97 猪八戒
戦いは終わった。
そう思った瞬間、気が抜けてしまったのか。
法天象地によって形作られていた巨大石猿が、元の〝雲〟へと戻り始める。
ボロボロと石の体が崩れ、崩れたそれが地面に落ちる前に白い雲へ。
「……ふぅ」
これ、多用はできないというか、簡単には使えない術ね。
体力の消耗が激しいっていうか。
消耗しているのが本当に体力なの? もっと精神力に近い何かを消費している感じ。
巨大石猿の体が崩れて雲になっていくのをボーッと感じながら、猪八戒を眺める。
猪八戒の方も体が崩れて、黒い煙へと変わっていく様子で。
私にはこれ以上どうしてあげることもできず、ただ見守るしかない。
天蓬元帥、猪八戒。
または猪悟能という名の三蔵法師の弟子の一人。
日本だと『沙悟浄』はそのまま呼ばれ、猪八戒は八戒と呼ばれる。
そのせいで、私はあとから知ったのだけれど。
実は、弟子三人の名前は『悟空』『悟浄』『悟能』と〝悟〟で統一されたものなのだ。
まぁ、悟空の名付け親は別にいるのだけれど。
「それにしても……この世界の猪八戒ポジションが、まさかヴィル様だなんて」
まさか、まさか、である。
原典基準の豚頭の妖怪なんてヴィルヘルムにあまりにも似合わない。
まぁ、私としては? 〝最〟の方とか、悟浄も八戒もイケメン枠なので。
そこまで違和感はないかもしれないけれど。
今世が乙女ゲーム基準っぽい世界観なら、八戒がイケメンでも、さもありなん。
でも原典基準の猪八戒は、あまりにもヴィルヘルムのイメージじゃないだろう。
「いえ、そうじゃないわね。猪八戒ポジションなのは……」
ヴィルヘルムではなくジークヴァルトの方なのだろう。
乙女ゲー推論に当て嵌めれば、こうじゃないかしら?
脳筋でやらかし気味のジークヴァルトルートでは、猪八戒が。
賢き者なジュリアンルートでは、沙悟浄が。
聖職者のベネディクトルートでは、三蔵法師が。
メインヒーローっぽいヴィンセントルートでは、孫悟空が。
こうして各ルートで三蔵一行の誰かが出てくるような、そんな感じじゃない?
三蔵一行の全員が悪側なのかまではわからないけれど。
玉龍がどこに挟まれるのか、この世界でも仲間外れにされてしまうのか。
あるいは隠しルートで登場とか。
実は、私とヴィルヘルムはルートのラスボス仲間だった! と。
三蔵一行が敵として出る世界観なら、他の妖怪たちはさておき、紅孩児だけは味方ポジションっぽいのは、ある意味で納得である。
少なくとも私としては、その配役なら紅孩児は味方よねぇ、と思う。
「ということは、お師匠様が出てくるとしたらベネディクト氏周辺か、教会関係?」
相変わらず根拠はないに等しいのだけれど。
三蔵法師の救出は急務だろう。とくに私にとっては天敵になり得るし。
眼前の猪八戒の哀しい姿を見たら、孫悟空だってそう思うはず。
お釈迦様やらまでこの世界にいるか不明だが、猪八戒まで出てきてしまった以上、もはや三蔵法師は〝存在する〟とみなして動いた方がいい。
考え事をしているうちに、とうとう石猿の体が、ただの雲へと変わり、消えていく。
「あ……」
これ、やばい。
私、体に力が入らないわ。このままだと落ちる。
「くっ……」
ギフトはオンのまま。金剛不壊の肉体さえ維持されていれば、落ちても死なないでしょうけど。
崩れ、ただの雲に戻る石猿の体から、ズルリと抜けて、私の体が落ちそうになる。
「ウキーッ!」
騎士たちのサポートに回したミニたちはまだ消えず、残ったまま。
私が落ちてしまいそうになっている現状に気づいた様子だ。
これ、今の状態だと下が湖なのだけど……。
最後に〝先生〟やマルガルフの横槍を薙ぎ払うため、陸地には近付いていた。
また巨大石猿も陸地側に傾いているから……落ちた先が湖か、陸地か微妙なライン。
「う……」
猪八戒を倒したのに、湖に落ちて溺死とか。そういうのは勘弁願いたい。
