Crocan bush et dragon~幸せのお菓子
黒の王都に逃げるようにして来てから半年。季節はあの寂しい気分になる秋から、大小さまざまな花を綻ばせ、人の目を楽しませる春になっていた。
「まだ結婚式を挙げてませんの?」
「ええ、まあ……」
何気なく話題に出た結婚式について、私が思わず「結婚式ってこちらではどのようにするんですか?」って、目の前の貴人に尋ねたのがまずかった。
「一体、カタリア侯爵てば、何を考えてるのかしら! 結婚式は女性の夢なんですのよ! それを反故にして」
「あああ! あのっ! ルーク君は悪くないんです。まだ黒の王都の生活に慣れてなくて、そこまで至ってないだけですから」
私は柳眉を逆立てて怒りを顕にする美貌の貴人──黒の王妃の言葉を遮り、慌てて言い訳をつのった。
この話が黒の王の耳に入っちゃたりしたら……想像したくない。
脳裏に浮かぶ悲惨な光景に、現実にもなっていないにも拘らず、背筋に冷たい汗が流れるのを感じていた。
数日後。私の悪い予感は現実となってしまった。
「結婚式……やることになっちゃったのね……」
「すみません、クロエお嬢様。王妃が王に進言したようで……」
ルーク君の帰宅の報せを受けて出迎えに行けば、王城であった経緯を話してくれたんだけど、私たちは互いに見つめ合った後、重いため息を同時に零す。
「王命だと断る訳にもいかないものね」
頬に手を添えてまた長く息を落として言えば、「すみません」とルーク君がしょんぼりした顔で謝ってくる。
「流石に王命を反故にはできないでしょう。ある程度こちらで準備をしますって妥協案出さないと、あのお二人は暴走しちゃうかもしれないわ」
「それは……そうですね。明日にでも側近のアーサー殿に相談してみます」
「お願いね」
多分、妥協案すらも一蹴されるのは想像できたけども、どこかで停止をかけておかないと、どこまでも暴走するのを理解している私たちは、再び深い深い息が漏れたのだった。
とはいえ、決まってしまったものは王命ゆえに覆せない。返事が来るとは思わないけど、形式上として両親に結婚式の招待状を送るため、ペンを手に取る事にした。
両親とは──特に父とは黒の王都に来る直前に作ったタルトタタンに添えた手紙以降、何度か送ったもののなしのつぶてである。
母は二回ほど実家の近況を綴ったものを送ってくれたけど、それも複数の人の手を経てのものだったし。
結局、父の怒りはまだ解けてないのだろう。
それは当然だ。せっかくシャルパンティエ侯爵家の地位を磐石とする為の結婚を、私のわがままでおじゃんになったどころか、駆け落ちという醜聞の対応までさせられてるのだもの。
最たるものは、王家への謝罪と賠償かな。
それはもう、烈火の如くの怒りようでしょうね。
とはいえ、最後の一文にある言葉を目にすれば、狡猾な父でも出席する筈。あわよくばシャルパンティエ公爵家の跡取りにする目論見を立てるだろう。
そして私自身も連れ戻して、再度フランツ殿下と婚姻すれば、面目一新できるとも考えると推測する。
「まあ、そんな濡れ手で粟な事が、この黒の王都で通用するかは分からないけどもね」
見ものですわ、とほくそ笑みながら招待状を封筒に入れ、丁寧に封蝋をカタリア公爵家の紋章を刻印したシグネットリングで押さえると、ひと仕事終えたような気分になったのだった。
なんとか王の近侍であるアーサー様の取りなしもあり、結局結婚式の運命からは逃げられないものの、三ヶ月という短いながらも時間をいただく事となった私は、その式の時間を作るために多忙なルーク君に代わり準備に奔走していた。
今日はメイドの一人と一緒に、普段民で賑わう市場へと足を向けていた。
「本当に色々あるのね」
