5 ☆
午後七時。外はすっかり暗くなっていた。
背後で流れる水の音と、洗った食器をかちゃりと置く音。ごく普通の家庭で流れているのであろう音を聴きながら、誠次は居心地悪くソファの上に座っていた。
いや、居心地はこの際良いので、何と言えばいいか――。
「じ、女子と二人っきりか」
誠次は両手を膝の上に乗せ、ソファに深く座り、落ち着かない様子だった。
東馬が外出した後、相変わらずの白のエプロン姿の香月は、家事を行っていた。そこへ今日自分が泊まらせてもらう旨を伝えたところだが、香月はさして動じることなく、「そう」とだけ告げて来ていた。
そして、ソファに座って数分――。
「香月。なにか手伝う事はあるか?」
部屋の掃除など、簡単なことなら家事は出来るつもりだった。――あの人との二人暮らしの所為で。
「別にやってもらうことは無いわ。じっとしてて」
「わ、わかった。じっとしてて……?」
あれ? 離婚間近の夫婦じゃないよな?
さも悲しい夫のような気分を味わった誠次は、壁に取り付けてある大きなテレビを点けてみた。
この時代の夜のテレビ番組だが、昔から続くバラエティ番組やドラマなどが普通にやっている。夜の外出と言う手段を失くした人間にしてみれば、家にいるこの時間帯のテレビ番組こそ、面白味のあるものでなければならない風潮が大きいのだ。
「七チャンネル」
声による音声認証型のテレビだったので、誠次は声で番組を変える。
七時から七チャンネルでやっているのは、映画だった、が。
「……っ!?」
画面一杯に、濃厚な濡れ場シーンが広がっていた。
おそらくハリウッド映画の一幕で、外国人の大男と女性が裸で寝ている。――曰く、むき出しの肩で白い布団を被っている光景だが、持っている知識を合わせればどう言う事情だか察しがつく。
「じ、十チャンネル!」
「どうしたの天瀬くん?」
ひょこっと、香月の声が聞こえる。
「だ、大丈夫だ問題ない!」
とっさに大声で叫んだものだから、香月が反応したのは当たり前だった。
誠次は咄嗟にソファの背もたれから身を乗りだし、叫んでいた。手を豪快にぶんぶんと振り回し、精一杯テレビ画面を隠す。
今現在同級生女子高生と二人っきり。たとえ間違っていたとしてもあんなものを見ていれば、必然的にどうなるかは察しがつく。
「……? 驚くからあまり大きな声は出さないで頂戴」
どうやら気づかれていなかったようで、香月は再びキッチンへと戻って行った。
「ぜ、善処しますっ」
誠次は安堵の息をつく。十チャンネルでやっているバラエティー番組に、今はただただ感謝だった。
「夜ご飯だけど、ハンバーグで良いかしら?」
洗い物を終えた様子の香月が、いかにも自信ありげな声で尋ねて来る。
「得意そうだな」
良いとしても、さすがにやらせっぱなしでは本当に居心地が悪く、誠次はソファから立ち上がってキッチンへと向かっていた。同級生女子の手料理と言うのは楽しみだと、少なくともこの時はどちらかと言えば、そう思っていた。
「手料理は両親以外に振る舞った事は無いけど。……そう言えばこの前作ったミートソースパスタと、あと野菜サラダは、二人とも食べて微妙な笑みを浮べていたわ」
あごに手を添え、香月は思い出す素振りで平然と答える。
「待て香月……。……微妙?」
誠次は手を腰の上に上げ、思わず身構える。
「ミートソースやドレッシングを一から作るならともかく、パスタとサラダで微妙って……」
あれってキッチリと時間を計って茹でるだけではなかったのだろうか……?
あれって野菜をボウルに入れてドレッシングをかけるだけではなかったのだろうか……?
誠次は、すごく不安になり、
「て、手伝う。さすがに料理は二人でやった方が早いと思うから……」
「? そうかしら。ありがとう」
冷蔵庫を開けて見れば、ちゃんと(?)材料はあったので、誠次は香月の隣に立って料理を開始した。
そこからは、案の定であった。
まずはと誠次は、玉ねぎをたたたんと微塵切りにしていた。――豆知識だが玉ねぎを切るときに息を止めれば、なんとあら不思議! 目が痛くなりません! (個人差はあります)。
雑学としてそれを知っていた誠次は、手早く玉ねぎを斬っていた。
「さすが剣を持っているだけはあって、包丁捌きは中々ね」
横から、なにかをしている香月に声を掛けられた。
「やかましい。……って香月、なにやっているんだ?」
「見て分からないの? ハンバーグを焼いているのだけど」
「……」
「? 何を驚いてるのかしら?」
相も変わらず得意そうな表情を香月は見せていたが、どうしても誠次には分からなかった。
香月の片手に握られているフライパンの上で、ひき肉の塊が焼かれていたからだ。
「ちょっと焦げ臭い。少し焦がしちゃったかしら……?」
香月は菜箸を持った手をあごに添え、顔をしかめている。
「あの香月……俺何の為に得意げに玉ねぎを微塵切りにしてたんだ……?」
「……」
「……」
しばしの沈黙。
香月は、ひき肉の塊と玉ねぎを交互に見て、
「ご、ごめんなさい……」
しゅんと沈む香月。いつも無表情なので、それはほぼ、不意打ちに近い何かであった。
「!? ……いっいや、こっちこそ悪かった」
こちらは泊まらせてもらう身だと、理由を作る。そしてしまったと言う顔をして、バツが悪く誠次は香月からフライパンを受け取る。
「やったことはないけど、俺が作ってみるよ」
