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貴賓室

 ディアナは鏡の間から少し離れた小部屋に放り込まれた。


 押し込むように入れられてすぐに出ようとしたけれどそのときには外側からドアが閉められてしまった。


 部屋は明るい。

 小部屋といっても狭いわけではなく、おそらく元は王宮に宿泊する貴人のための部屋だったのだろう。

 古い時代のベッドやカウチソファがあったり、マントルピースがあったり、居心地の良さそうな部屋の作りをしている。

 しかし、市庁舎として利用する過程でキャビネットに書類が詰められたり机が置かれたりしているようで、要は物置になっている部屋だった。

 

 部屋の扉は外側から鍵をかけられたのか開けることはできず、窓はあるものの建て付けが悪いのか開けることはできない。


 ディアナは困った。

 

 このままだとヴァーツラフにいいように利用されてしまう。


 ディアナには政治が分からぬ。

 だから今の国王陛下ではなくてヴァーツラフが王になったら一体どうなるのかさっぱりわからない。

 

 けれども『善良な国民には乱暴なことはしない』と言った舌の根も乾かぬうちに『自分の理想を邪魔する者は善良な国民ではない』と言い切るその横暴には勘弁してよと思った。

 もしヴァーツラフが国王になったら、一事が万事そんな調子なのだろうか。


 そう思うとディアナはとてもじゃないがヴァーツラフが国王になるのは賛成できなかった。


 それに、あの男はディアナの大切な人をみんな殺した。

 

 それが何より許せない。

 他の誰がヴァーツラフが王になることを望んだとしても、ディアナはあの男の野望がどんな形であれ達成されるのが、本当に、本当に、本当に、嫌だった。


 しかしながら、どう考えてもディアナは余計なことをした。

 今何が起こっていて、どういう状態なのかは断片的にしかわからない。

 でもディアナがフィリプに会いたい一心でここまで来てしまったのは余計なことだったことだけはわかる。


 ディアナは、部屋の中を歩き回った。

 動いていないと落ち着かなかった。


 この部屋をどうにかして脱出するべき?

 でもそれだとここに残されるフィリプが心配。


 じゃあこの部屋をどうにか脱出した後、鏡の間まで行ってフィリプを助けて一緒に市庁舎を脱出する?

 いや、フィリプが後ろ手に縛られていたこともあるし、現実的じゃない。


 それか、どうにかして、ヴァーツラフを…。


 ディアナは、一度浮かんだ考えを頭を振って振り払った。

 あの男には、絶対に、自らの行いを後悔して反省してもらいたいし、絶対に、裁きを受けてほしい。

 

 これからディアナがどんな行動をとるべきか答えの出ないまま歩き回ったり、手近にあったカウチソファに座ったり、また立って歩き回ったりしていると、じわじわ時間が過ぎて行った。

 フィリプがどんな尋問を受けているのかも心配だった。


 ディアナが市庁舎に来たのはまだ午前中も早い時間だった。

 窓から入る日光の影を見るに、おそらく正午を回った頃だろう。

 11月はもうだいぶ日が短いのだ。


 もしも暗くなってからもここに閉じ込められる羽目になったら。

 ディアナはそう考えて、部屋の中からマジックツールのランプを探し出した。


 それからしばらく部屋の中を何か使えそうなものがないか探し回った。

 でも自分が何をどうすべきかわからないので、何が使えそうなのかもわからず、その作業は取りやめることにした。


「動き回るから余計に不安になるんだわ」


 ディアナは自分にそう言い聞かせて、カウチソファに腰掛ける。

 はしたないとは思いつつも靴を脱ぎ、足をカウチソファに上げた。


 これまで気づかなかったが、一度座ると足がむくんでいて少し痛みすらあることに気づいた。

 両手でマッサージをしながら、深呼吸をする。


 しかし、疲れているのか、姿勢が悪いのか、どうも呼吸がしづらい。

 それに、一度座ってしまったせいか、一気に眠気に襲われた。


 昨晩は馬車のなかであまり眠れなかったし、その前の晩はアルブレヒトが来ると聞いて緊張して眠れなかった。

 そう思えば、まあ眠くなるのは必定ともいえる。


 けれども、ディアナは必死に眠気に抗った。

 もしいい機会があればすぐにでも逃げ出せるように準備しておきたかった。


 努力虚しく、気づいたときにはカウチソファの上で横になっていた。


 そしてディアナは遠くなる意識の中で一つの可能性に気づいた。


 カウチソファのすぐ近くに置いておいたマジックツールのランプのつまみを回して点ける。


 明るい。

 それも異様に。


 ディアナは車掌の言っていたことを思い出した。


 マジックツールのランプは聖気があればあるだけ光を強くするのだ。


 この部屋には聖気が充満していて、ディアナは魅了されかかっている。


 それに気づいたときにはディアナはもうどうしようもない睡魔に負けて意識を手放してしまった。


♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎


 自分の咳の音でディアナは目を覚ました。


 頭が痛い。

 呼吸がしづらい。


 目を開けたときディアナはここがどこだか分からなかった。

 もう外も暗くなっていて、ランプのわずかな明かりしかなくあたりがよく見えなかったのだ。


 咳をしながら体を起こすと、


「ディアナ!?」


と名前を呼ばれた。


「フィリプ様…?」


 薄暗い中で目をこらすと、すぐ横にフィリプがいた。

 

