202号室--道士と浮世絵町 3
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早朝六時半、始業時刻である八時を待たずして、オニロクは超常現象対策第一課へ出勤した。連日の深夜パトロールも空しく、道士は未だ見つからない。それどころか本日未明に竜神川に住んでいた豆蔵コマメが道士に襲われ、現在、万年亀病院で治療中との事だ。
「…………」
オニロクは寝不足による頭痛を感じながら、特注した自分のデスクへ腰掛けて眼を閉じていた。胸にあるのは怒りである。
善良な一般市民が連日襲われ、それを何れもオニロクがリーダーを勤める第一課は防げていないのだ。町中を巡回しているのにも関わらず、道士は蜘蛛の巣を避けて行く。
これではオニロク達警備部隊が居る意味が無い。市民を守れない部隊に何の価値があると言うのか。
「オニロク。どうする? このままじゃ住民が危険に晒されるだけだぞ」
トコトコとオニロクの足元へ通常よりもはるかに大きいサイズの奇怪な白い四足動物が歩いてきた。
犬だか獅子だか分からない生き物で、額に当たる場所に第三の眼がある奇妙な動物。瞳は何れもぎょろりとしていて、体長は二メートル程あり、なるほど奇怪なオトギである。
「分かっている」
この生き物は〝ぬりかべ〟というオトギで、自身の事をハクと名乗っていた。
ハクは第一課の副リーダーであり、度々こうしてオニロクへ意見を促していた。
彼らはほぼ同時期に浮世絵町を訪れたオトギであり、オニロクの良き理解者だった。
オニロクはしばし考えた。道士のためにパトロールを初めて十日近く、未だに成果は出ていない。
道士が自身に施しているという術をオニロク達では看破する事が出来ないのだ。
不幸にしてユカリと戦って生き残れるだけの実力者の術を解く事ができる人員は第一課には居ない。
他の課を回ればオニロクに心当たりは二三あったが、心当たりの者達は皆非戦闘員である。
とにかく、このままでは道士を捕まえる事はできないだろう。
方法を変える必要があった。
「オレの力を使えば追い詰められるんじゃないのか?」
ハクというぬりかべには任意の道路を通行できなくする力があった。ハク曰く透明な壁のような物が生えるらしく如何なるものもその壁を通り抜けて移動できない。
そのためハクは基本的に事故現場や乱闘している地域等の通行止めを担当している。
もっとも最近で大規模な通行止めをしたのは八ヶ月前に朱雀丸が酔っ払い、闇鍋大会を開始した時である。ハクの尽力が無ければあの思い出すのもおぞましい闇鍋の被害者はもっと増えていた事だろう。
「赤の女王と龍田さんが言うには道士は空を飛べる。それではハクの壁も意味を成さないだろう」
ハクの壁はオニロクでは超えられないぐらい高いが、ユカリや龍田などの空を飛べるオトギであるのなら簡単に乗り越える事ができる。
「そうか。なら、方法を考えなきゃな」
「……一度原点に帰ってみる。皆へパトロールに行くように伝えておいてくれ。私は午前のパトロールが終わったら、第二課を連れて李愛鈴の所へ行ってくる」
オニロクは頭を振ってハクへ命じデスクを立った。
*
オニロクは第二課の職員であるサトリのココミを連れてタローの部屋、『チミモウリョウ』の202号室を訪れた。
タローと愛鈴は既に昼食を終えたようで、突然のオニロクとココミの来訪に少々眼を丸くしていた。
「愛鈴さん。唐突で申し訳ないのだが、彼女、ココミに君の心を覗かせて貰えないだろうか?」
ココミは水色のパーカーにダメージジーンズを吐き、眼球をデフォルメしたシールが貼られたヘッドフォンを付けている。髪は白色で長さはセミロングでおさげにしていた。
ココミは純粋なサトリではない。ユカリと同じ様に彼女の先祖の誰かがサトリであり、その力を断片的に受け継いでいるのみである。
そのため、彼女は耳を何かで塞いでいない間のみ、近くに居る他者の考えている事を聞く事ができた。
「ココミさん。久しぶりですね」
「久しぶり」
愛鈴を浮世絵町で保護した日、オニロクは愛鈴を第二課へ連れて行き彼女の心情風景などを調べてもらっていた。その時の調査班の一人がこのココミであった。
「何か事態が変わったんですか?」
台所から人数分の茶を入れて戻って来たタローがちゃぶ台へ湯飲みを置きながらオニロクへと問い掛けた。
タローと愛鈴はユカリとオニロクの言ったとおり大体の時間を202号室にて閉じ篭っていたため、浮世絵町の情報に疎いのだろう。
オニロクは親指と人差し指だけで湯飲みを持ってズズッとそれを飲んだ後、愛鈴へは聞こえない様にタローへ耳打ちをした。
「今朝未明、豆蔵コマメが道士に襲われて万年亀病院へ運ばれた」
「…………そうですか」
眉がピクッと上がったがタローは取り乱す事は無かった。この青年のこういう所は美徳である。感情を隠すのが上手いのだ。
オニロクはタローへの耳打ちを止めて全員へ届くように声を出した。
「情けない話だが、道士の居所が点で掴めなくてな。心苦しいが愛鈴さんに協力を願いたい」
「協力できるのなら是非したいのですが、わたしはご主人様の情報を吐く事が出来ません。前に調べてもらった時も分からなかったと言っていませんでしたか?」
確かに前回愛鈴の心をココミに聞いてもらった時、道士の名前や外見等にはノイズ音が入った様に聞く事が出来なかったと言っていた。
