7
GW二日目。
誠次は都会の街角のカフェ店内で、紅茶をすすっていた。
確かにお金を払って飲むこの紅茶も美味しい、が。
どうしても昨日の香月の淹れてくれた紅茶の味を、思い出してしまう。あれは素直に美味しかったと認める。心地よく鼻をくすぐる芳醇な香りと、口いっぱいに広がるまろやかな味わい。
「いや――美味しかったけどさ……」
おっかなびっくりに呟きつつ、誠次が視線をすぐ横に向ければ。
(残念。私のほうが美味しいわ)
――香月は隣の席に座り、同じ紅茶を飲んで一言。無表情でティーカップを置きながら、惜しげもなくけなしている。
誠次は、けなされた紅茶可哀想だなと思いつつ、
「どうしてついて来たんだ……」
(……暇だから来ただけよ)
少しだけ考える仕草をしてから、香月は平然と言ってくる。
「暇だと俺の後をついて来るのか?」
(……ええ、そうなるわね。悪い?)
「いや……」
相変わらず香月と言う女子に、理屈は通用しない。
あれから東馬は朝になっても帰って来ず、いつもの事だからと香月は言っていたので、誠次は用事を消化するため外出していた。
そして当然のごとく、香月が後を追って来ていたことに気付いたのは、このカフェに入った直後のことであった。
そしてさらに当然のごとく、《インビジブル》を使用しており、あろうことかここの紅茶を飲みたいと要求してきた。
誠次が女性店員に紅茶を二つ注文すれば、店員は戸惑って「ふ、二つですか?」と言ってきた。一人だけに見えるので戸惑って当然だ。
おかげで誠次はとても恥ずかしい思いをしたが、今は香月には《インビジブル》を使用して貰わないといけない。
――なぜなら。
「き、来たっ」
誠次は浮かない表情そのままで呟く。
店のガラス越しに見える、都会の通行人の中に、誠次が待つ人はいた。
「う、うわぁ……!」
その姿をいち早く発見した誠次は、顔をこの上なく引きつらしていた。
Tシャツにジーンズ姿のサンダルで、ヴィザリウス魔法学園理事長である八ノ夜美里が、人の群の中をかつかつと歩いて来ていたからだ。
一応確認しておくが、黒髪ロングの美人な女性だ。
……しかしその服装は、悲しいほど残念なものなのである。
すれ違う何名かの男性や女性は、八ノ夜のことをちらりと見ては、残念そうな表情を浮べて視線を戻している。
――そりゃそうだろう。見ず知らずであったなら、こちらもすぐ横を通り過ぎた絶世の美女に気を取られたのち、幻滅していたに違いない。
(あれが……理事長の私服……)
隣の香月も、さすがに言葉を失っているようだ。
「凄いだろ!? 壊滅的だろ!?」
誠次は腰を浮かす勢いで香月に同意を求める。
(何と言えば良いのか……分からない)
「だろ!?」
なんだか香月と初めて胸の内の思いが一致した気がし、誠次は少しばかり感動していた。
やがて八ノ夜が誠次を発見し、周りを気にする事無く手をぶんぶんと振って来た。ただでさえ目立つ容姿なのに、あの行為で通行人の視線が何事かと、カフェの席に座っていた誠次に一斉に向けられる。
「お、お願いだから止めて下さいっ! 理事長っ!」
(どうするの天瀬くん?)
「む、無関係を装う……」
(も、物凄い勢いで走って来てるわよ……)
「サンダルで全力ダッシュ!? さすがと言うか何と言うか……」
案の定、真っ先にここの店に入店して来た八ノ夜は、目の前まで迫って来ていた。
店員含め、客の人からもジロジロと見られている。
「おはよう天瀬! いい天気だなー!」
「お、おはようございます。そうですね……」
はちきれんばかりに横に伸びたTシャツの胸元に、思わず視線を奪われそうになりつつ、誠次は席に座ったまま、作った笑顔で応じていた。――ちなみに、無地の白色。
「ほら、行くぞ!」
テンション高く、今でも踊りだすような勢いで八ノ夜は起立を要求してくる。
「は、はい」
昨夜八ノ夜から突然、私物の電子タブレットにメールが送られて来たのだ。
内容は【借りを返して貰うぞ、付き合え】と書かれていた。ちなみに完全な予想であるが、これは借りがあってもなくても、強制出動であっただろう。
「どこへですか?」
「内緒だ」
八ノ夜は唇に人差し指を添え、片目を瞑って言ってきた。年甲斐もないポーズであるが、かなりあざとく、また可愛らしくもある。この人は時々このようなところがあるから、油断ができない。
勘定を済ませ、八ノ夜の後に続く形で誠次は店を出る。ざわざわとこの上なく目立っており、早いとこの場所から離れたかった。
(大丈夫なの……? 私たちの理事長……)
香月も背後に続いており、テンション高い八ノ夜は彼女の存在に気づいていないようであった。これは香月が凄いのか、気づかない八ノ夜がマズいのか、分からなかった。
「学園理事長と生徒が私服で一緒に歩いているなんて、世間一般が見たら騒がれると思うのですが……」
店から出たところで、誠次がささやかな抵抗とばかりにぼそりと言う。
「フ。だからどうしたと言ってやろう」
八ノ夜は余裕の構えだ。
見た目も相まって、ワイルドである。そしてそのワイルドの波にこちらが巻き込まれているのが、誠次には問題すぎた。
(理事長って、あなたの前だとこんな性格なの……?)
