第四十七話 監獄にて
「二台の馬車が用意できました」
ヘンリーの部屋にヒルが呼びに来てくれた。
誰にも気づかれないように宿舎の敷地外に出る。
星空の中、ヒルが馬車を外壁のそばに一台ずつ曳いて来た。行き先に選んだのは今朝までいたユーチスバ監獄。中に入ってしまえば、一週間慣れ親しんだ場所、中の人には不審がられない上、宿泊用の部屋もある。門から入るのは記録に残るので避け、北側のネコ用モグラ口を少し拡張して入る予定だ。こうして監獄内に入れば、何かあっても見つけ出すのは容易ではないはず。
「御者は、一台はヒル、もう一台は俺が務める」
スミスの言葉にヘンリーが疑問の顔を向ける。
「みんなを監獄に運んだ後、ヒルと空の二台の馬車でクーツ家へ向かう。警ら総監に事情を説明して来ようと思う」
味方を増やしてくれるのはありがたい。それに空の馬車の戻しもクーツ家の使用人が対応してくれるだろう。しかしスミスはクーツ家にアナベル嬢の同級生という関係以外の伝手があるのだろうか。そんな表情が顔に出たのか、
「俺の妻はクーツ家の出だ」
と言われた。
「辣腕家令のお嬢様ですから」
「ヒル、余計だ」
納得できる太いパイプが存在した。ヘンリーの実家の子爵家には当主の懐刀として執事しかいなかったが、クーツ家ともなると事業を多角的に展開している上で、家の内と外を分け、全てを統べる家令は不可欠。その方が岳父なら、こちらは大船に乗った気分でいられるというものだ。
二台の馬車に分乗して監獄を目指した。
到着すると、予定通りスミスとヒルはクーツ家へ向かい、ヘンリーたちは門からではなく拡張したモグラ口から塀の中へ入った。監獄内の今まで利用していた寝泊まり用の部屋へ向かう。スミスは明日の朝八時に部屋まで来ることになっている。何人かの夜間勤務者にすれ違い目礼を交わす。
「こんばんは。あれっ、いつまででしたっけ?」
顔見知りの看守に出会った。
「今日で最後です。今までありがとうございました」
「いや、それはこちらの方です。本当にありがとうございました」
「それでは、またご縁がありましたら」
「まあ、こことは縁がない方がいいですがね」
「まったく」
そんな世間話をしながら部屋に行き着いた。
ヘンリーはみんなを見回しながら口を開く。
「今晩はとにかくゆっくり休もう。明日のために英気を養うんだ」
みんなの顔に疲労の色が窺える。それはそうだ。朝から誘拐人質交換対応、国王との謁見にルイーズ王女騒動と神経を使いまくったことだろう。
「明日は早めに食事を取ってスミス中佐を待とう」
「わかりました」
みんながベッドに向かおうとした時だった。
「すみませーん」
焦ったように女性が叫んでいる。この声は、初回の監獄での打ち合わせで書記をしダスマンの過去を教えてくれた第十警ら隊のフリーゼだ。振り返ると思った通りの女性が駆けて来た。はあはあと、息が上がっているのは急いで来たせいだろうが、何がフリーゼを慌てさせているのだ?