なのだけれど、本気で力が入らない。
いよいよ巨大石猿の首から胸あたりの部分にいた私の体が零れ落ちてしまう。
「マイン!」
幸い、ヴィルヘルムが私の状況に気づいてくれたようで、急いで駆け寄ってくる姿が見えた。
ああ、これ、このシチュエーション。
私は動かせない体を、それでもどうにかして、受け止めやすい姿勢に変える。
これが今の私の精一杯だ。あとはヴィルヘルムを信じるしかない。
「ウキーッ!」
落ちる私のもとへ飛んでくるミニたちが数体。
筋斗雲すら維持できず、出せない今の私の体を、ミニたちが支えようとする。
そのおかげで落下速度が落ちて……。
「マイン!」
ドサッと。
私の体をヴィルヘルムが受け止めてくれた。
当然のようにお姫様抱っこである。
「ヴィル様……。疲れてしまいました」
彼に受け止められて安堵したせいか、よりいっそう気力が抜け落ちてしまう。
「ああ、そうだろうね。よくやってくれた、マイン。また君に助けられた。ありがとう」
「……私の方こそ。あの男を殺してくれました。そのおかげで苦しまずに済みそうです」
互いの苦労を認め合い、見つめ合う私たち。
あいにくと元気がないのでキスシーンとかに移行しそうにはない。
「「「「ウキーッ!」」」」
ん?
残っていたミニ・カーマインたちが筋斗雲で飛び回り始める。
「なんだい? どうしたんだろう」
「……わかりません」
私は、なんの命令もしていないのだけれど。
ヴィルヘルムに身を預けながら、飛び回るミニたちを見る。
どうやら湖の上を飛び回っている様子だけれど……?
「あれは、黒い煙を回収しているのか?」
「え?」
黒い煙。言うまでもなく猪八戒の体を形作っていたものだ。それを回収?
「「「「ウキーッ!!」」」」
手乗りサイズのミニたちが筋斗雲で飛び回り、黒い煙を回収する。
それだけではなく、法天象地でできた巨大石猿の残滓から大きな〝石の塊〟まで運んできた。
いったい何をする気なの……?
ていうか、命令以外のこともするんだ、ミニたち。
普通に自我があるのでは。
「そういえば、ヴィル様……。どうやって、その。あの人を倒したんです?」
「ん? ああ……。俺もあがこうと思ってね。できればマインの力を借りない方が格好よかったのだろうけれど」
「私の力を……?」
「あの赤髪の妖精だ。〝そこにあるもの〟はなんでも使って、あがいて勝とうと思ってね。君たちが使っている朱色の鉄棒を借りたり、あの妖精の一体を投げつけて攪乱したり、まぁ、いろいろとさせてもらった」
何をしているのかしら、ヴィルヘルムとミニたち。
というか如意棒を貸すだけでなく、投げつけられたのか、ミニたち。
想定外だっただろうなぁ。
「あとはまぁ、嵐に地震にと、ルドロフの集中を君が削いでくれたおかげで勝てたんだ」
「それはまぁ……」
あの巨体で、あれだけ暴れていたのだ。周囲への影響も半端なかったことだろう。
「……犠牲者は?」
「騎士たちは無事だよ。今回は、あまりの出来事で、ほとんど力になれなかったけれど」
「そうでしょうねぇ……」
この世界の一般人の誰が、立て続けに起こった事象に対応できたやら。
私はまだ、こういうフィクション系に耐性がある。
映像化されたそういう作品とか観ているからね。
でも、この世界の人々にとっては起きるすべてが『なんじゃこりゃあ!』である。
「「「「ウキーッ!」」」」
やがて、飛び回っていたミニたちが何事かを成し遂げたように声をあげた。
「「「「ウキー!」」」」
ミニたちは、一つの大きめの〝石の塊〟をこちらへ運んでくる。
それは丸い石の塊だった。
見れば、もう黒い煙は霧散しており、猪八戒の体も消えている。
成仏……できたのかしら。
できれば元の世界に帰してあげたいところだけれど。
あの黒水晶に閉じ込めるのは解決にはならないわよね?
