再会
ヴァーツラフと呼ぶべきか、ヴラディーミルと呼ぶべきか。
とにかくその赤髪の男は、ふん、と鼻を鳴らした。
「昔、時計工房に来た頃のディディはふわふわの金髪で、成長とともに髪色は暗くなった。14,5歳になるころには茶髪になっていたわ。
でも、ここ数年のディディを思い返すと、赤毛なのよ。
そもそも顔も体格も、しゃべり方も、全くの別人。
子どものころだけれど、ディディはよく笑う、可愛い男の子だったわ。
それがある時期から、生意気で、不愛想な男の子になった。思春期の自然な変化かと思っていたけれど…。
ねえ、どうやってかは分からないけれど、あなた、私たちに催眠魔法をかけていたんじゃない?
それで自分をヴラディーミルだと思わせていた」
ディアナは努めて冷静に振舞った。
緊張と興奮でおかしくなりそうだったけれど、必死にゆっくりと問いかける。
赤毛の男は、おかしそうに笑ってぱちぱちと手を叩いた。
「すごいや、ディアナさん。
ついこの前まで字も読めなかったくせに、そんなことが分かるようになったんですね。
そうです、俺がヴラディーミルです」
その喋り方は、ディアナがよく知るヴラディーミルと同じものだった。
ディアナは、唇を噛んだ。
言いたいことはたくさんあるのに、そのどれもが言葉にならない。
ただひとこと、どうして、とだけは声になった。
ヴァーツラフは、笑った弾みで顔にかかった赤毛を手でかき上げながら、すっと表情を消した。
「ヴラディーミルに成り代わった理由か?
なんてことはない。私が必要としていたときに、そこにいた。だから殺した。そして成り代わった。それだけのことだ」
ヴラディーミルを殺した。
それを、なんてこともないように言われた。
ディアナは、立っていられなくなって、その場にへたり込んだ。
「大丈夫ですか、ディアナさん」
ヴァーツラフが、あえてヴラディーミルの話し方、声音で言ってくる。
ディアナをおちょくるように。
聞こえてくる声はディディなのに、ディディじゃない。
見ている顔もディディなのに、ディディじゃない。
よく知っているはずなのに、まったく知らない男を目の前に、ディアナは視界が歪むようなおかしな感覚になった。
目の前の男の顔を見れば見るほどヴラディーミルとして認識するのに、ヴラディーミルだと思えば思うほど気持ち悪いほどの違和感がある。
セリヴォーンからの帰り道で思い浮かべた赤毛のディディは確かにこの顔だった。
ラダイアのグランドホテルで思い浮かべたディディもこの顔だった。
でも、あんな顔だったかしら、と疑問に思ったのも、この顔だった。
ディアナがヴラディーミルとして昔から知っていたのは、こんな顔の男ではなかった。
「それにしても、なぜ私の催眠魔法を突破できた?王都にいる限りは魔法が効くはずだが」
ヴァーツラフは、純粋に不思議そうに首を傾げた。
「……私にも、分からなかったわ。でも、突破できたとき、ラダイアにいたから」
王都にいる限りは魔法が効くとヴァーツラフは言った。
つまり、王都から出れば催眠魔法から抜け出せるようだ。
でも、『王都』なんて、そんな広い範囲に、催眠魔法なんて複雑な魔法、かけ続けられるものなの……?
ディアナは、目の前の男の得体のしれない強大さに、肺の奥まで凍るような寒気を覚えた。
「ラダイア? だからか。まさかあんたが王都から出るとは思わなかったからな。抜かった。
まあ、いい。私がヴラディーミルだと分かったところで、あんたにどうすることもできない」
そう言ってヴァーツラフは再び歩き出そうとした。
ディアナは必死に立ち上がって、その背に叫ぶ。
「待って! グスタフを殺したのはあなたなの!?
