同期とサファイア ⑤
サファイアジャケットと、障害馬場に出た。
サファイアの毛並みは光沢がある。太陽の加減で、鮮やかに輝くのは、まさしく宝石のようだ。
本来なら、今日は栗毛の牝馬、オハナと実技訓練に臨むはずだった。
昨日は基礎馬術もそこそこに切り上げられ、乗馬で学校の外周を散歩する許可が出された。
しかし、校門の前でサファイアが嫌がり、一歩も進まなくなってしまったのだ。
仕方なく、オハナに乗り替えて、散歩に出た。
学校の裏手は雑木林になっていて、その中を小道が通っていた。木漏れ日の射す道を、涼しいそよ風を浴びながら散歩するのは気持ちよかった。
オハナの足取りも軽く、訓練では見せない楽しげな表情を見せた。
校外を一周し、厩舎に戻ると、サファイアが馬房の採光窓から外を見つめていた。花が散り、青葉が芽吹いている桜を見つめていたに違いなかった。
入学して、二週間が経過していた。
だんだんと、サファイアのことがわかりはじめていた。
「昨日、ほんとうは散歩に行きたかったんだよね。でも、勇気が出なかった。だから嫌がったんだね」
サファイアに話しかけた。
障害馬場の一角で、一定間隔に敷かれた横木を踏まずに通過する訓練の最中だった。
あいと乗馬未経験だった同期以外は、障害飛越に進んでいた。
あいも、オハナとはクロスバーを跳んでいるが、サファイアとではまだ教官からのゴーサインがでなかった。
「私もね、少し前まで、勇気が出せずにいたんだ」
騎手になりたいという思いを抱きながらも、一歩目を踏み出せず、燻っていた中学時代を思った。
そこに、天道が現れ、君は騎手になれると、あいの背中を押してくれた。
天道が勇気をくれたから、自分は最初の一歩を踏み出せたのだ。
サファイアが、横木を抜けた先で立ち止まった。その首に、あいは掌を当てた。
サファイアの目は、障害飛越する仲間たちに向けられている。
その横顔に、かつてクラスでひとりぼっちだった自分が重なった。
「サファイアもできるよ。最初は戸惑った横木だって、ほら、いまはもう普通に通れてる。だから、だいじょうぶ」
サファイアが頭を振った。自分の言葉を拒んでいるのではない。踏ん切りがつかないだけだ、とあいは感じた。
「一緒に跳ぼう。私とサファイアなら、絶対、やれるよ」
力強く、言った。
不安を抱えたまま、誰かを勇気づけることはできない。馬を相手には、虚勢も通用しない。
天道は自尊心を持っていた。そんな天道が励ましてくれたから、厳しいトレーニングをやり切れ、試験も突破できた。
天道には騎手時代に築いた実績があった。対して、自分はまだなにも成し遂げてはいない。
けれど。
「絶対、跳べる」
あいは断言した。
虚勢ではなかった。自分は信じられなくとも、天道が信じてくれた自分のことなら、信じられる。
天道から貰った勇気なら、分け与えられる。
サファイアの躰から、すっと無駄な力が抜けた感じがした。
「障害を跳ぶか」
「小早川先生、いいですか」
「自信があるのだろう」
「はい」
「なら、いけ。ただし、まずは一番低いクロスバーだけだ」
馬の脚の怪我は、命にも関わりかねない。サファイアに自信をつけさせてやりたいが、無茶をするつもりはなかった。
天道も、決してあいに無茶はさせなかった。一つ一つ、小さな成功を積み重ねさせ、試験に挑む力をつけさせてくれたのだ。
小早川に指定されたクロスバーに向かった。助走に十分な距離をとり、馬首を巡らせた。
「さ、行こう」
眼前にはなにもない。
そんなふうに、サファイアは駈け出した。それでよかった。飛越のタイミングは、あいが測っている。
手綱を通じて、サファイアの弾むような気持ちが伝わってきた。サファイアの心。はじめて、はっきりと感じられた。
歩幅は合っている。クロスバーが迫る。ここ。前脚を胸に引きつけ、躍った。後ろ脚を抜く。サファイアの動きが、我が身のように感じられる。
柵の手前まで駈け抜けた。
午後の学科は、先日学んだ馬体の仕組みを踏まえつつ、厩舎の馬を観察して粘土で馬の像の作成に取り組んだ。
夕食後の自由時間になると、あいは厩舎へ行った。
サファイアは月に照らされた路面を眺めていた。植樹の影が、風で、生きもののように動く。それが面白いのだろう。
「次は一緒に散歩に行こう」
あいが馬房の前で言うと、サファイアは尻尾の動きだけで応えた。
行く、という返事だと、あいは受け取った。
「あれ、藤刀、当番じゃないのになにやってんだ?」
就寝前に馬たちに異常がないか、二人組で見回りの当番が決められている。今夜の当番の同期が顔を出した。
「少し、サファイアと話がしたくて」
「へぇ、そんな暇があったら、正士郎とかを見習って自主練した方がいいんじゃないか? ただでさえ人よりフィジカル弱いんだしさ」
同期の一人が言い、サファイアの馬房に近づこうとすると、サファイアが歯を剥いて威嚇した。
「わっ」
急なことで、あいに悪態をついた同期はたじろいだ。
「こら、サファイア」
あいが注意すると、サファイアは途端に大人しくなった。
同期の二人は不思議そうに、あいとサファイアをまじまじと見比べた。
同期が馬に異常がないのを確認し、帰ってから、あいはサファイアの頭を撫でた。
「さっきはありがと」
サファイアがぷいと顔を背けた。
どうやら、照れ屋であるらしかった。




