再会
『再活動準備ガ完了シマシタ。システムヲ解除シマス』
コクーン上蓋の中央辺りで縦に細い光の筋が走り、ゆっくりと左右に開かれていく。
船内の照明はコクーン内より明るいものの、眩しいという程ではない。
「ぅう……ん」
上肢の諸間接を慎重に動かして、それから首回りを緩く捻る。コキ、という微かな骨の軋みが聞こえるも痛みはない。
引き続き慎重に、上体を起こす。地球上の1/6の重力に過ぎないが、血流がザワザワと動き出し、思わず身震いした。
「……やっぱ、伸びるんだ」
両手の爪が、指の第1間接の半分くらいの長さ、少なくとも1.5cmは伸びている。コクーン内では最低限度の代謝しか起こらないよう設定されているが、それでも人体の変化は完全には抑制できない。爪や体毛は伸びるし、細胞も生まれ変わっている。
『ムナカタ中尉、再活動後5分経過シマシタ。アト25分以内ニ濃縮栄養液ヲ摂取シテクダサイ』
「あー、はいはい」
コクーンに搭載されている医療システムの注意喚起に答えて、再び伸びをした。
足首や膝、下肢間接も順に動かしてから立ち上がり、漸くコクーン外に出た。
専用スーツを着ただけの足の裏に、硬い床の感触と冷たい温度感覚が伝わる。加えて、体重60kgの1/6、10kg分の僕自身の重みも。
『10分経過シマシタ。アト20分以内ニ濃縮栄養液ヲ摂取シテクダサイ』
「もぅ、分かってるってば」
医療システムが執拗に繰り返すのは、生命維持のためだから、仕方ない。再活動で、身体は急激にエネルギーを消費する。早急に補わなければ、低血糖による昏睡状態に陥り、最悪落命もあり得るのだ。
コクーン外に取り付けられた補給庫から濃縮栄養液の銀色のパックを取り出すと、吸い口を捻って直ぐにくわえた。
ほのかに甘いゲル状のゼリーが喉に流れ込む。トロリと温く、決して美味しいものじゃない。
エナジーパックを2つ取り込んで、室内のソファーに身を預ける。低反発素材の黄色いソファーは、重みを受けて、僕の身体のライン通りにジワリと凹んだ。
マニュアルでは、コクーンを出てから3時間は、安静が求められる。脳を含め、ヒトの造りは繊細だ。動き出すには、たっぷりアイドリングが必要なのだ。
ブゥ……ン、という耳鳴りに似た機械音が、規則的に聞こえる。
船はまだ、超光速自動運転中なのである。
コクーンを備えたこの部屋は、船内で唯一、僕のプライベートな空間だ。
ソファーの後ろには、しっかり備え付けられたテーブルがあり、タッチパネルの操作ボードが付いている。テーブルからやや離れた壁際には、休眠用のベッドがある。ベッドの反対側の壁際にコクーン設備があり、ソファーの正面にドアが見える。あの向こうは、司令室と倉庫を結ぶ船内の通路に繋がっている。
「……みんなも、起きたかなぁ」
テーブルのタッチパネルに手を伸ばす。覚醒したら、1時間以内に生体データを登録しなければならない。スタートボタンに触れて、テーブル上に両手を乗せると、ブルーライトが一定速度で上下左右に移動する。血圧や脈拍といったバイタルサインがスキャンされ、自動入力された。
続けてパネルを操作してみたが、他の乗員達のデータはない。まだ覚醒した人はいないらしい。
地球時間に合わせた船内時間を見ると、今は早朝3時15分。この時刻に覚醒したことがマニュアル通りだったのか――よく思い出せない。
「まだ、寝惚けてるのかな」
呟きながら、タッチパネルを切り替え、日誌を残す。ミッション中は、公私に渡り記録を残さなくてはならない。それが、今後本格的に移住を始めるに当たり、貴重な資料になるからだ。
「あと2時間半か……」
生命維持マニュアルが定めているのだから仕方がないが、ただジッと時間が過ぎ行くのを待つのは、ひたすら退屈だ。
『退屈は最高の拷問だ』と言ったのは誰だったか。まだ苦痛とまでは言わないが、不調でもないのに無為に時間を貪るのは、精神が落ち着かない――。