それに、おとうさま、ルドルフ様を殺したのもあなたなんじゃないの!?」
ヴァーツラフは立ち止まるだけ立ち止まって、振り向きもせずに頷いた。
「ああ、そうだ。それも看破したとはさすがペトラーチェク夫人」
「……っ!」
ディアナはヴァーツラフに駆け寄って、つかみかかろうとした。
何も考えていない、ただの衝動。
たどり着くよりずっと前の、腕の長さの三倍はあろうか、という距離で、ディアナは後ろに勢いおよく引っ張られ、床に打ち付けられる。
後ろ向きに倒れるようにしてディアナは床に転がった。
「無駄だ。私には近づけない」
何が起こったかわからなかった。
背中が痛い。
でもこれで終われない。
顔を上げてヴァーツラフを睨むけれど、彼はディアナを見ていなかった。
ディアナに背を向けたまま、懐中時計を見ているような腕と首の動き。
「この際だから教えてやる。あんたの母親と父親を殺したのも私だ」
そう語る背中は、何度見ても、時計工房でグスタフや父や舅と並んで作業していたものと同じ背中だった。
「な、にそれ、どういうこと…?」
背中を打ち付けた衝撃で声が出しづらい。
「そのままの意味だ」
それだけ言ってヴァーツラフは2度手を叩いた。
どこかから赤い服の男たちが走ってきて床に転がるディアナには目もくれず、ヴァーツラフに敬礼をした。
「この女を、鏡の間に連れていけ。フィリプ・ペトラーチェクと会わせるんだ」
赤い服の男たちはヴァーツラフに返事をして、ディアナの両脇に手を当てて抱き上げるようにして立たせる。
「やめて、触らないで…!」
ディアナはそう言って抵抗するも、男たちはまったく意に介さない。
ヴァーツラフは、ふっと顎を動かして男たちに自分についてくるように指示をした。
長い廊下を喚きながら連行されるディアナ。
その先をこつこつと革靴の音を立てながら歩くヴァーツラフ。
鏡の間に着くまでさほど時間は掛からなかったはずだが、仲良しのヴラディーミルに無視されながら意に反して歩かされるその時間は永遠のように感じられた。
「さあ、ディアナさん。あんたの夫はここにいる」
ヴァーツラフ自ら扉を開けて中に入る。
赤い服の男たちに背中を押され、押し込まれるようにディアナは鏡の間の中に入った。
ディアナを連れてきた男たちによってすぐに外側から扉が閉められてしまい、暗くなってしまった。
ディアナは少しよろめきながら、状況を把握しようと努めた。
ヘレナと見学に来たときに見た鏡の間は、開放的な窓と美しく磨かれた鏡によってきらきらとした豪奢な場所だった。
けれども今は昼間だというのに分厚いカーテンによって日の光は遮られ、その代わりにゆらめく蝋燭で灯りをとっている。
蝋燭の火が鏡にうつることによって、少しばかり明るさに貢献すると同時により一層場の雰囲気を怪しくさせていた。
暗さに目が馴染んでよく見ると鏡の間の真ん中あたりにテーブルとそれを挟む形で椅子が2対置かれていた。
こちらに顔を向けて座っているのは赤い服の男だが、背を向けて座っている人物は豪奢な椅子の背の高い背もたれに阻まれていて誰だかわからない。
「国王陛下」
座っていた赤い服の男がヴァーツラフに気づくと立ち上がって敬礼をした。
ヴァーツラフは、適当にそれを受け流しながらディアナを抱えてテーブルまで歩みを進める。
抵抗する間も無く、引きずられるようにディアナも歩いた。
「ペトラーチェク卿、あなたに嬉しいサプライズだ」
ヴァーツラフが言うと、豪奢な椅子に座っていた人物が後ろを振り向いた。
「……ディアナ!?」
「フィリプ様…!」
意外なことにヴァーツラフはディアナをフィリプの隣の椅子に座らせた。
けれども、フィリプに会えた嬉しさでつい椅子から降りてその膝に頬を寄せる。
「よかった、よかった…。生きてる…」
見たところ、怪我をしていたり体調が悪そうだったりする様子もない。
後手に両手を縛られている様子ではあるけれどそれも縛り方自体はそこまで痛みを伴うものではなさそうだった。
もしフィリプの両手が自由だったらディアナはその手にキスをしていただろう。
「そりゃ生きてるけど…!
