《*》そして
私は、当家の御者が開いた馬車の扉を潜り、王城の敷地に足を付けた。
鎖国後初めての戦が起こったのは先日のことだ。地方に被害はないものの、混乱に陥った民を落ち着けるために、私は奔走していた。侯爵である私は、一部の町村の管理が任されている。
息子たちも手足となって動いているものの、人の心を安らげるというのは難しいものだ。
ペルシの軍船を退けるため、真っ先に駆け付けてくれたスード。それから、キャルマールとレイヤーナ。聞いたところによると、シェーブルは王が崩御し、内戦が続いているため、援軍はなかったらしいが。
今回のことがあり、皮肉にも三国の王族とつながりができ、これをきっかけに開国に向け動き出す形になるだろうと、陛下は仰られた。他国から援軍が来たことにより、民の開国に対する不安は薄らいだのではないだろうか。
ペルシは不干渉条約の違反により、多額の賠償金を支払うことで落ち着いた。当分の間、軍事に回す予算は削られ、おとなしく国力を蓄えるしかないだろう。
アリュルージは、捕虜も少しずつ送還し始めた。それから、戦死者にも敬意を払い、ペルシの流儀を取り入れた葬儀を執り行った。
今後のために、でき得ることは惜しまなかった。
その忙しい最中、私を呼び出されたのは王太子殿下だ。
私は、ついにこの時が来たのだと思った。
我が娘、ユーリについて話があるのだという。
ユーリは、侯爵家に生まれた以上、殿下の妃となることが約束されたような娘だった。
だからこそ、幼い頃から教養を身に付けさせようと、二人の兄と同じように教育を施した。
すると、どうしたことか、息子たちよりもよくものを覚え、難問を解く。
プライドをいたく傷付けられた息子たちは、ユーリをかわいがらなくなったけれど、仲良くしなさいと言ったところで逆効果なのは目に見えていた。
年頃の娘らしいことにはまるで興味を示さず、勉強好きな変わった娘になってしまったものの、美しくは育ったと思う。
軍師見習いになるなどと馬鹿げたことを言い出したが、殿下と共に過ごす時間が増えると考え、しぶしぶ許した。
そして、ようやくその結果が出たのだと、私は安堵した。
殿下のお部屋に通され、あたたかな紅茶が振舞われた。眼前で微笑まれている殿下は、人を惹き付ける王者の風格を、早くも見せ始めておられた。お顔立ちも整い、ユーリと二人で佇む姿は一枚の絵のように映るだろう。……大丈夫だ、髪くらいすぐに伸びる。
緊張してお言葉を待つ私に、殿下は仰られた。
「侯爵、今日呼び立てたのは、他でもないユーリのことだ」
「はい」
「ユーリを貰い受けてもよいだろうか?」
このお言葉を、どれだけ待っただろうか。
それなのに、殿下は恐ろしい言葉を続けられた。
「ああ、私にではないけれど」
「は?」
私は思わず間の抜けた声をもらしてしまった。
殿下は苦笑されている。
「私の腹心の臣下に」
腹心の臣下。つまり、どうということもない身分の男に、娘をくれと。
私は唖然としながら、殿下の周りで見かけたことのある顔ぶれを高速で思い出した。
そして、最後に残った顔に、ぞくりと身震いする。
「……まさか、リトラではありませんでしょうな?」
すると、殿下はにこりと微笑まれた。
「正解だ。わかっているじゃないか」
リトラ。
一応、私の甥ということになるが、そう思ったことは一度もない。
あの、妹夫婦の貰い子は、子供とは思えないようなギラギラとした目をして大人を見た。あの見透かすような瞳を見続けることが、私はいつもできなかった。
けれど、あれがユーリを見る時だけ、鋭さがそがれて丸みを帯びた。
兄たちとそりの合わなかったユーリもよく懐き、私が仕事に奔走していた隙に、二人は兄妹のように仲良くなってしまっていた。
ユーリが嬉しそうなので、子供のうちはまあいいだろうと思って大目に見ていたのが、そもそもの間違いだった。気付いた時には、ユーリはリトラの真似だと言っておかしな言葉で話したり、変な影響が出始め、頭が痛くなることも多々あったりする。
それよりももっと問題だったのは、更に二人が年齢を重ねて行った後のことだ。
まだまだ子供だと思っていたのに、ふとした拍子に、リトラがユーリを見る目付きに、妙な熱がある。
私はいよいよ焦って、リトラに釘を刺した。
娘のまわりをうろうろしすぎだと。娘におかしな噂が立っては、将来に差し障る。今後は控えるように、と。
それを口にした私に、リトラが最後に向けた視線の鋭く暗かったことは、今でも忘れない。
ただ、それからは、私の言葉通りにユーリから距離を置き始めた。
ユーリを大切にしていたのは間違いないのだろう。
それは認めるけれど、やっぱり嫌だ。
「それだけはご勘弁下さい……。娘は、私の決めた相手に嫁ぐと、私と約束を交わしております。私がうんと言わなければ、それまでです」
思わず言った私に、殿下は意地の悪い笑みを見せられた。
嫌な予感がする。
「ユーリは、他の男では手に負えないぞ。うすうす気が付いているのではないか?」
ぎくりとした。
確かに、おとなしく夫に従うような妻にはならないかも知れない、とやきもきしていた。いつの間にやら鼻っ柱の強くなった娘に振り回されて来たのは事実だ。親の私でさえそうなのだから……。
私は咳払いをして感情を抑えた。
どうして殿下はそれほどにリトラをお気に召したのか、不思議で仕方がない。
けれど、それは案外簡単な理由だった。
「リトラのような人間は、なかなか人に気を許さないが、一度これと決めた相手を裏切ることはない。私に対しての忠誠もそうだし、ユーリに対する想いもそうだ。それは、ユーリにとって幸せなことだと思うが?」
「はぁ……」
私が困り果てていると、殿下はクスクスと笑われた。
そして、駄目押しの一言だ。
「あれは今後、私の右腕として軍を引っ張って行く。ユーリが手に入るなら、将軍にまで上りつめろと言えば、そうするだろう。有能な人材が育つのだから、これは国のためだと思わないか?」
国のため。
もちろん、娘のため。
「さあ、誰の名を告げる?」
何ひとつ、思い通りにはならない。
もしかすると、これは避けられない結末だったのだろうか。
目を赤くはらしたユーリの手をつないで、それを守るように、目付きの悪い少年が私の前に立った、あの日から――。
【The End】
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。
ユーリと父の約束も、ユーリとリトラの約束も、リトラと殿下の約束も、一応破られることなく収まりました。殿下のお陰です。なのに、二人の一人称だったため、殿下としか呼ばれず、一話目以降、名前が出て来ませんでしたね(笑)。
リトラは侯爵から、結構な条件を付けられたと思われますが、まあなんとかしますと軽く答えたことでしょう。
二人のその後は相変わらずです。
「……ねえ、君の隊員が私を見る目付きが生あたたかいんだけど、どうして?」
「ああ、新婚生活はどうですかって訊くから」
「……なんて答えたの?」
「めちゃくちゃかわいいって」
「!! どうして君は、私の培ってきたものを壊すようなことを言うんだよ! これから私はどんな顔をしてみんなの前に立てばいいのっ?」
「うん」
「うん、じゃない! ニヤニヤしないでよ!!」
――みたいなやり取りは日常茶飯事でしょう。
では、ありがとうございました!
ちなみにこちら(↓)、2014年に蒼山様から頂いた年賀イラストユーリです。
せっかくなのでここで使わせて頂きました!




