↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ミスジョッキー   作者: 井ノ上
第十七話

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
95/132

研鑽と冷雨

 役割ができた。それ自体は嬉しいことだった。


 トレセンでの立場は、実習生である。

 だから、できないからといって、すぐに叱責されはしなかった。


 一回、失敗して注意されたことを、二度やると、きつく叱られた。それでも、物腰は柔らかなのだ。


 人に厳しくしてもらえない以上、自分で、自分を厳しく律しなくてはいけないよ。


 ある時、天道に言われ、ことあるごとにあいはその言葉を噛みしめた。


 天道の指示で、鞍を着けていない状態のファーストステップに乗馬したのは、夏の終わりだ。


 ファーストステップは、駈けると右にはみ出す感じがあり、馬体のバランスを崩していた。


 調教を行っていくうちに、本来の姿勢が崩れてしまう馬は、珍しくないらしかった。


 運動姿勢の矯正を目的に、二日に分けて、三十分程度、ファーストステップに乗った。


 天道の助言に従い、あいは自分とファーストステップが、柔らかな球体に包まれているイメージをした。


 結果、ファーストステップの状態が改善されると、他の似た状態の馬にも、鞍を着けずに乗馬するようになった。


 馬を自然な状態に戻すというのが、あいの役目となった。


 坂路を使った追い切り調教や、タイムを意識した本番さながらのコース調教は、馬にとって負担が大きい。


 大抵、その前後は、人を乗せずに歩かせたり、乗ったとしても、軽く駈けさせるだけに留め、馬をリフレッシュさせる。


 そういう休息日の馬が、あいに回ってきた。


 次第にこのことがトレセン内で広がり、あいが裸馬に乗っていると、見物人が現れるようになった。

 その中には、他所で厩舎を預かる調教師もいた。


 数日して、他所の厩舎からも乗馬の依頼が来た。


 天道の承諾があり、あいが厩舎を訪ねた。やることは天道厩舎と同じだった。


 矯正するのではなく、見失っている本来ならのものを思い出させる。そのつもりで乗った。


 やがて、あいのもとに来る依頼は、三つ、四つと増えていき、日に三、四頭に乗る、という具合になりつつあった。


「このままでいいのかな」


 あいが呟くと、砂浴びを満喫していたファーストステップが、寝転んだまま首だけ反らして見上げてきた。


 トレセンに来て、はじめて乗った現役馬に振り落とされた時の衝撃は、今も忘れられない。


 同じ馬を、零はあっさりと乗りこなして見せた。近づいていると思っていた零との距離を、思い知らされたのだ。


 あの日を振り返ると、確実に進歩している。人に頼りにされ、それに応えられているという充足感もあった。

 だが、このままで零に追いつけるのか。


 模擬レースで一緒に走る。約束はそうだが、ただ走るだけではない。そして、その一度きりでもない。


 これから先、零とは幾度となく競い合う。零だけではない。正士郎や大矢といった同期たち、そしてなにより、場数を踏んだベテランの騎手たちがいる中で、勝ちを掴みとっていかなければならない。


「学校にいた時は、騎手になりたい、としか考えていなかったな。ここに来て、なった先のことが見えてきたんだ」


 ファーストステップは足を振り子のように動かして、寝返りをうった。馬体は砂にまみれている。


「できることだけやっていても、駄目な気がする。私だけ、まだコースにも出れてない」


 反応は返ってこないが、目の前のファーストステップに話しかけ続けた。


 大矢と杉本は、すでにコースでの併馬《あわせうま》に参加していた。


 二頭以上での併走練習は、競走馬の闘争心を搔き立てたり、先行や差しといった脚の使い方を試すことを目的として行われる。


「天道さんは、なにか考えがあるのかな?」


 ファーストステップが、砂から起き上がって身震いをした。


 知らん。満足したし、もう行くぞ。


 そんな具合に鼻を鳴らした。仕草を通して、ファーストステップの声を感じとれたのは、はじめてだった。


 これまでは、一方的にあいが話しかけ続けてきた。性別は違うが、綾と同じ葦毛の馬だ。それだけのことで、初対面で親近感を抱いた。


 関わるうちに、性格は綾とは全く違うということはわかった。


 人と馬も、長く一緒にいると似てくるのかな。あなたと久瀬さん、似てる気がする。


 ファーストステップの首を抱き、心の中で語りかけた。


 ふと、ファーストステップが後退し、あいから身体を離した。目を見つめようとすると、そっぽを向かれた。


 面映《おもはゆ》くなったのか、急によそよそしくなるところも、やはり久瀬に似ている、とあいは思った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。