110 逃走と対峙
まさか学園での出来事と結びつけられるとは。
誤魔化してもいいのだけれど、エミリア嬢の目を見るに敵対したい様子ではないし、別にいいかしら。
私から彼女に近付いたのだから、こちらを利用したい裏もないだろう。
「あの時の私とは違うと思うのだけど」
「ごめんなさい。正直に言って貴方の顔までは、はっきり覚えていなかったわ」
「そうなの?」
「ほとんど一瞬だったから」
そういえば、ちょっと話したあとで、すぐに彼女を眠らせたっけ。
「でも貴方の声は覚えていたの」
「そう。そういうことなら話は早いわ。私を信じてくれるなら。この声は悪意のある者の声よ。さらに言えば付近に何人か、息を潜めている気配がするわね」
「それって……」
「貴方が狙われている」
私が断言したことでピリッと緊張が走る。
「エミリアお嬢様、この人、信用できるのですか?」
護衛の男性が当然の疑問を投げかける。別にそれで気を悪くすることもない。
「ええ、信用するわ」
エミリア嬢は、思いの外、強くそう断言した。
彼女の信念のようなものを感じさせられる。
ずいぶんと信用してくれちゃって。ただ一回、私に救われただけなのに。
義理堅いのか、恩を感じるタイプなのね。
救出したのがラグナ卿だった場合も、きっとこんなふうに彼を信じたのだろう。
私が女性だから恋には発展しなかったけれど、相手が違えばどうだったのか。
「実を言うと今回は偶然聞いたの。貴方を狙っているような口振りの声を。確証がなかったから、こうして近くにいて警戒を促がそうかなって」
半分以上は本当よ、たぶん。
「そうだったの。……あの、もしかしてだけど。学園の生徒だとしたら」
「ええ」
「……子爵家より上の家門の人?」
「え」
エミリア嬢の言葉に、護衛の男性が驚きと恐怖を感じている様子。
私の身分を言った時点で、ほぼ正体が割れるような。
別に我が国の公爵家は我が家だけではないのだけど。
それでも圧倒的に数は少ないのだ。
爵位の差と数は完全に比例している。男爵家が一番多く、公爵家は少ない。
「家は、それなりに上の方ね」
私がそう告げると『やっぱり』とばかりに二人は反応する。
「失礼しました、スウェン様。ご身分を知らなかったとはいえ、今まで慣れ慣れしい言葉を」
「いえ、いいのよ。私も明かしていなかったのだから」
「ですが、私は助けられた恩まである身なのに」
「それもまぁ偶然だから。といっても、気にしちゃうのは仕方ないわよね。でも今、その問題はあとにしましょう。悠長に身分差を気にしている場合じゃないわ」
「……おっしゃる通りです」
切り替えていきましょう。
身分が上とわかり、かつての恩人と割れたことで主導権は私に移った。
想定していたことはもう諦めて、彼女たちを無事に家に帰すことを目的にする。
さて、一番いいのは?
身外身法で撃退してみせるのが一番か。
ただ足場が悪く、ここで戦闘になった際に相手が山を転げ落ちてしまったら死亡もある。
それは流石に緊箍児のお目こぼしがなさそうなので却下だ。
「とりあえず声は無視して引き返しましょうか」
「それは……はい。ですが、その」
「大丈夫よ。見捨てるわけじゃないから」
二人を守りながら多人数を相手に立ち回れるかは微妙なところ。
護衛の方も一人では厳しいだろう。
山の木々の擦り合いや風の音の中から、ギフトで聞き分けができるとはいえ、敵の息遣いの場所を把握するのは難しい。
十人は潜んでいるように感じるけれど、はたしてどうか。
「エミリア嬢、貴方が狙われる理由は何かあると思う?」
二人を逸れていた場所から山道に戻させ、可能なかぎり安全なルートに移動させる。
どういう手筈で襲う段取りなのか。
このやり取りは見られているのか、聞かれているのか。
「……思い当たることはありません」
「そうよね」
「はい……」
そもそも前回、彼女を狙った連中の理由は〝偶然〟だろう。
ただ彼女が、そういう星のもとに生まれただけ、というのは不憫すぎるが。
運命の強制力のようなものがあるとして、推定原作の内容など知らない私には、あんまり意味がない。元ネタを知らないのだ。
話し、移動している際中にも耳を澄まし、様子を窺う。
また、先ほどまで声を上げていたはずの男は、声を上げるのをやめていた。
