EP.34『厚意に甘えて』
久しぶりに会ったリリーは、以前より品に溢れていた。アシュリンからの提案で劇団は小さな劇場から皇都へ移転し、衣装なども全て皇室からの厚意で用意される事になった。公演の日程まではまだまだ先という事もあり、劇団員は皆が遠方に住む家族や恋人に手紙を送ったり、会いに行ったりもした。
リリーは元々、港町の出身だ。ハロゲットの小さな劇団で働き、いつかは皇都で大女優を目指すつもりだった。だから、今回の移転を機に、長期間会えなくなる恋人に会いに、久方ぶりの港町へ帰省してきていた。
思いがけない再会は、心から嬉しいサプライズにも思えた。
「しばらくこちらに滞在する予定なのかい、リリー?」
「いいえ、明日の朝には此処を出発するつもりなの。恋人に挨拶に来ただけ」
横目に宿の主人を見る。男は照れくさそうに小さく会釈した。
「紹介するわ、二人共。こちらは、この宿を経営するフェルロン。私の婚約者なの。近いうちに宿も引き払って一緒に皇都に行くはずだったんだけど……」
フェルロンと呼ばれた男が頭を掻きながら苦笑いを浮かべる。
「リリーが公演で忙しくなると聞いたから邪魔をしたくなくて、港町を出るのはもう少し先にしようと話したばかりなんだ。なっ、リリー?」
「本当に残念だけど、その通りなのよね……」
寂しそうに頬に手を当てて、リリーは微笑む。目指した女優の道を進めるのが嬉しい反面、恋人のフェルロンに迷惑を掛けてしまう心苦しさもあった。
「あっ、ごめんなさい。私たちばっかり話したわ。二人はどうして港町に?」
フッ……と、ニコールは疲れた顔で溜息を吐くように笑った。
「色々あって魔塔に行く用事ができたんだ。アダムと二人で大忙しだったよ」
「アタシも流石に今回ばかりは疲れました……。三日間しっかり休みたい……」
親衛隊の内情など口が裂けても言えないが、ニコールは命に係わる大怪我を負わされ、アダムスカは今にも倒れておかしくないほど体が蝕まれている。二人して短い期間でよくもまあ、大事にばかり捕まるものだとげんなりした。
「あはは、疲れてるのね。ハロゲットでもたくさんお世話になったもの、二人がそれだけ皆から信頼されてる証拠だわ。それで、お部屋はどうする?」
「いや、悪いよ。君が先に来て借りた部屋なんだから使った方が良い」
遠慮するニコールに、リリーはパッと手を取った。
「使ってくれた方が私は嬉しいわ。ハロゲットでのお礼だって出来ていないのが、ずっと胸に引っ掛かってたのよ。劇団の公演を無料で見せるだけなんて、やっぱり納得できてなかったもの。それに、今日は彼と食事に行くつもりだから」
押しに弱いニコールはどう断っていいものか分からず、アダムスカに助けを求める視線を送った。しかし、残念ながらアダムスカも同じ気持ちだ。自分たちは気にしていないと言っても、リリーが押して来るのは目に見えている。
わざわざ遠方から恋人に会いにやってきたリリーから、景色の良い部屋で過ごす時間を奪ってしまうのは申し訳ないとフェルロンにも助けを求めた。
「……? ああ、俺も構わないよ。リリーの恩人なら泊まってもらった方が気持ちが良い。ちょうど荷物も預かったばかりで持って行ってないから」
そうじゃない。送った視線の意味を理解してくれず、二人は仕方なくリリーの提案を受け入れる流れになってしまった。せっかくの厚意を無碍にし続けるのも、非常に胸が痛い思いをさせられる。ここは諦めるしかない、と。
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
気まずいニコールに、アダムスカが耳打ちする。
「アタシたちもゆっくり休めます。此処は良しとしましょう、ニコール」
「……うん、だね。ちょっと想定外だけど、悪くはないかな」
そうと決まれば善は急げとばかりに、リリーはさっさと三階に置いていた僅かな手荷物を持って、フェルロンと外出を決めた。宿の鍵も渡されて、せっかくなら今日は貸し切りにすればいい、とフェルロンからも厚意を受けた。
流石に貰ってばかりは良くないだろう、とその場は二つ返事をしたが、ニコールとアダムスカは相談して、受付カウンターに何枚かの銀貨を隠すように置いた。
「なんだか、甘えちゃってるみたいで悪い気がするね」
「でもご厚意ですし、此処はしっかり甘えちゃいましょ。気を遣って何もしない方が申し訳ないですよ、ここまで来てしまったら」
それはそうだなあ、とニコールも納得して、着替えの詰まったトランク片手に、借りた三階の部屋へ上がっていく。階段の軋む音は少し年季が入っていて、古さを感じる建物の雰囲気とは裏腹に、部屋は広くて立派なものだった。
洗面所や浴室、キッチンなどは殆どが一階に集中しており、三階はとにかくスペースを広く使って豪勢に仕立ててある。
「わあ。アダム、見て。テラスだ、すごく景色が良い」
「風が気持ちいいですねえ。テーブルにお酒までありますよ」
銀貨数枚で足りただろうか、と疑問に思うほどの待遇だ。フェルロンがいない間は客も入れられないので、帰ってくるまでは貸し切りだと思うと気楽になれた。
「……じゃあ。せっかくだから一杯どうかな、アダム?」
「んふふ、その台詞を待ってました」




