弥生二十六日
触れたくて 触れられなくて もどかしい
ほんとはこんなに 嬉しいのにさ……
風に吹かれて、一枚の花弁が、僕の掌に落ちた。
桜。
まだほとんどが蕾のくせに、どうしてお前だけ、散ってしまったんだい?
周りより早く咲いて、周りが咲かないうちに、もう散ってしまうなんて、急ぎ過ぎじゃあないかい?
それに、そんなのって、悲しいだろう?
まるであの人みたいだ……。
いつも他の人を置き去りに、一人だけ進んで行ってしまう。
あの人はいつだって、僕の一歩先を歩いていて、追いついたと思ったら、もういなくなっていた。
けれどもう帰ってこないと諦めていた頃に、あの人は帰ってきたんだ。
他のだれでもない、僕のところに、帰ってきてくれたんだ。
この花弁のせいで、余計なことを想い出してしまったよ。
今日も僕の家で、僕の帰りを待ち伏せているであろう、あの馬鹿のこと。
そしてあの馬鹿を待っていた、哀しく寂しい日々のこと。
いっそいなくなったなら、そのままいなくなってくれたなら、もう諦めだって付いていたのに。
一度、戻ってきてしまうものだから、その先も信じてしまうじゃないか。
また近付いたら消えてしまうくせに、僕を悲しませるために、帰ってきたわけじゃあないんだろう?
あの人は僕が素直になって、帰りを喜ぶことを待っているのだろうけれど、僕がそうしてしまったら、またあの人はいなくなってしまう気がする。
僕から拒絶していれば、まだ僕の隣にいてくれる。
見上げた桜の蕾に微笑みを零し、掌の花弁に涙を零した。
「……馬鹿」
強くて儚いあの人を想って、花弁に唇を落とすと、風に乗って舞い上がってしまった。
僕のことを置いて行くんじゃなくて、馬鹿みたいに喜んでいる、ただそれだけに見えて嬉しかった。
お前はあの人の代わりに、僕の気持ちを受け止めてくれるんだね。
あぁ、ありがとうね。




