过去我爱了你--ナナシのオトコ 1
「…………ふぅ」
タローは小さく息を吐いた。ユカリの影と成った彼の両腕には王志文が力無く抱かれている。
空に居た炎獣も炎像も緑龍も全てが消え、辺りには静寂のみが残されていた。
王志文を守らんとしていた残り数体のキョンシー達は王志文が名を奪われた瞬間にその意識を失い、地面へと落下して今も倒れ伏したままである。
成人男性の重量は少女の姿で支えるのには重く、タローは自身の体を元の青年の物へと戻しながら、王志文の体をその場の地面へ横たわらせた。
瞳を閉じた王志文の顔はあれ程まで自分達を苦しめた男とは思えないほど穏やかな物だった。
「……もう少し、もう少しだけお前は考えるべきだったよ」
王志文の全てを知ってしまったがゆえに、タローは彼へと色々な感情が浮かんで来た。
沈黙を保ったままタローは王志文の顔を見つめ、その間に、前方から愛鈴を抱えたオニロクが歩いてきた。
オニロクはタローの横顔を見ながら穏やかな声で聞く。彼の着ていたスーツはいたるところが破け、赤銅色の肌が見えていた。
「……奪えたようだね」
「ええ。オニロクさん。こいつを拘束してください」
「分かった。悪いが彼女を抱えていてくれ」
タローはオニロクから愛鈴を受け取り、こちらをボーっと見ているユカリへ左手で手招きをした。
白炎のドレスを着た少女は彼女らしからぬ無表情でタローの元へと歩いてくる。
タローはその顔を素直に見る事が出来なかった。
ユカリの名を奪ったタローは、彼女が生きてきた人生の全てを知っている。ユカリと言う女性が今まで何をしてきたのか。彼女が何を思って生きてきたのか。その全てを知ってしまっているのだ。
だが、タローは一先ずユカリに対して言いたい言葉を我慢する事にした。
今は何よりも愛鈴である。
彼女の左腕は腐り落ち、その腐敗は左半身全てに広がっている。既に左目は見えなくなっているだろう。
このままでは日の出を待たずに愛鈴の命が尽きるに違いない。
しかし、彼女の右腕は髑髏を話さずに硬く抱えていた。
名前を奪われながらもそれだけは離さなかったのだ。
タローは迷わずにオニロクへと言った。
「すいません。オニロクさん。俺こいつを時子さんの所へ連れて行きます。後始末をお願いできますか?」
超常現象対策第一課のリーダーの返事は快諾である。
「任せてくれ。程無くしてハク達がここに来る。タロー君は思うとおりにしてくれて良い。後で私もこいつを連れて万年亀病院に行こう」
オニロクの言葉にタローは自身の体を愛鈴の影へと変え、それと同時に足元に落ちていた箒をユカリへと渡す。
力なく地面へと落ちる愛鈴の体を彼女と同じ体格で支えるのは酷だったが、小規模な風を生み出してしまえば造作も無い。
ユカリは意思を持たない瞳のまま箒へと腰掛けてふわりと飛び、それに続いてタローは愛鈴を抱えて空を飛んだ。
愛鈴の体へ負担が掛からない程度の速度でタローはユカリと共に夜空を駆ける。
目指すは万年亀病院。時子の元だ。
***
オニロクは夜空へと飛び立ったタローの姿を見ながら呟いた。
「……良いのか、出てこなくて?」
「うるさいわよ」
返事は森の中から聞こえてくる。声が聞こえた場所へ眼を向けると、そこから人間大ほどの九本の尾を持つ山吹色の狐が歩いてきた。
本来の姿となったココノエである。
「今からでも行ったらどうだ?」
ココノエの返答をオニロクは分かっていながらも彼女へと聞いた。
案の定、この妖狐の返答はオニロクの予想通りのものだった。
「嫌よ。この姿をタロー君に見せたくないもの」
ココノエがこの九尾の姿を成ったら、また人間の姿と成るのに一日という時間が掛かる。彼女は本来の姿である妖狐としての物を頑なにタローへと見せようとしなかった。
