政略結婚からの脱出
梁の将軍王琳は、梁の再興を狙って、娘王青蘭と斉の皇族清河王との婚姻を結ぼうとしていた。
★ 河を渡る決意 ★
崖から沔水を見下ろす。煌めく流れが、西から東へと緩やかに蛇行している。
藍色と黒の披風をまとった男装の少女が二人、馬を駆って坂を登って行った。
沔水の眩しさを手で遮りながら、藍色の披風をまとった男装の少女が後ろを振り向くと、黒披風の男装の少女が駆け上ってきた。
「青蘭様、待ってくださいよ」
小柄な黒の披風の少女は、息を整えた。
「晴児、・・・遅いぞ」
青蘭は白い息を吐きながら笑った。
滑らかな頬に黒目がちな瞳が、生まれの良さを示す。高く結った髷を、小振りの冠がまとめている。
青蘭は、ほっそりとした指で沔水の向こうをさした。
「晴児、・・・あの沔水を渡れば、淮北だ。そして、その彼方には・・・私たちが向かう鄴都がある」
青蘭は、心配げに振り向いた。
「晴児、本当にいいのか?・・・沔水を渡ったら、もう引き返せない。私の我儘に、おまえを付き合わせてしまった。江陵に戻るなら・・・」
晴児は、唇を結ぶと首を振った。
「いいえ、戻りませぬ。お嬢様は、命の恩人。・・・北朝へお供いたします。・・・それに鄴には叔父がいる。叔父と一緒に暮らした」
建康で家族を失った晴児にとって、鄴で薬房を営む叔父は唯一の頼れる親族なのである。
王青蘭の笑顔は、吹いてきた寒風で強ばった。
趙晴児は、元々建康で大きな薬房を営む商賈の娘であった。
梁王朝の崩壊をきっかけとする戦乱の中で両親を失い、弟と放浪していた。疫病と飢えで弟が亡くなる中、淮南を移動していた王琳の軍に助けられたのである。江陵まで同行した晴児は、王家の侍女として仕えることになった。
「晴児、ありがたい。お前がいれば、私も心強い。一緒に鄴都に行って叔父上を探そう」
青蘭は馬首をめぐらすと、南にそびえる峻厳な山脈の黒い陰を見た。
私は、父や兄との安寧な生活を捨ててきたのだ。もう後戻りはできない。
青蘭は、手綱を引くと、沔水に向かって崖を降りていった。
★ 王琳の悲願 ★
千五百年前の中国、魏晋南北朝の時代。それは漢帝国の滅亡の後、多くの国が興亡し戦に明け暮れる時代であった。
三国時代の終了とともに、漠北から鮮卑族などの多くの遊牧民族が南下し、中原を支配するようになった。
鮮卑族の支配を嫌った漢族の士大夫の多くは、淮水の南に逃れ、東晋などの国を建国した。
時は流れ、北朝は北魏が、そして南朝は梁の支配するところとなった。
紀元五四八年、東魏の宰相の高澄に敗れた侯景が梁の都の建康に進撃した。そして翌年の五四九年には、侯景の攻撃で栄華を極めた梁の都である建康が、あっけなく陥落してしまったのだ。
この思いがけない建康の陥落により、建康の民と梁の諸将は未曾有の混乱に陥った。
紀元五五二年、簫繹が梁の皇帝として江陵で即位した。よりどころを失っていた多くの南朝の貴族や士大夫が、戦乱で荒れ果てた建康を逃れて、長江の上流にある江陵に集まったのである。ここに梁は再興され、簫繹(元帝)を中心とする朝廷が誕生した。
青蘭の父王琳は、会稽郡山陰県を本貫とする梁の武将であった。王琳は、湘東王常侍の王顕嗣の次男として生まれた。陪臣の次男であった王琳は、太平の世であったら出世など望むべくもない境遇であっただろう。
しかし、王琳の姉が簫繹の妃になったことをきっかけに、王琳は簫繹に近侍するようになった。寵臣となった王琳は、武将としての才能を発揮するようになったのである。
しかし、元帝簫繹は、信義を持たぬ酷薄な君主であった。王琳が武功を挙げ輿望を集めるようになると、佞臣の言を信じて、罪に落として兵権を取り上げたのである。
ところが、一旦江陵が西魏の攻撃を受けると、王琳を再び将軍に任命し、長沙で迎撃に当たらせた。
紀元五五四年、王琳は再び元帝の勘気を被り、広州刺史として左遷された。広州は長江の遙か遠く南辺の州である。