「お久しぶりです」
ヘンリーは通り一遍の挨拶をする。
「今日まではいると聞きました」
先ほど会った看守に聞いたようだ。
「まあ寝るだけだけどね」
「お願いがあります」
必死な面持ちを見せる。嫌な予感しかしない。
「ダスマンのいた独房の隣にダスマンのような大物ではないのですが、厄介な人物が今日収監されました」
「それで」
ヘンリーは素っ気なく答えた。
「強力な魔術師なのです。基本四魔法と銅の魔法の有資格者だと報告がきています」
独房は防御服と同じように基本魔法を無効にする仕様だが、希少魔法はその限りではない。
「手足に拘束具をつけてあり、独房のそばに武道が得意な警ら隊員を配していますが、魔術師の手配ができなくて、心許ないのです」
今日はダスマンとルイーズ王女の対応で皆出払ったと思われるが、それをこちらに言われても困る。それにここは堅牢と聞いている。
「この監獄は、過去一度も脱獄されたことがないのだろう」
つれない態度を崩したくない。
「初めてになる可能性があります」
潤んだ瞳をするが、ほだされはしない。
「今晩だけでも、警戒して頂けませんでしょうか」
部下を含めて全員が疲れているのだ、係わりたくない。
「どんな奴なんだ」
おいボビー、お前は女性に弱いのか。
「はい、学院研究科卒の二十四歳の男性でマシューと言います」
フリーゼが嬉々として答えた。
「あいつか」
エズラの知っている人物のようだ。
「ご存じですか」
「学院の同級生だった」
「私も知っています。たしか最上級生の時、個人総合競技会の優勝者ですよね。平民チャンピョンと有名でしたよ」
フィンも学年は下になるが学院出だ。
「研究科まで出ているなら順調にいっていたのではないのか」
エズラが問う。
「経緯までは知りませんが、そのマシューが貴族様を殺害した罪で投獄されたのです。多分裁判でも死刑になると思います」
平民が貴族に手を出したとなると、大罪になる。
「そうか、どうせ死ぬなら、脱獄を企てても不思議ではないな」
しまった、考えたことが思わず口から出てしまった、とヘンリーが悔いても遅い。
「そうなのです。明日の朝八時まで何とかお願いします」
みんなの顔を見ると、仕方がないですねえという表情だ。
「それは無理だな、七時までだ」
八時にはスミスがやって来る。一時間は余裕をみたい。
「それで構いません」
――はあ、また厄介ごとか。女性が絡むとろくなことはない。
九名が独房に向かい、手枷、足枷された状態のマシューの顔を拝んだ。
今日収監されたばかりのせいか囚人服に汚れはなく、肉体的にも傷んだ様子は見られないが、目は虚ろ、覇気も感じられない。精神的にまいっているようだ。
エズラが「俺が誰だか分るか?」と訊くが全く反応はない。
後ろでフリーゼが同僚の警ら隊員と話す声が聞こえてくる。
「俺たちは朝の七時にここに戻ればいいのだな」
ヘンリーたちが臨時で警戒してくれることになったからだろう、隊員たちのほっとした安心感が窺える。独房前で長時間任務にあたり気力が衰えているのが見えた。彼らの役には立てるようだ。
「ええ、それまでは休んでください」
「了解した」
その後、二交代で対応することに決めた。最初はスミスの部下のウォーカーとベーカーの二人とボビー、カレブ、フィンの五人で二時まで、それから七時まではヘンリーとアレックス、エズラ、オーリーの四人で独房のそばで警戒する。
早番組がそのまま警戒にあたり、遅番組の四人が寝る部屋に戻ってきた。
ベッドメイクをし終えると、エズラから「マシューには小さな恩があります」と切り出された。
三人はエズラのそばの空きベッドに腰掛け聞く態勢を取った。
「学院の二年生の時でした。私は担任の先生と大喧嘩をしたのです。今でもはっきりと覚えています。秋分の日が終わってすぐの九月二十五日でした。先生が『秋分は昼と夜の長さが同じになる。六月の夏至は昼が一番長く、十二月の冬至は昼が一番短い。つまり冬至は朝日が昇るのが一年で一番遅く、沈むのが一番早い』と」
ヘンリーはこの時点で先生が誤っているのに気づいた。日の入り、暗くなるのが一年で一番早いときのことを『冬至十日前』、そして日の出が一年で一番遅いときを『新年十日後』と言うのを知らなかったのだろう。正確には十日ではなく多少のずれはあるが、一般の人は厳密に知らなくても生活に支障はない。同様、夏至と日の入りとの関係は、暗くなるのが最も遅いのは夏至の一週間ほど後になり、日の出は一週間ほど前が最も早くなる。
「私は先生に『それは違います。ここ王都では日没が最も早いのは十二月上旬、日の出が遅いのは一月になってからです』と指摘したのです」