 カウチソファの横の床に膝をついてディアナを見つめている。

 わずかな光をフィリプの目元が反射していて、涙を浮かべているのがわかった。


「…よかった、目を覚ましてくれた」


 そう言ってフィリプは額をカウチソファにつけるようにして俯く。


 ディアナは自分が聖気に魅了されかけていたことを思い出した。

 それで気を失って、夜になるまで目を覚まさなかったみたいだ。

 だからフィリプが心配していたのかと気づき、ディアナはちょっと申し訳なくなった。


「…フィリプ様こそ、ご無事でよかった」


 気絶する前に少し会ったときとそれほど変わりはない様子だ。

 ディアナがこっちの部屋に連れてこられた後も、フィリプは痛いことはされなかったみたいだ。


 ディアナは、フィリプの顎に手を這わせ、顔を上げさせる。

 それからぎゅっと抱きしめた。


「でぃ、ディアナ…!?」


 フィリプはまだ後ろで両手を拘束されたままみたいで、ディアナの行動を止めたり阻んだりしてこない。

 

 ディアナは、フィリプの体温と脈を感じた。

 

 この人は、生きている。本当に良かった。


「ディアナ、その、ハグをしてくれるのは嬉しいんだけど、と、とつぜんすぎて、僕としては、嬉しすぎて怖いんだけど…?」


 若干声が震えていて、フィリプの言葉が嘘じゃないことを感じた。


 可愛い。


 ディアナはちょっと笑って、フィリプを揶揄ってみたくなった。


「じゃあ、やめますか?」


「えっ?あ、いや、そのままで全然いいけど」


 そうは言っても、この状況をどうにかする策を考えなくちゃいけない。

 ディアナも心臓がばくばくいうこの体勢を続けた上で考えるなんてことはできそうになかった。


 ディアナは、フィリプの左の耳のあたりに一回だけキスをして離れた。


 ほっぺや唇にするのは心臓がもちそうになかったのだ。


「手を縛っているのは縄ですか?私、解くわ」


 ディアナは自分の行動に照れてしまって、若干敬語を崩しながらフィリプの後ろを覗き込む。


 顔を真っ赤にしたフィリプは、何も言わずにカウチソファに顔を埋めてディアナが自身の後ろを見やすいような体勢をとった。


「あ…。ただの縄じゃないのね」


 フィリプの両手首に回されているのは確かに縄だったが、それを固定しているのは何か小さな円盤だった。

 何か魔法陣が書かれているから、マジックツールなのだろう。


「うん、解けないように魔法で固定されている。

たぶん、南京錠みたいなもので鍵となるツールがないと解けないんだろうね」


 そうなのね、とディアナはつぶやいた。


「まあ、こうしている分には不便はないから」


 カウチソファに顔を埋めたままだったフィリプは起き上がって、ディアナの左隣に並んで座ってきた。


「…それにしても、ディアナ。本当に、なんでここまで来たの?

