012:温泉地の魔法使い
「はー、極楽極楽」
浴槽のかたすみで手足を伸ばすと、おもわずババくさい感想が口をついて出た。いかんぞ、私。まだ三十にもならないのに。
しかし、ひと仕事終えたあとの風呂は格別である。その風呂が温泉で、私以外に客がいない大浴場とくればなおさらだ。
「師匠ー! お背中ながしましょおー!」
入口の戸をあけて、うるさいのが浴場に入ってきた。湯気のせいでこちらを見つけられないでいるその子に、私はためいきまじりの声をかける。
「もう自分で洗っちゃったわよ。あなたも早く入りなさい」
「はーい!」
ざあざあと体を流すと浴槽にどぶんと入り、真っ赤な湯をざぶざぶかきわけて私のところまで歩いてきた。一挙一動がじつににぎやかだ。
となりに体を落ち着けてさっきの私と同じように手足をのばす弟子を、私は横目で見る。私もまだまだ若いつもりだが、さすがに十代なかばの少女は肌のつやが違った。私は師匠としてこの子に勝てるところがあるのだろうかという疑問がよみがえってくる。いや、べつに肌の若さで勝とうとは思わないが。
「今日はご苦労さま。あれだけ魔法を使って、疲れたんじゃない?」
「あっ、いえ、あんなのぜんぜん大したことないですから! まだまだいけますよ! 師匠こそおつかれさまでした! すごかったです、あいつらの武器をぜんぶボロボロにしちゃったり、あの最後のでっかいやつにもとどめを刺したり!」
今日の仕事は、最近この村の近くの山中に移り住んできたゴブリンの討伐だった。村人が襲われる事件が起きているとかで、たまたま旅の途中で通りかかった私たちに退治してほしいという話がきたのである。
依頼を受けた私と弟子は二人でゴブリンの巣穴に突入して殲滅したのだが、その際の弟子の戦いぶりは私などとは次元が違った。そもそも魔法使いの才能には一流、二流、三流という生得の差があって、三流はものの形を変えるだけ、私のような二流はそれに加えて化学的な組成も変えることができるが、目の前の弟子は世の中に数少ない一流に属しており、何もないところから物質やらエネルギーやらを出現させることができるのだ。
今日も、空中から火の玉を撃ちだしてゴブリンどもを片っぱしから焼き殺してゆく弟子のおかげで、私の出番はほとんどなかった。連中の剣だの斧だのを錆びさせて弟子の援護をしたものの、はたしてその必要があったかは疑わしい。あとは、親玉らしき巨体のゴブリンがさすがにしぶとく、火の玉を数発くらっても倒れずに向かってきたので、足元の岩盤を槍の形に変えて仕留めたぐらいか。
「あんなの大したことないわ。あなたにもできるわよ」
「それは、やれと言われればできますけど、あの場でとっさに思いつくのは無理ですよー」
やれと言われればできるのか。私が魔法の技を身につけるのには、気が遠くなるほどの修業をしなければならなかったというのに。こちらの内心の葛藤など知りもせず、弟子は両手で湯をすくってしげしげと眺めたりしている。
「それにしても、ここのお湯はすごいですねー。なんでこんな真っ赤なんでしょう?」
「それはお湯のなかに鉄が溶けてて……」
答えかけて、私は口をつぐんだ。浴場の入口の戸がひらく音がしたのだ。なにげなく振り返った私は、あわてて肩まで湯のなかに沈みなおす。湯気のむこうから姿を現したのは、端整な顔立ちの若い男だったのだ。といっても、男湯と女湯をまちがえた入浴客ではない。なんとなればこの男、上下しっかりと服を着て、土足で、おまけにつばの広い帽子までかぶっている。なんだこいつ。あっけにとられている私たちにむかって、男は芝居の役者のようなきざな会釈をするとほがらかに話し出した。
「やあやあ、お嬢さんがた。入浴中に驚かせてしまってすまないが、どうか安心してくれたまえ。こう見えてもぼくは痴漢でも覗き魔でもないんだ」
「じゃあ何なの?」
私は短く聞いた。男は屈託のない笑みを浮かべて答える。
「殺し屋さ。さきごろ貴女に悪事をあばかれて失脚した某国の有力者から依頼されて、復讐を請け負ったという次第でね。心当たりがあるだろう?」
「ありすぎて誰のことだかさっぱりだわ」
私が答えると、男は破顔した。
「聞きしにまさる女傑ぶりだな。できればいましばらくおしゃべりを楽しみたいところだが、そんなことをしていて何か仕掛けられてはたまらない。早々に仕事をすませるとしよう」
男はそう言って右手を高く掲げた。とはいえその手には武器も何も持ってはいない。いったい何をしようとしているのか。つぎの瞬間その右手の上に青白い火の玉が忽然と現れ、私は度肝を抜かれた。まずい、一流どころの魔法使いだ! しかもその火の玉は燃え上がるのではなく、ばちばちと火花をはなっている。
「やれるならやってみなさいよ! 師匠には傷ひとつつけさせないから!」
弟子が立ち上がって私の前に出るなり、こちらも右手を前にかざす。力場の盾を出して、相手の攻撃を防ごうというのだ。目に見えない盾に押しのけられて、体の前の水面がざばりと落ち込んだ。不肖の弟子め、勇敢だが何もわかっていない。私は「湯から上がりなさい!」と叫び、みずからも立ち上がって浴槽を飛びだそうとする。だが遅かった。
男が火の玉を投げた。私にでも弟子にでもなく、浴槽を満たす赤い湯のおもてへと。火の玉がはじけ、電撃が目にもとまらぬ速さで湯をつたって私と弟子のところに達した。意識が一瞬飛んだ。気がつくと私は上半身を浴槽の外に乗り出したかっこうで倒れていた。体が動かない。そして痛い。弟子がどうなったかはわからない。もしかすると湯の中に倒れておぼれているかもしれない。
「痛い目に遭わせてしまってほんとうに申し訳ない。いたぶったりはせず、すぐにとどめを刺してあげるから、ほんのすこしのあいだ辛抱してくれたまえ」
ふざけたやつだ。私の頭のそばにやつの足がやってくる。上のほうでまたぞろばちばちという音がする。同じ技で仕留めるつもりだろう。さっきとは違って直撃必至だ。あんなものをまともにくらったらまちがいなく死んでしまう。私は必死で精神を集中させ、切りぬけるための魔法を使おうとこころみた。意識はなかば朦朧としていたが、私はなんとかやってのけた。
「おっ?」
男が突然よろめく。なにかが首にからみついてきたのだ。振りほどこうとするが、火の玉を保持するために片手がふさがっているのでうまくいかない。
「なんだ、これは。針金? いったいどこから?」
それは男の死角の湯の中から出てきたものだ。私は倒れたまま懸命に念をこらしてその太い針金をあやつった。片方の端を男の首にからみつかせた針金が、もう片方の端をぐいともたげて、男の右手に向かう。先端が火の玉に触れ、男の全身に稲妻が走った。
どうにか体が動くようになって男の死亡を確認すると、私は浴槽に向き直った。運のいいことに、弟子は気絶したままあおむけに湯に浮かんでおり、おぼれるのをまぬがれていた。私はふといまの戦いを振り返って、自分がこの子に何を教えればいいのかわかったように思った。
針金を作るために鉄を使い切ってすっかり透明になってしまった湯から、私は弟子を引き上げる。不思議とおだやかな気持ちだった。
今回イメージした曲は、『moon』(ラブデリック、1997年)から、
「KERA-MA-GO」(THELONIOUS MONKEYS作曲)です。