先生のプライドを傷つけたのは容易に想像できる。
「先生は『何言っているんだ』と顔を真っ赤にして私を怒りました。私は書籍を読んで知っていましたから『先生が間違っています』と譲りませんでした。『冬至十日経てば阿呆でも知るって言葉がある。それはどんなに馬鹿でも冬至を十日も過ぎればめっきり日が長くなるのが分かるという意味だ。お前はその馬鹿だ』『その諺は間違いではないですが厳密に言うなら冬至十日前から日一日と日が延びて、と前段があってしかるべきです』と反論しました。先生はつかつかと私の前に来ると持っていたホイッスルの紐で私の体を叩き、そして憎々し気な表情で『教室から出て行け』と言ったのです。私は家に帰りました。翌日から学院へ行かなくなり、一週間後に学年主任が来ました。両親と三人で会いました。学年主任は、『担任は私が間違ったことを言ったので正したと話している』と言うので私は正確にやり取りを再現しました。両親は私の記憶力を知っているので正しいのは私と信じてくれましたが、学年主任は違いました。日の出、日の入りの時刻の下りはまったく学年主任は触れず、春分、秋分、夏至、冬至だけで、話は平行線、物別れにしかなりません。それからです、学院へ行くのが億劫になり、足が遠のきました。試験の時だけ通い、学院は後ろめたかったのか卒業証書だけはくれましたがね」
エズラの直観像記憶能力なら自宅学習だけでペーパー試験は満点に近いだろう。
「魔法は自己流とならざるを得ませんでした。あまりにも私は幼過ぎたようです」
エズラは落ちこぼれたのではない、優秀過ぎるがゆえに浮きこぼれたのだ。本来なら、研究科に進み高級官僚の道もあったはず。周りに支援してくれる、そうヘンリーの兄たちのような人がいなかったのだろう。
「あの後、マシューがクラスを代表するかのように訪ねてきました。『君が正しかったことは調べたら分かった。でも僕は平民だ。君をかばえない』と謝ってくれました。マシューだけです。来てくれたのは。貴族であろうと平民であろうと誰もが彼を認めていました。頭もよく統率力がありましたからね、マシューには」
誰も口をはさまない。
「私は自棄になり、兵士になりました。最初は学院時代と変わらずやる気が起きず、言われたことだけをやっている、いつ敵に殺られて死んでもしかたがない、そんな思いを抱き続けていたのです」
エズラにそんな過去があったとは。
「……でも、今はちがいます」
そう言って、エズラは屈託のない笑みをみせた。その表情からは辛い時期を乗り越えたように感じられた。
そして首を傾げながら続ける。
「私と違いマシューは当時、魔力が高く誰もが認めるほど才気走っていたのにどうして投獄される羽目に陥ったのか、不思議です。先ほどの呼び掛けにも無反応ですから。彼が家に来てくれた時は嬉しかったので、その恩を出来たら返せればよいのですが」
「それは無理かもしれん。時間が無さ過ぎる」
ヘンリーは現実的な回答をするしかない。
「そうですね。……あきらめます」
四人はベッドに潜り込んだ。ヘンリーはあっという間に眠りについた。
深夜二時、早番組と交代する。
約束の朝七時まで、マシューの警戒は何事もなく終わった。昨晩の警ら隊員が疲労の取れた顔つきでやってきた。新しい顔ぶれが一人加わっているが、魔術師なのだろう、武道派の体格ではない。
独房に問題がないことを確認しようと解錠しドアを開けた。明かりが中に差し込む。
俯いていたマシューが顔を上げると、その目に一瞬生気が灯った気がしたが、すぐに項垂れた。単に明かりに反応しただけのようだ。
「異状ないようですね」
警ら隊員の言葉にヘンリーたちはその場を去った。
「何もしてあげられない」
エズラがつぶやく。
マシューが殺人に至った理由は分からないが、相手が悪い。主要ポストを貴族が占める現状では、減刑は如何ともしがたく、時間があったとしても差し入れが精いっぱいかもしれん。エズラの小さな恩を返す機会は失われたようだ、とヘンリーは思った。その瞬間、あの目と一致する記憶が蘇ってきた。
マシューの生気の宿した目に覚えがある。学院時代の個人総合競技会の初戦で当たった奴の目だ。平民の下級生で優秀だと聞いて気合を入れすぎ、一瞬で風の魔法で吹き飛ばし、慌てて介抱に駆け寄り、活を入れて息を吹き返らせた相手だ。その後相当努力したのであろう、最上級生で優勝者となったくらいだ。ただマシューには明るい未来はない。有為な若者を失うのは忍びないとヘンリーは残念な気持ちになった。