「ええ。黒の王都でも賄っているのですが、ここと対をなす白の王都でも交易が盛んですし、奥様のいらした国からのものもございますのよ」
そう説明してくれたメイドは、流石黒の王都というべきか、耳は尖っていて、目も金に朱が混じった不思議な色をしている美人さんだ。
黒の王妃曰く、王都に住む亜人の皆さんは、容姿端麗な方が多いらしい。中には人間の体に動物の手足を持つ人や、筆舌にしがたい方もいるにはいるけど、それは少数らしい。
「あら、カタリア様。いらっしゃい」
目的の店の扉をくぐった途端、明るい声が私たちを迎えてくれる。
「こんにちは、メアリさん。先日お願いしたものはできてますか?」
「ええ。ええ。もちろん! うちの亭主にはできない事は……いっぱいありますけどね!」
店主夫人であるメアリさんは、赤茶の瞳の片方を愛らしくウインクさせ、ブラウンの長い耳を揺らしていた。
そう、彼女はうさぎの亜人さんなのです。ちなみに旦那様の方は……。
「いらっしゃい、カタリア様。やっと御希望通りの粒子になりましたよ」
金色の髪に蒼い瞳の長身の男性が、奥から現れると私の姿を認めてそう言います。ちなみに、こちらの店主は私と同じ人間族の方だそうですよ。
一度店主は奥に戻ったかと思えば、次に姿を見せた時には片手に白い何かが乗った皿を持ってきていた。
「これが……」
「いやはや、小麦の粉よりも細かく砂糖を砕くだなんて、最初はなんて酔狂な方と思いましたが、こうして形になると感慨深いですね」
私はまっすぐ皿に盛られた白い粉に視線を注ぎながらも、うんうんと頷いたのでした。
視線の先にあるのは、前世でいう粉砂糖。飾り用にお願いしたんだけど、これなら十分使えそうで安心。
店主夫妻に心からの感謝と、通常のお砂糖の金額の三倍程をお渡しして、その日は足取りも軽く他の材料を買い込むと、ようやく慣れだした屋敷へと戻ったのでした。
「でも、本当に手伝ってくれなくてもいいんだよ、ルーク君」
「大丈夫ですよ。今の貴女を一人にしたくないですし。それに、貴女の前の生では、このようにやるのは、『夫婦の共同作業』でしたっけ? 少し憧れてたんですよね」
厨房に入ると、連日の激務のせいか、うっすらと目の下に隈を作ってるのに、ルーク君は喜々として以前のように私の手伝いを申し出てくれたのである。
実は、結婚を決めてから、私はルーク君に自分が前世の記憶を持っている事、その知識でこの世界にはないお菓子を作っていたことを話した。
最初は狐につままれたような顔をしていたけど、さすが黒の王お抱えの魔術師。そこまでの混乱なく受け入れてくれたおかげで、私はもうひとつの隠し事を彼に囁いたのだった。
こっちはねぇ。前世の時の反応とは比にならない位、感情の振り幅が凄かった。逆に私が冷静になっちゃうくらい。
「まあ、いいけどね。でも、そんなに大変な手順じゃないのよ? むしろ、向こうを手伝った方がいいかな」
苦笑する私は、背後の賑やかな雰囲気を聞き、思わずそう呟く。
今、厨房にはシェフやキッチンメイドだけでなく、他のメイドや上級使用人たちがひしめくように動いている。あれは手順は簡単なんだけど、ものすごく数がいるからね。
「奥様、第一陣がそろそろ焼き上がりそうですが、あと何回お作りすれば?」
「そうね。結構大きなものを作るから、最低でも十回以上焼いてもらうかもしれないわ」
その言葉に既にがっくりと頷くメイドに「ごめんなさいね」と眉根を下げて言うと、楽しいので問題ありません、と悲壮感たっぷりに言われたんだけど、嫌がってる様子ではないから、あえて続きをお願いしたのだった。
「さて、私たちも始めちゃいましょう。こちらも数が必要だしね」
