ディアナの大切なひと
春が終わり、夏が来た。
からっと乾いた天気で、午前中の早い時間はずいぶん過ごしやすい。
「ディアナ、気をつけて」
馬車から降りるディアナにフィリプが手を貸してくれる。
「ありがとう、フィリプ様」
その手を取って馬車を降り、杖をついた。
フィリプは馬車の中から花束を取り出して抱えて持つ。
「辛かったらすぐに言ってね」
「大丈夫よ。
叙勲式だって大丈夫だったじゃない。これくらい平気よ」
フィリプと腕を組み、反対の手で杖をつく。
「でもあのときは車椅子だったでしょ」
「そうだけど」
その後もつらつらと言い募るフィリプにディアナは唇を尖らせた。
過保護すぎる。
本当に大丈夫なのに。
杖だって本当はなくても大丈夫なのだ。
万が一めまいでもしたときのために持たされているだけで、足が悪いわけでも無いし、杖がないと歩けないわけでも無い。
そうは思いつつも、フィリプが心配する気持ちもわからなくはない。
ディアナは、フィリプと組んだ腕にぎゅっと力を込めた。
「いいから行きましょう、フィリプ様。早く見せたいの」
ディアナがぐいっと引っ張ると、フィリプは、もう、と呟きながら歩き始めた。
18番街の教会墓地。
グスタフやディアナの両親、グスタフの両親はみんなここに眠っている。
それから、本物のヴラディーミルも、ここにお墓を作った。
あの夜警察は捉えた教団のメンバーに本物のヴラディーミルをどうしたのか問い詰めて、遺体を見つけた。
もう白骨化してしまっていたが、事情を知る者で葬儀を行い、親しい者も眠るこの墓地に埋葬したのだ。
しかしそれはディアナの意識がない間に行われたことで、ディアナがヴラディーミルのお墓に来るのは今日が初めてだった。
ペトラーチェク夫妻は、ディアナの家族が眠るお墓の前までやってくると、それぞれのお墓に一つずつ花束を備えて手を合わせた。
夏の朝の爽やかな風が吹き渡り、緑の匂いが胸いっぱいに広がる。
「今日はね、これを見せに来たのよ」
ディアナはグスタフの墓の前で、騎士の徽章をつけたジャケットの襟を見せつけた。
ディアナは騎士として叙勲されたのだ。
春のある日、国王陛下から届いた手紙は、ディアナ・ペトラーチェクに騎士の称号を叙勲することを決めたという知らせだった。
ヴァーツラフのクーデターが起こった夜、王太子レオポルトを助けた功績を認めて、国を守る騎士としての地位と名誉を授けてくれるというのだ。
そんなの畏れ多すぎる!
ディアナは、手紙を読んだ勢いそのままに辞退の手紙を書こうとしたのだが、フィリプに全力で止められた。
ディアナの頑張りを考えれば騎士の称号くらいじゃ足りないし、認めるのが遅すぎるくらいだ、とフィリプは言った。
そうは言っても、騎士だって一代限りといえど貴族だ。
もう形骸化しつつある制度で騎士の称号を授けられたところで特に何があるわけでも無いのだが、貴族は貴族。
あまりに不釣り合い。
ディアナは断固として辞退しようとした。
だいたいディアナは走り回っていただけで肝心なところは王太子レオポルトであるイヴァンがやったわけだし、作戦を考えたのだってイヴァンだ。
それにフィリプだって自白剤を飲まされてなおイヴァンのために嘘をついたりと貢献しているのだから、騎士ならフィリプの方が向いている。
と、散々言ったのだが、あれよあれよという間に王宮での叙勲式に連れて行かれたのだ。
しかもその叙勲式のために、男装の麗人のような騎士服まで新たに仕立てられ、着せられ、例によって例のごとくフィリプに褒め称えられた。
叙勲式にはフィリプはもちろん、時計工房のみんなやヘレナ、ラウラ、マティアシュも来たし、アルブレヒトまで来た。
アルブレヒトは
「うちの家から騎士に叙勲されるものが出るとは!」
と褒めちぎってきたのだが、ディアナは、どうもありがとうございます、という他なかった。
ラダイアで会ったときに侮辱されたのをディアナは根に持っていた。
叙勲式は、国王陛下から優しく刀礼を受けたほか、さまざまな誓いの言葉を言ったり司祭からの祝福を受けたりと、さも『これこそ儀式でござい!』といったもので、車椅子での参加だったがディアナはだいぶ疲れた。
もうやりたくない。
きらきらした上流階級の世界に憧れてやまなかったディアナだが、きらきらするのも疲れるということが身に沁みてわかった。
その後開かれた祝宴で、久しぶりにイヴァンと話す機会があった。
イヴァン自身、結局ヴァーツラフを目の前で死なせてしまったので、国民を守るべき王太子の失態として、簡易的な裁判の末三ヶ月ほど王都の端にある王太子宮で謹慎していたらしい。
といっても、死なせてしまったヴァーツラフは反逆者本人だから謹慎も形式上のもので、普段は公務で忙しくしているイヴァンにとっては休暇のように過ごせるいい機会だったと言って笑った。
そして謹慎明け、今回の功労者を称したいとして国王陛下に上奏した結果がディアナの騎士叙勲だったという。
イヴァン本人もディアナを何かしらの形で労いたいとは思っていたが、何よりフィリプから毎日のように手紙が送られてきていたのがきっかけだった。
フィリプは、『善良なる国民を守るのはイヴァンの責務じゃなかったのか。最大限安全に配慮すると言ったくせにディアナをなんて目に合わせるんだ』と手紙でイヴァンを責め立てたらしい。
謹慎中、ディアナはまだ意識を失ったままだったから、イヴァンは大いに後悔し、ディアナが目を覚ましたら最大限功に報いようと考えていた。
だから、クーデターが失敗に終わったのはディアナの尽力のおかげだということを国王陛下や議会に説明して、騎士叙勲へと持ち込んだという。
そもそも、ディアナの治療にはイヴァンの進言で王室がかなり関わっていたらしい。
祝宴でそんな一連の流れの種明かしをされたディアナは、つい喉を締められたような声を上げた。
この体は、王室の協力のおかげで生きている……!!
