第4節 「距離の優しさ」
一九五二年、春。
島での最初の夏を終えて、トーベとトゥーリッキの間には、以前にはなかった間合いが生まれていた。手紙を書く頻度が減った。会う日を決めずに、決めないままでいられるようになった。
「今週は、会えないかもしれない」とトーベが言った。
「うん」
トゥーリッキは顔も上げずに、彫刻刀の先を布で拭っていた。それだけだった。
友人にそのことを話すと、半分呆れたように言われた。
「あなたたち、本当に付き合ってるの? 全然会わないじゃない」
「会わないのも、ひとつのやり方なんだよ」
「……どういう意味?」
トーベはうまく説明できなかった。ただ、毎日会っていたら、たぶん今のこの感じは失われる。それだけは、なぜかわかっていた。
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その年の夏、トーベは再び島に渡った。
トゥーリッキは先に来ていた。灯台は磨かれ、薪は軒下に高く積まれ、菜園には支柱が立てられていた。トーベが荷物を下ろす前から、もう仕事は半分終わっていた。
「早いね」
「先にやっておきたかった」
トゥーリッキはそれだけ言うと、また石に向き直った。鑿の音が規則正しく響き始める。トーベはアトリエに入り、キャンバスを立てた。
昼、二人はテーブルを挟んで座った。トゥーリッキのシャツの袖には石の粉が白くこびりついている。
「新しい話、進んでる?」
「『ムーミン谷の夏まつり』。嵐で劇場が流されてきて、それを使って芝居を始める話」
「劇場が、流されてくる」
「うん」
トゥーリッキはスプーンを止めて、少し考えるような顔をした。だが何も言わず、またスープに口をつけた。
沈黙が続いた。窓の外で鳥の声がした。
「焦らなくていいよ」
それだけだった。トーベは何か返そうとして、やめた。肩の位置が、少し下がったのが自分でもわかった。
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ある夜、二人は港の灯りを見ながら石段に座っていた。
「なぜ、私たちはうまくいってるんだろうね」とトーベが言った。
トゥーリッキは煙草に火をつけ、しばらく煙の行方を目で追っていた。
「所有しようとしてないからじゃない」
「所有」
「誰かを自分のものにしようとすると、狭くなる。相手も、自分も」
トーベはその横顔を見た。灯りに照らされて、頬の輪郭だけが浮かんでいる。
「それって、スナフキンみたいだね」
「誰それ」
「ムーミンの友達。旅ばかりしてる」
トゥーリッキは煙草を吸い、なにも言わなかった。トーベも、それ以上は続けなかった。言葉にした瞬間に壊れる種類のことがある、と彼女は知っていた。
代わりに、トーベは石段の冷たさを感じながら、自分の手をトゥーリッキの手の隣に置いた。触れはしなかった。ただ、隣に置いた。
トゥーリッキがふっと笑った。
「距離が近いね、今日は」
「そう?」
「うん。いつもより、五センチくらい」
トーベも笑った。それだけの会話が、なぜか一番よく効いた。
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その年、トーベは『ムーミン谷の夏まつり』を書き上げた。
原稿を渡すと、トゥーリッキは一時間かけて読んだ。読んでいる間、トーベは彫刻室の掃除をしながら、鑿の音がしないことにずっと気を取られていた。
「いい話だね」
「本当?」
「劇場のとこ。流されてきたものが、みんなを幸せにする」
トゥーリッキはそれ以上説明しなかった。トーベも訊かなかった。ただ、原稿を閉じるときの指の動きが、いつもより少し丁寧だったことに気づいた。
「あなたがいてくれて」とトーベは言った。
「私も」
会話はそれで終わった。トゥーリッキは原稿を棚に戻すと、また彫刻室に戻っていった。鑿の音がまた聞こえ始めた。
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秋が深まった。海の色が変わり、鳥が減った。
「今年は、ここで冬を越そうか」
トゥーリッキは薪の束を数える手を止めた。
「本気で?」
「うん」
「水は凍る。船は来なくなる。何かあっても、誰も助けに来られない」
トゥーリッキは淡々と、事実だけを並べた。脅すためではなく、確認するために。
トーベは黙って、彼女の顔を見ていた。答えを急かすつもりはなかった。
長い沈黙のあと、トゥーリッキは薪を一本、また一本と数え直しながら言った。
「薪、もう少し多めに積んでおこう」
それが返事だった。トーベは何も言わず、隣に立って薪を運び始めた。
二人は日が暮れるまで、黙って薪を積み続けた。会話はほとんどなかった。それでよかった。
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十一月、最初の雪が降った。
トーベは窓辺に立ち、舞い落ちる雪を見ていた。トゥーリッキが隣に来て、同じものを見た。二人のあいだには、こぶし一つ分の隙間があった。
「島に来て、よかった?」
「……うん」
雪はまだ薄く、地面にはうっすらとしか積もっていなかった。
「これからも、こうしていようね」とトーベが言った。
「うん」
「お互い、自由なままで」
トゥーリッキはしばらく黙って雪を見ていたが、やがて、隙間を半分だけ詰めた。肩と肩のあいだに、もう握りこぶし一つ分もない。
「それが、距離の優しさだね」
トーベは何も答えなかった。答える必要がなかった。
窓の外で、雪が静かに積もり続けていた。
灯台の灯りが、白い闇の中で確かに点っていた。