「彼はそんな事でお前を嫌う男じゃないだろう」
「当たり前の事を言うんじゃないわよ赤鬼。私がこの姿をタロー君に見せないのは一重に私のためよ」
ココノエの言い分にやれやれとオニロクは首を振った。
「お前はまだその姿を受け入れられていないのか?」
「オニロク、あなたはやっぱり女心を分かっていないわ。あなたも知ってのとおり、私は妖狐であるけれど、人間として生きてきた。私にとってこの妖狐の姿はただの忌むべき物だわ。確かに妖狐としての私が本来の物なのでしょうね。けれど、私は人としての私が一番好き。なら、人としての自分だけをタロー君に見せたいの。惚れた男に一番自信のある姿だけを見せたいと思うのは女として当たり前でしょう?」
ここまで言われたらオニロクは何も言い返せなかった。
ココノエは立派な九尾の狐であり、紛れも無いオトギであった。しかし、彼女は生まれたばかりの頃人間に捕まり、以後人間として育てられてきたのだ。
これは美談ではない。ココノエの母親を殺した人間達がココノエを利用せんと幼い頃から洗脳してきたのだ。
ココノエはその千里眼と神通力の力を疑いも無く彼女の母親を惨殺した人間たちのために使っていた。人間達は腹を肥えさせ、権力を手に入れ、唾棄する様な贅に塗れた日々を送っていたらしい。
また、その間彼女は自分の持つ力は神に与えられた特別な物と信じきっており、自分の事を人間だと疑っていなかったと言う。
人の耳を持たず、狐の三角の耳を持ち、山吹色の尾を生やしておきながらも、彼女は自分の事を人間だと信じていたのだ。
そんな彼女が何故その人間達の下から離れ、この浮世絵町に来たのかは不明である。今の話はココノエが自ら過去に酒宴の席で語った物だ。
オニロクは自身の発言が間違っているとは思わない。
彼は自信の本質や正体などは正しく受け入れるべき物と考えている。
けれど、ココノエがそうでは無いという事実もまた受け入れるべき物だとも分かっていた。
オニロクはそれ以上この件に追求する事を止め、話題を変えた。
「まあ、良い。ココノエ、折角なら手伝っていくか? 仕事が山ほど有るんだが?」
ココノエの視線がチラッとオニロクの足元で首輪を付けられ、胴を縄で拘束された■■へと向けられた。この首輪はジャック・スパンデュール主導で第三課が開発した物であり、これを装着された者は思考が鈍り力などを使えなくなってしまう。
オニロクの言葉をココノエはにべも無く一蹴した。
「嫌よ。私がここに来たのはタロー君のためだもの。あなた達を手伝うなんてごめんだわ」
「そうか。なら、礼を言わせて貰おう。助かった。お前が居なければキョンシーに私達は殺されていただろう」
「別にあなたを助けた訳じゃないわよ」
ココノエは心底面倒そうにオニロクの言葉に返答し、そのまま空へと飛び上がった。
返事も無く九尾の狐はその尾を眩く山吹色に発光させてタロー達が飛んで行った場所とは別の方向へと飛んでいく。
オニロクは夜空へと消えた彼らの姿を思い起こしながら、少しの間息を吐いた。
この町を脅かしていた道士を捕まえたのだ。これでまたしばらくの間は平和と成るだろう。
それから一分もしない内にハクを筆頭とした第一家の部隊達がオニロクの後方より現れた。
「オニロク!」
ハクはタッタッタと毛並みを揺らしながらオニロクの足元へと駆け寄り彼を見上げる。
オニロクはハク達部下をぐるりと見渡し、命令する。
「良く来てくれた。さあ、お前達最後の仕事だ。気合を入れろ」
部下達は皆強く『おうっ!』と返事をし、オニロクはまた小さく笑った。