あまりに恐れ多すぎて、ディアナはなぜ言ってくれなかった!とフィリプをじっと見た。
フィリプは憮然とした表情で、
「まだイヴァンを許していない」
と言っただけだった。
そうは言っても、その後仲良く小突きあったりしていたので、軽口のようなものだろう。
自分がうっかり無茶したせいで、彼らの友情にヒビが入るのは耐え難い。
二人が仲良く話しているのを見てディアナはほっと胸を撫で下ろした。
それから二週間ほどが経ち、叙勲式の疲れが抜けたディアナは、フィリプを伴ってグスタフたちに報告に来たのだ。
夏の日光に照らされて、騎士の徽章がきらきらと輝く。
叙勲式は大変だったし、畏れ多いのは変わらないけれど、こうしてみるとやはり嬉しい。
「騎士の徽章。私、女騎士になったのよ」
グスタフに語りかけるつもりで言ったが当然返事はない。
死者と生者の隔たりは大きい。
あの夜、マジックツールを握らせたのが、ディアナの見た幻覚だったのか、グスタフの幽霊だったのか、全く別の何かだったのかはわからない。
でも、考えたところで真実はわからないのだから、自分が『そうだといいな』と思うものを真実だと思うことにした。
ペトラーチェク夫妻は、しばらく、お墓の前で風の音を聞いていた。
「……また来るね」
ディアナは、グスタフたち家族に手を振って、フィリプの腕を取る。
「ん、もういいの?」
「ええ、行きましょうか」
そうして、ペトラーチェク夫妻は来た道を戻る。
「あなたが一緒に来てくれて、みんな喜んでいると思うわ」
ディアナが静かにそう言うとフィリプは、ちょっと間をあけてから、うん、と頷く。
「そうだといいけど」
ちょっと含みのある言い方でフィリプが返事をした。
「え、どうかした?」
笑いながら聞くと、フィリプも笑った。
「いや、少なくともグスタフさんは仏頂面をしてそうだなって思ってさ」
「そうね、確かに。
でも、グスタフと仲良かったでしょう?
工房に来るたびによく話し込んでいたじゃない、フィリプ様」
「え!?」
フィリプが突然大きな声を出すのでびっくりしてディアナも、ひゃっ、と声を出した。
「あ、ごめん。
……いや、あのー、僕が工房でグスタフさんと話し込んでいたのは、その、ディアナに会えるまで粘っていただけだよ」
フィリプが照れたように鼻の頭を掻きながら言うので、ディアナは自分の顔が赤くなるのを自覚した。
「……そうだったの?」
「そうだよ。
なんなら、グスタフさんは僕のこと嫌いだったんじゃないかな」
ディアナはそれに関して否定も肯定もできなかった。
グスタフは人やものへの好き嫌いをあまり言うタイプではなかったし、そこまで態度に出るタイプでもなかった。全てに対して等しく仏頂面の無愛想だったから。
返事に困ったディアナは、
「な、なんでそう思うの?」
と質問を返した。
「なんでって、そりゃ、自分の妻に横恋慕する男なんて邪魔者以外何者でもないでしょ」
至極当然と言う顔でフィリプが言う。
ディアナはフィリプの言うグスタフと、自分のイメージするグスタフが微妙に違うので、首を傾げることしかできなかった。
「そんなこと気にするタイプかしら、グスタフって」
「相当気にするタイプだよ……!