ところが、その間隙をぬって江陵を陥落させるべく、西魏が荊州を攻撃したのである。西魏来襲の知らせを受けた王琳は、広州より兵を率いて駆け付けたが間に合わなかった。
元帝を殺害し江陵を陥落させた西魏は、十数万の民衆や士大夫、貴族やその家族を西魏に連行したのである。その人々の中には、顔之推などの大学者や、王琳の家族も含まれていた。
君主の命で広州に左遷されていたとは言え、西魏から元帝を守ることができなかったことは、王琳の大きな悔恨であり、その一生を梁の再興に捧げることになったのである。
元帝亡き後、梁の遺臣たちは元帝の皇子である簫淵明を皇帝に立て、勢力の回復を図った。多くの旧臣の中でも、人々の輿望の高い王琳は、やがて梁の再興をはかる武将たちの頭目と見なされるようになった。
北斉と西魏、そして西魏の傀儡王朝である後梁が割拠する中で、梁の再興を図ることは容易ではなかった。
そのため、王琳は、時には北斉に気脈を通じ、時には西魏に擦り寄るそぶりを見せながら長沙で力を蓄えることにしたのである。
簫淵明を皇帝に戴く梁も一枚岩ではなかった。王僧弁、陳覇先、王琳など梁の旧臣が勢力争いを繰り広げていた。
王琳は長安に拉致された正室の蔡氏と嫡子の王珩の帰還を交渉するため、後梁に恭順の態度を示して、長江の上流にある江陵に滞在していた。
そして、後梁への恭順の意を示したことにより、王琳は車騎将軍・開府儀同三司の称号をうけたのである。
王琳は、拉致された一族が速やかに帰還できるものだと期待していた。しかし、西魏は言を左右にし、家族の帰還が実現しなかった。
★ 江陵の屈辱 ★
青蘭は父親の王琳や兄の王敬と共に、江陵の客殿に滞在していた。
冬の夕日が絹張りの窓から、奥深くまで差し込んでいる。火藘が焚かれた青蘭の居房は、ほんのりと暖かい。
青蘭は、榻に背中を預けながら『文選』を開いていた。
「お嬢様、おめでとうございます。・・・王将軍が 陛下から、車騎将軍の位を賜ったそうで」
青蘭の居室に昼餉を運びながら、侍女の晴児が笑顔を見せた。
「どこが、めでたいというの?」
青蘭は桃花のような唇をとがらせた。
「夫人や衍兄上など一族を長安から戻すというから、わざわざ長沙から江陵に来たのだ。それなのに、一向に帰還の詔勅が出ないわ。・・父上は、弱腰すぎる」
青蘭は、不満げに歯を噛みしめた。
長江の上流、山岳地帯に位置する江陵の冬は厳しい。香り高い臘梅に十一月の細雪が積もっている。
夕闇迫る中、青蘭は木剣を握ると内院に出た。
正室の蔡氏は、義理の娘である王青蘭に決して辛く当たったことはない。ましてや次弟の王珩とは、射術や騎術を共に学んだ。
鄴都から渡ってきた王青蘭にとって、二人は大切な家族であった。
王家の者たちは、西魏でどれほどの苦難を味わっているのだろう。青蘭は、暗いなか虚空に向かって木剣を振るった。
「たっ、たっ」
一振、二振、低いうなりとともに、青蘭は剣を振り下ろした。青蘭のうなじに汗で髪が張り付いた。青蘭の背中から白い湯気が立ち上っる。
梁の再興を願う父上が、膝を屈して傀儡の皇帝に請わなければならないのだ。
「後梁は卑怯だ。そんなやつらに・・・父上は・・・理不尽だ」
西魏は、残虐な王朝だ。江陵を破壊仕尽くし、多くの梁の民を拉致した。一族を長安に連れ去った憎き西魏に、父上は膝を屈して臣従するというのか。
道理は父上にあるのだ。何としても父上に意見をしてくる。
青蘭は、木剣を携えると燈籠が灯る中、父王琳のいる正殿に向かっだ。
★ 青蘭の婚姻 ★
正殿にはすでに灯火が灯っていた。回廊を進んでいくと、正面の扉が心持ち開いている。
青蘭が扉に手を掛け声を掛けようとする。
中から父王琳の声が漏れてきた。
「・・・青蘭を、嫁に出す・・・」
青蘭は、思わず耳を疑った。
「父上、青蘭を嫁がせるのですか」
長兄の王敬の声である。
「・・青蘭は、来年で十五歳。いつまでも陣中に置いておくわけにはいくまい。・・・斉の皇族に嫁げば、青蘭の身も安全じゃ・・」
