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死者の慟哭--青年とキョンシー 4


「ドーマン!」


 タローはココノエに抱えられ急降下しながら、残り全てのドーマンの札四枚を躊躇わず道士へと投げつけた。下方の道士へと真っ直ぐに放たれる。


 今ここで道士を止めなければならない。


 事情は分からない。理由も分からない。愛鈴の身に何があったのかも分からない。


 それを問い質す時間は無い。状況がそれを許さないのだ。


 愛鈴をタロー達が見つける前に彼女が道士の前に降り立ってしまった。ならばタローがするべき行動は決まっている。


 みるみるとドーマンの札が道士へと近付いていく。


 時代錯誤名丸メガネの奥の瞳を見開いて道士は愛鈴を見ていた。上方からのドーマンの札に気付いた様子は無い。


 けれど、ドーマンの札は音も無くボッと燃え上がり、塵と化す。


 あれだけの神通力を耐え切る相手なのだ。庶民派陰陽師御手製とは言え、素人のタロー程度の攻撃など意味が無いのかもしれない。


――駄目か!


 タローを抱えたココノエは全力で飛び、愛鈴と道士の間へ、彼女の体を割り込ませ、道士へ右手、愛鈴へ左手を向け、強く叫ぶ。


「動くな!」


 タロー達から道士は十一メートル、愛鈴は三メートルの位置に居る。これで、ついさっき作った道士との距離はほぼゼロとなる。これでタロー達が逃げ切る事は不可能だ。


 だが、それで構わない。タローは護衛役なのだ。愛鈴を護らなければならない。


「…………」


 ココノエの神通力と道士の水龍によって木々が薙ぎ倒された一帯に沈黙が落ちた。


 道士は愛鈴を、愛鈴は道士を見つめ、ココノエがタローを山吹色に発光する九本の尾で抱えながら、彼らへ両手を向ける。


 タローは愛鈴を見た。


「愛鈴」


「…………」


「愛鈴?」


 彼の声が聞こえたのか聞こえなかったのか愛鈴の反応は無い。


 彼女はわなわなと震えながら道士を見つめていた。


 最早タロー達が彼女のすぐ眼の前に降り立ったことさえ気付いて居ないのだろうか。


 ゴオオオォォオオオオォォォオオオオオオオオオオオオォォォオオオォォォン!


 ゴオオオォオオオオオオオオォオオオオォォォオオオオォォォオオオォォォン!


 ゴオオオォオオオオオオオオォオオオオォォオオオォオオオオォォォォォォン!


 間隔が短くなってきた除夜の鐘の中、愛鈴はしばらく肩を震わせた後、額の破れた呪言の札に触れた。


 クシャっと愛鈴の右手が彼女の前髪ごと、呪言の札を握りしめ、口を開いた。


「……ご主人、様。一つ、一つだけ、聞きたい事があります」


「…………」


 道士は何も言わなかったが、愛鈴はそれを一瞥した後、意を決した顔をして言葉を続けた。


「ご主人様、わたしは、」


 だが、それも途中で止まる。


 愛鈴の口は陸に打ち上げられ死を待つだけの金魚の様にパクパクと開閉し、徐々にハァハァと息が乱れていった。


「わた、しは、」


 ゴオオオォォオォオオオオオオオオオオオオォォォオオオォォォン!


 ゴオオオォオオオオオオオオォォォオオオオォォォオオオォォォン!


 ゴオオオォオオオオオオオオォオオオオォオオオオォォォォォォン!


 ゴオオオォォオォオオオオオオオオオオオオォォォオオオォォォン!


 ゴオオオォオオオオオオオオォォォオオオオォォオオオオオオォン!


 加速していく除夜の鐘。愛鈴は左腕で震える肩を抱く。右手の力は強くなり、破かれた呪言の札が更にクシャクシャに歪んでいくのがタローには分かった。


――どうするっ?


 行動を考えるが、タローには手段を思いつかなかった。愛鈴へと駆け寄るべきかと考えたがそれは悪手である。今、タローはココノエの尻尾に包まれていて、それを振り切って愛鈴の元へ行く事は死のリスクが高過ぎる。


 今、何故か道士は沈黙して愛鈴を見ているが、いつまた攻撃を始めるか分からないのだ。タローに出来る事は愛鈴へ声をかける事でだけであるが、それさえも彼女の耳には届いていない。


 今、タローには打つ手が無かった。ただ、この状況を見守る事しかできない。


 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォオオオォォォン!


 ゴオォオォオオオオオオオオォォォオオオオォォォオオオォォォン!


 ゴオオオォオオオオオオオオォオオオオォオオオオオオオオォォン!


 ゴオオオォォオォオオオオオォォォォオオオォォォオオオォォォン!


