白菊との再会時に殴り飛ばされた礼をしたいという気持ちもゼロではなかったかもしれないが。


 ギャルに話しかけられた時もそうである。

 何故真城は、初対面の女の話す内容に、あぁも納得したのかだ。

 白菊の話には耳を一切貸さなかったにも関わらず、あんなギャルの話には耳を傾けてしまうなど、ありえない程の大ミスだ。とんだ大間抜けがいたものだ。


 そうやって複数のミスを積み重ね、見逃した。

 自ら手放し遠ざけて、結果白菊を一人に追いやった。

 白菊を助けようという気が、真城に無かったからだろう。


 その浅はかさが、やる気の無さが、驕りが、臆病さが、白菊を危険に巻き込んで“影人化”を起こさせた。

 しかもその上で、助けることもままならず、後遺症まで起こさせて……白菊の夢を破壊した。

 それはもう、もう取り返しがつけられる様なものじゃない。



「…………ッッ」


 真城は頭を抱えて蹲る。

 抑えきれない苛立ちを、真城は自身の頭や腕を殴りつけることで発散する。

 頭をガリガリと掻きむしり、叫びたくなる衝動を我慢する。

 ここに来て、一体どれくらい経っただろう。


 真城はゆっくりと立ち上がり、フラフラと動き出す。

 やはりどれだけ考えてみようとも、全ての罪は真城にある。

 真城こそ、紛うこと無き大罪人。そんな罪深き人物が「ありがとう」などと……そんな言葉を贈られていいはずない。そんな言葉は受け取れない。


 影人の件は話せない。それはきっと、九条達が許さない。

 故に、“白菊の脚が動かない理由”を詳しく説明は出来ないが……それでも悪いのは真城だと、それだけでも伝えたい。

 伝えてどうにか謝りたい。


 それだけを決意して、ただ謝りたい一心で。

 真城はもう一度……白菊のいた病室へと歩いてく。



 ……


 …… ……



 白菊梓のいた病室へと戻る途中、廊下の長椅子に座ったまま両手で顔を覆って項垂れる……そんな白菊の母親を見つけて、真城はそっと立ち止まる。


 この白菊の母親は、真城をどう思っているのだろう?

 まさか、真城が白菊梓の脚を動かなくした張本人。……だなどとは知る由もないだろうが、少なくとも真城が“今回の事件の関係者”だといった程度の話なら耳に入っていてもおかしくない。


 それがただの“噂程度の話”にせよ。

 “本部が操作した情報”であったにせよ。

 真城が白菊梓を助けようと行動し……結果一緒になって廃屋の崩壊に巻き込まれた。といった話であることについては、それほどの差異は無いはずだ。

 とはいえど……白菊梓と共に暮らしている母親であるのなら、そういった情報に加えて“真城が白菊梓と一緒に文化祭へ行った”という情報を持っていても不思議じゃない。


 ……もしそうであるのなら。

 情報を総括するに『真城が白菊梓と一緒に文化祭へ行ったにも関わらず、白菊梓が不良達に攫われてしまい、真城が助けようと躍起した』といったストーリーが出来上がることにはならないか?

 そして、もしその考えに至ったというのなら、『真城は白菊梓から目を離し、みすみす不良に白菊梓を攫われた大マヌケ』という当たらずも遠からず……というか、ある意味で正しい解へと辿り着くはずである。


 ……であるならば。

 白菊の母親からの真城に対する印象は、“最悪”ということになる。

 もしかすればこの瞬間、真城に気づいた白菊の母親が……真城に掴みかかって罵声を浴びせてきてもおかしくない。



「……――、ッ」


 真城はゴクリと息をのむ。

 白菊梓のみならず白菊の母親も同様に、真城を糾弾する資格があるはずだ。

 それだけのことを真城晴輝はしでかした。罵倒されるのも当然だ。


 そう思い、気を張っていたのだが……。

 どうやら白菊の母親にその意思は無いらしい。

 というか真城を全く眼中に入れていない、心ここにあらずといった形相だ。



 白菊の母親は、医師や看護師達と共に白菊梓を専用の医療機器がある部屋へと、移動していったはずである。

 その母親が、白菊梓の病室から近しいこの場所に戻って来てるということは、白菊梓の検査が終わるなり、検査結果が既に出たということだろう。

 ……その様子からして、芳しい結果とはいかなかったようである。


 とはいえ、それは致し方のないことだ。

 白菊梓の脚が動かない原因は、影人が斃されたことによる“後遺症”。延いては“混沌点”を引き剥がすことに失敗した真城の行為によるものだ。

 そういった“知識”を持っていない人間の、一般的な検査では……それが分からないのは当然だ。


「あぁなんで、……どうして、こんなことにッ」


 真城がいることにも気づかずに白菊の母親は一人、納得できないとばかりに力強く呟くと、片手をバシンッ長椅子に打ち付けて、泣き崩れるようにして長椅子へと倒れ込む。


「なんで!? なんであの子がこんな目に合わなくちゃいけないのッ!! ……私が馬鹿で苦労した分だけ、あの子には幸せになって欲しかっただけなのにッッ!! それだけをずっと考えて……今日まで必死に頑張って……なのにッ、なのになんでッッ!! ……なんでなの? ……どうしてよ」


