死者の慟哭--青年とキョンシー 2
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「『切り裂け』」
また一体、■■は空気を刃で妖狐の分身を切り裂いた。
ユカリという炎の魔女を殺した後、■■はキョンシー達にオニロクと呼ばれていた鬼とあのタローと言う青年達を殺す様に命じていた。キョンシー達は■■の命令通り、オニロクとタローを追い詰めていた。あのまま言っていれば十分もしない内に二体の死体が生まれていただろう。
しかし、突然、■■渾身の作品であるキョンシー達がただの死体に戻っていったのだ。キョンシー達に込めた道力が失われていく感覚を■■は鋭く感じ取ったのである。
誰かが、キョンシーの弱点を付いたのだと即座に■■は理解した。あのユカリと言う魔女もオニロクと言う鬼も知らなかったようだが、この町にキョンシーの弱点を知っている住民が居たようである。
六百近く居たキョンシー達の数が半分ほどに減ってしまった。■■は自身の作品を壊された事に激怒した。
あのキョンシー達を作るのにどれほどの工程が必要だと思っているのか。
■■にとってキョンシー達は一種の芸術品である。
死した者が再び生を持つ反魂の術。ただの肉塊に意思を持たせる奇跡の術。
この奇跡を禁じるなど■■には信じられなかった。
何故、この芸術を誰も理解しようとしないのか。
何故、この芸術の素晴らしさに誰も見向きもしないのか。
何故、この芸術を愛する自分が此処まで責められなければならないのか。
何もかもが■■には分からなかった。
それゆえ、■■は理解される事を放棄した。価値が分からない者達に用は無い。この芸術の価値を自分一人でも理解していれば良く、自分一人でもこの芸術を高め続けるのだ。
そう、■■は信じていた。自分と言う人間がこの世とあの世で誰よりもキョンシーを愛していると疑わなかった。
そんな■■の愛すべきキョンシー達を壊す者が居る。■■には我慢が成らなかった。
すぐさま■■はキョンシー達を壊し回っている主の所へと飛び立ち、その者を殺そうと世界へと命じた。
どうやら、キョンシーの弱点たるもち米を持ってきたのは妖狐である。それも九尾の狐であった。龍と言い、天狗と言い、この浮世絵町という町には大物のオトギは多すぎる。
妖狐もまた■■が彼女の元へと近付いていると気付いたようで、十数対の分身を作り出し、それを■■へと向かわせる。
分身達の体は脆く、簡単に切り裂くなり燃やすなりする事が出来た。
最後の分身を燃やし尽し、すぐさま■■は空へと逃げた妖狐を追う。
妖狐は■■と同程度の速度で飛べていたが、幸いにして今この公園は結界で囲まれている。妖狐と言えど咄嗟に抜ける事は叶わないだろう。
上下左右前後へと追い回し、一分もしない内に■■は妖狐のすぐ後ろを取った。
「『飲み込め』」
■■は狙いを定め、妖狐のすぐ上に数百十トンの水を生み、それらで龍の形をかたどった。
水龍は妖狐を飲み込まんと大口を開けた。
すると、妖狐は懐からまた何か数十枚の紙を取り出してばらばらと空中へばら撒いて、指をパチンと鳴らした。
数十枚の紙は全て再び妖狐の分身となり水龍へと両手を向ける。
瞬間、水龍の体がひしゃげた。まるでいたるところを万力で締め上げるかのように。
――神通力か。
妖狐の分身は、体は脆いものの、妖狐と同様の神通力を持っていた。一体一体の力はともかく数十の力を集めれば水龍の動きを止めるなど造作も無い。
「『穿て』」
