同期とサファイア ④
装備を整えた馬と、敷地の北側にある千四百メートルの走路を横断し、走路内の馬場へ移動した。
そこで乗馬し、常歩、速歩、駈歩と、基本的な三つの歩法から確認していった。
入学前から乗馬クラブで馬術を習っていた正士郎は、難なく三歩法を使い分けた。
一人、乗馬経験のない同期は、厩舎裏に雨天練習用で建てられた覆馬場で、個別に基礎訓練を受けている。
小早川はそちらに付き、正士郎たちの方には他の実技教官四名が指導に立った。
翌日も、そのさらに翌日も、午前の実技訓練ではひたすら基本歩法が続いた。
反復練習とはいえ、気は抜けなかった。
乗馬姿勢ひとつとっても、クラブより数段厳しいことを要求される。馬へ意志を伝える、扶助のやり方も、かなり細かい指摘がされた。
幼少からの乗馬経験で自然と身に付いてしまっていた癖を、馬場馬術を通じて矯正する訓練が、何日間か続いた。
午後の学科では、座学や、フィジカルトレーニングが行われた。
柔道着に着替え、柔道場で受身の練習をする日もあった。
十日ほどして、覆馬場で個別練習していた同期が、部班運動に合流した。
その翌週には、角馬場から、障害物なども置かれている広めの馬場での訓練に移った。
まず七名で縦列を組み、馬同士の距離を保ったまま馬場を周回する、部班運動の指示が出された。
合流した同期は、まだたどたどしくはあるが、歩速の変更にも対応し、列の最後尾をついて来られている。
柵の内側を何周かすると、馬場に設置されているクロスバーや垂直障害の間を縫うような、じぐざぐな進路をとる指示がされた。
正士郎の前を走る、あいの若馬が遅れ、間隔が詰まった。正士郎は手綱を使い、馬の歩速を緩めた。
青毛の若駒で、名はサファイアジャケットといった。あいは、サファイア、と愛称で呼んでいた。
あいがサファイアになにか呼びかけている。意志の疎通が上手くいっていないのか、サファイアはついに列から外れた。
同期の二、三人が失笑する。正士郎は、初日に鞍をつけるのも苦労していたのを思い出しただけで、あいを笑う気にはならなかった。
あい以外は、レース経験もある、乗られ方を知っている馬があてがわれていた。
サファイアは、若いだけでなく、人を乗せるのもはじめてなのかもしれない。その上、気難しい性格でもありそうだった。
そんな馬とあえて組ませるのは、あいが指導陣からなんらかの期待をされているということなのか。
「諏訪、大矢」
教官に呼ばれ、同期の一人と列から抜けた。
「二人とも、クロスバーいけるか」
「やれると思います」
正士郎が真っ先に答えると、同期の大矢も頷いた。
「よし、やってみろ」
他の同期には、等間隔で敷かれた横木の間を常歩で通過する訓練が言い渡された。
「僕からでいいか、大矢」
「おう」
正士郎は、助走距離を測ってから、馬腹を蹴り、勢いをつけさせた。クロスバーを跳躍した。
難しい高さではなかった。正士郎にあてがわれた馬は、難しい気性を持っているわけでもない。
ゆったりと馬場を旋回していると、横木歩行の順番待ちをしているサファイアが、こちらをじっと見つめていた。
「やってみたいの?」
あいが話しかけると、サファイアはふいと視線を切った。横木に進んでいく。
小休止を挟み、三時間ほどの訓練が終わると、訓練中に馬がした糞を、馬場を歩き回って拾い集めた。
厩舎前の洗い場で、馬の汗や砂汚れを拭ってやり、馬房で水と飼料を与えた。
着替えて、寮の食堂へ移動した。
「正士郎、さっきの障害飛越、めちゃくちゃ格好良かったな」
昼食の生姜焼きを食べていると、隣の席の同期が、羨むように話しかけてきた。
「巧かったのは、馬の方さ」
「正士郎の姿勢だって全然乱れてなかったぜ。大矢も堂々としてさ。俺も早くお前らぐらい乗れるようになりてえな」
興奮気味に喋り続ける同期に、適当に相槌をうちながら、斜向かいで黙然と昼食を摂っているあいをちらりと覗った。
サファイアのことを、考えているのだろうか。周りの会話は耳に入っていなさそうだ。
昼食を終え、同期が席を立ちはじめると、あいは自分だけ遅れているのに気づき、慌てて飯を搔きこみ、盛大に噎せた。
「ほら、水。まだ時間はあるから、急がなくても平気だよ」
正士郎は見かねてコップを差し出した。
「あ、ありがとう」
食器を調理場のカウンターに返して食堂を出ると、午後の学科授業のため、部屋へ教本や筆記用具を取りに行った。
「藤刀って、ちょっとどんくさいよな」
本館へ移動し、階段を上がっていると、後ろから同期の話し声が聞こえてきた。
「まぁ、ちょっとな。でも、二次試験でトラブルが起こったときは、裸馬に乗って興奮した馬を鎮めてたろ。あれは、すごかったな」
「そこが、よくわかんねえんだ。裸馬に乗れて、鞍つきの馬に乗るのが下手って、そんなことあるか?」
陰口というほどのものでもなかった。ただ、話している同期は、サファイアの難しさに気がついてはいない。
実技訓練では、馬は交互に乗り替えていた。あいが担当するもう一頭の、栗毛の牝馬とは、そつなく訓練をこなせているのだ。
にもかかわらず、あいがどんくさい印象をもたれるのは、訓練以外での失態が多いせいだろう。
正士郎はあいに対して、もう少し漠然とした、得体の知れなさを感じていた。
馬上にいる方が、自然なのだ。それ以外の時、藤刀あいは、浜辺にうち上げられた魚のようだった。
一体、どんな環境で育ったら、そんなふうになるのか。
「とにかくさ、あんな感じで、よくこの学校に入れたよな」
それは、正士郎も同意見だったが、口に出して言うようなことではなかった。案の定、話し相手の同期も、言い過ぎだぞ、と窘めた。




