エピローグ
「お嬢さん、一生のお願いです」
その日、いきなりフィンに頭を下げられた。
私とノアは顔を見合わせる。
「どうしたの?工房で問題が?」
少し不穏な想像をしてしまい、慌てて聞いた。
「いいえ……。でも、俺、字に自信なくて……。でも、この万年筆をあげたい女の子がいて……」
フィンは身振り手振りで答えたが、要領を得ない。
でも、必死に伝えようとしている。
「待って待って。大丈夫だから、最初から説明してくれる?」
私の言葉に、フィンは深呼吸をして少しだけ落ち着いた声で話しだした。
「前に、あの子に飴の感想を聞きたいって言ったじゃないですか。だから、あの子にも使える万年筆を作りたくて。ようやく改良できたんです」
フィンが手元に持っていた万年筆を見せた。
普通のものよりも軸が細く、短い。
これは、最近売り出そうと計画していた子ども用の万年筆だ。
なるほど。
これが完成したから興奮していたのね。
「……ああ、もしかして」
そして、それを見て思い出した。
フィンが初めて、自分の仕事が『言葉を作っている』と自覚したきっかけ。
「あの、パン屋の女の子に渡したいの?」
「はい!」
フィンはコクコクと頷いた。
「普段はすぐに行動するのに。どうしたの?」
「……それは。受け取ってもらえなかったら……。それに、あの子が字を書けるかも分からないし。俺も、教えられるほど字に自信がなくて……」
ぎこちない返事だった。
――声が出せない女の子が、さらに文字まで書けないのを心配しているのかしら。
「不安なの?その万年筆、凄く良い出来じゃない。大丈夫。それに、私の補佐官はとても綺麗な字よ。ついでにあなたも習い直したら?」
茶化してから、少しだけ真面目に言ってみる。
「きっと無駄にならない。ここに、無駄なものなんて一つもないのよ」
◇◇◇
フィンは少し照れくさそうに、万年筆を差し出した。
女の子は戸惑いながら、それを両手で受け取る。
ノアが静かに紙を置き、椅子を引いた。
「まずは、この線からです」
女の子の手が震えながら、紙の上をなぞる。
ぎこちない線だったが、確かに『文字』だった。
フィンは息を呑んで、それを見つめている。
私は少し離れた場所で、その光景を眺めていた。
――これでいい。
私たちは、これを守りたかったんだわ。
ねぇ、ノア。
私たちの夢はまだまだ続くけれど、今は喜んでもいいわよね。
誰かの声が、また一つ、世界に生まれたのだから。
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