それにあのヴァーツラフのことをヴラディーミルって。一体どういうこと?」


 フィリプはわざわざ隣に座ってきたくせにディアナの方を見ずにそう言った。


 まだ耳まで真っ赤だ。


 照れているのに、真剣な話をしようとしているのが、ディアナにはなんだかとっても可愛く見えた。


 今度は右の耳のあたりにキスをしてみる。


 フィリプが、


「ちょっと、待って、勘弁して…。可愛いのはもう分かってるから、気持ちが追いつかないから、待って、一回でもう…」


というので一回でやめてあげた。


 それから、本題に戻る。


「話すと長くなるけど…」


 ディアナはそう前置きして、アルブレヒトの来訪の件や彼が落として行った手紙の件、そこから気づいたことや廊下でヴァーツラフと話した内容を話した。


 話を終える頃にはフィリプも照れがおさまったようでディアナの顔を見て話してくれるようになった。

 途中、父親の非礼を詫びたり、列車と馬車を乗り継いてきたディアナに無茶をするなと怒ったりしながら、話を聞いてくれた。


「そうか。父上の元にもあの怪しい手紙が届いていたのか」


「も、ということはフィリプ様のところにも?」


「うん、少し前に。最初はいたずらかと思ったけれど、何通も来るものだから少し気になっていたんだ」


「…あの手紙は、ヴァーツラフが出したものでしょうか?」


 フィリプは首を横に振る。


「いや、彼はそんなことをしない。

手下の一人が勝手にやったことだろうね」


 ディアナはフィリプに気になっていたことを尋ねてみることにした。


「あの赤い服の男たちはいったい何者なんです?」


「正確なところはわからないけど、たぶん過激すぎて国教会を破門になった一派じゃないかな」


 なぜそんな一派がヴァーツラフに与しているんだろう。

 ディアナの疑問を感じ取ったのか、フィリプは軽く説明をしてくれる。


「話は聖書の時代に遡る。

ヨダジュ様が亡くなったとき、いったい誰がヨダジュ様の後継者になるんだというのが大きな問題になった。


いろんな派閥があったけれど、結局ヨダジュ様の甥っ子が正統な後継者となった。

その甥っ子が国教会の一番はじめの首長だ。それに、ヨダジュ様のお父上が治めていたこの国を、その甥っ子が丸ごと引き継いだんだ。


それがクジェルカ朝のはじまり。

つまりクジェルカ朝はヨダジュ様と血が繋がっているというのが、王位の正統性の拠り所だったんだ。

だからこそ聖職者もヨダジュ様と血のつながりのあるものだったり、直弟子の直弟子だったりと、その出自にこだわって選ばれていたんだ。


それを壊したのが、パストルニャーク朝だ。

王朝が変わってから、神学校が身分を問わずに開かれるようになった。そうすると元の聖職者階層が、怒り始めた。

ヨダジュ様の血をその身に含まない者や直接教えを受けた者の流れを汲まない者が、聖書の教えを理解できるものか、ってね。


パストルニャーク朝はそれらの声をうまく宥めていったけれどやはり一部は宥めきれず、暴力行為なんかに及ぶ者も出始めた。

国教会は暴力を許さない。そんなわけで、過激すぎて国教会を破門になった一派ってのがいるんだ。


こんなに数が多いのは予想外だったけれど」


 ディアナはフィリプの説明に必死についていけるよう頷きながら話を聞いた。


 そんな一派なら、クジェルカ朝の末裔を自称するヴァーツラフとも相性がいいのだろう。


 ディアナはそう理解して、疑問を解決させた。


「僕としては、ヴァーツラフがヴラディーミルに成りかわった方法も気になる。

王都にいる限り催眠魔法は解けないはずって言ったんだよね?

ディアナだけじゃなく周囲の人間全てに自分をヴラディーミルだと思わせるような催眠魔法をそれなりに長い期間なんて、ずいぶん大掛かりな魔法になりそうな…」


 フィリプは真剣な顔をしてひとりごとのように喋り続けていた。


 この人を一瞬でも殺人犯かもなんて疑った自分が馬鹿みたいだった。


 この危機的な状況がそうさせるのか、ディアナは心臓がばくばくして、フィリプの横顔から目が離せなかった。


「…ディアナ、そんなに見つめられると照れる。何か聞きたいことがある?」


 その視線に気づいたようでフィリプが居心地悪そうにそう言った。

 

「あ、ごめんなさい、私ったらつい見惚れてたのかも…。聞きたいこと、は、えーっと…。

そうだ、イヴァン様のこと、王太子殿下のことを聞きたいです」


「あー、うん、そうだよね」


 フィリプは、うーん、と少し悩んでいた。


「…まず、謝っておくけど、イヴァン・ダンヘルは本当に王太子殿下なんだ。

レオポルト・ミハエル・アウグスティン・フォン・パストルニャーク=ルミナヴァ殿下。

騙してごめんね、ディアナ」


 ディアナは、あまりのことに言葉を失った。

 

 衝撃続きの数日間だが、この衝撃もなかなか大きい。

 まさか自分が知らぬ間に王太子殿下と話していたなんて…!