王琳の低く滑らかな声に、青蘭は一層耳をそばだてた。
「それは表面のこと。父上は、清河王と婚姻関係を結ぶことにより、斉よりの援軍を請うお積もりなのですね?・・・」
語気を強めた長兄王敬の声が聞こえる。王敬は、同腹の兄妹である。
自分を政略結婚の道具として、斉の皇族に嫁がせようというのか。
「敬よ、・・・士大夫の婚姻で、政に無関係なものがあるか?・・・清河王家は、皇族の中でも重臣だ。・・・青蘭にとっても決して悪い話ではない」
青蘭は耳を疑った。自分と清河王との婚姻が、政治的な取引の材料の一つとして父と兄の間で自分には何の相談もなく決められようとしているのだ。
「実は、何之元からの書状によると、清河王本人が、ほどなく顔合わせに来るというのだ」
「それはまた、気が早い。清河王は、熱心ですな・・・」
青蘭は、それ以上聞くに堪えられず扉の側を離れた。
確かに、儒教の教えを重んじる南朝では、士大夫の婚姻は父親の命によって決められるのが普通であった。
特に貴族や権門の婚姻は家と家との関係が重視され、一度も顔を合わせたことのない相手に嫁ぐことも希では無かった。婚姻の相手が本人の自由になるのは、庶民だけである。
しかし、父王琳の力になりたいと南朝に渡って以来、青蘭は男装して父王琳の側で兄と共に戦って来た。幼き頃より英雄として父王琳を敬慕してきた青蘭は、戦功を挙げることを夢見て黄河を渡ってきたのだ。
それなのに、父上は自分を政略の道具としてしか見ていないのか。
清河王は、梁と北斉の和睦にも功のあった
皇族の重臣である。父親の王琳と同じ年代であると聞いている。
『父上は、私を斉から援軍を引き出すために、私を売ろうとしているのだ』
信頼しでていた父親に裏切られた衝撃で、青蘭は重い足を引きずりながらふらふらと居所に戻った。
★ 青蘭の願い ★
居所で夕餉を終えた青蘭は、蝋燭の灯りの下で再び『文選』を開いた。
『文選』は、梁の昭明太子が、『詩経』から梁までの詩賦を網羅的に所収した詩文集であるり、士大夫の必読書であった。
青蘭は、阮籍の詩賦を詠じた。
夜中 寐ぬる能わず
起坐して鳴琴を弾ず
薄帷 名月に鑑らされ
清風 我が衿を吹く
夜中、寝つかれぬまま
起きあがって 琴をつま弾く
薄い帳を照らす月影
襟元に吹き抜ける涼風
阮籍は魏の詩人である。曹王朝で司馬懿に対立したため政治的に不遇を託ち、苦悩の中、奇行や飲酒に韜晦しながら身を全うした。
曹王朝の正統を守ろうとしながら、志を遂げられない阮籍の懊悩が、父の苦悩に重なった。
侍女の晴児が、陳皮茶を居所に運んできた。
榻に座る青蘭の横の卓子に、香り高い茶杯を置いた。
「お嬢様、鄴から来た商人に聞いたのですが、顔先生が、長安から斉に脱出したそうです」
青蘭は、暖かい湯気を立てる茶杯を手に取った。
「顔先生って?・・江陵から長安に拉致された、あの顔之推先生?」
十万人と言われる梁の民や貴族が、長安に連行され足止めを食っている中で、顔之推が斉に逃亡できたというのか。
もしかしたら、漢人の帰還が始まったのか。
「さようです。何でも、・・・筏を組み洪水に紛れて黄河を下ったのだとか。・・・鄴都では、評判だそうですよ」
顔之推は、儒学に造詣が深くを好み『周礼』や『春秋左氏伝』にも詳しい南朝随一の学者である。
「学者である顔先生が、武人のごとく筏で黄河を下り周から逃れるとは、何と剛毅なこと・・・信じられない」
北周は、高名な顔之推を官吏として任官させていなかったのだろうか。
「何でも、西魏で冷遇され、大変苦労をされたそうです」
西魏の君主は、人品や能力を観る力がないのだ。
青蘭は、顔之推とは面識はなかったが、父が元帝の散騎侍郎として近侍していたので、父や兄の会話からその学識や人柄の素晴らしさを聞いていた。
「鄴都にいる学士が羨ましい。鄴都で顔先生の教えを受けたいものだ」