なぜディアナがここにいるの!?ラダイアにいろって僕、手紙に書いたよね…!?」
ディアナはここまでの経緯を説明しようと思ったけれど、それよりもフィリプが元気に生きていることに安心して、会えた嬉しさが大きくて、胸がいっぱいになって、何も言えなくなっていた。
何も答えないディアナに困ったフィリプは、もしかして、とヴァーツラフに目を向けた。
「私の妻を強引に連れてきたんですか、ラダイアから」
ディアナが首を横に振るより早くヴァーツラフが否定した。
「私は王だ。善良な国民にそんな乱暴な真似はしない」
「違うんです、私があなたに会いたくてここまで来たの。列車と馬車を乗り継いで、それで」
えっ、とフィリプが小さく声を上げた。
「僕に会いたくてって、それでこんな危険なところまで…!?一体なに考えているの…!?」
フィリプは、困ったような怒ったような嬉しいような、複雑な声音で言った。
こんなときでも、ディアナが『フィリプに会いたい』と言ったことに嬉しさが隠しきれない様子。
ディアナはちょっとだけ笑った。
「さあ、ペトラーチェク夫妻。愛し合っているのは結構だが、私とも話をしてくれないか」
ヴァーツラフは、いつのまにかディアナたちの対面に一等豪華ない椅子を置いて座っていた。
ディアナはフィリプに会えて張り詰めていた気がだいぶ緩んでしまったのだが、ヴァーツラフを前に再び体に緊張が戻ってきた。
椅子に座り直し、毅然と顎をあげた。
「なあに、ヴラディーミル?」
あえてそう呼ぶと、ヴァーツラフは嫌そうに顔を歪め、フィリプは、何を言っているんだろうと探るように目を細める。
「その名で呼ぶな。ペトラーチェク夫人。
まあ、あんたにはもうそれほど用はない。
私が用があるのはペトラーチェク卿、あなただ」
話を振られたフィリプは、ふーっとため息をつく。
「先ほども申し上げたとおり、私は王太子殿下の居場所など存じ上げません。
第一、かの方は確かに私のことを引き立ててくださっていますが、個人的な親交など無いに等しいのですから」
「あの男、レオポルトは王太子などでは無い。王を僭称する男の息子というだけのことだ。
それにあなたが嘘をついているのは分かっている。
あなたの友人のイヴァン・ダンヘル。あれはレオポルトの変装だろう」
「随分面白い発想ですね。イヴァンは確かに友人ですが、ただの外交官。王太子殿下であるはずがない」
「あなたがそう主張するので調べさせたが、イヴァン・ダンヘルなどという外交官はいない」
「ほう。ということは彼が私に見栄を張って嘘をついていたのかもしれません。
そして、ヴァーツラフ・ボフミル・ラドスラフ・フォン・クジェルカ閣下、もし仮に、万が一イヴァンが王太子殿下だとして、私はイヴァンの居場所を知りません。
この取り調べは無意味です。我々を解放してください」
ヴァーツラフとフィリプの会話にディアナは着いていくのに必死だった。
ヴァーツラフは王太子殿下の居場所を知りたがっている。
それで、なぜかはわからないけれど、フィリプの友人のイヴァンを王太子殿下の変装ではないかと疑っている。
イヴァン・ダンヘルは、確かにフィリプの友人だ。
ミュージックホールで一度だけだがディアナも会ったことはある。
とんでもない美形のスマートな男性だった。
なぜヴァーツラフが王太子殿下の行方を追うのかは分からないが、フィリプがここに連れてこられたのはこれが理由だったのか、とディアナはひとり腑に落ちていた。
けれど、だからこそディアナは自分がまずいことをしたことに気がついた。
「強情なことだな、ペトラーチェク卿」
そう言ったヴァーツラフはディアナに視線を向けた。
蛇に睨まれた蛙のような心地になったが、毅然と視線をヴァーツラフに固定する。
「まあ察しの良いあなたなら、私がここにあなたの妻を連れてきた意味も分かっているだろう。
よくあるやつだ。『言う通りにしなければ、あんたの妻がどうなってもいいのか』ってな」
やっぱり。
本当にディアナは余計なことをした。
これじゃあ自ら人質になりにきたようなものじゃないか。
フィリプが実際何を知っているのかは分からないが、とにかく彼の意に反することをさせるために利用されることになってしまった。
後悔しても遅い。
「善良な国民に乱暴な真似はしないんじゃなかったのか」
聞いたことのないフィリプの低い声。
震える声に、怒りがにじんでいるのがよく分かった。
「私の理想とする国の実現を阻む者は善良な国民ではない」
きっぱりと言うヴァーツラフ。
ディアナは、申し訳なさと後悔でいっぱいの頭で、必死にこの状況を打開する方法を考えていた。
けれども、突然椅子を後ろに引かれた。
驚いて顔を上げると、両脇に赤い服の男が立っており、連れてこられたときと同じように両脇を抱え上げられた。
いや、と声を上げたけれど、そんなことは気にも留められない。
「ディアナをどこに連れて行く!?」
「すぐ近くの部屋に行くだけだ。そう心配しなくていい。
ペトラーチェク卿、あなたの選択次第だがな」
赤い服の男たちに抵抗するけれど、全く意味がなく、ディアナは軽い荷物を運ぶようにしてあっという間に鏡の間から連れ出されてしまった。