 ゴオオオオオオオオオオオオォォォオオオオォォオオオオオオォン!


 愛鈴は振り切る様に頭を振った。両手を握り締めて胸の前にプルプルと震わせながら持っていく。


「わたしはっ」


「……」


「……わたし、はっ」


 呪言の札の奥、愛鈴の顔は恐怖に彩られていた。


 パンドラの箱を開ける様に、その中に希望があると信じたいでも言いたいかの様に、その口が何度も開閉する。


 だが、だが、仮に、箱を開いてしまった時、そこに在る物が極大の絶望だとしたら?


 自分には希望が無かったのだとしたら?


 そんな恐怖が愛鈴の瞳から見て取れた。


 十二歳程度の外見のキョンシーが浮かべるにはあまりに悲痛な表情。


 そして、何度目かの従順の後、とうとう愛鈴はその言葉を紡いだ。


「ご主人、様。わたし、は、わたしはっ、李愛鈴はっ。李愛鈴は何で死んだのですか?」


***


 考えてみれば明らかにおかしな話だった。むしろ何故今まで疑問に思わなかったのかとさえ愛鈴は思う。


 村が病に襲われ、それを道士が救ったのだ。これに死の淵に居た愛鈴も救われた。


 そう、つまり、あの時点、■■に村が救われた時点で、愛鈴達は〝死なず〟に済んだのだ。


 あの時、救われたあの時、愛鈴は歓喜した。これからも自分は生きられるのだ。姉と共に、村人と共に生きていけるのだ。そう愛鈴は感涙し、目元が腫れ上がるほど狂喜した。


 けれど、ならば、何故、何故、愛鈴は〝キョンシー〟なのか。


 死なずに済み、そのまま生きていけるはずだった愛鈴達が何故、〝生き返って〟いるのか。


 何故、人間として〝生きているはず〟だった愛鈴がキョンシーとして〝生き返って〟しまっているのか。


 〝生き返る〟のには〝死ぬ〟必要がある。


 何故、そんな簡単な事に気付かなかったのだろう。


 どうして、李愛鈴は死んだのか。


 あまりにおかしな話だった。



「……」


 沈黙が下りた。愛鈴の耳に聞こえるのは響き続ける除夜の鐘の音のみ。


 山吹色の着物を着て、同じく山吹色の髪をした女性の九本の尻尾に包まれたタローが眼を見開いていた。だが、それに反応する余裕が愛鈴には無い。


「ご主人様。答えてください。どうして、わたしは死んだのですか?」


「…………」


 ■■は愛鈴の言葉に黙ったままだ。丸メガネの奥の瞳からは何を考えているのか分からない。


 愛鈴は肩を震わせた。確信が加速度を持って強くなっていく。


「お願いです。答えてください。ご主人様なら分かるでしょう? どうして、李愛鈴がキョンシーに成っているのですか?」


「…………」


 答えを聞くのは恐ろしい。だが、もう賽は投げられた。回答を聞かなければならない。


 愛鈴はもう■■に疑念を持ってしまっているのだ。


 疑念を振り払うように、祈るように愛鈴は言葉を続けた。


「ご主人様は、わたし達を助けてくれたのですよね? 急な流行り病に犯されたわたし達の村を、救ってくれたのですよね?」


「…………」


 ■■は答えない。ただ観察するように愛鈴を見るだけだった。


 愛鈴は息を整えようと胸に右手を当てる。


 心音は聞こえない。当たり前である。愛鈴はもう死んでいるのだ。


 愛鈴は自分の体が死体であると正しく認識していた。別に自分がまだ生きている存在であるとか、血が通っているとか思っていたわけではない。


 だが、愛鈴の記憶の中で、人間である時の李愛鈴とキョンシーである時の李愛鈴の記憶が連続して存在している。


 愛鈴には自分がキョンシーとして生き返った記憶が無かったのだ。気付いたらキョンシーとしてあの村に居て、■■へ尽していたのだ。


 その不自然さに、不可解さに、愛鈴はつい先ほどまで気付けなかった。


 ■■が何も答えなかったが、愛鈴は言葉を止めなかった。


 沈黙が既に答えを言っているような物だったとしても、それでも一縷の望みを賭けて、愛鈴は回答を求める。


「答えてください。ご主人様」


 ゴオオオォォォォォオオオオオオオオオオオオオォオオオォォォン!


 ゴオオオオオオオオオォォォォォォォォオオオオオオオオオオオン!


 二度除夜の鐘が鳴った。もうとうに鐘の音は五十を過ぎている。


 その鐘の音に何を思ったのか。■■は天を仰いだ。


 質問をはぐらかす気だろうかと愛鈴は思ったが、即座に違うと分かった。


 ■■の肩がクックックと震えていたのだ。


 それはまるで目的地へと辿り着いた旅人の様だった。

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