 最後には消え入りそうになる程にか細い声で呟いて、声にならない嗚咽を零して長椅子に顔を押し付ける……そんな白菊の母親を、胸が締め付けられる思いで見続けていた真城は、何か話さねばと口を開きかけ、しかしゆっくりと口を閉ざす。


 本当に、今日で何度目だ。

 罪悪感に押しつぶされそうになってくる。


 最愛の我が子が右脚を失った。それと同義のことが起きたのだ。

 その心情は、察するに余りある。“こう”なるのも当然のことだろう。


「…………、」


 しかし、どれだけ考えた所で真城には、白菊の母親を立ち直らせる手立ては浮かばない。なんと声を掛けたらいいのかも分からない。

 謝罪をするのは当然のこととして……しかし今のこの精神状態では、それをまともに受け取って貰えるか、それすらも疑わしい。

 下手に神経を逆なでし、新たに問題を起こしては、白菊梓へと謝罪する機会さえどうなるか分からない。

 ……ここはもう少し、様子を見た方が良いだろう。


 真城はそう考えをまとめると、静かにその場所を通り抜け、目的の病室を目指してく。

 この病院は初めてではあるものの、自分が寝ていた病室と白菊梓の病室の位置ぐらいであるならば、既に記憶済みである。

 廊下を歩いた突き当り、目的の病室が見えてきた。


 歩きつつ、真城は何度か深呼吸を繰り返す。

 そうして精神を落ち着かせている数秒間。

 そのたった数秒間が終わる頃、真城はついに病室へと着いていた。



 ……


 …… ……



 ――ひっぐ、……えっぐ。


 と、声を押し殺し、すすり泣く女性の声。

 それが真城の耳に届いたのは単なる偶然であった。

 しかしその声を聞いた途端、真城は動きを止めていた。……いや、止まってしまったという方が正しいか。


 すすり泣く女性の声。その声の持ち主が白菊だと、すぐに気が付いたからだった。

 真城はそっと病室を覗き込む。するとそこには病室のベッドで片膝を抱いたままで一人泣く、白菊の姿が見つかった。……しかし。

 白菊のその姿を見た瞬間、真城の身体は強張って――そして完全に硬直した。


 理由は単純なことだった。


 先程、真城が別れた際。『ありがとね』などとそう言って、笑っていたはずの白菊が……泣いている姿を見たからに他ならない。



 どうして、こんな当たり前なことに気が付かなかったのか?

 あの瞬間あの場所で、どうして真城は自分のことばかり考えて……白菊がどう思っているのかを、その内面を考えることをしなかった?


 本当に、はらわたが煮えくり返りそうになる。


 白菊がどうして笑顔であったのか?

 真城に『ありがとね』と言ったのか?


 その答えを、真城はハッキリと理解する。

 ハッキリと、理解をしてしまう。


 それは……。


 大好きだと言っていた、走ることが出来なくなったにも関わらず。

 頑張って準備していた大会に、出られなくなったにも関わらず。

 片脚が動かずに、今まで通りの生活だって困難になるだろうにも関わらず。

 もう二度と、白菊が両足で歩く未来さえ失ったにも関わらず。


 それでもと、健気にも真城に悲しい顔を見せまいと、そう思う一心で。

 白菊(自分)の不安や悲しみ、そういった負の感情を全てひた隠し。

 自責で血の気が引いていく真城を見て取った白菊が、どうにか心配させまいと振る舞った……精一杯の空元気であったのだ、ということを。



 それなのに真城という人間は。

 そんな白菊という人間を。


「――――ッッッ!!!!」


 真城はもう、それ以上進むことは出来なかった。

 白菊の病室へ入ることも出来ぬまま、それどころか立っていることさえ無理だった。

 ただその場にゆっくりと、ずるりと床に崩れ落ち……。


 心が、夢が、精神が。

 ポッキリと、折れるような音がした。


(ちが、……そんな、つもりじゃ)


