013:帰宅部の伝説
「こら、おまえ。授業中に教科書に落書きとはいい根性だな」
教師は顔をしかめて、一人の生徒の手から教科書を取り上げた。すべてのページのすみに簡単な絵が書き込んである。つづけざまにページをめくると絵が動いて見える、いわゆるパラパラマンガである。
「この教科書にしても税金でまかなわれてるんだから、落書きなどせずに大切に……おや」
おきまりの小言をはじめかけた教師が口をつぐんだ。問題の教科書を顔に近づけたり離したりしたかと思えば、寄り目になったり眉間にしわを寄せたりしながらページをパラパラする。やがて、すっかり毒気の抜けた声が出た。
「これ、立体視できるようになってるのか。よくできてるなあ。……いや、そうじゃなくて、うん、まあ、落書きもほどほどにしろよ」
小言は腰砕けになり、教師はそそくさと授業を再開したのだった。
「ああー」
「おしい!」
相手チームが無念の声をあげるのを聞きながら、ゴールキーパーの少年は冷や汗を流していた。敵の一人がはなったシュートをどうにかブロックしたものの、はじかれたボールが飛んだ先にまるでそれを予知したかのように別の一人が走ってきていたのだ。無我夢中でシュートコースに体を投げ出し、伸ばした手に運よくボールが当たって、今度のシュートもぎりぎりでゴールを割ることはなかったが、決定点となっていておかしくない場面だった。
少年は気力を奮い起こして立ち上がった。敵の一人がはげちょろけたボールを拾ってコートのかどに運んでゆくところだった。試合は向こうのコーナーキックから再開だ。クラスで唯一のサッカー部員として、また控えとはいえサッカー部のゴールキーパーとして、ここでくじけるわけにはいかなかった。たかが球技大会、されど球技大会だ。
相手のクラスにはサッカー部員が一人もおらず、互角かこちらがやや有利……というのが試合前の予想だった。だがふたをあけてみれば、ゴールこそ許してはいないが終始攻められっぱなしのまま、残り時間あとわずかとなっている。
意外にもむこうは人材豊富だった。陸上部のエースは自慢の俊足で何度もこちらの守備陣を突破し、剣道部の主将は鋭い勝負勘でここぞというところにパスを放り込んでくる。バレー部とバスケ部に所属するツートップは空中戦では敵なしだ。そしていちばん警戒すべきなのがさきほどシュートをはなった帰宅部の生徒だった。
「そっちの二人マークしろ! そっちもだ! 自由に動かさすな!」
コーナーキックは陸上部が蹴るようだ。少年は味方に指示を出して、バレー部とバスケ部、それから剣道部にはりつかせた。こちらの守備陣は運動の得意でない生徒が多いが、相手にくっついていてもらえればそれだけでも十分だ。すこし後ろのほうに位置している帰宅部には、いちばんうまいやつをマークにつけた。
少年は昨年この帰宅部と同じクラスだったので、その逸話をいろいろ知っている。授業中に教科書に落書きをしているのを教師に見つかったものの、その落書きがあまりに出来がよかったので逆にほめられてしまった件。体育の授業で走り高跳びをやったとき、ほかの者がはさみ跳びで跳んでいるのを尻目に一人だけ教わってもいない鮮やかな背面跳びを披露した件。そして、給食の配膳中に起こった名高い「空飛ぶ揚げシュウマイ事件」。その運動のセンスや反射神経は、とうてい甘くみることはできない。
午前の授業が終わると、当番の生徒たちが給食室から大きな食缶や番重に入った料理を運んでくる。その日の副菜は揚げシュウマイだった。
クラスの生徒がおのおの皿を持って教室の前のほうにゆき、当番が番重からトングでシュウマイを取り出して一人に五個ずつ配膳してゆく。
「ちょっと待ってね、いま二つめの箱をあけるから」