むしろなんでディアナがそこまで気づいていないのか不思議で仕方ない」
そうかしら、とディアナは首を傾げた。
ディアナとグスタフは、手近にいた男女だから結婚して夫婦になった。お互いに大切な幼馴染で、大切な家族だけれど、フィリプの言うような恋愛感情はなかった。
……とディアナは思っているが、グスタフの思いを確認できない以上、真相は藪の中だった。
「ところでさ、ディアナ」
フィリプが突然足を止めた。
「なあに?」
顔を見上げると、フィリプは若干胡散臭い笑みを浮かべていた。
「僕のこと、いつまで『フィリプ様』って呼ぶつもり?」
ディアナは、はて、と首を傾げた。
「だめ?」
「だめ。
『旦那様』よりははるかにいいけど、距離を感じる」
「そうかしら。言葉も崩しているのに?」
「……夫婦なのに、様付けは寂しいよ」
捨てられた子犬のような顔をされて、ディアナは、ちょっと、いや、かなりキュンとした。
でもなんだかそれをそのまま明かすのは恥ずかしいから、笑って誤魔化した。
「そう?それならなんて呼んでほしいの?」
年上らしく、余裕そうに尋ねるとフィリプは目を輝かせる。
「グスタフさんを呼んでいたみたいに呼んでほしい」
「グスタフを呼んでいたみたいに?」
変な注文をつけるのね、とディアナは思った。
呼び捨てということだろうか。
「うん」
にへらっと笑うフィリプ。
ディアナはちょっと考えて、フィリプの袖をくいっと引っ張った。
「耳を貸して」
フィリプに体を傾けさせ、彼の左耳に唇を近づけた。
戸惑いながらも促されるままにするフィリプ。
「……フィル。愛してるわ」
なんだか恥ずかしくてそれだけ言ってすぐ離れる。
フィリプの方も、顔を真っ赤にして目を見開いてディアナを見つめる。
「え……?」
「だって、フィルが、『グスタフを呼んでいたみたいに呼べ』っていうから。
グスタフと二人きりのときは、グスティって呼んでいたんだもの」
幼い頃、舌足らずの幼児には『グスタフ』が言いづらくて『グスティ』と呼んでいた。
その頃の名残で、二人で過ごすときには夫を愛称で呼んでいたのだ。
子どもっぽくて恥ずかしいから二人きりのときだけの約束で、グスタフも『グスティ』と呼ばれることを好んでいた。
だからグスタフを呼ぶように呼んでくれと言われれば、フィリプは『フィル』なのだ。
「……フィリプの方がいい?」
あまりにもフィリプが何も言わないから、不安になって聞くと、彼は首を大きく横に振った。
「いや、いや!!フィル、フィルがいい……!」
それなら良かった、とディアナははにかんだ。
『グスタフを呼んでいたように呼んでくれ』というのはきっと呼び捨てにされるグスタフが羨ましかっただけなんだろうな、と分かっているが、フィリプの照れる顔がディアナは大好きなのだ。
突然愛称で呼んで揶揄ってみたかった。
目論見が成功したディアナは上機嫌で、フィリプの腕にくっつく。
「フィル、フィル、私新婚旅行には海が見えるところに行きたいわ」
「……え?あ、ああ、うん。海、海ね」
気のない返事がディアナは不満で、もう、と呟く。
「フィルって呼ぶたびにそんな反応になっちゃうなら会話にならないわ」
「だって、ディアナ。フィルだよ!?
さっきまで様づけだったのに、可愛い奥さんから突然そんな可愛らしく呼ばれたらさ、気も抜けるよ……!」
揶揄いがいのある旦那様だわ、とディアナは笑った。
以前はこんなに可愛らしい人だとは思えなかった。
キザで余裕があるのがフィリプ・ペトラーチェクだと思っていたのに、ディアナの夫のフィルは照れ屋で慌ただしくて……。
この人をこんな風に思えるのはきっとディアナだけ。
それがなんだか嬉しかった。
乗ってきた馬車まで歩いて戻り、フィリプの手を借りて乗り込む。
フィリプが乗って馬車は帰路へと着いた。
馬車の中で、
「ディアナ」
と、フィリプに名前を呼ばれて、ん?と顔を上げた。
すっと頬に手を添えられて、唇にキスをされる。
突然のことに驚いた。
でも、ディアナも、キスがしたいと思っていた。
「愛してる」
と言ったのか、言われたのか、分からなかった。
なんだかレモンが食べたいわ、とディアナは思った。
完結です。
ここまで読んでいただいて本当にありがとうございました。
途中途切れていた期間も含めて4年半。30万字超えのWeb小説を見つけて読んでくださって、本当にありがとうございます。
読者のみなさんのおかげで完走できました。
感想・評価いただけると大変嬉しいです。
X(@okonoghi)に匿名質問箱設置しているので、そこに感想送っていただいても嬉しいです。
次も長編書きたくて構想練っているので、またどこかでお会いしましょう。
読者の皆様、本当に読んでくれてありがとうございました。