「そうだ……」
耳元で香月の小声に、誠次は消耗した魂で相づちを打つ。
学園での全校集会などで八ノ夜が見せる凛々しい姿と今では、あまりにもかけ離れすぎているので、当然の疑問であるとは思った。
「もう剣持っていないと違和感があるなー? 天瀬」
人通りの多いスクランブル交差点をぐんぐんと突き進む八ノ夜が、ニヤつきながら言ってきた。
「江戸時代じゃないんですから」
「いや違うな。江戸時代は武士が腰に刀を下げている。お前のは背中だ」
「いや今のは大まかな例えであって……」
「やっぱ背中に剣と言うのが格段にカッコイイんだよなーコレが! あの背中にすっと手を伸ばす仕草……! 剣を引き抜いて構えるまでの動作……! くぅ~っ!」
八ノ夜は握りこぶしを作って捲し立てている。服装と相まってもう完全に真夏の飲み屋のおっさんである。
「背中から剣を抜く鞘のギミック……あれは悩みに悩んだが、ついに私は思いついたんだ……! 魔法と磁石を使ってだな……」
「その情熱をどうかもっと魔法の方に注いでください……」
誠次は辟易としながら言う。しかしどうしてか、八ノ夜の話を誠次はすんなりと聞き、いちいち、受け答えしたりしてしまっていた。
(……)
香月は、そんな二人のすぐ後を追従しながら、二人の会話をじっと聞いているのであった。
八ノ夜に連れられてやって来たのは、商店街に面した花屋であった。色とりどりの美しい花が並んでおり、洗礼された都会の雰囲気にそぐう、お洒落な店だ。
入店早々腕を組みながら、真剣に花を選んでいる様子の八ノ夜は、どこか新鮮であった。
「八ノ夜さんが花を選んでるのって、珍しいな……」
穏やかな色合いの照明が雰囲気良い店の中で、誠次は呟く。
(綺麗……)
背後に控える香月が、小さな瑠璃色の花を見て呟いていた。
「確かに綺麗だな」
誠次はあまり花には興味がなく、種類は分からずであるのだが、香月と同じ花をじっと眺めていたところで若い女性店員が接近。
「こんにちは。お花気になりますか?」
俗に言う店員スマイルで、女性店員は会釈をしていた。
「はい。この花は何ですか?」
軽い笑顔を絡ませ、誠次は目の前の青い花を指差していた。
「彼女さんにプレゼントですか!?」
「い、いえ! そう言うつもりではありません!」
「これは゛勿忘草゛ですね。花言葉は『私を忘れないで』や『誠の愛』です」
「ま、誠……」
誠次は思わずびくついた。
゛誠゛と言う言葉に過剰に反応してしまうのは、先日の林による学級委員を決める場面で悪用された所為だ。
(少し不吉ね……)
香月は店員の言葉を聴き終えると、どこか悲しそうにそんな感想を寄越していた。
「私は済んだぞ天瀬。お前は何か買わないのか?」
いつの間にか八ノ夜は、紙束に包まれている買った花を胸元に携えていた。花びらが白く一見タンポポのような花であり、相変わらず誠次には名称は分からなかったが。
「大丈夫です。その花は部屋に飾るのですか?」
「いいや。贈り物だ」
いっぱいの花束に視線を向けつつ、八ノ夜は何の気無さそうに答えていた。
この人が誰かに花を贈るなど……あり得ない。
「なんだその目は?」
「な、なんでもありません!」
「? では次行くか」
八ノ夜は首を傾げながらも、言ってきた。
「まだあるんですか?」
「当たり前だ。むしろこれから行くところが本番だ」
八ノ夜に振り回される休日は、どうやらまだ続くらしい。
果たして自分がいる意味はあるのだろうか? だが次の目的地を知った時、自分がいなければならない理由があることを、誠次は知ることとなった。
都会の喧騒から外れた、喉かな森林地帯。
立ち並ぶ新緑の木々は、爽やかな風でもって秘境を彷彿とさせた。
三人のうち先頭を歩く八ノ夜は、地面に落ちている木の葉を魔法を使って散らしながら、臆することなくサンダルで歩く。
「……っ」