すぐさま■■は周囲に百数の風の槍を発射し、分身達の体を串刺しにした。串刺しにされた妖狐の分身はドロンと音を立てながらただの人型の紙に戻っていく。全ての分身たちがただの紙に戻るのに二秒も掛からなかった。
が、その二秒の間に本体たる妖狐は元の形に戻った水龍の牙から逃れ、下方の森の中へと逃げている。
――なるほど。逃げるのは得意と言う訳か。
■■は舌打ちを一度付き、水龍を連れ、森の中へ妖狐を追う。何があっても逃がしてなる物か。あの女狐は■■の作品を壊したのだ。
*
――また、増えたか。
■■の前方八十メートル、妖狐はまた分身を九体出し、それらと共に森の中を右に左に飛んでいた。
何十体ものキョンシーの骸が■■の視界に移っている。その度に■■には怒りが込み上げた。自分の作品がただの肉塊に戻っている。
美しき芸術品が見るに耐えない肉塊へと前方の妖狐が変えたのだ。
――邪魔だ。
枝葉が意思を持って■■の進路の邪魔をする。ドライアドが邪魔をしているのだろう。
「『燃えろ』」
目の前で生い茂る木々を燃やしながら、妖狐との距離を詰めていく。木々は悲鳴を上げる様にその位置を舞い上がり、そこへ水龍を放った。螺旋に近い軌道を描きながら水の龍は妖狐を押し潰そうとする。
しかし、妖狐の一歩手前で水龍は透明な壁に阻まれたようにその顔をひしゃげさせた。
見ると、何時の間にか新たな妖狐の分身たちが至る所の木々に隠れ龍へと両手を向けている。
「ドライアド!」
本体である妖狐が後ろも見ずに何か叫び、それに弾かれた様にして、水龍を囲んでいた木々の根が地面から盛り上がり水龍の体を貫いた。
瞬く間に龍の体は体積を失わせ遂には消失した。水を木々に吸われたのだ。
――水では意味が無い。
即座に■■は切り替えて、懐から鉄串を十本取り出し前方へと投げ付けた。
「『切り落とせ』」
鉄串は全て巨大な青竜刀となり、回転しながら抵抗も無く、木々の幹を切り落として行く。
妖狐の分身達が先ほどと同じ様に神通力を使おうと両手を向けていたが、同じ手段を■■は許さない。
「神通力程度では止められないぞ」
青竜刀はその鋭き刃で神通力ごと分身達を切り裂いて、そのまま妖狐の所へと飛んでいく。
――だが、これくらいならば防ぐのだろう?
■■の予想通り、妖狐はその着物と同じ山吹色の巾着袋を取り出してその口を開けた。
ズシャアアアアアアアアアアアアアアアアアア、と巾着袋から許容量を遥かに越える米が生まれ濁流と成って青竜刀達を飲み込んだ。
神通力を切り裂けたとしても、濁流を切り裂く事は出来ない。
妖狐は白の濁流で青竜刀ごと■■を飲み込まんとした。
■■はすぐさま黄の紙を真下へと投げ付けた。
地面に触れた黄の紙から一瞬にして高さ二十メートル程の土壁が斜めに生え、白の濁流を受け流す。■■と妖狐の距離がまた縮まった。妖狐まで後五十メートル。
「ちっ」
妖狐は舌打ちし、すぐさま、新たなる分身達を召還した。現在分身の数は十三。
――後何体分身を出せるのか。
あの人形の紙が分身と成っているのだ。無限ではあるまい。
有限であるのなら尽きるまで追い詰めるまでである。
「妖狐よ、何時まで逃げ切れるかな?」
五十メートルは離れているのにも関わらず妖狐は■■の言葉が聞こえたようだ。
「私はタイプじゃない男に捕まってやるほど安い女じゃないわ!」
妖狐の言葉に呼応してドライアド達が■■へと枝葉を伸ばした。
「『燃やせ』」
■■は人間大の火球を三つ前方へと飛ばし、更に妖狐へと距離を詰めた。
***
「まったく、赤の女王。お前はいつもいつも私達を煩わせてくれる。もう少し平和に戦えないのか?」