だが、今回オニロクが来たのは道士の思考を読むためである。
「今日来たのは、愛鈴さんから道士がどの様な人間かを聞きたいからだ。プロファイリングの様な物だと考えてくれれば良い。少しでも道士が次に何処へ現れるのかの候補を絞りたい」
「……そういう事でしたら分かりました。幾らでも協力します。わたしは何をすれば?」
「今からする質問にただ答えを考えてくれえれば良い。ココミが代弁しよう」
「任せて」
ココミはVサインをしながらふんぞり返っている。
「それでは早速質問をさせて貰って良いだろうか?」
「ええ、構いません」
愛鈴の返事にオニロクがA4サイズのメモ帳片手に質問を始めようとすると、タローがそれを遮った。
「オニロクさん。その質問とかって長くなりそうですか?」
「夕方には終われそうだと思うが」
「……なら、ちょっと愛鈴の護衛頼みます。俺少しだけ外に行く用が出来たんで」
「タロー? 何かあったんですか?」
頬を掻くタローへ愛鈴が小首を傾げた。
「いや、大した用じゃ無いんだけど、少しやらないといけない事が出来た」
「はあ」
豆蔵コマメの所へ行く気なのだろう。オニロクは確信していた。
「分かった。タロー君が帰ってくるまで護衛を引き継ごう」
「ありがとうございます」
短く礼を言って、タローはPコートを持って202号室を出た。
未だ愛鈴がやや不思議そうに家主が出て行った202号室のドアを見ているが、オニロクは気持ちを切り替えて質問を始めた。
「それじゃあ、愛鈴さん、第一の質問なんだが――」
***
タローは険しい顔で早足に万年亀病院へ向かっていた。オニロクから豆蔵コマメの入院を聞いたからだ。
サブローから聞いた話を合わせると、コマメが道士に襲われたのは明らかにタローが彼女に愛鈴を会わせた事が原因である。
タローは自分の判断に間違いは無かったと思っていた。
だが、コマメが傷つけられた事に激しく感情を掻き乱されていた。
鳳凰山の天狗や寅縞森林の狼男達が入院したと聞いた時にはタローは冷静で居られた。
だが、彼にとって豆蔵コマメは別格である。
この浮世絵町の中で現時点に置いて豆蔵コマメは数少ないタローの〝特別〟なのだ。
「……」
荒れ狂う胸中を表に出さないように顔を硬く歩き続け、万年亀病院が見えてきた
入り口の透明な自動ドアの開く速さがタローにはもどかしい。
スタスタと雪女がしている受付の所までタローは歩いた。
「すいません。今日ここに運ばれたと言う小豆洗いの豆蔵コマメは何処に居ますか?」
*
「いきなり来て、重症患者に会わせてくれとごねるとはタローは私達の忙しさを理解していないようだ。ただでさえ噂の道士とやらのせいでこの病院は大賑わいだと言うのに」
万年亀病院の院長室へと通されたタローに水瀬時子はやれやれと肩を竦めた。
コマメが入院したと言う事を知ればタローがこのように成るだろうと時子は経験から分かっていたが、こうも嫌な予感が当たってしまっては溜息の一つでも出る物である。
「……コマメは大丈夫ですか?」
「この私が直々に見たんだ。命に別状は無いよ。〝人魚の血〟を使おうかどうか迷うレベルの怪我ではあるけれどね」
「そんなに酷いんですか?」
「後一時間来るのが遅かったら死んでいたな」
彼女らしく、時子は淡々と事実を述べる。これにタローは眼を伏せた。
人魚の血とは名の通り、亀甲海に住む人魚達が融資によって提供する彼女達の血液である。
人魚の涙は真珠となり、人魚の肉を喰らえば不老不死と成る。彼女達の血肉には特別な力が宿っていて一口血液を飲めば傷は完治するのだ。
しかし、身体の回復力を遥かに逸脱して効果を及ぼすこの血液はあくまで最終手段である。この血液には依存性と中毒性があり、時子は滅多な事では人魚の血を使わなかった。
「コマメに会わせてくれませんか?」
「……駄目だ。今の彼女は絶対安静だ」
「なら、せめて一目だけでも見せてください」
「……長時間は駄目だ。私も付き添おう」
「ありがとうございます」
タローは頭を下げ、時子は溜息を付いた。
*
病室のベッドにて豆蔵コマメは呼吸器を取り付けられ眠っていた。四肢は包帯でぐるぐる巻きに固定され、服も緑色の病院服へと着替えさせられていた。
「…………」
その寝顔を見つめながらタローは歯を噛み締めた。奥歯がキュッと音をたてる。
コマメが傷つけられた事にタローは激しく後悔していた。何故、自分は愛鈴を彼女へ紹介してしまったのか。龍田達顔役だけに顔見せをすれば良かったのではないか。もっと上手くやれたのでは無いか。
悔恨の情がふつふつと湧き上がる。
けれど、豆蔵コマメの事については、過去の自分の選択に過ちがあったとしても、愛鈴を守ると言う目的に即せば決して間違いではなかったとタローは断言できた。
仮に愛鈴がタローの側から居なくなったとして、浮世絵町の誰もが彼女の事を知らず、道士が愛鈴に出会ったのならそれこそ詰みである。
愛鈴の事を知っていれば、住民達が愛鈴を助けてくれるだろう。そう打算しての浮世絵町巡りだった。
判断は間違えていない。決して不正解では無いだろう。だが、最善手を選べなかったようだ。
「それまでだ。コマメが起きる前に病室を出るぞ」
「はい」
背後で控えていた時子へ頷いて、タローは病室を出た。
ギリギリまでタローは眠るコマメへと視線を残していた。