「いや、僕も知り合った当初は本当にイヴァン・ダンヘルだと思っていたんだ。

あの方、お忍びで街で遊ぶのが大好きで、髪色や目の色を変えて遊んでいたところ、僕と知り合った。それで仲良くなったんだ。


それに王太子殿下ご本人とは、仕事の関係で顔を合わせればお話しするくらいの関係だったんだ。

でも、王太子殿下とお話ししているときに、『あれ、なんで王太子殿下がそんなことを知っているんだ?』みたいなことが多くて…。


それでイヴァンを問い詰めたら白状した。

僕も最初は恐れ多くてイヴァンと距離を置こうとしたんだけど、なんだかんだでプライベートでは友人のイヴァンとして、公の場では王太子殿下として接するってことに」


 言い訳めいたフィリプの話ぶりにディアナは気を落ち着けた。


「なるほど…。

えっ、でも、どうしてヴァーツラフは王太子殿下を探しているんです?」


「王家に伝わる至宝を、王太子殿下が隠したからだよ。

王室は少し前から、行方不明のヴァーツラフが何やら動いているというのを勘付いていた。

だからもし万が一本当にことが起こった場合には王太子殿下が誰にも見つからない場所に王家の至宝を隠すことになっていたらしい」


「王家に伝わる至宝って、もしかして、預言者ヨダジュ様の聖杖ですか?」


 フィリプはゆっくり頷く。

 

 ヨダジュの聖杖は、聖書にも登場する。

 ヨダジュが奇跡を起こす際に振ったと言われる杖だ。

 音もないのに魔法のような奇跡を起こす預言者の聖杖。


 セリヴォーンでの礼拝で取り上げられた足の悪い女の話にも登場していた。


「聖杖は、時代を下るにつれて、この国の王たるものが受け継ぐことになった。

だからもしヴァーツラフが王を名乗るのであれば、聖杖をねらうはず。

むしろ、ヴァーツラフのように伝統を重んじるやつは、聖杖を手に入れられない限り、王位を奪い返したとは思わないだろうね、というのがイヴァンの見立てだった」


「だから、王太子殿下は隠したんですね」


「そう。

今朝、夜明けと同時にヴァーツラフ一派は王宮を襲撃した。

国王陛下は王宮で捉えられてしまっているらしいんだけど、王太子殿下は聖杖を隠すために身を隠したんだと思う。


それでヴァーツラフは王太子殿下の行方を追っているんだ。聖杖を手に入れて、国王陛下と、王位継承権を持つ王太子殿下を併せて支配するためにね。


僕は昨日イヴァンと会っていたから、彼らはイヴァンが僕に何か話したんじゃないかと疑ったみたいなんだ。

だから王太子殿下がいないとわかった途端にうちまで来て僕を連行した」


「それで、フィリプ様は、いったいどうお答えに?」


 ディアナの質問にフィリプはちょっと困ったように肩をすくめた。


「正直に話した。

本当に確かなことは何も知らない。

でも、おそらく王都の外に行ったと思うって伝えた。


もし王都が制圧されたら、国内の貴族に派兵を依頼して王都奪還に乗り出すって昨日お会いしたときにちらっと言っていたんだ」


「…それって、私のせいですよね。ごめんなさい」


 ディアナは気がかりだったことを思い切って尋ねた。


 するとフィリプは少し目を見開いて、ディアナの顔を数秒見つめたあと、へにゃっと笑った。


「ディアナのせい、なんてことはないよ。

会いたいと言って会いに来てくれて僕がどれほど嬉しかったか。


なによりあいつらやり方が卑怯だよ。

尋問されるのは僕なんだから僕を痛めつければいいのに、ディアナのいる部屋を聖気で満たし始めたなんて言うんだから」


 やはりそうだったか。

 フィリプがフォローしてくれたものの、ディアナは自責の念に駆られた。


「僕の方こそごめん。

本当は、知っていることを話す代わりにディアナを解放するように言ったんだ。


でも、ヴァーツラフめ、王太子殿下を捕えるまでは協力してもらうなんていって。

妥協に妥協を重ねて、それまでの間僕とディアナと一緒に過ごすことは認めさせた。


遅くなって本当にごめん、苦しかったでしょう」


 フィリプの優しい眼差しに、ディアナは首を横に振って見せた。


「少し寝て起きただけです。もう全然大丈夫」


 フィリプは曖昧に、ありがとう、と言った。


 それからフィリプは、カウチソファに横たわった。

 ディアナの腿に頭を乗せる形で仰向けになる。


 何かをいう間も無くそうしたフィリプにディアナはちょっと戸惑った。


「ねえ、ディアナ。僕のことを名前で呼んでくれるようになったね」


 フィリプのとろけるような笑顔にディアナはつられて微笑んだ。


「ええ。だめですか?」


「だめなわけない」


 フィリプ自身の髪が目にかかっていそうなのが気になってディアナはそっとその髪を払う。

 そのままつい彼の頭を撫でた。


「…イヴァンには悪いけど、僕らにできることは今ないから。

ここを出るにしたって、僕らふたりじゃあの赤い服の男たちに見つかるだけだから。

しばらくこうしていよう、ディアナ」


 はい、フィリプ様、と頷いて笑った。


 全く安心できる状況ではないが、いやむしろそのせいか、フィリプと過ごす時間が愛おしくてたまらなかった。

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