ココノエから言われたとおり、あそこから東に三百メートルの所にユカリは居た。ユカリは彼女が出した炎像達に囲まれて、キョンシー達から守られている。
ユカリはその灼髪を体に絡みつかせながら、胸と腹に穴を開けて瞳を閉じていた。
オニロクはキョンシー達を殴り飛ばしながら、ユカリへと近付くが、ユカリまで後三歩の位置で炎像達にその歩みを遮られた。
「自動防御か。死んでおきながらここまでの炎像を残せるとは、いやはや、憎たらしい事にお前はやはり天才だ。だが、弱いな」
オニロクは一歩足を進め、瞬間、炎の騎士に槍で腹を貫かれた。
爆炎が周囲に響く。オニロクの体を極大の熱が襲った。
並みの鬼ならば体が爆産しているだろう。
けれども、オニロクは足を止めない。
「お前の意思が通っていない攻撃ならば私は耐え切るぞ」
威力はある。熱もある。爆炎は十分である。だが、ただそこに赤の女王の意思が無い。それだけで威力は激減している。キョンシーを牽制する事程度ならば出来るだろう。だが、オニロクと言う鬼を止めるのには至らない。
狐に噛み付かれ淑女に抱かれながら、オニロクはユカリの体を抱え、彼の左肩へと乗せた。
キョンシー達がオニロクへと群がるが、オニロクへと近付くという事はすなわち彼へと抱えられているユカリへと近寄るという事だ。いずれのキョンシーも大槍を持った騎士にその行く手を阻まれた。
――十一時五十五分か。
胸から金の懐中時計を取り出し、時刻を確認すると、あと五分で今年が終わろうとしていた。
ユカリを回収したのだ。早くココノエ達と合流しなければならない。ココノエならばまさかこの短時間の間に捕まる事は無いだろうが。ユカリを殺す事ができる相手にココノエでは敵わないだろう。
オニロクが空を見ると、ココノエが道士と空中戦を繰り広げていた。相変わらず良く逃げる物だ。
程無くしてココノエは黄城公園の森の中へと再び落ちた。オニロクの居る場所から北に六百メートル。
――あそこか。
オニロクはユカリを抱え、ココノエ達の元へと走り出した。
***
愛鈴は遂に■■を見つけた。
――見つけた!
夜空、愛鈴が捜し求めていた■■が月夜を背にして巨大な水の龍を連れ、山吹色に光る何かを追い回していた。
「ご主人様!」
叫ぶが愛鈴の声は空高くの■■に届かない。
愛鈴は少しでも■■に近付くため、森の中を駆ける。途中、何体ものただの死体へと戻った見知った顔のキョンシー達を見つけた。隣の家に住んでいた農家。村一番の美人だった憧れの女性。愛鈴と共に良く野原を駆け回っていた友達。あまりに懐かしい顔触れで、愛鈴は泣きそうになった。
もう疑念は確信に変わろうとしている。
考えれば考えるほど、愛鈴は自分の存在を疑わざるをえなかった。
――私は、私は、私は!
■■が山吹色に光る何かを追って森の中へと落ちた。大体の位置は掴める。今、愛鈴が居る場所から北西に五百メートル。
愛鈴はもう気付いていた。自分は既に人間を越えた速度で走っている。気付いたら黄緑色の炎を纏っていたし、数秒ごとにパチパチと紫電が周囲へと落ちていた。
――早く、早く、早く! あの人の所へ!
逸る愛鈴の気持ちに答えたのか、彼女の体は宙を飛んでいた。
――もっと、もっと速く!
走るような気軽さで愛鈴は飛び方を覚えていく。いや、元から覚えていたのだ。今まで飛んだ事が無かっただけで、飛び方などとっくに知っていたのだ。
大地を駆けるよりも速く愛鈴は一直線に■■の所へ飛んで行く。
愛鈴が■■と再会するまで後もう少しだった。




