ほんぺん
やあやあ、何とか寝る前に書き終えたよ。
誰かに抱き上げられているような気がする……。全身が包まれているかのような安心感に、微睡みながら意識が覚醒する。
「テケリリ!(なんて可愛い子なんだ!)」
「テケリリ(本当ね、あなた)」
……邪悪な声が聞こえる。
「テケリリ?(この子の名前は考えてくれた?)」
「テケリリ(もちろんだとも)」
自分の体が誰かから誰かに渡され、高く持ち上げられる。
「テケリリ、てけりり!(この子の名前はてけりりだ!)」
「てけりり、テケリリ!(てけりり、ステキな名前ね!)」
……待って。
おそるおそる目をあけると、なぜか周囲360度全てが視界に入る。
眼下には2体の巨大な黒灰色の粘体が存在した。その表面は油で塗れたように周囲の光を玉虫色に反射している。粘体には数十の眼球があり、その全てがこちらを見つめていた。その粘体の1つが触手を出し、自分の体を持ち上げているようだった。
驚きのあまり、目を大きく見開く。
「テケリリ!(まあ、もう目を開いてくれたわ!)」
「てけりり、テケリリ!(てけりりは元気な子だ!)」
「テケリリ……(それにこの子の瞳、本当に綺麗な赤をしているわ……)」
いや、あの、うん。どこからどう見てもショゴスです。本当にありがとうございました。
クトゥルフネタのエロゲーとかラノベみたいに美少女ショゴスとかかと1%位は期待したけど、もちろんそんなことは無かった。
悲しみと恐ろしさから声をあげようとするも、この体は発声に適してないのかなかなか声が出ない。くしゃみが出そうで出ないようなもどかしさを覚えながら、やっと出た声は、
「てけー(オギャー)」
違う、そうじゃない。
それからしばらくたった。
自分が意識を得たとき、つまりは生まれたときだが、自分を抱きかかえていたのが母親で、名前は「テケリり」
自分を持ち上げていたのが父親で、名前は「テケりリ」
……聞き分けられるようになっている自分が辛い。
この体になってから時間感覚はあいまいだが、ずっと続く昼が五度と夜が五度過ぎた。
自分の体もどんどん大きくなっていった。人間サイズの物が周囲に無いのでよく判らないが、少なくとも前世の自分よりはずっと大きくなっていると思う。
体色は漆黒と言って良いほどの黒に、玉虫色の光沢。瞳は深紅で42個。転生間際にあの女児が言っていたとおり、その、なんだ、イケメンショゴスらしい。
周囲のメスショゴスがみんな体色や瞳の色、触手の形を褒めてくる。
「テケリリ!てけりり(おはよう!てけりり)」
「テケリリ、テけりリ(おはよう、テけりリ)」
隣の家の「テけりリ」だ。幼なじみということになるらしい。メスのショゴスで、体色は薄い灰色、瞳は緋色で37個あるらしい。
「てけりり、テケリリ!(てけりりは今日もステキね!)」
そう言いながら機嫌良さそうに触手を振りつつ、ずるずるとこちらに近づいてくる。
すっと細めの触手を1本差し出すと、自分の黒い触手にくるくると絡めてくる。
「テケリリ?(何やってたの?)」
触手をもう一本出して上を差す。二人で見上げればそこには遥か頭上へと聳えたつ崖がある。
「テケリリ(また登ってきたんだ)」
このショゴスたちの集落は、南極大陸の狂気山脈の谷間、崖の途中に位置している。
集落は崖に掘られた穴と、巨石を積み上げた建造物のある僅かな平地で出来ている。そこに数百の粘体状の生命体と、数十羽の白化したペンギンが住んでいるのだ。
自分はその崖を登り、山脈の雪原に向かうことを日課としていた。
「テケリリ(習慣だからね)」
「てけりり、テケリリ?(てけりり、崖の上には何があるの?)」
「テケリリ(雪しかないけどいいんだ。登ることが目的だからね)」
転生前、あのちゃちなスロットで、肉体的な能力は高いと書かれていたことを思い出す。
それを信じ、産まれてから日々、体を動かしていた。崖登りもその一環だ。
ショゴスはそもそも粘体だ。だが、その体をいかに素早く、力強く、正確に動かせるかには明らかに個人差があった。それはショゴスの内部に筋肉があるのか、魔力的なものなのか……。理論は分からないが、動いていれば鍛えられるものであることは分かっている。
別に筋トレがしたくてやっている訳ではない。ただこの集落に、自分が楽しめるような娯楽が一切無いだけだ。
「てけりり、テケリリ(てけりりはえらいなー。うちのお父さんなんて全然動かないもの)」
「テけりリ、テケリリ……(テけりリのお父さん封印されちゃってるから仕方ないんじゃないかな……)」
と言うと、自分は絡んでいた触手を離す。
「テケリリ(崖の上は何もない雪ばかりだけどさ、たまには良いものもある)」
「てけりり?(てけりり?)」
触手が離れて少し不安そうに揺れる瞳、その前で自分は口を生成して、中からごろりと石を取り出す。
それは雪原で拾った石鉄隕石、パラサイト隕石とも呼ばれるそれを光に掲げる。銀色の金属の編み目の中に、金に輝く石が閉じこめたような形のそれは、暗い谷間の集落においても、僅かな光を反射し煌めいていた。
「テケリリ……(すごい、綺麗な石……)」
触手を伸ばし、テけりリの体に隕石を強く押し付ける。半分まで埋まった隕石は、びっくりしたような仕草のテけりリの体表で輝いていた。
「テけりリ、テケリリ(テけりリ、お前にあげるよ)」
「テケリリ……(えっ……)」
「テケリリ(お前の38番目の瞳のようだ)」
テけりリは素早くこちらに近付くと、覆い被さるように自分にのしかかり、触手を何本も絡めてきた。
「テケリリ!てけりり!テケリリ!(嬉しい!てけりり!嬉しい!)」
あのあと、興奮するテけりリを引き離して自室に戻った。戻ると真っ白いペンギンがぺたぺたと近づいてくる。触手を彼の前で揺らすと、つられて首を振る。触手から高濃度のエネルギー液を垂らすと、彼は嬉しそうにそれを嚥下し、満足そうにくぇーとないた。
ふと思う。ひょっとすると、あの白い空間で女児に言った転生チート、いくつも叶えてくれているのか。
健康な体、幼なじみ、ペット、生まれたときから転生前の思考力があり、そしてイケメンというには憚られるがメスにモテている。
あの時、人型種族に転生したいと言っていれば、幸せなチートライフを送れていたのか?
……いや、そんなことは無いか。
あの女児の美しい顔と、そこに浮かぶ鮫のような笑顔を思い出す。もうかなり昔の、ほんの一時の出会いだが、今も鮮明に思い浮かべる事が出来た。
あれは分かっていて愉しんでいる顔だ。邪神……かどうかはわからないが、愉快犯かトリックスターか。
ああ、人間の冒険者よ。
南極を踏破し、この狂気山脈から自分らを追いやってくれ。
或いは人間の魔術師よ。
その冒涜的な秘術で自分をここから呼び出してくれ。
……これ以上、自分があのおぞましき少女を愛しく思う前に。
頼む。
早く。
テケリリ(読んでくれてありがとう)