26.たのしいお茶会
「それはそう遠くない昔のお話、なんちって」
聞き慣れた声で、深く沈みこんでいた思考が浮上する。
菫のような紫の髪と瞳に、男とも女ともつかない中性的で繊細な容姿。
ぶかぶかの白衣で小柄な体躯を包んだその子は、振り向いた私ににっこりと天真爛漫な笑顔を浮かべて見せた。
「ケイト、ひっさしぶりー!」
「シンク!」
およそ半年ぶりに会う幼馴染の姿に、ここ数日ほど鉛のように重かった身体がふわ、と軽くなった心地がした。
身を預けていたソファから立ち上がり、ぱたぱたと駆け寄ってきたシンクをしっかり抱きとめる。
お互いの身体がぴったりくっつくようにぎゅうぎゅうと抱きしめれば、服越しに伝わってくるぬくもりに安堵の息が漏れた。
「会いたかった」
「ぼくも! ……でも、できれば長期休暇でケイトたちが帰ってきてる時とか、ぼくが学院に編入したタイミングとかに会いたかったなぁ」
ぷくっと頬を膨らませるシンクに自然と眉尻が下がる。
「私も、そっちの方が良かったな」
婚約者殿に頬を引っぱたかれたその日、私は養父と共に皇都のソレール家別邸へと戻った。
理由は簡単。
例の婚約破棄騒動から日を置かず、私が暴力沙汰の被害者になったからだ。
当日の動きとしては『心身ともに傷ついた義娘を静かな場所で療養させるため』という名目で養父が手続きをし、保健室で手当てを受けた私を引き取りに来たかたちである。
何故養父の動きが早かったかといえば、早馬で騒動について知った養父が領地から皇都に出て来ていたから。
ただでさえ浮気をして正式な手続きも踏まずに婚約破棄だなんだと騒ぎ立てていたのに、あまつさえうちの義娘に手を上げるとは何事だ──と、養父は怒髪天を衝く勢いだ。
いくら事前に私の婚約者が浮気をしているとの情報を得ていても、こうも騒ぎが続けば私の養父として看過できないらしい。
なんというか、血も繋がっていないのに実の娘のように扱ってもらえるのはありがたいことだと思う。
かくして別邸にやってきたのだが、そこで私が何をしているかと問われると、何もしていないというのが正直なところだった。
あの日からどうにも施設にいた頃を思い出して仕方ない。
そんな状態なので、ついつい上の空というか、ぼんやりとすることが多く、気付いたら一日が終わっている。
頬の腫れはほとんど引いたにもかかわらず、今なお別邸に留まっているのはそれが理由だ。
けれど、養父も学院側も今はゆっくり休めと言うので、これ幸いと甘えてかれこれ五日ほど怠惰を貪っている。
「にしてもシンク、よくわかったね」
「ケイトがあの頃を思い出してるってこと?」
「そう」
「ふふん、そりゃあぼくだからね! ケイトのことはなんだってお見通しだよ!」
えへんと得意げに胸を張るシンクに、それもそうだね、と頷いた。
なんたってシンクはとびきり頭がいい。
そう思うだけの根拠がどこかにあり、シンクはきちんとそれを見つけたということなのだろう。
流石はシンク、目端が利く。
「おじさんが言う通りだね」
じぃっと私の顔を見つめ、不意に幼馴染がポツリと呟いた。
「養父様?」
「うん。ケイトの元気がないみたいって言ってたんだ。つい気になって、ぼくもケイトに会いに来たんだけど……」
「……そんなに元気ない?」
「うん。ぜーんぜん!」
「そっか」
自覚はないが、シンクが断言するならそうなのだろう。
原因があるとするなら、やはり、最近やたらと主張の激しい記憶のせいだと思う。
それ以外の理由があるなんて、とてもじゃないけど思えないし。
「だからね、ケイト。ぼくといーっぱい、ぎゅーってしよ! 本当はサイスと三人でやる方が元気になれると思うけど、サイスのヤツ絶対に照れて嫌がるからさ。その代わり、ぼくがしっかりケイトに元気を充電してあげるからね!」
「……ありがと、シンク」
シンクの優しさと屈託のない笑顔で、胸のあたりがぽかぽかとあたたかくなる。
ここは素直に甘えさせてもらうことにしよう。
その代わりに、私がシンクにしてあげられることといえば……。
「お茶の準備、お願いしてくるよ」
「本当!? やったー!」
別邸の使用人に声をかけると、あれよあれよと準備が進んでいつものティータイムが用意された。
ミルクと砂糖をたっぷり入れた紅茶に、バターが香るさくさくほろほろのクッキー、旬の苺をふんだんに使ったカスタードクリームのタルト、生クリームをトッピングしたふわふわムースほかエトセトラエトセトラ……。
二人分にはいささか多すぎるお菓子が所狭しとテーブルに広がっている。
とはいえ、私は甘いお菓子が好きだし、シンクに至ってはお菓子に限らずびっくりするぐらいよく食べるから、これでもちょっと足りないかもしれない。
(それにしても、突然なのによくここまで用意できたな)
……もしかすると、いつシンクが来てもいいように養父が使用人に頼んでいたとか?
あるいは、シンクに私のことを伝えた時、養父とシンクとで別邸に来る日を決めておいたとか。
そうでもなければ、こんなに準備がいいはずないよなと思う。
学院でのあれこれで既に養父には迷惑ばかりかけているのに、重ねて迷惑をかけてしまったようで心底申し訳ない。
夕食の時にでも、改めてきちんと謝ってお礼も言わないと。




