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ミスジョッキー   作者: 井ノ上
第四話
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24/71

同期とサファイア ⑤

 サファイアジャケットと、障害馬場に出た。


 サファイアの毛並みは光沢がある。太陽の加減で、鮮やかに輝くのは、まさしく宝石のようだ。


 本来なら、今日は栗毛の牝馬、オハナと実技訓練に臨むはずだった。


 昨日は基礎馬術もそこそこに切り上げられ、乗馬で学校の外周を散歩する許可が出された。


 しかし、校門の前でサファイアが嫌がり、一歩も進まなくなってしまったのだ。


 仕方なく、オハナに乗り替えて、散歩に出た。


 学校の裏手は雑木林になっていて、その中を小道が通っていた。木漏れ日の射す道を、涼しいそよ風を浴びながら散歩するのは気持ちよかった。

 オハナの足取りも軽く、訓練では見せない楽しげな表情を見せた。


 校外を一周し、厩舎に戻ると、サファイアが馬房の採光窓から外を見つめていた。花が散り、青葉が芽吹いている桜を見つめていたに違いなかった。



 入学して、二週間が経過していた。


 だんだんと、サファイアのことがわかりはじめていた。


「昨日、ほんとうは散歩に行きたかったんだよね。でも、勇気が出なかった。だから嫌がったんだね」

 サファイアに話しかけた。


 障害馬場の一角で、一定間隔に敷かれた横木を踏まずに通過する訓練の最中だった。


 あいと乗馬未経験だった同期以外は、障害飛越に進んでいた。


 あいも、オハナとはクロスバーを跳んでいるが、サファイアとではまだ教官からのゴーサインがでなかった。


「私もね、少し前まで、勇気が出せずにいたんだ」


 騎手になりたいという思いを抱きながらも、一歩目を踏み出せず、燻っていた中学時代を思った。


 そこに、天道が現れ、君は騎手になれると、あいの背中を押してくれた。


 天道が勇気をくれたから、自分は最初の一歩を踏み出せたのだ。


 サファイアが、横木を抜けた先で立ち止まった。その首に、あいは掌を当てた。


 サファイアの目は、障害飛越する仲間たちに向けられている。


 その横顔に、かつてクラスでひとりぼっちだった自分が重なった。


「サファイアもできるよ。最初は戸惑った横木だって、ほら、いまはもう普通に通れてる。だから、だいじょうぶ」


 サファイアが頭を振った。自分の言葉を拒んでいるのではない。踏ん切りがつかないだけだ、とあいは感じた。


「一緒に跳ぼう。私とサファイアなら、絶対、やれるよ」


 力強く、言った。


 不安を抱えたまま、誰かを勇気づけることはできない。馬を相手には、虚勢も通用しない。


 天道は自尊心を持っていた。そんな天道が励ましてくれたから、厳しいトレーニングをやり切れ、試験も突破できた。


 天道には騎手時代に築いた実績があった。対して、自分はまだなにも成し遂げてはいない。

けれど。


「絶対、跳べる」


 あいは断言した。

 虚勢ではなかった。自分は信じられなくとも、天道が信じてくれた自分のことなら、信じられる。

 天道から貰った勇気なら、分け与えられる。


 サファイアの躰から、すっと無駄な力が抜けた感じがした。


「障害を跳ぶか」


「小早川先生、いいですか」


「自信があるのだろう」


「はい」


「なら、いけ。ただし、まずは一番低いクロスバーだけだ」


 馬の脚の怪我は、命にも関わりかねない。サファイアに自信をつけさせてやりたいが、無茶をするつもりはなかった。


 天道も、決してあいに無茶はさせなかった。一つ一つ、小さな成功を積み重ねさせ、試験に挑む力をつけさせてくれたのだ。


 小早川に指定されたクロスバーに向かった。助走に十分な距離をとり、馬首を巡らせた。


「さ、行こう」


 眼前にはなにもない。

 そんなふうに、サファイアは駈け出した。それでよかった。飛越のタイミングは、あいが測っている。


 手綱を通じて、サファイアの弾むような気持ちが伝わってきた。サファイアの心。はじめて、はっきりと感じられた。


 歩幅は合っている。クロスバーが迫る。ここ。前脚を胸に引きつけ、躍った。後ろ脚を抜く。サファイアの動きが、我が身のように感じられる。


 柵の手前まで駈け抜けた。



 午後の学科は、先日学んだ馬体の仕組みを踏まえつつ、厩舎の馬を観察して粘土で馬の像の作成に取り組んだ。


 夕食後の自由時間になると、あいは厩舎へ行った。


 サファイアは月に照らされた路面を眺めていた。植樹の影が、風で、生きもののように動く。それが面白いのだろう。


「次は一緒に散歩に行こう」

 あいが馬房の前で言うと、サファイアは尻尾の動きだけで応えた。

 行く、という返事だと、あいは受け取った。


「あれ、藤刀、当番じゃないのになにやってんだ?」

 就寝前に馬たちに異常がないか、二人組で見回りの当番が決められている。今夜の当番の同期が顔を出した。


「少し、サファイアと話がしたくて」


「へぇ、そんな暇があったら、正士郎とかを見習って自主練した方がいいんじゃないか? ただでさえ人よりフィジカル弱いんだしさ」


 同期の一人が言い、サファイアの馬房に近づこうとすると、サファイアが歯を剥いて威嚇した。


「わっ」

 急なことで、あいに悪態をついた同期はたじろいだ。


「こら、サファイア」

 あいが注意すると、サファイアは途端に大人しくなった。


 同期の二人は不思議そうに、あいとサファイアをまじまじと見比べた。


 同期が馬に異常がないのを確認し、帰ってから、あいはサファイアの頭を撫でた。


「さっきはありがと」

 サファイアがぷいと顔を背けた。

 どうやら、照れ屋であるらしかった。

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