「聖女に来てもらった方がいいかもしれませんね……」
「そうか」
で、なのだけれど。
「「「「ウキッ!」」」」
「……いや、何?」
ミニたちがいったい何を求めているのかがわからない。
ただ、なんとなく楽しそうではあるので、ついボーッと見てしまっていた。
あ、これ、考える気力もなくなっているわね……。
「ウキーッ!」
一体のミニが上空へと飛んだかと思うと、勢いよく運ばれてきた石の塊へと落ちてくる。
「えっ」
ぶつかる! と思った瞬間、一体のミニは丸い石に吸い込まれるように消えてしまった。
えええ……? 何? 毛に戻ったの? でも今のは。
「「「ウキー……」」」
運ばれてきた丸い石の塊に吸い込まれるように消えたミニ一体を、他のミニたちが悲しそうに見ながら取り囲み、こちらのリアクションを気にするようにチラチラと見てくる。
「貴方たち……」
いや、これ、完全に自我あるでしょ。
〝毛〟に戻すのが怖いんだけれど!?
ビキリ!
「「「ウキッ!?」」」
ミニ一体が吸い込まれた石の塊にヒビが大きく入る。
ビキビキビキ……。
まるで卵の殻が内側から破られるように。そして。
バッカァン!
「ウキーーッ!!」
まさに孫悟空生誕を再現するかのようなシーンが繰り広げられ、ミニ一体が石の塊を割って、内側から現れた。
「えっ」
しかし、その姿は孫悟空のものではない。
私の姿をした小さな、手乗りサイズの分身。ただ服装が特徴的だ。
「ウキーッ!」
雲に乗り、九歯のまぐわを片手に持ち、着崩した法衣を着ている。
女性らしく、肌を出した胸の部分には〝さらし〟が巻かれている。
背中には〝行李〟を背負っていて……。
赤髪の頭から長い耳が生えている。
幸い、豚の鼻だけはしていないようだけれど、この姿は。
「……猪八戒?」
そう、猪八戒だ。
正確に言えば、ミニ・カーマインの一体が猪八戒のコスプレをしているような姿になっている。
「これはいったい……?」
流石にヴィルヘルムも困惑しているが、私にだってよくわからない。
「ウキッ! ウキ? ウキー……。ブ……ブヒッ!」
「その鳴き声だけはやめて! 淑女の沽券に関わるから!」
「ウキー……?」
「というか、ウキーって言えるなら、鳴き声を変える必要ないでしょう」
「ウキキッ! ブー!」
「あと、別に本物の猪八戒だってブヒーとか、ブーとか言わないから!」
思わず大きな声を出してしまうが、それがよくなかった。
「あ……」
「マイン!」
意識が遠のいてしまう。
「「「ウキーッ!」」」
私の変化を感じ取ったミニたちが、我先にと私のもとへ殺到し、元の〝毛〟に戻ってくる。
あ、もしかして、私のエネルギー的な何かに戻ってくれた……?
ミニたちの動力源って私の中の何かだったのか。
切り離していたそれが戻ってくれたことで、少しだけ楽になる。
ただ他のミニたちが戻った中、一体だけは私の毛には戻らない。
「ウキーッ!」
その一体は、もちろん猪八戒のコスプレ状態のミニだった。
「……もしかして、貴方が猪八戒のギフトを、魂的なものを引き継いだの?」
「ウキッ!」
頷かれてしまった。
そうか。いや、まったくよくわからないけれど。
どうやら弟弟子は、ミニ・カーマインの一体として継承されてしまったらしい。
なんだそれは。
「あ、もう、本当に限界……。ヴィル様……あとはお任せ、します……」
「マイン!」
「ウキーッ!?」
私はヴィルヘルムに体を預け、気を失うように眠りながら。
遠くのように感じるヴィルヘルムの声と、新たに猪八戒枠となったミニの声を聞いたのだった。
第三章、完結です!
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。
ちょっと時間を空けてから、また四章を始めたいと思います!




