腕 03
23
「恐れるな! 昨日の戦いを思い出せ!」
卒長の声が響いた。激励を受け、全員が足元の弩も拾う。昨日思うように使えなかった者も、迷うことなく弩を手に取った。
「構えよ!」
令と同時に、弩が欄干の隙間から頭を出す。
立ち上がる土煙の下。数千の敵兵の先頭が、壁に取り付こうとしている。幾十もの梯子も見え、今にも壁にかけられそうだった。
息を飲む音。幾つも、左右で鳴る。
「撃ったら、弩を離せ。よいな」
卒長の声が、わずかに震えていた。挙げた手の先もまた、震えている。
直後、縦に地面が揺れた。
壁の外から、がらりがらりと木と金属を打ち付け合う音が聞こえる。
「放て、放てえ!!」
挙げられていた卒長の手が、勢いよく前に倒れた。
高まった緊張を食い破るように、百矢が城壁の上から放たれる。狙わずとも中ると言わんばかりに、そのすべてが壁下に殺到する兵を貫いていった。
「やあ。中ったぞ」
「令を忘れたか。弩を置け、置け。下がれ、下がれ」
「来るぞ、来るぞ」
ここそこに声が上がる。全員が弩を置くと、壁の下から数え尽くせないほどの鉤縄が飛び上がってきた。それは昨日よりも明らかに数が多かった。先端に付いた鉤が、殺意を込めて鈍く光っている。
壁の上の兵は、一斉に鉤を避けはじめた。
今日も自らの上を飛ぶ鉤を見て、逃げる方向を見定める。とそこへ、鉤縄とは別の細長い影が、素早く横切った。
「ハツか」
シカの声が裏返る。彼の上にもまた鉤縄が飛んできていたが、それらはすべてハツの長戈が絡め取っていた。
「へし折れるぞ」
「その前に縄を斬る。手を貸せ」
「よしきた」
十数の鉤縄を絡め取った長戈が下りてくると、シカがすべての縄を断ち斬っていく。
その様子を見ていた周囲の兵も、良いやり方だと思ったのか。次々に長柄の武器を掲げ、鉤縄を払いのけていった。しかし幾人かは上手くいかず、武器を落としたり、折られたりした。
手の空いた者が、再び欄干の隙間から外を覗く。同時に弩を構え、次の矢を放った。それらも悉くが敵兵を貫く。しかし当然殺到してくる敵の勢いは弱まらない。矢を受けた兵を踏み砕き、壁に取り付いていく。ついには幾十の梯子が掲げられ、次々に壁へかけられた。
「梯子がかかったぞー!」
「叫ばんでも分かる」
「油ー! 持ってこい! こぼすなよ!」
「分かっとる、分かっとる。叫ぶな」
怒声に似た叫びに、淡々と返す声。それらはひとつふたつではない。死を前にすると、突然静かになる者がいるのだ。不気味なものであるが、その静けさが高まりすぎた興奮を抑えてくれもする。
「テイ。そこの大釜の油をすくってきてくれ」
シカの声が静かに通った。
「壁の外にかけるのですか?」
「というより、梯子だ。梯子を燃やせば、上がってはこれん」
「急ぎます」
「急がんでもいい。煮えているからな。火傷をしても今すぐ手当はできんぞ」
シカの言葉に、テイの背がびくりと震える。キョウは手伝おうと思ったが、未だに飛び交う鉤縄の対処を、疎かにするわけにはいかなかった。周囲の伍が、ハツのように上手く鉤縄を絡め取れていない。このまま周りが瓦解すれば、キョウたちの伍も危うくなる。
「シカ!」
キョウはシカを見て、剣を小さく振った。
「行け、キョウ。だがすぐ戻れ」
「分かっている」
キョウはうなずき、隣の伍へ飛んだ。すぐさま、飛び込んできている十数の鉤縄を斬り落とす。勢いを落とすことなく、さらに隣の伍へ。油を運ぶ者の邪魔にならないよう隙間を縫いながら、鉤縄に手間取る兵を助けに回った。
「すまん、助かる」
「明日は我が身よ。その時は助けてくれよ」
「はっは。生きていればな」
歪んだ笑い声を背にして、キョウはシカの元へ駆け戻る。見ると、テイが運んできた油が、今にも壁の外へ落されるところであった。