進みながら誠次の表情は、次第に硬くなっていた。
「……着いたな」
「……はい」
木々が開けたところで八ノ夜は立ち止り、誠次も足を止めていた。
(……ここは)
香月がこの場でただ一人、がらりと変わった空気を形容出来ていないで、訝しげな表情を見せている。
森を抜けた丘一帯に広がっていたのは、灰色の墓地であった。
カモメが鳴きながら飛び交う青い海を背に、いくつもの墓石が丁寧に整列するかの如く、丘に立てられている。
虚しく吹く潮風を浴びながら、誠次と八ノ夜は口を閉じ、共にとある墓に向かって歩いていた。
香月が、二人の後に続く。
「お盆に来るべきだとは思ったが、夏は忙しくてな。悪いな天瀬」
「……いえ。ありがとうございます」
目的地である゛天瀬家の墓゛は、四方に並ぶ他の墓と何一つ変わらずに、あった。
ここの墓は全て、゛捕食者゛による犠牲者を弔うためのものだ。
なので、周りにある全ての墓に遺骨はない。恐ろしいほど綺麗に並んだ墓石だけが、この場で唯一の、彼らが生きていた証。
八ノ夜が購入したのは、白い菊の花だった。
いつもの明るい笑顔とは違う生真面目な表情で、八ノ夜はそれを天瀬家の墓石の前にそっと置いていた。
香月もなにかを理解したようで、無言のまま、神妙な八ノ夜の姿をじっと見つめていた。
そして次の瞬間に、香月は背を向けてしまっていた。
(入り口のところにいるわ)
「構わないぞ?」
(いえ)
取りあわず、空気を読み、香月はこの場を静かに去っていた。
らしくないなと感じつつも、誠次は横の八ノ夜と同じくすでに手を合わせているところであった。
しばしの黙祷――。
「……何度目だっけか?」
「七回目です」
やがて開いた両者の視線は、天瀬家の墓石に注がれていた。
「あの事件は悔やんでも悔やみきれないよ……。本当にすまなかったと思っている天瀬」
「あなたが気にすることじゃないです。それに、三年前の墓参りぐらいでもう謝るのはやめるって約束したじゃないですか」
悪いのは八ノ夜ではない。八ノ夜はむしろ家族を救ってくれようと、その身を呈してくれた。
悪いのは゛捕食者゛だ……。゛捕食者゛さえいなければ……こんなにも大量の墓が並ぶことはなかったはずだ……。アイツらさえこの世にいなければ……!
「顔が怖いぞ天瀬」
気づけば、八ノ夜が仕方ないなと、まるで母親のように微笑んでいた。
「――っ。……よく、言われます」
八ノ夜は肩を竦めると、しかし一歩、下がっていた。目で追いかければ、青い目線で、こちらに何か言えと求めている。
誠次はもう一度視線を墓石に戻すと、重たい口を開いた。
「父さん、母さん、奈緒。俺は元気でやってる……」
七年目になれば、こうまで短い言葉で片付けてしまえるものだ。当然であるが、墓からの返事は無い。
身体を撫でるように小さく弱い風が、墓石の先の海から、ただただ流れていた。
味のしない空気を深く吸い、誠次は後方の八ノ夜の方を向いた。
「行くか」
含みのある八ノ夜の言葉だった。
「はい」
「とっととお暇しよう。失礼かもしれないが、-生きている者が長居するところではない」
それに、と八ノ夜は、
「墓にはオバケが出る。目に見えないような……ヤツがな」
微かに口角を上げ、帰り道である墓場の出入り口を眺めながら、八ノ夜は言った。
「オバケ嫌いなんですか?」
「甘いな天瀬。目に見えないモノをどう嫌いになれと? 隠れてこそこそするなんて私にすればむしろ可愛いものだ。天瀬の方はどうなんだ?」
「不思議なものですが、いまいち嫌いになりきれないんです」
「そうか」
八ノ夜は目を閉じてうむと頷くと、次の瞬間には歩き出していた。
「そりゃあ、一度死地を乗り越えた仲だしな……」
苦く笑う誠次の視線の先。
誠次には確かに見える香月は、腰の後ろで両手を結び、墓場の入り口にて静かに佇んでいた。




