同期とサファイア ②
本館で配布された教本、備品一式を入れた段ボールを抱え、寮へ戻って来た。
寮は、騎手課程と厩務員課程の学生で分かれている。さらに騎手課程でも、男子と女子は別々の寮である。
今期の騎手課程では、女子はあい一人だったが、先輩には三人の女子学生がいた。
ただそのうち二人の三年生は、二年の途中からはじまる、およそ一年かけて行われる厩舎実習の最中で、東西二ヶ所のトレーニングセンターのいずれかに寄宿しているため、不在だった。
二年の先輩の話では、あいの部屋は、昨年まで零が使っていた部屋らしかった。
あいが荷物を抱えて二階にある部屋へ行こうとすると、階段の手前の廊下でなにかに躓いた。
「わ、わわわ」
「あかんあかん」
荷物ごと転げそうになると、前から手が差し伸べられ、助けられた。
「堪忍な、ちょうどいま、引っ越しの最中でな。そんでウチの荷物、一旦ここに置かてもろうてんのや」
「い、いえ」
転びそうになったあいを助けたのは、肌が小麦色に灼けた、八重歯のチャーミングな女子だった。在校中の二年の先輩ではない。
「あの、ここ、騎手課程の女子寮、なんですけど」
「うん、知ってるで。あんた、藤刀あいちゃんやろ。背が小さいんのはええとして、なんや、ひょろい躰しとんなぁ。よくそれで合格できたな。騎手課程って、倍率えぐいんやろ?」
「は、はぁ。えっと、あなたは?」
「せや、自己紹介がまだやった。ウチは木村加奈恵。厩務員課程の一年や。高卒で入学したから、歳はあいの三つ上やけど、同じ一年生やし、楽にしてや」
「加奈恵、さんは、」
「呼び捨てでええて」
「え、じゃあ、加奈恵、ちゃん」
身長が百八十センチはありそうな加奈恵が、ぶるりとその大柄な体躯を震わせた。
「ウチのキャラで、ちゃん、て、寒過ぎやろ。頼むから呼び捨てにしてくれ。それか、いっそゴリラでええわ。ウチの生意気盛りな弟らにはそう呼ばれとるし」
「ご、ゴリラはちょっと。じゃあ、加奈恵」
「おう」
「加奈恵も、この寮で暮らすん、だね」
「せやねん。厩務員課程用の寮の都合でな。ウチだけこっちに回されてん。二階の三号室やから、今度遊びに来てや」
「え、そこ、私の部屋」
「なんや、相部屋やったん?」
確かに、部屋には二段ベッドが置かれ、机なども二つ置かれていた。
男子寮や厩務員課程の寮がどうなっているかはわからないが、女子寮は全室二人部屋になっているようだった。
ただ、基本的に女子生徒の人数は例年少ないので、一人一室が割り当てられていた。
「部屋が同じなら、あいの段ボールも、ウチが一緒に運んだるわ」
「え、いいよ、結構重いし、自分で運ぶよ」
「ええから、ええから」
加奈恵は自分の荷物である四つの段ボール箱に、あいのものも重ね、まとめて軽々と抱え上げてしまった。
「わ、力持ちなんだね」
「実家が去年まで酪農やっててな。家業の手伝いで鍛えられてんねん。まぁ、これぐらいは余裕や」
荷物を部屋に運び入れると、加奈恵は荷解きもそこそこに、厩務員課程のオリエンテーションがあるからと、部屋を出て行った。
あいは、家から持ってきた日用品を整理したり、教本に目を通したりして過ごし、午後六時前に男子寮の食堂へ向かった。
六人の男子が、先に配膳をはじめていて、あいもそこへ加わった。
正士郎が、汁物を人数分よそっている。ご飯の量は、各自が体格にあった適切な分量を量ったほうがいい、と栄養士から言われ、そうした。
食事を終えると、食事量を記入した。明日からは、食前に計量した体重も記録するよう指示された。
競馬学校では体重制限が厳密に定められており、それは入学してからも同じだった。
年齢によって多少上限が変わるものの、その制限超過が度重なると、退学させられるのだ。
それから就寝時間の十時まで、自由時間だった。
正士郎を含めた四人は、本館のトレーニングルーム
にある騎乗訓練用の木馬を見に行くと出て行き、あとの二人は明日から本格的にはじまる学業に備えて早めに就寝すると部屋へ引き上げて行った。
あいも、女子寮へ戻った。
「おう、おかえり」
部屋に入ると、加奈恵が荷解きをしていた。
「ただいま」
「もう風呂入ったか?」
「ううん。まだ」
「ほな、一緒に行こか。さっき二年の先輩がドライヤーで髪乾かしとったから、もう一年のうちらが入ったかて怒られへんやろ」
「そういうのって、先輩が先なんだ」
「そらそうやろ。中学の運動部とかで、そういうのなかったん?」
「私、部活は入ってなかったから」
「あぁ、乗馬クラブに通っとったとか?」
「それとも違くて」
馬郷で過ごした時間を、なんと説明したらいいか、咄嗟に思い浮かばなかった。
「ま、とりあえず風呂行こか」
加奈恵は空になった段ボールをひとまとめにして部屋の隅に置いた。
入浴道具を持ち、一階へ降りた。
共有のリビングスペースで日誌をつけていた先輩に挨拶し、奥の浴場へ入った。
シャワーが四つ並んでいて、浴槽は三人で入るのが精々といったところだった。
肩を並べて湯船に浸かると、加奈恵が、農業高校に通っていた話をした。
あいは、馬郷や、姉妹同然に育った綾のことを、ぽつぽつと話した。
入浴後、リビングに残っていた先輩から競馬学校での助言をもらった。加奈恵が、騎手課程ではないのに、あいのためにあれこれ質問してくれたのだ。
就寝時間の一時間前に、部屋に戻った。
「電気消すで」
「うん」
「ほな、おやすみ」
「おやすみなさい」
ベッドに横になった。使い慣れた枕の感触。瞼を閉じた。
あい。私の、大切な姉妹。
ふいに、綾の別れ際の言葉がよみがえった。胸が締め付けられるように苦しくなり、布団を引っ被った。
それでも、嗚咽が漏れ聞こえてしまったのだろう。
「あい?」
加奈恵が、心配して声をかけてきた。
「ごめん、大丈夫だから」
「綾のこと、思い出したんやろ。ウチは気にせんでええ」
加奈恵はそう言ってくれたが、あいは息を殺し、溢れ落ちそうになる涙を堪えた。
いつまでもめそめそしていては、綾を安心させられない。
私は、騎手になる。騎手になって、強くなる。
あいは眠れるまで、頭の中でそう唱え続けた。




