过去我爱了你--ナナシのオトコ 2
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「…………あらら」
コマメは月を背に万年亀病院の屋上へと飛んでくる影に溜息を付いた。
影は二つ。箒に腰掛けた魔女と少女を抱えた少女の姿の影人形だ。
これが意味する事をこの小豆洗いは良く知っている。
――使っちゃったか。
コマメは眼を細めた。タローが力を使ったのだ。力を使うならば彼なりの理由があったのだろう。タローは彼の力を正しく理解している。闇雲に使う事はあるまい。
「……さて、仕事か」
時子の声がコマメの頭上より聞こえてきた。彼女は咥えていた煙草を懐から出した携帯灰皿に押し込んで、夜空から飛んできた患者達を待つ。
程無くして時間にして二分も経たない内にタローとキョンシーの少女、そして炎の魔女が万年亀病院の屋上へと降り立った。
――やっぱり、名前が分からなくなっているか。
コマメは額に呪言の札を貼った少女と、箒に腰掛けて白炎のドレスを纏った少女の名前を思い出そうとしたが、彼女達の名前に関わる事だけが思い出せなくなっている。
一分の期待を込めたが、タローはやはり力を使ってしまったらしい。
キョンシーの少女の影と成ったタローが音も無くコマメ達の下へと歩いてくる。
「……怪我人は?」
「こいつだけです」
短い質問にタローもまた短く答えた。その声は紛れも無くあの名前も忘れたキョンシーの物で、鈴が鳴る様な少女の物だ。
時子はタローに抱えられたままのキョンシーの少女へ眼を向け、その体を二三ペタペタと触り、すぐさま顔を上げた。
「すぐに治療する。運べ」
その顔はコマメの友人としての水瀬時子の物では無く、万年亀病院院長としての物である。瞳は涼やかに細まり、雰囲気は本物の雪女よりも雪女らしい。
タローは渋る事も無く時子の言葉に頷き、ばたばたと屋上のドアから出て行く時子を追った。彼の両腕には小柄なキョンシーが抱えられている。
「……僕をタロー達のところに運んでくれるかい?」
屋上へと残されたこま眼は、彼女のすぐ近くに同じく残された白炎の少女へ声を掛けた。
「ああ、分かった」
意外だったが少女はコマメの願いを叶え、箒から下りてコマメの車椅子を押し始めた。
「何だ。タロー、気が利くじゃないか」
タローの意思が入っているのだろう。彼の上司だった少女はタローと全く同じ口調で声を出す。
「だろう?」
コロコロと車輪は回り、コマメの視線は進んでいく。この車椅子は万年亀病院がその総力を上げて開発した物であり、その車輪は地面へと適切な形に変形する。そのため、コマメの視線は階段をエスカレーターでも下っているかのような感覚でスーッと動いていた。
時子はおそらくだが一階の集中治療室にでも行ったのだろう。
屋上から一階までの長くも短くも無い時間、コマメは彼女の車椅子を押す少女と話す事にした。
今の彼女はタローである。本体である影人形とは意思などを共有していないが、タローの言葉を話すのは確かなのだ。
「ねえ、タロー? 何で僕の見舞いに来なかったんだい?」
「……すまん。お前がそうやって入院したそもそもの原因は、俺があいつをお前に会わせたからだから、どの面下げて会えば良いのか分からなかった」
分かっていた返答にコマメは瞳を閉じて息を吐いた。
「やっぱり君はサブローとは違う方向で馬鹿だね。僕がそうして気を使われて喜ぶとでも思ったのかい? 君がどんな人間なのかは重々知っているけれど、何度やってもその考え方は変わらないんだね。そろそろ新しい考え方を持ったらどうだい?」
階段を下りながら、コマメの言葉は滑らかに紡がれていく。
「お前は俺の、タローの〝特別〟だからな。時々、不器用になるのさ」
「不器用って言葉を言い訳にするんじゃないよ。まあ、君の人となりは君以上に知っているからどうしようも無いんだろうけどね」