 もう声すら出てこない。

 声を出す気力すら湧いてこない。


(そんなつもりじゃ……なかったんだ)





 “ヒーローは遅れてやって来る”。

 そんな言葉がある。


 でもそれは、本当に遅れているわけじゃない。


 ここぞという絶妙なタイミングでは必ず駆け付け、どんな人でも救ってしまう。

 そんな人の事を指して使う言葉であるわけだ。


 つまりは……、間に合っているのだ。ヒーローは。

 本当に、最後の最後まで現れず、全てが終わってから現れる。

 そんなものはヒーローじゃない。


 助けを求める人がいた。

 助ける手段も存在した。


 それなのに――――真城は、



(ごめん……なさい。本当に、ごめんなさい……。俺は、一体どう……した、ら)



 ~   ~   ~   ~   ~



 少し時を遡る。


 それは全ての影人が斃れ消え、真城が気絶した後のこと。

 『救援部隊』並びに『収拾部隊』が駆け付けてから少しして、一般人達がにわかに騒ぎ出した頃だった。


「……突然飛び出したかと思ったら、な~に寝てるんだい、神宮ちゃん?」


 やれやれといった表情で、そう問いかける男の言葉を目覚ましに、寝起き最悪といった不快感をそのままにゴスロリ少女、神宮天音(じんぐうあまね)がゆっくりと起き上がる。がしかし、


「……ここは、」


 神宮は軽く辺りを確認し、自身がどこかの建物の屋上にいるのだと分かるや否や、自分を起こした男へと腕を素早く振り上げた。

 自分が意識を失うその瞬間、何処にいたかは覚えてる。そしてその場所は“ここ”じゃない。……ということはつまりこの男、“黒鉄(くろがね)”が寝ている自分をこの場所へと連れて来た。そういうことになる訳だ。


「死ね変態!! 寝てる女性に触れたこと、地獄の底で懺悔しろ!! ――“強制去勢”!!」


 振り下ろした腕の先、掌から噴出した黒いモヤ。影が寸舜でハサミの形を成していく。

 そしてもう何度となく繰り返した動きをなぞるような滑らかな挙動でもって、ハサミが“黒鉄”の一物へと伸びていく。しかし、


「ふん」


 一物へと伸ばされたハサミは、“黒鉄”が放った膝蹴りによって砕かれて、無慈悲にも霧散する。


「なッ!?」


 “能力”は使っていたはずなのに。

 “黒鉄”は“男”であるはずなのに。

 ハサミが真っ向から撃ち負けたということに、神宮は目を見開いた。

 そんな馬鹿な、と言いたげに神宮は“黒鉄”を睨みつける……が、しかし当の“黒鉄”は、何でもないといった表情だ。


「まだまだ練度が甘いなぁ~神宮ちゃん。そんなんだから相性云々に関わらず、上から叩いて潰される」


「……グギギギギ」


 忌々し気に歯ぎしりをする神宮に、これじゃあ埒が明かないとばかりに“黒鉄”がある一点を指さした。

 神宮は無言でその地点へと目を向ける。と、何やら人が賑わっているらしい場所を見つけて覗き込む。

 あの場所は、神宮が“声”を聴いて駆け付けた場所に近い。神宮が気絶した場所も……ここからは見えないが、あの付近にあるはずだ。


 しかし神宮が気になって目を付けた人物は、ただの一般人ではない者達だ。

 賑わう人だかりに混じって、あまり会いたくない奴らの姿もチラホラと見て取れる。


「……あれは、“影狩り”」


「あぁそうだ。お前さんがあのままあの場所で寝ていたら、きっと今頃は見つかって死んでいたんじゃないのかなぁ~? だからここまで移動してきたんだよ。気づかれない様にゆっくりと。……どうだね? 感謝なら受け付けている訳だけど」


