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ミスジョッキー   作者: 井ノ上
第一話
4/21

裸馬と少女 ③

「お嬢ちゃん、名前は?」

 

 馬郷へ続く山道を歩きながら、天道は尋ねた。


「藤刀、あい、です」

「そっちの馬は?」

「綾」

「仲がいいんだ」

 綾とあいが、家族のような絆で結ばれているのは、様子を見ていればわかった。

 

 綾が道の先に立ち、その後ろにあい、天道と続いた。綾の足取りに、迷いは感じられない。


「俺は、天道駿(すぐる)だ」

「てんどう、さん。騎手だった?」

 あいが振り返り、はじめて関心らしい関心を示した。ここまで、あいはずっと目を反らし、天道を避けていたのだ。


「山南か?」

「はい、山南さんに、あの、天道さんが優勝した有馬記念の、レースの録画を、観せてもらって」


 あいの口調はたどたどしく、人と話すのが不慣れな様子だった。


「懐かしいな。有馬を制したのは、引退する一年前だったから、もう十三年前になるのか」


 二十五の時だった。史上最年少というわけではなかったが、有馬で競った歴戦の騎手の中では、まだまだ若手だった。


 天才などと呼ばれていた当時を、天道はいくらか苦い気分で思い返した。


「あの、騎手になるには、どうしたらいい、ですか」


 あいが足を止め、訊いてきた。天道がなぜ引退したのかなどは、気にもならないのだろう。

 

 前髪の奥にある、あいの瞳に、切迫したものを感じとった。


「騎手になりたいの?」

「強い人に、なりたいんです」

 言って、あいは薄い唇を噛みしめた。


「強い人?」


「私は、勉強もスポーツもできなくて。みんなを、がっかりさせてばっかりで。綾が、そんな私をいつも慰めて、支えてくれて」

「だから、馬と関わる仕事をしたい? なら、厩務員にでもなったらいい。騎手は、きついよ。命がけの生き方でもある。仕事じゃない、生き方さ」


 あいが立ち止まったことで、綾も足を止めていた。この馬が、あいを置き去りにしてどこかへ行ってしまうことは、多分ないのだろう。

「厩務員になれば、あの馬とも一緒に居られる」


「それじゃあ、駄目なんです。私は、強くならないとっ」


 悲痛な声が、冬枯れした木立の間にこだました。あいは自分の口から出た大きな声に驚いている。


「すみません」


 あいが再び歩き出した。綾も、歩き出す。


 馬郷に到着すると、山南と一人の女が、厩舎の並びにある建物から飛び出して来た。建物は二階立てで、宿舎兼事務所らしかった。


「約束、破っちゃってごめんなさい」

 山南は、叱る言葉を失い、あいに笑いかけた。


 女があいに抱き着いた。あいの母親らしかった。あいと母親のやり取りを、天道は綾の傍で聞いていた。


 あいは母の運転する車に乗り、家へ帰っていった。


「過保護そうな親だ」

 娘との会話を聞いていて、抱いた感想を、率直に口にした。


「そんなふうに言うな。ほんとうなら、今回のことで、俺は訴えられてもおかしくはなかった。けれど、許してもらえた。娘が元気に話すのは、綾と、馬郷のことだけだ、と言って」


「僕をここに呼んだのは、あの子と会わせるためか、山南?」

「こんなかたちになるとは、思っていなかったよ」

 山南が肩を竦めた。


 もう少し待って、あいが戻ってこなければ、捜索隊を呼ぶつもりだったのだろう。


「あの子、騎手になりたいらしい」

「聞いたのか」


「強い人間になりたい、とも言っていた。その二つが、あの子の中でどう結びついているのかは、ちょっとよくわからなかったが」


「明日も来るだろうから、また話を聞いてやってくれ。綾に飼料をあげて、自分はおにぎりを持ってきて、一緒に朝ごはんを食べる。それも毎日だ。平日は、登校前にな」

「へえ」


 今日のようなことがあった後では、あの母親が許さなそうだ、と思ったが、綾の横顔を見ると、なにがなんでも来そうだ、という気もした。

 

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