二人
中庭に続くガラスのドアを押すと、施設の建物に囲まれた四角い空は茜色に染まっていた。中央に鎮座する石造りの円形噴水を取り巻いて、数本の大木が枝を広げている。芝生を縫うように石畳の通路が蛇行し、所々低木の植え込みと木製のベンチが配されている。
人の手により完全管理された造園ではあるが、そんな緑でも無機質な施設内で過ごす人々に取っては癒しの空間だ。
夏の気配を感じさせる、まだ太陽の余韻を孕んだ夕風が吹き抜けた。
最終試験は、HVRの準備や実施後の時間を含めると、1人当り30分を要した。受験者は16名なので、試験に関わる技術者始め、スタッフ達の休憩を挟みながら、実に1日掛かりで行われたのである。
「……最終試験とはいえ、きっつかったなあ」
沈黙が気まずくて、僕は噴水近くのベンチの1つに腰を下ろした。
戸惑い顔のまま、けれどもエマは、同じベンチに少し離れて座った。
「怖かったわ。仮想空間での疑似体験とはいえ、あんなのは、もう嫌」
ミーティングルームで明かされた長官の話によると、HVRで見せられるストーリーは、受験者ごとに異なっており、ノアの同乗者の顔ぶれも異なっていたのだという。全員に共通したのは、ノアで他の乗員が全て亡くなることと、地球が滅び、独り残されたと知らされることの2点だそうだ。
つまり、それ以外は、僕達が元から持っていた記憶に起因した個々の体験――いわば睡眠中に見る夢と同じもの――だったのである。
「僕も、あんなのごめんだ。HVRシステムが、優れた発明とされながら、政府に厳重に管理されている理由が納得できたよ」
わざとらしく苦笑いしてみせたが、いつもは明るいエマが、俯いたままやや青ざめたように見えて、口をつぐんだ。途端、恐れていた沈黙が重くなっていく。
「――エマ? 大丈夫?」
気のせいじゃなく、顔色が悪い。透明感のある美しい肌が、何だか病的な白さに見える。
「リン……触れても、いい?」
「えっ。い、いいけど」
動揺丸出しで答えた僕だったが――尋ねてきた彼女自身も躊躇いながら、そろそろと僕の左手に触れてきた。触れると、消えてしまうのではないかと恐れているみたいに。
僕は、掌に乗った彼女の右手をギュッと握ってみた。あの、展望室に向かうエレベーターの中でのように。白い指先がピクンと震え、それからちょっとだけ握り返してくれた。
「エマ。研修旅行で上ったシンボルタワー、覚えてる?」
サワサワと揺れる梢越しの空は、一層鮮やかに色づいて、展望室で遭遇したダイナミックな夕映えを思い出す。あれから数えきれぬ程、夕暮れを見てきたが、あれほど美しい夕空に出会ったことはない。
「――ええ。もちろん」
僕の視線を追って、彼女は赤みを深くした上空に瞳を投げた。
「エマが『一緒に行こう』って引っ張ってくれたから、克服できたんだ。ずっと言いそびれていたけど、ありがとう。感謝してる」
寄り添う程近くはなく、けれども手と手が繋げるくらいの距離。僕達はそんな関係だった。あの11歳の時から、ずっと。
「感謝は、私も同じ。あの時――私、必死で……独りじゃ勇気がなくて……リンを巻き込んじゃったの」
眉頭を寄せたまま、小さく首を振る。俯きかけた顔を、僕は隣から覗き込んで瞳を合わせた。まるで不機嫌な幼子にするように。
「ねぇ、エマ。僕がここにいるのは、君のお陰なんだよ」
繋いだ掌が温かい。もう僕は、はっきりと自分の気持ちの正体を知っている。
「11年前のあの日、エマが僕に勇気をくれた。そして今日、あの時の記憶が――HVRの中の僕に、前に進む力をくれたんだ」
視界の端で、雨が降りだした。淡紫の瞳から溢れた、温かい滴だ。
「エマ」
「私、HVRの中で、あなたを見殺しにしてしまった。ノアで致死性のウィルス感染が広がって、リンと私……1人分だけ助かる薬があったのだけれど、あなたは、私に譲って――」
「きっと、現実でもそうするよ」
ぎこちなく動かす右手の指先で、表情を隠すように溢れる髪をよけ、濡れた頬に触れる。しっとりと、柔らかい。
「HVRが見せた幻だと分かっていたけど、思い知ったの。私、あなたを失いたくな――」
言い終わる前に、ぷっくり張りのある唇を親指で軽く押さえた。
「エマ。僕達、親友だったけど、もう――止めていい?」
濡れた瞳に僕が映る。繋いだままの掌を少し引き寄せると、外した親指の代わりに唇を重ねた。サッと、夕焼け色に染まった彼女が、小さく頷くのを確認してから――。
