5-6(小田さゆり)★
[小田さゆり]
春この学校に入学して、この学校の本当の目的にはすぐ気がついた。
そしてそれを、担任は知っているようであった。
だから私は、先生を「傍観者」と呼ぶことにした。
クラスの初めのイジメを、私が作り上げようとしている時に、武田は気づいていたのだろう。けれど彼は、それを止めなかった。
だから武田を「傍観者」と呼ぶことにした。
そして、イジメを私が作り上げた。イジメられている人をみても、クラスメイトは助けようとしなかった。
だからクラスメイトを「傍観者」の呼ぶことにした。
学校側は、生徒たちが集団自殺するまで追い込んだのにも関わらず、何もしなかった。
だから私は校長を「傍観者」と呼ぶことにした。
私は人間が嫌いだ。そして人生も嫌いだ。
信じる事も、期待することにも意味はない。
信じる心が大切だとか、諦めちゃいけないだとか、そんな事を教えられてきたけど、そんなのは所詮、他人事への雑なアドバイスにすぎなくて、心なんかこもっちゃいない。
大人達は偉そうに私に教えを説いているけど、私に本気で何かを伝えようとしてくれているわけじゃない。あくまでも、形式的に言っているだけなんだから、中身なんて空っぽ。
大人は、まるで自分の発言は正しいかのように子供に教える。
大人の方が子供より偉いの?
いつでも大人は正しいの?
実際そんなことないでしょ。年功序列なんて、バカみたい。
歳を重ねた人が一番偉いなんて、そうであってほしいと思っている汚い大人が作り上げた幻想。
同じ人間に価値の違いなんてないはずなのに。命に価値の違いなんてないと、時にはそういう教えだって大人は説くくせに、自分の事は棚に上げて、大人はいつも偉そうにする。
他人事にばかり口を挟み、自分自身は見ているだけの傍観者。
そんな大人たちは、本気で叫んでない。そんな表面上の言い分なんて、心に響かない。誰にでも言えるような教訓なんてどうだっていい。関係ない人からの言葉なんて、いらない。
私が知りたいのは、人の本当のことば。
ことばというのは、言語とか限定的なものじゃない。
意識とか、思いとか、考えとかそういった類のもの。
私が求めているのは、人の本気。
本気の思いやり。本気の願い。本気の叫び。
でも、人はそれを隠して生きている。隠さなくてはいけない。隠さないと生きられない世の中だから。
大人たちだって、本気の心がないわけじゃないと思う。ただ本心を言えないのかもしれない。制限された中で伝えなきゃいけなかったり、時には周囲から圧力をかけられ、周囲が必要としている発言を要求される。そして、まるでその人の本心のように扱われる。ありのままじゃないものを、ありのままだとして売りに出される。
人は、生きてる限り自分を表現できない。死ぬまで自分として生きることが出来ない。
ありのままじゃダメ。制限して、身を削って、自分の本心を押し殺して生きなきゃ、この世界で生き延びれない。
なら、今生きてる私はなんなの? 表面を取り繕って、中身を見えないようにした、からっぽの人形。そんなの、汚い大人達と同じじゃん。
それが、生きるって事なの?
もしそうなら、私は抗いたい。
本気で叫びたいよ。
本気で生きたいよ。
けれど、私が生まれた瞬間から、私は不自由だった。
人は自由になることなんて、絶対にありえない。
私の意思に関係なく、小田さゆりという名前をつけられ、生まれる家も決められ、人生を決められ、私は生まれる。
周囲が求める小田さゆりにならなきゃいけない。私が、そういう風に生きたくないとしても。
だから、私は知りたい。
何にも囚われない、ありのままの姿を。人の本心を。
人は、本気になれば、どこまで行動できるの?
目の前で殴られている人を助けられる? 見て見ぬ振りをする?
自分への利益とは無関係に、行動できる?
裏切り者も信じれる?
人を欺ける?
人を愛せる?
人の為に死ねる?
この問いに、迷いなくYESと答えられる人はいる?
私はそういう人を知っている。
この世には、どんな人に対しても助けの手を出す人がいる。愛する人がいる。命を差し出す人がいる。
例えそれが、裏切り者でも。
どんなにクズで、嫌われ者だとしても。
そんなの嘘だと思うでしょ?
この世には、いるの。
自分の為でなく、人の為に生きる人も。
自分の為でなく、人の為に死ぬ人も。
筆者は小田さゆりが大好きです!
3/19 登場人物の「小田さゆり」を主人公とした物語「どうせ、先生と呼ばれているあなたも、この質問には答えられないんでしょ?(威圧)」を投稿しました。よろしければそちらもご覧ください。シリーズからご覧頂けます。




