↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ムーミンの生まれた冬—— トーベ・ヤンソンの静かなる生涯  作者: はまゆう


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/13

第4節 「距離の優しさ」

一九五二年、春。


島での最初の夏を終えて、トーベとトゥーリッキの間には、以前にはなかった間合いが生まれていた。手紙を書く頻度が減った。会う日を決めずに、決めないままでいられるようになった。


「今週は、会えないかもしれない」とトーベが言った。


「うん」


トゥーリッキは顔も上げずに、彫刻刀の先を布で拭っていた。それだけだった。


友人にそのことを話すと、半分呆れたように言われた。


「あなたたち、本当に付き合ってるの? 全然会わないじゃない」


「会わないのも、ひとつのやり方なんだよ」


「……どういう意味?」


トーベはうまく説明できなかった。ただ、毎日会っていたら、たぶん今のこの感じは失われる。それだけは、なぜかわかっていた。


---


その年の夏、トーベは再び島に渡った。


トゥーリッキは先に来ていた。灯台は磨かれ、薪は軒下に高く積まれ、菜園には支柱が立てられていた。トーベが荷物を下ろす前から、もう仕事は半分終わっていた。


「早いね」


「先にやっておきたかった」


トゥーリッキはそれだけ言うと、また石に向き直った。鑿の音が規則正しく響き始める。トーベはアトリエに入り、キャンバスを立てた。


昼、二人はテーブルを挟んで座った。トゥーリッキのシャツの袖には石の粉が白くこびりついている。


「新しい話、進んでる?」


「『ムーミン谷の夏まつり』。嵐で劇場が流されてきて、それを使って芝居を始める話」


「劇場が、流されてくる」


「うん」


トゥーリッキはスプーンを止めて、少し考えるような顔をした。だが何も言わず、またスープに口をつけた。


沈黙が続いた。窓の外で鳥の声がした。


「焦らなくていいよ」


それだけだった。トーベは何か返そうとして、やめた。肩の位置が、少し下がったのが自分でもわかった。


---


ある夜、二人は港の灯りを見ながら石段に座っていた。


「なぜ、私たちはうまくいってるんだろうね」とトーベが言った。


トゥーリッキは煙草に火をつけ、しばらく煙の行方を目で追っていた。


「所有しようとしてないからじゃない」


「所有」


「誰かを自分のものにしようとすると、狭くなる。相手も、自分も」


トーベはその横顔を見た。灯りに照らされて、頬の輪郭だけが浮かんでいる。


「それって、スナフキンみたいだね」


「誰それ」


「ムーミンの友達。旅ばかりしてる」


トゥーリッキは煙草を吸い、なにも言わなかった。トーベも、それ以上は続けなかった。言葉にした瞬間に壊れる種類のことがある、と彼女は知っていた。


代わりに、トーベは石段の冷たさを感じながら、自分の手をトゥーリッキの手の隣に置いた。触れはしなかった。ただ、隣に置いた。


トゥーリッキがふっと笑った。


「距離が近いね、今日は」


「そう?」


「うん。いつもより、五センチくらい」


トーベも笑った。それだけの会話が、なぜか一番よく効いた。


---


その年、トーベは『ムーミン谷の夏まつり』を書き上げた。


原稿を渡すと、トゥーリッキは一時間かけて読んだ。読んでいる間、トーベは彫刻室の掃除をしながら、鑿の音がしないことにずっと気を取られていた。


「いい話だね」


「本当?」


「劇場のとこ。流されてきたものが、みんなを幸せにする」


トゥーリッキはそれ以上説明しなかった。トーベも訊かなかった。ただ、原稿を閉じるときの指の動きが、いつもより少し丁寧だったことに気づいた。


「あなたがいてくれて」とトーベは言った。


「私も」


会話はそれで終わった。トゥーリッキは原稿を棚に戻すと、また彫刻室に戻っていった。鑿の音がまた聞こえ始めた。


---


秋が深まった。海の色が変わり、鳥が減った。


「今年は、ここで冬を越そうか」


トゥーリッキは薪の束を数える手を止めた。


「本気で?」


「うん」


「水は凍る。船は来なくなる。何かあっても、誰も助けに来られない」


トゥーリッキは淡々と、事実だけを並べた。脅すためではなく、確認するために。


トーベは黙って、彼女の顔を見ていた。答えを急かすつもりはなかった。


長い沈黙のあと、トゥーリッキは薪を一本、また一本と数え直しながら言った。


「薪、もう少し多めに積んでおこう」


それが返事だった。トーベは何も言わず、隣に立って薪を運び始めた。


二人は日が暮れるまで、黙って薪を積み続けた。会話はほとんどなかった。それでよかった。


---


十一月、最初の雪が降った。


トーベは窓辺に立ち、舞い落ちる雪を見ていた。トゥーリッキが隣に来て、同じものを見た。二人のあいだには、こぶし一つ分の隙間があった。


「島に来て、よかった?」


「……うん」


雪はまだ薄く、地面にはうっすらとしか積もっていなかった。


「これからも、こうしていようね」とトーベが言った。


「うん」


「お互い、自由なままで」


トゥーリッキはしばらく黙って雪を見ていたが、やがて、隙間を半分だけ詰めた。肩と肩のあいだに、もう握りこぶし一つ分もない。


「それが、距離の優しさだね」


トーベは何も答えなかった。答える必要がなかった。


窓の外で、雪が静かに積もり続けていた。


灯台の灯りが、白い闇の中で確かに点っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。