女子の自分は政略の道具として斉の皇族に嫁がせられ、前途を閉ざされようとしている。それに対して、男子は自由に師を求めて学べるのだ。青蘭は自分が女子であることを呪った。
王青蘭は、王琳と鄭桂瑛の長女であった。
鄭桂瑛の一族は、祖父に学者・書家として高名な鄭道昭や、その子の鄭述祖を輩出する学者の家柄であった。
ちなみに、鄭道昭の娘である鄭火車は、高歓の妃になっていた。鄭桂瑛の父である鄭述厳は、述祖の同母弟で学問に精通するも、名声を得る前に夭折したのである。
北義末の混乱のなかで父鄭述厳を早く亡くした鄭桂瑛は、庶出の叔父である鄭仁述を頼り、商賈(商売)を手伝うことになった。鄭仁述は、鄴を中心に大梁や建康などに支賈を広げていたのである。
王琳と青蘭の母鄭桂瑛が出会ったのは、叔父の商賈を手伝うために滞在していた梁の都の建康であった。
地方の官吏の次男に過ぎない王琳には、出世の見込みがなかったといっていい。官職に就いていなかった王琳は、鄭桂瑛とささやかな婚儀を挙げ、建康に居を構えた。
鄭賈の援助により建康に居を構えた王琳と鄭桂瑛の間には、ほどなく長子の王敬が生まれた。
状況が変わったのは、王琳の姉妹が湘東王簫繹の後宮に入ってからである。
寵姫の弟となった王琳は、簫繹の側近として近侍するようになった。官位を得ると、王琳はその持って生まれた政治的な能力を発揮するようになった。
やがて王琳は、簫繹の命により南朝の貴族の娘である蔡氏を正室として娶ることになった。湘東王の寵臣の正室が、斉の学者の娘では都合が悪いからである。
王琳は建康に大きな邸を賜り、権門として権勢を振るうようになった。
結婚当初、桂瑛は正妻として王家を取り仕切っていたが、学者の娘が、皇帝に勅旨による賜婚に敵うはずもない。鄭桂瑛と王敬は二人寂しく旧宅に残された。
妾となって本邸に行くことは、桂瑛の誇りが許さなかったのである。そんな中、生まれてのが王青蘭であった。
初めての娘の誕生に喜んだ王琳は、桂瑛と二人の子どもたちを本邸に招き入れた。
しかし、本妻の矜持を持つ鄭氏と聖旨による賜婚である正室の蔡氏との関係は、相容れないものであった。正室の蔡夫人が、嫡子の王珩を生むと、二人の関係は決定的なものとなった。
ほどなく鄭佳瑛は離縁状を携え王青蘭を連れて、淮水と黄河を渡った。両親の間にどのような話し合いがあったのかを青蘭は知らない。しかし、その後母の口から父親の名を聞くことはなかった。
両親は正式に離婚したが、長子である王敬はその将来を考えて父の元に残したのである。
幼くして北斉に居を移した青蘭は、父の顔を覚えていなかった。
しかし、侯景の乱の鎮圧に活躍した父は、幼い青蘭にとって乱世の英雄であり憧れの存在であった。建康陥落の後は、いつの日か父王琳を助け、共に戦いたいという思いで王青蘭は、武術の鍛錬に励んでいた。
十一歳の時、成長した兄の王敬が、鄴都を訪れた。青蘭は母の反対を押し切り、兄王敬の後を追って父の支配する長沙に渡った。
かつて隆盛を極めた建康は、侯景の乱のために焼き払われ廃墟と化してしまっていた。生まれ故郷の変わり果てた姿に青蘭は、衝撃を受けた。
その中で梁王朝の再興を願う人々の希望となったのが、王琳の臣従する簫繹であった。元帝として江陵で即位した簫繹の軍団の中で最も信頼を集めていたのが、王琳であった。
父王琳は、いつの間にか梁の重臣になっていたのである。
青蘭は、文選の書冊を綴じると朱塗りの櫃にしまった。
『父上の力になろうと思って黄河を、そして淮水を渡ってきたのだ。婚姻のために来たのではない』
青蘭は冷たくなった陳皮茶を一気に飲むと、溜息をついた。
顔も知らない男子に嫁ぎ、それを運命として受け入れ、夫を天として生活する。それが、南朝の女子としての道なのだ。
儒教の教えが浸透している南朝では、後漢の曹大家の記した『女戒』を女人の理想の姿としていた。
女人は、社交の場所に姿さえ見せず、外出は、夫や父親の許可を得なければならない。そのような生活を想像すると、青蘭は無性に息苦しさを感じるのだ。