厳しいノア計画を遂行するためには、恋愛のような個人的な感情を持ち込んではいけないと思っていた。
でも僕は――僕達は、もう知っている。
仮にノアに深刻な事態が発生し、どちらか独りしかルシファーにたどり着けないとしたら――どちらが残っても、仕事を投げ出すことなどないことを。必ず、成し遂げるべく、立ち上がり前進できることを。
だから、大丈夫だ。
「……見て、リン。ルシファーだわ」
「えっ」
唇が離れた後、彼女は桃色の肌でフワリと恥ずかしげに微笑んだ。それから、僕の肩越しのあらぬ方角を指差した。
残照が薄れていく宵の始まり。咄嗟に振り返った空には、確かに明るい星が1つ輝いている。けど、あれは――。
「ルシファーって、金星の別名だろ? 金星の地平高度はもっと低いはずだから、ここからは見えないよ。あれは多分、木星……」
僕達の目的地と同じ名を、地球の隣星が持っている。夕暮れ時に見える金星を『宵の明星』、明け方に見える金星を『明けの明星』という。
真面目くさって答えていると、クスッと笑い声が漏れた。
「やぁね、分かってるわ。それに金星は、今の時期、明け方にしか見えないのよ?」
悪戯っぽく笑う彼女の手に、真白なハンカチが覗く。そうか――どうやら、顔を戻すタイミングが早かったらしい。彼女は涙を拭くために、僕の目を逸らしたかったんだ。冗談めかした軽口も、恥ずかしさを誤魔化すための苦肉の策に違いない。
……さっきの涙顔も可愛いかったんだけど。
妙な所で虚勢を張るのは、昔から変わっていないんだよなぁ。
口には出さずに、彼女の前髪をそっと左右に掻き分けて、額にキスを落とす。
「じゃあ……明日の朝、2人で一緒に『ルシファー』を見ようか?」
大きな赤い瞳を更に大きくしたエマは、再び真っ赤になっていた。
「馬鹿……急に大胆なんだから」
甘い響きを耳元に残し、僕の肩にコトリと頭を預けた。HVRで見た夢の中のように、左半身がじんわり温かくなる。エマと僕、2人の鼓動が重なっては離れ、また重なっていく。公転周期の異なる金星と地球の距離のように。
近い将来、コクーンの中で長い眠りに就いても、僕はきっと宙美の夢を見るだろう。
僕達はもう、独りじゃないんだ。
【了】
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
このお話は、「独り」というテーマに基づいて創りました。
大勢の中で孤立する「独り」
誰も存在しない「独り」
どちらを取り上げるか迷いましたが、後者の観点から「宇宙最後の地球人」を発想しました。
果てしない宇宙空間に、ただ1人――これは気が遠くなるような孤独じゃないかと思います。
さて、独りを際立たせる背景を宇宙としたことで、SFに挑戦する羽目になりました。
科学知識が乏しい私としては、真新しい技術を構築するのは難しいので、過去のSF作品から既知の技術を援用しました。
例えば、遠くの目的地まで移動する、超光速宙行や、行程の大半を過ごす冷凍睡眠システムという設定は、目新しいものではありません。
薄々(というかバレバレ?)気付いていた方もいらっしゃるかも知れませんが、ノアや乗員などのイメージは『スタートレック』です。
しかも最近の映画版よりは、ずっと昔のTVシリーズ版(俗に『TOS』と呼ばれるオリジナル・シリーズ)なんです。
主人公のリンが、USSエンタープライズ号の中の誰か、といわれると明確なモデルはいません(ポジションとしては『カトウ(スルー)』ですが、性格は違うなあ)。
スチュワート船長の性格や、ドクターとの関係性は、『カーク船長』と『ドクターマッコイ』を意識しています。
今回の『ノア計画』に止まらず、いつか彼らには宇宙探査のミッションに出掛けて欲しいものです。
最終試験というカラクリの中で、リン同様、最悪のシナリオに誘い、翻弄する展開になりました。
心地好く騙されていただければ、作者冥利に尽きます。
人類が、いつか宇宙に船出するならば――打つ手なしの形で地球を離れるのではなく、繁栄の延長で実現する未来に期待したいと思います。
あとがきまでお付き合いいただき、感謝です。
また次のお話でご縁がありましたら、よろしくお願いします。
2018.7.7.
砂たこ 拝