『リンは、昔っから変わらないわね』
ノア乗員の最終候補者が集められた施設で、思いがけない人物と再会を果たした。
水越・エマ・宙美――エマは、初等部時代の同級生だ。同じMから始まる名字のお陰で、出席順が並んでいたこともあり、あの頃は無邪気に友達だった。
父親の仕事の転勤で、彼女の一家がアメリカに移ったのは、12歳の時だ。
あれ以来、10年振りに再会した彼女は、幼なじみだった頃の面影を微かに残した笑顔で、屈託なく抱き付いてきた。戸惑う僕の心に、甘い違和感をもたらした。
『何だよ、僕が子どもっぽいって言いたいんだろ?』
『やぁね。そう膨れないでよぉ』
エマは、白に近いクリーム色のショートヘアを揺らしながら、隣で呆れたように笑う。
『膨れてないよっ』
答える側から、皺を刻んでいた眉間を自覚して、慌てて表情を正す。
『リンってば、他の科目はトップなのに、耐久性訓練だけは赤点ギリギリだもんねぇ』
スパゲッティを器用にフォークで巻き取ると、美味そうに瞳を細める。ハムスターみたいな大きな瞳が、ふにゃっと笑む彼女の表情にドキリと鼓動が跳ねる。
「耐久性訓練」とは、長期船内生活を想定した、行動抑制訓練のことだ。船室より狭い密室で、何もせずに過ごすだけの地味な訓練だが、閉鎖空間で目的なく過ごすというのは、精神的負荷が強い。
独り切りの孤独感は、まだ耐えられる。だが、ひと度、閉じ込められていることを意識した途端、腹の底から止めどなく不安が沸き上がる。
二度と扉が開かないのではないか。密室への酸素供給が途絶えるのではないか。訓練終了を忘れられるのではないか――。
様々な疑心暗鬼と、生本能が発する不快感。これを抑え込むのは、容易ではない。波立つ気持ちを静めようとすれば、反動のように苛立ちの衝動が現れる。
彼女の指摘通り、僕はこの訓練が苦手だ。
『……そーゆーエマは、まんべんなく合格点だろ? ユートーセーだもんな、昔っから』
『あら。リンでも皮肉なんて言えるのね?』
拗ねたようにキュッとつき出すアヒル口にも、動揺が走る。薄いピンクのルージュを注視しないよう、殊更視線を遠く――食堂の窓外に投げた。
『パスタソース、口の横に付いてるよ』
本当は、触れてみたい。よく動く、あの唇に。多分柔らかな、薄紅色の健康的な頬に。
そんな密かな想いを打ち明けるには、僕らは近過ぎた。だから、悟られないように僕は親友という名の体の良いポジションに収まったのだ。収まってみたものの、それが最近は息苦しい。
『えっ、やだ。どこ? 取れた?』
慌てて紙ナプキンで口周りを拭いている。そんな様子を無関心に一瞥し、ポトフのニンジンを頬張った。
『う・そー』
『もお! 馬鹿リンっ!』
右の肩甲骨辺りをバシッと叩く。痛覚とは違う痛みが、胸に刺さる。動揺をポトフのスープで流し込んだ。
『やぁ。相変わらず、仲いいね』
背後から声が降って来る。見上げる間に、トレイを持った男性が僕らの向かいに現れる。「ここ、いい?」と形だけ聞きながら、椅子の背を引いている。
エマが輝く笑顔で歓迎した。
『ホントに2人、付き合ってないの?』
パスタセットのサラダをつつきつつ、彼――リック・ジェームス・スチュワートは、面白そうに僕らを眺める。
『やめてくださいよー。リンは、た・だ・の、幼なじみですって!』
恥ずかし気に頬の赤みを濃くして、エマは首を振る。「ただの」を強調した彼女の返事に、僕は苦笑いだけを添えた。
『そう? だけど、こんな場所で再会するなんて、不思議な縁だね』
『腐れ縁ですよ』
『腐れ縁ですね』
苦笑いを更に苦くして答えると、重なったエマの言葉とシンクロし――思わず僕らは見つめ合ってしまった。
『ハハハハハッ! 分かった、分かった!』
スチュワートさんに、爆笑されてしまった。彼が笑い飛ばしてくれたことで、気まずさまでも吹き飛んだ。
そうこうする内に、エマはブロンド美人のクロエさんに呼ばれて、先に食堂を出て行った。