レシピはネットで検索して、その通り作ればなんとかなるだろう。
「ありがとう」
慣れていないことなので、ぎこちないものではあったが、香月は真剣に誠次の料理の様子を見ていた。緊張する。
――数分後。
電子タブレットでレシピを検索して、そこに書かれていた通りにやったので、普通に出来上がっていた。――最近のはこちらの料理の経過ごと、音声で自動アシスタントをしてくれるので便利だ。
光に照り輝くデミグラスソースが食欲をそそり、ほんわかと白い湯気を出すハンバーグ。茹でたブロッコリーとニンジンを添え、白い器に盛り付ければ、ありがちなものとなってそれはリビングのテーブルへと運ばれていた。
「よし。これがハンバーグだ!」
漫画の中であれば、【ドーンッ!】と言う効果音が付いていた事だろう。
思わずドヤ顔をしてしまいたくなった衝動を抑えて、誠次は興味津々にハンバーグと向き合う香月を見た。
「美味しそうね」
「でしょう!?」
褒められれば伸びてしまうタイプである。
「少しばかり癪に触るけど、私じゃ出来なかったわ。ありがとう」
「そこで女の子感を出して来るのな……。だいたいどうやったら丸ごとひき肉を焼いてハンバーグが出来ると思ったんだよ?」
「魔法でちょちょいのちょいよ。どうにでもなるわ」
「聞いたことないぞ!? どうにもならないからな!?」
やはり妙なプライド的な何かがあるなと誠次は感じながらも、香月と向かい合って座る。
目の前には芳ばしいデミグラスソースの匂いが香る、ハンバーグが皿に盛られておいてある。自分で作った以上、補正がかかると言うモノだが、それも余りあって美味しそうだ。
「じゃあいただきます」
「いただきます」
誠次が手を合わせて言うと、香月も続く。
そして、お互いにフォークで一口。
「……っん。美味しい」
「ああ。美味い!」
嘘偽る必要はなく、誠次が作ったハンバーグに二人は舌鼓を打っていた。
「こんなに器用なのに、魔法が使えないなんてね」
もぐもぐとハンバーグを小さな口で頬張りながら、香月はしれっと言う。
「それを言わないでくれ……」
棘のある発言を前に、誠次は軽くむせていた。
食事を終え、誠次は二階の香月の部屋を訪れていた。
一見すると、女子高生らしくはないシックな感じで纏められている部屋だ。観葉植物。勉強机。本棚に、ベッド。
女の子らしくないと言う事を除けば、普通の部屋であった。それとも、今時の女の子が住むのはこのような趣の部屋なのかどうかは、やはり誠次には分からなかったが。
「ここで寝てたのか……?」
「なんで汗かいてるの天瀬くん? 涼しいと思うけど」
「い、いや全然!」
誠次はリビングで寝る。
それでも香月は、見せたいものがあるからと言って誠次を二階に誘って来た。
「上を見てて」
香月が部屋の中を進んで行き、壁に付いている何かしらのスイッチを入れる。――誠次がどんな反応をするのか、香月がわくわくとしているようには見えた。
「上?」
誠次は、部屋の何の変哲も無い天井を見上げていた。
だが、次の瞬間――。
「!? ――凄い……な」
――世界が広がっていた。
思わず感嘆の息を漏らした誠次の視線の先には、夜空の光景があった。
香月の手により押されたスイッチは、天井の壁を真ん中から二つに分け、外側にスライドさせる装置を起動させるものだった。
これにより、天井は透明なガラスのみとなり、部屋を照らす照明は壁から発する淡い電光色のみ。薄暗さがかえって幻想的な情景を生み出し、下から来る光を浴びながら、誠次は無限に広がる黒い夜空を見上げる。
初めてのはずなのに、いつか、見たことがある気がした。
「満月か」
「月は好き」
同じように夜空を見上げながら、香月が呟く。その姿は何というか、絵になっていた。
「名字だからか?」
「そんな安直な理由じゃないわ」
きっぱりと香月は言った。
「すまない……」
さすがにストレートすぎたかと、反省して香月を見る。
だが香月は、気にする事も無くアメジスト色の瞳に、夜空の月を輝かせて、
「でも……そうかもしれないわね……」
「……」
夢うつつな面持ちで、誠次は再び視線を夜空に戻す。
人間が夜を失なった結果、捨てる事になった、もう一つ世界の姿。
それはあまりにも綺麗で、とても人の手が届きそうにない、世界のありようでもあった。
「やっぱり取り戻さないとな。こんな夜空を……人のものに」
ほとんど、うわの空で呟いた誠次の言葉は、香月の瞳をかすかに細くさせていた。
「私のお父さんが言っていた事は、全て事実。私の魔法はただ、誰かを傷つけることしか出来ない」
ぼそりと、横から香月が呟く。
「……自分は魔法でそうしたいって、思っているのか?」
「え?」
「俺は少なくとも、進んで人を傷つけようとする人は許さない」
人を傷つけることが出来る剣を持つ者が、言える事じゃないかもしれないが。誠次は右手で握り拳を作り、空を見上げたまま言う。
「でも、違うだろ? まさか桜庭やクラスメイトを傷つけたいとは、思ってないよな?」
香月は白い髪を深く、縦に振っていた。
「そんなのもちろんよ。私は゛捕食者゛じゃない」
「そうだよな。当たり前な事を聞いて悪かった」
むすっとした香月の真横で、誠次は髪をかいて笑う。
横に立つ少女の名は、香月詩音。正真正銘のヴィザリウス魔法学園のクラスメイトであり、少し、ほんの少しだけ、人の心を読むことが苦手な、ただの不器用な女の子だ。