次の日、後梁の皇宮での父王琳への車騎将軍の叙任が行われた。青蘭は皇宮から戻った父王琳に呼ばれた。
★ 清河王との政略家婚 ★
青蘭は冠を付け、短めの長衣に袖の無い背子という男子の格好で父親の居所に現れた。男子の装いをすることにより、婚姻の意思がないことをそれとなく知らせたかったのである。
正殿に入ると、王琳は手簡(手紙)をしたためていた。青蘭は、礼をすると父の言葉を待った。王琳は、流麗な筆遣いで手簡を認めると料紙をたたんだ。
「青蘭、そなたに話がある。・・・そなたも、来年は十五だ。もう少し女子らしい装いをしたらどうだ」
王琳は、笑顔を見せた。
「このくらい短い方が、動き易いのです」
青蘭は、藍色の長衣の袖を振った。
「はっはっはっ、そうか」
王琳は、青蘭に卓の前に座るように促した。
「青蘭、南朝に来てから何年になる」
王琳は、茶を淹れると青蘭に勧めた。
「四年になります」
青蘭は、硬い表情で答えた。
「これから、陳霸先との戦いも激しくなる。これ以上そなたを帯同することは危険だ。・・・鄴都にもどったほうがいい。お前には、斉の皇族との婚姻を考えている」
「斉の皇族との婚姻?・・その婚姻は私のためですか?それとも政略のためですか?」
青蘭は、冷静な口調で問い返した。
「もちろん、お前の幸せのためだ。・・・娘の幸せを・・・願わぬ親がいると思うか」
青蘭は立ち上がると父親を、キッと見つめた。
「父上、その婚姻は本当に私の幸せのためですか?・・・もしや、斉からの支援を得るための取引ではありませんか。私を政略の道具に使おうとしているのではありませんか」
青蘭は、父への不信感を隠すことができなかった。
「何を言う。そなたの幸せのためにきまっているだろう」
図星を突かれて、王琳は怒りの表情を見せた。
「士大夫の婚姻は、親が決めるものだ」
王琳は手で拳を作った。
「父上、私は世の女子のように、顔も知らぬ男に嫁ぎたくないのです」
「そなたの強情さは分かっておる。だから、顔合わせ・・・」
聞きたくない。青蘭は、拱手すると父の言葉を待たずに正殿を出た。知らず知らずのうちに、瞳には涙が溢れた。
★ 出奔の決意 ★
父上は、私のためと言いながら、斉の皇族との婚姻を、援軍を引き出す材料として使おうとしている。父親に裏切られた悲しさで、青蘭は居所に戻ると榻に体を投げ出した。
晴児が夕餉を運んできたので、青蘭は涙を拭った。
「晴児、おまえは婚姻したい人はいる?」
卓子に料理を整えていた晴児は、いきなりの青蘭の質問に照れたように笑った。
「お嬢様、何ですかいきなり。・・・女子は いずれは嫁ぐものでございましょう。ですから、いつか良い人が現れたら婚姻するつもりです」
陳晴児は、元々は建康の薬種問屋の娘であった。南朝の厳しい教育を受けてきたのだ。
「もし、見知らぬ男子にいきなり嫁げと言われたら?」
庶民は、親類など身近な者から両親が本人の意向を聞いて許婚を決めるのが普通である。
「それは、・・・でも、家で決められたらその方に嫁ぐのが女人としての道では?もっとも、私には父も母も居りませんが」
青蘭は、整えられた食膳を前にしても食欲が湧いてこなかった。
「私はいや。まるで物のように、見知らぬ相手の元に遣わされて、一生閉じ込められた中で暮らすのなんて」
「お嬢様、身分のある家では家長が決めた方に嫁ぐのが決まりでございましょう」
青蘭は気色ばんで晴児を睨んだ。
「士大夫の娘は、物と同じだと?」
「旦那様は、お嬢様を大切にされています。きっと、良い方を選んでくださいます。さあ、夕餉をお召し上がりください」
晴児は、箸を寄せると青蘭に膳を勧めた。
「父上が考えるのは、私の幸せではなく斉からの援軍だわ」
青蘭は、拳で卓子を叩いた。その日の夕餉は箸がなかなか進まなかった。
男装をした王青蘭と趙晴児は、早朝に江陵の城門を出て一路、黄河の北にある鄴都を目指して馬を走らせた。