 神宮は、ただ舌打ちだけを返してプイッと目を逸らす。


「それで? 結局、お前はなんであんな所で寝てたんだ? まだお前が生きてるってことは“真城晴輝(ヤツ)”と戦ったって訳じゃねぇんだろう?」


「……“真城晴輝”? なんでそんな要注意人物の話になるわけよ」


「さっきまであの場所で、“真城晴輝”と野良の影人が戦っていたらしいのさ。俺はてっきり、その野良影人の女の“声”か何かでも聴いて駆け付けたんだと思ったが……」


「は? なにそれ。私はそんな影人なんて知らないっての。私が動いたのは――」


 そこまで言って神宮は、途端に怒りが込み上げる。

 堰を切ったかのように、思い起こされた感情が溢れんばかりに湧いて出る。


「あぁイライラする!! あんの蛆虫共がァ、寄って集って一人の女を!!」


「人様が“訓練”に付き合ってやってるってのに、突然飛び出していった理由はそれかよぉ……やっぱりなぁ」


「重要なことだろうがよ!! それに“黒子”の奴も許さねぇ!! 私が女を逃がすのを邪魔なんかしやがって!! 次に会ったらその身体をぐちゃぐちゃに切り刻んで――」



「ちょっと待て」


 瞬間、場の空気が張り詰める。

 それは普段、“黒鉄”を雑に扱う神宮でさえも、瞬時に口を閉ざした程だった。


「“黒子”が、なんだって?」


 普段の飄々とした様な態度とは打って変わり、低い声で“黒鉄”が神宮に問いかける。

 神宮は一瞬だけ声を詰まらせて、


「だ、だから“黒子”がいたんだよ。それで邪魔されてこのザマよ」


 苛立たし気にそう答えると、神宮は再び目を逸らす。



(“黒子”が来ていた? 一体何の為に? 一体何が目的で?)


 “黒鉄”は口元に手を当てて考える。がしかし答えは出てこない。

 “影狩り”からは“黒点”一派などと呼ばれ、実際に“黒点”の右腕として扱われることの多い“黒鉄”。しかしそんな“黒鉄”であっても、“黒子(やつ)”の情報を詳しくは持っていないのだ。

 それを知るのは、それこそ“黒点”くらいのものだろう。


「…………、」


 ……正直な話をするのなら。

 “黒鉄”は、“黒子”を快くは思っていない。

 一体いつから“黒点”と繋がりを持ったのか。いやそれ以前に、一体いつから我々と共にいたのだろう。いつの間にか、“黒子”は“黒点”から一目置かれ、何やら重要な仕事を任されるようにまでなっていたのだから、“黒鉄”としては気分の良い話じゃない。


 それが果たして、本当に“黒点”の為なのか。

 或いは何かの目的で、“黒点”を利用しようと企んでいる為か。

 “黒子”のその真意を、“黒鉄”は測りかねているのが現状だ。


 今回の一件は、果たして“黒点”の指示によるものか。そうではないのか。

 この一件を皮切りに、少しでも“黒子”の尻尾を掴めれば……。


 というか、


「……お前、“黒子”にも負けたのか? 本当に練度が足りないぞ」


 “黒子”は“黒鉄”が知る限り、戦闘タイプではないはずだ。

 というか戦っている所など、それこそ一度も見たことない。

 そんなのにまで負けるとは……神宮は本当に能力の扱い方というものを分かってない。


「い、いやアレは……、何というかそういう感じじゃ。……でも、まさか、そんなことは」


 何やらブツブツと独り言を始めてしまった神宮に、“黒鉄”はハァと溜息を一つこぼす。


(もしも今回の一件が、“黒子(ヤツ)”の独断であるのなら……)


 “黒点”に密告でもしてやれば良いのだが。

 今はまだ“黒点”からの指示である可能性も無くは無い。

 であるならば……まずは今回の件を詳しく調査して、“黒子”が何をしていたか。それを詳らかにした上で、それが“黒点”の指示か否かを判断し……えぇいやることが多すぎる。


 まずは人員を集めるか。

 であるならば……“黒子”の不審を暴くのだ。ある程度“黒子”に対して憤りないしは不満を抱いている、そういった中立から“黒子”寄りではない者達が良いだろう。果たして何人集まるか。

 ……と、そこまで考えて、丁度いい奴が目の前にいることに気が付いた。


(……コイツは今回の一件に“黒子”が関わっていたことを知っている。証拠とまではいかないが、それでも今回の一件を“黒子”にはぐらかされた場合でも、コイツの発言は有用になるはずだ)


 ならば話は簡単だ。

 “黒鉄”は不敵に笑って神宮の顔を見る。

 神宮は嫌なモノでも見たような「う゛っ」とした顔をするのだが関係ない。


「なぁ神宮ちゃん。ちょっと俺と組まないか?」


「はぁ?」


「もしかすれば、“黒子”を一泡吹かせることが出来るかもしれないぜ?」


「…………、へぇ」


 嫌々と、渋々と言った感じだが。

 それでも少し考えて、神宮が肯定したのを見て取った。

 ニヤリと表情を歪めると、


「付いて来な」


 “黒鉄”が身を翻して揺らめいた。

 それを追うように神宮が舌打ちし、暗い闇夜に溶けるように消えていく。

 “黒子”の纏うその黒衣(ベール)を剥がす為、二つの影が今――静かに動き出す。



第四章 -完-

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