ひとつめの番重がからになり、当番の生徒がふたつめのフタを取ろうとしたときにその事件は起こった。フタが小さかったのか身が大きかったのか、ゆるくかぶさっているだけに見えたフタは、がっちりと身にはまっていたのだ。そんなことは知らない当番が勢いよくフタを持ち上げた瞬間、身のほうもいっしょに持ち上がった。空中でフタがはずれ、身が傾く。
「あ」
十数人分の揚げシュウマイが元気よく番重から飛び出した。同時に配膳待ちの列から駆け出したのは、一人の男子生徒。
何人かの生徒たちが、上げかけた悲鳴を途中でのみこんだ。教室の床にまきちらされるところだったシュウマイは、男子生徒が持つ二枚の皿に山盛りになっている。この生徒は近くにいた生徒の手から皿を奪い取り、自分の持っていたのと合わせて二枚の皿でシュウマイをすべて受け止めてのけたのだ。
給食当番の生徒が感激して声をかける。
「ありがとう、助かった! すごかったよ、いまの動き」
「いや、ほえほほへもほぁいよ」
男子生徒の答える声はなにやらくぐもっていた。もぐもぐと口を動かしてごくりと飲みこみ、はっきりした言葉でつづける。
「あ、おれのぶんのシュウマイは二個へらしといて。受けきれなかったやつを口で受け止めて食っちゃったから」
ゴールの右側のコーナーから、陸上部がボールを蹴り込んできた。だが、このボールは公式戦ではまちがってもお目にかかれないような古くなった体育備品であり、皮がところどころはがれているせいで下手に回転をかけるとどこへ曲がってゆくかわからないという困ったしろものである。今回も途中で妙なカーブがかかり、ゴール前からはやや離れた場所へ飛んでいった。剣道部が走っていってヘディングでボールを拾うがシュートするにはいたらず、ボールは小さな山なりの軌道をえがいてふわりと上がり、落ちてくる。落下点には誰も……いや、猛然と走ってくる者が一人いた。またしても例の帰宅部だ。マークについていたはずの味方は完全に出遅れている。
「行けー!」
「とめろ!」
敵味方の叫び声が飛び交う。バスケ部が背中に目があるかのような動きで、シュートコースをふさごうとした守備側のプレイヤーの進路をはばむ。帰宅部とゴールの間にいるのは、ゴールキーパーただ一人。試合時間はもうほとんどない。ゴールを決められたら終わりだ。この土壇場にあって、キーパーの少年は深く落ち着いていた。腰を落として身構える。集中するあまり、まわりのものがゆっくりに見えた。相手がどんなシュートを打ってきても必ず止めることができる。そう確信した。
落ちてきたボールを帰宅部が頭で迎える。ヘディングシュート……ではなかった。ボールが額の高さを通りすぎて顔の高さまで来たとき、帰宅部はこまのように勢いよく体を回転させた。そしてボールは、その顔面にはりついて離れない。
「えっ?」
ありえないその光景に、キーパーの少年の集中力はあとかたもなく消し飛んだ。帰宅部はボールを顔面にくっつけたままぐるりと一回転し、ボールは頭のかげに入って反対側から出てくると、そのままこっちに飛んでくる。
「ええっ?」
キーパーの少年がわれにかえったときには、ボールはゴールのなかに転がっていた。
あっけにとられて帰宅部のほうを見やると、殊勲の得点者は仲間から肩や背中をたたかれながらしきりに地面につばを吐いているところだった。キーパーの少年はようやく手品の種をさとる。帰宅部はボールの皮のはがれかけたところを口でつかんでハンマー投げよろしく振り回し、ゴールにむかって投げたのだ。
立ち尽くす少年の耳に、試合終了の長い笛の音が入った。帰宅部の新しい伝説が誕生した瞬間だった。
今回イメージした曲は 『スターフォックス』(任天堂、1993年)から、
「BGM(CORNERIA)」(平澤創作曲)です。