「……喋れなくなるほどの事態でしょうか」
「その可能性もなくはないけど」
これって、こう、アレよね。
助けを求める声を三蔵法師が聞いて、これ、弟子たちよ、助けに行かぬか。
師父、あの声はきっと妖魔のものにちがいありません。
……のやりとりみたいね。
西遊記では妖怪側の思惑が一緒に語られるのでわかりやすいが、現実はそうはいかない。
相手の思惑はわからず、本当に助けを求めている者がいるように聞こえる。
善良な人は、あの声を無視するのは難しいだろうし、無視しては心に傷が残る。
そうなったら『次こそは』と躍起になり、また別の難を招きそうだ。
ここはエミリア嬢の前で賊の姿を見せ、そういう騙し討ちをする者がいたことをはっきりとさせるのが、彼女の今後のためだろうか。
甘やかすばかりがいいことではない。
……なんて考えるのも、けっこう猿寄りな気がするわね。
淑女としては少しでも早く街へ戻ることを考えるべきか。
「ウキッ」
そこで一声、ミニが鳴く。
私の耳も周囲の潜められた息が大きく動き出すのを聞いた。
「まずいわ。連中、動き始めた。引き返したことに気づかれたかも」
「ええ……?」
「エミリア嬢、それから護衛の貴方、逃げる時は二人だけのことを考えるのよ。私のことは気にしなくていいからね」
「え? ですが」
「大丈夫よ。あと身分とかの問題でもないから。そもそも大丈夫な確信がなければ、こんなことには首を突っ込まないわよ。エミリア嬢ならわかるわね?」
「…………はい」
「よろしい」
かつて学園で、私はエミリア嬢の前で不思議な力を使ってみせた。
それで助けられたというのだから、ある程度の察しはつくだろう。
「ウキー!」
「いよいよ、来そうだわ! だいたい追手は後ろから来ているみたい。山道をきちんと街へ戻れば、大丈夫のはず。あとは私が足止めをしてあげる」
「え! 足止め? ですが、スウェン様!」
「構わないの! そろそろ道もいいわね? 行って! 走って!」
「エミリアお嬢様!」
「……!」
私が自信満々にそう促がすと、護衛の男性もエミリア嬢を連れて行こうとする。
後ろ髪を引かれるように何度も私を振り返る彼女だったが、私は笑顔で手を振りつつ、早く逃げるように勧めた。
「ウキー」
「さぁて、大暴れの時間かしら? その前に」
私は、うなじの毛を三本ほど引き抜き、フッと息を吹きかける。
「身外身法」
ボボボン! と三体のミニが現れ、小さな筋斗雲に乗っている。
「「「ウキーッ!」」」
「命令! エミリア嬢と護衛の男性を無事に街まで送り届けて! 襲われそうになったらうまいこと守るのよ! その際には姿を隠しておくのがいいわ! 行って!」
「「「ウキッ!」」」
命令を聞いた三体のミニが姿を隠しつつ、エミリア嬢たちのあとを追いかける。
「火眼金睛」
眼のギフトをオンにすると、透明になったその姿を視られるようになった。
うん。きちんとエミリア嬢たちの方へ行っているわね。
さて。今の一連のやり取りまで見聞きしているのか知らないけれど。
誤魔化しておくのに越したことはない。
私は山に落ちている木の枝、二本ほどに剣指を向ける。
「七十二変化、移花接木!」
木の枝は、見る間にエミリア嬢と護衛の男性の〝偽者〟へと変化した。
これでまぁ、逃げた二人を追いかけようとはなるまい。
「…………」
慌てて追いかけてきた風の息遣いは、私がいる場所のすぐ近くで止まった。
そうして、その内の一人が山道へと進み出てくる。
「た、助けてくれぇ……」
「…………」
私は偽者の護衛男性を前に出し、その後ろから現れた男の様子を窺う。
山道を走り、確かに泥やらで汚れてはいる。
けれど、真に弱った様子とは異なり、足取りはしっかりしたものだ。
ここまでくると、あれで騙せると思っているのはどうなのか。
「ウキーッ!」
私の肩にいたミニ一体が、隠身法を解き、小さな筋斗雲に乗って、小さな如意棒を構えた。
やる気満々でよろしい。
そういう場合じゃないのに可愛らしい様子に笑顔になるわ。
眼前に現れた男を囮にして、背後に回る音もする。
いくらなんでも私じゃなくたってバレそうな音だろうに。
敵はやはり十人はいるようだ。
とにかく私は一人、賊と対峙することになるのだった。




