伏魔殿の噂
ハザマ様 =室生 透青
室生家の巫覡をしている。
今の立ち位置は、お役目様代理
中の人は月島 秀青。芸大の助手をしていた。
室生 御影
本家の人間。先代のお役目様の内孫、三人衆の内一人
霊的能力を持つ。光の父親
室生 初音 : 御影の内縁の妻
仕事として現・お役目様 光のお世話をしている。
光とは血が繋がりはないが息子のように接している。
室生 光
現・お役目様。まだ幼く、屋敷神の器なので自我がない。
参考図書 : 「生き神信仰 人を神に祀る習俗」宮田登 著
「日本神人伝」不二龍彦 著
俺は、愛する内縁の妻である初音と、息子の光が待つ室生本家へと数日ぶりに帰った。
外での仕事が立て込んでしまい、なかなか戻れずにいたのだが……屋敷の敷居を跨ぐなり、なにやら嫌な気が漂っている。どうやら俺がいない間に、また一悶着あったらしい。
案の定、帰宅早々に女中頭の小梅をはじめとする使用人たちから、初音に関する心ない噂話を吹き込まれることとなった。
「初音様ったら、光様のお世話をなさっている間もスマホを手放さず、始終画面を覗き込んでおられまして……」
「それに、光様を随分と厳しくお叱りになっておられました」
「あろうことか、初音様は庭に生えている雑草を光様に食べさせておられました!」
口々に告げられる言葉は、どれも初音を貶めようとする意図が見え見えのものばかりだ。
元々、室生家は格式の高い旧家であり、抱えている使用人の数も多く、極めて閉鎖的な環境だ。
外部からの新しい風が入らず、同じ人間が狭い空間に長く留まっていれば、自ずと人間関係は歪み、嫉妬や意地悪が芽生えやすくなる。
そんな閉鎖空間の人間模様はどこにでもある話だが……この室生の本家は、界隈でも特に「伏魔殿」とまで揶揄される場所である。悪意に満ちた尾ひれがつくのも無理はない。
俺は主観や感情に流されない客観的な意見を得るため、執事のもとへ向かうことにした。あいつなら、この屋敷の影で何が起きているかを誰よりも正確に把握しているはずだ。
「惟光、初音について良くない噂が立っているようだが……お前の見解はどうだ?」
部屋に控えていた惟光は、表情ひとつ変えずに深々と頭を下げた。
「……ご心配には及びません。いつもの使用人どもによる、くだらないストレス解消の類でございます。初音様は本家の人間からも嫉妬を買いやすいお人柄でありますので」
「まあそうだろうな。初音の耳に入って傷つかなければ良いんだが……で、実際の真相はどうなんだ?」
「実は、光様がお食事をお摂りにならなくなりまして。その代わりにお庭の花の蜜をお吸いになるようになったのですが……先日、毒性のある躑躅の花の蜜をお吸いになろうとしたため、初音様が厳しくお叱りになられたのです」
「躑躅か……。確かに種類によっては強い毒性があるって言うな。命に関わる危険があるなら、厳しく叱ったのも当然だろう」
俺の言葉に、惟光はさらに説明を付け加えた。
「お庭に植えられているのはレンゲツツジ等の猛毒種ではなく、比較的に安全な品種ですので実害はございませんが……万が一の危険を考えれば、初音様の判断は極めて正当なものでございます」
「はーん、なるほどな。初音はスマホで遊んでいたわけじゃなく、庭に生えている花や植物の毒性を逐一調べていたというわけか」
「左様にございます」
「じゃあ……『庭の草を食べさせていた』という話の真相は、直接初音に聞くとしよう。時間を取らせたな、惟光」
「とんでもございません」
*****
息子である光は……屋敷神の器であり、お役目様という巫覡の存在だ。いわば室生家の頂点に君臨する特別な命である。
当然、普通の子どもとは様子が異なり、半端な人間に任せられるような子ではない。だからこそ、初音が引き受けてお世話をしてくれているのだ。
自分の血を分けた子ではないにもかかわらず、初音は光の『お世話係』という仕事を越えて、まるで実の子のように深い愛情を注いでくれている。
「初音、ただいま。光の世話をいつもよくやってくれて、ありがとうな」
奥の部屋へ足を踏み入れ、声をかけると、初音はパッと表情を輝かせて振り返った。膝元にいる光は相変わらず無反応のままだが……そこは少し寂しい……。
「あ、御影様! お帰りなさいませ! お仕事はどうでしたか?」
弾んだ声で出迎えてくれた初音のお腹は、俺たちの新しい命が順調に育っている証として、ふっくらと丸みを帯び始めていた。その愛おしい姿に、仕事の疲労が一気に吹き飛んでいくのを感じる。
「厄介な案件だったが、なんとか片付けてきたよ。……それより初音、光がご飯を食べなくなっちゃったんだって?」
「そうなんですよ……。理由が分からなくて困っているんです。でも食欲自体はあるみたいで、お庭の花の蜜を片っ端から吸おうとするのでヒヤヒヤしてしまって。野生のツツジなんかもたまにぽつんと咲いていたりするので怖くて、お庭の花の毒性をスマホで調べていたんです」
——やっぱり真相は惟光の言った通りだ。初音に任せておいて本当に正解だった。
「なるほどな。……ところで噂で聞いたんだが、光に『庭の草』を食べさせていたっていうのは本当か? 光はそれを口にできるのか?」
俺が尋ねると、初音はにっこりと笑い教えてくれた。
「ふふ、それってきっと龍の髭の塊根のことですね! 私が幼い頃、ここのお屋敷の庭師さんに教えてもらって、よく食べていたんです。私自身が食べて大丈夫だったものですし、光様も気に入ったみたいで一緒に食べていたんですよ。本当に甘いんです!」
(……なるほど、幼い頃からこの屋敷の庭師と親しくなって、そんな知識まで身につけていたのか)
伏魔殿と呼ばれる屋敷で、庭師とも打ち解け、たくましく知識を蓄えて生きてきた初音。
その飾り気のない逞しさと純粋さに、俺は改めて深い愛おしさを覚えた。
————しかし、まだ問題は残っているぞ、何故、光は食事を摂らなくなった?