シェフから向こうの過程で出てきた卵の白身を受け取り、その中に粉砂糖をたっぷりと投入する。泡立てないようしっかりと混ぜたら幾つかに分けて、それぞれの中に、黒の王謹製の薔薇から抽出した色素と水の魔石から抽出した色素、ハーブから抽出した色素に、鮮やかな花から抽出した色素を、それぞれに入れて色を着ける。
「綺麗ですね」
「それにそれぞれの香りもいいわ」
ピンク、水色、緑、黄色、どれも淡く儚い色をもっていたのである。
「次はこれに木の実を絡ませて乾かすだけよ」
「それなら、僕の出番ですね」
ルーク君はそう言って、それぞれのボウルに木の実を入れた後、くっつかないように一個一個に風の魔法を纏わせ、その中で不要な水分を抜いていく。
本当に魔法は便利だ。
ただ、料理にこのような過剰な魔法を使うなんて、贅沢の極みなんだけど……。
前世でなら一晩は乾かさなくてはいけないソレが、テーブルの上にコロコロと転がっていた。
色とりどりの淡いパステルカラーの楕円は、見ていて心がなごむ。
「まるで卵のようですね」
隣で感想を呟くルーク君に、私は「そうよ」と返す。
「前世でね、結婚式に渡してたりしてたらしいの。子宝に恵まれた人生を、って意味だったかな。ほら、木の実は枝に沢山実をつけるでしょ? それにあやかって、子供を沢山産んでくださいね、って。まあ、もういたりするんだけどね」
「クロエお嬢様……」
「もうっ。私はもうお嬢様じゃないわよ、ルーク君。今は貴方の妻なんだから」
自分で言ったとはいえ、妻というワードはこう気恥ずかしささえ憶えてしまう。ちらりと隣を見れば、ルーク君も同じだったようで、一緒になって顔を真っ赤にしてしまった。
そんな私たちを、厨房にいたみんなは、微笑ましい顔で眺めていた事に、全く気づいてなかったのだった。
結婚式当日は、見事なまでに快晴だった。なんでも、ここまで雲ひとつない天気というのは、この黒の王都では珍しいそうだ。
「わぁ、綺麗ねクロエさん」
早朝から城から迎えに来た馬車に乗り、なぜか王妃様主導で身支度を整えられたんだけど、さすが白の王都では公爵令嬢で人の視線を集めていたらしい王妃様は、とてもセンスの良いドレスを見つけてくれた。
「王妃様、一介の魔導師の妻に、ここまでしていただけるなんて……。本当にありがとうございます」
「いいのよ。そもそもそのドレスは白の王都の両親が送ってくれたんだけど、私には可愛すぎて……。だから、貴女が着てくれて私も嬉しいわ」
なんと!
だから、こんなに肌触りの良い生地に、精緻なレースがふんだんに使われていたのか……。
私自身も公爵令嬢だったけど、あまりファッションに興味がなかったから、あんまり豪華なドレスって着てこなかったからなぁ。お菓子作るにもゴテゴテしてたら邪魔だったし。
なにはともあれ、王妃様の優しさに感謝をし、その後現れたルーク君がしばしフリーズしたのを見て、王妃様やメイドさんが肩を震わせたりする場面もありましたけどね。
本当にありがとうございます、王妃様。
この王都には聖堂というのがないので、城の大広間で式を挙げたのですが。
「クロエおじょ……ク、クロエ、ほ、ほ、本当に僕でいいんですか?」
白の王都から呼び寄せたという聖堂師様が朗々と聖句を読み上げる中、ポツリとルーク君が問いかけてきたんですよね。
(僕でいいもなにも、既に妻としてカタリア侯爵家を運営してるんだし、お腹に赤ちゃんがいるのに、ここでノーって言う訳ないでしょ)
口にすると怒りが爆発しそうだったので、あえてキロリと睨むと、つないでいた手をぎっちりと握り締める。
「いいも悪いも、私たちはもう夫婦じゃない。貴方は赤ちゃんをお父さんなしにするつもり? 私はルーク君が好きよ。貴方だけが私を否定しなかった。貴方だって大変だったのにも拘らず、ずっと傍にいてくれて、喫茶室も手伝ってくれたじゃない。私にとっては、貴方はどんな人にも代え難い大事な人なのよ。わかった?」