コマメは溜息を付いた。今こうして少女と会話しているのが自分の自己満足に過ぎないと分かっているからだ。
文句の一つでも言わなければやってられない。
「で、今回はちゃんとあの子を助けられたの? あの子もタローの〝特別〟に成ったんだろう?」
「救えはしなかった。壊れる事を止める事も出来なかった。俺に出来たのはただ、壊れ切らないようにしただけ。まあ、これから先に期待ってとこだ」
「また君は、次に次に後回しにして。それで僕達がどれだけ大変か分かってる? 今の君がした行動は明日の君を筆頭にその周りへと被害が広がっていくんだよ」
コマメの悪態へ少女は素直に謝った。
「すまん。迷惑かける。どうにか手伝ってくれ」
その素直さにコマメはまた息を吐く。このタローという男は妙な所であっけらかんと頭を下げるのだ。
「良いさ。君は僕の大切な常連客だからね」
そうこう話している内に、コマメ達は一階へと到達し、集中治療室の前まで到着した。
治療中のランプが着いた部屋の前で元の青年の影の姿に成ったタローがソファに座っている。キョンシーの治療を待っているのだろう。
「やあ、タロー」
「久しぶり、コマメ」
コマメの言葉にタローは彼女へと顔を向け、頬を掻いた。影人形と化したその顔からは表情を伺う事は出来ない。が、コマメは、今タローは苦笑しているのだろうと分かっていた。
もう八年にも成る付き合いなのだ。見えなくとも表情ぐらい読み取れる。
コマメは魔女の少女に車椅子を押してもらい、タローの目の前までその体を進めた。
「タロー、僕に何か言う事は無いかな?」
「……見舞いに行かなくてごめん」
「よろしい。以後気を付ける様に」
コマメは両腕が動かないから胸だけで踏ん反り返り、その後、彼女らしく仄かに微笑んだ。
それは双方にとって意地悪な言葉である。けれども、彼女の本心でもあった。
「あけましておめでとう。タロー、今年もよろしく」
「……ああ、あけましておめでとう。今年も大福期待しているよ」
困った様に眼を細めているタローの顔がコマメには見えた気がした。
***
丑三つ時、治療室前のソファに座っていたタローの元へオニロクが現れた。コマメは既に病室に戻り、今は寝息を立てている事だろう。
タローの外見は未だ影人形のままであり、彼の傍らにはユカリが座っている。彼女の眼は未だ意思を持たず無表情が広がっていた。
オニロクはその左腕で王志文を俵の様に抱えている。彼の足元でハクが控え、どちらもタローの事を見つめていた。
「タロー君。道士を連れてきた。あの子はまだ治療中か?」
「ええ。治療が終わるまで待っていてくれますか?」
「了解だ」
オニロクはそう言いながら、タローの向かいのソファに王志文を座らせた。彼の全身には何やら色々な文字が書かれた札が貼り付けられている。おそらくだが、あの庶民派陰陽師後藤が作った札だろう。大方王志文が力を使えない様にしているに違いない。
「何時頃、そいつを引き渡すんですか?」
「タロー君の用事が終わったらすぐだ。病院の前で待たせている」
未だオトギと人間との衝突があるこの社会で重大な犯罪をしたオトギや人間達は幻影島と呼ばれる収容施設に入れられている。この島は特殊な霧に包まれていて、許可無く入る事も出る事も敵わないらしい。
王志文もまたこの監獄島に入れられるのだ。
「なるほど。待たせてしまって申し訳ありませんね」
タローは茶化すように笑った。実のところ愛鈴の治療が終わるのを待つ必要ない。
これはタローの我儘だ。
今この場で愛鈴を待たずしてタローの用事を終えても構わないのである。
「まあ、今日くらいは良いじゃないか。新年一日目、普通なら仕事なんてしないものだ」
仕事人間であるオニロクがこのような事を言うとは意外だったが、自分が知らない色々な面があるのだろうとタローは納得した。
「じゃあ、どれくらい掛かるか分かりませんが待っていていください」
「もちろんだ」