ぼそぼそとだけど、言いたい事を言い終えると、ルーク君はさきほどまでの戸惑った色をした瞳から真剣なものへと変じ、私へと視線をひたりと留める。
「でしたら、これからもずっと傍にいてください。貴女を愛し、永遠に守ると誓いますから。幸せになりましょう」
三人で、と付け加えたルーク君は、ふんわりと笑みを零したので、私も彼に向けて微笑みで応えたのだった。
結局、父は式には現れなかった。
代理でルーク君の祖父で、シャルパンティエ侯爵家の執事長が来てくれたんだけど、どうやら出席を拒否した訳ではなく、どうしても行くに行けない事情があったのだと、そう説明してくれた。
「じゃあ、お父様に伝言をお願い。もうじきおじい様になりますよ、って。それから、とても幸せだって、絶対お父様に伝えてね」
カタリア侯爵家総出で作ったクロカンブッシュを取り分けた皿と、私とルーク君が作った木の実の砂糖がけ──ドラジェを渡しながら話すと、彼は一瞬驚いたように瞠目したものの、すぐに好々爺のような微笑みを浮かべ、「それはようございました」と祝福してくれたのだった。
結婚式はおおむね成功だったと言える。
ただ、あの日出したクロカンブッシュとドラジェは、招待した国内外の王族や貴族に好評だったらしく、かなりの問い合わせが来たそうだ。
それで終われば良かったのだけど、黒の王の近侍であるアーサー様が何かを思いついたようで、黒の王都にやってきた諸外国の客人のおもてなしの菓子を、私に一任するように。
そのおかげで黒の王都の人たちだけでなく、白の王都や他国の方々との交流も増えたんだけど、同時に私は妊婦でして。日々大きくなっていくお腹での力仕事に疲労困憊になってしまった。
何度かルーク君がアーサー様と交渉してくれたみたいだけど、あの人見た目の良い狸だからね。うまく言いくるめられて消沈する夫を慰める日々が続く。
「ルーク君、ありがとうね。大丈夫、いざとなったら魔導師が重宝される国に逃げちゃおう?」
軽口を叩けば、困ったように笑うルーク君。
わかってるよ、ルーク君がそんな事できない位、黒の王の恩義を感じてる事も。アーサー様もなんだかんだ言いながら、私ができる範囲内で手配してくれてる事も。そんな二人を王妃様も嗜めてる事もね。
それから、ルーク君が私の事を常に考えてくれてる事も。
私はとても幸せだと思う。
必要以上に大事にしてくれる夫に、無茶ぶりしながらも見守ってくれてる黒の王や王妃様たち、カタリア侯爵家のみんなも皆優秀だし、実家のシャルパンティエ侯爵家の家族や執事長やメイドたちの、遠く離れていても幸せを願ってくれてる事。
それから、あんな狼藉をはたらいたにも拘らず、私たちを許してくれたフランツ殿下。
みんながいてくれたから、私はこうして好きな人の隣で笑っていられる。
(ああ、そうか。それなら、前世の恋人と、会社の後輩にも感謝しなくちゃね)
もう二度と会えない人たち。彼らがあのあとどうなったか分からないけども、あの事がなかったら、私の人生は大きく変わっていたのは事実だ。
私はそっと目を閉じる。
本当はずっと考えてたけど、きっとルーク君がいい顔をしないと思って黙っていた事を告げようと、目と口を開く。
「あのね、ルーク君。我がままかもしれないけど、ひとつ話を聞いてくれる?」
「なんか嫌な予感しかしませんが、聞くだけ聞きますよ」
「あのね──」
私、みんなが笑顔になれる喫茶室を開きたいの──
end
これにてシャルパンティエ侯爵家の喫茶室は終わりです。
書き出し祭りを含め、沢山の方にお読みいただき、感謝しております。
本当にありがとうございました。