眠れぬ夜
Act Tune 眠れぬ夜
シャトーの部屋の扉の前に、宿の人に作ってもらった夜食を置いて––––ノックはしたけれど、返事はなかった––––自分の部屋に戻った。
「……シャトーお姉さま……いかがでしたか?……」
私が部屋に入ると、泣きそうなほどに沈鬱な顔をしたエリュシアが尋ねてくる。
「……ん。ノックしたんだけど、まだ落ち込んでるみたい……」
「そうですか……」
あの後。終始俯き気味だったエリュシアは、私達の心配ばかりをしている。
自分だってショックは大きかっただろうに……よし!
「ほら、エリュシア。いつまでも突っ立ってないで、寝るわよ!」
空気を入れ替えるように、いつも通りの私––––に、見えるように、声を上げる。
「っ!お姉さま……でも……」
「いいから寝る!終わったことは変わらないし、くよくよしてても時間は戻ってこない!だから、今はまずゆっくり体を休める。それでしっかりご飯を食べる!後のことはそれからよ!」
失敗は失敗だったけれど、まだ誰も終わっていない。次があるのなら、まずは気持ちをリセットして、それからどうするのかを決めても遅くはない。
半ば自分に言い聞かせるように、まだ何かを言いたそうなエリュシアに言い聞かせて、私はランプの灯りを消した。
………………
「エリュシア?寝ないの?」
「…………えっと……その………………」
窓から差す薄明かりの中、エリュシアは寝床へも向かわず、もじもじと口ごもりながら立ち尽くしていた。
そうして、何度か言い辛そうに口を開いたり閉じたりを繰り返して、やがて、意を決したように掠れた小声を零す。
「お姉さま……あの、一緒に……寝ていただいても……よろしいです、か?」
顔を強張らせ、身体を小刻みに振るわせていたエリュシアは、そう言ってまた顔を俯ける。怖くて、不安で仕様がないっていうときの、小さな子供みたいに。
「––––いいよ、おいで」
小さく息を吐いて半身を起こした私は、できるだけ優しい声でエリュシアを寝台に招いた。
こんな時には、誰かに抱きしめてほしいっていうのは、私にも良く分かる。
「あ、あの……失礼、します」
––––だから、おずおずと寝台に登ってきたエリュシアを安心させるように、掛けた毛布の上から、ぽんぽん、と背中を叩いてあげる。
「……どーした?今日の探索で、怖くなっちゃった?」
「……………………はい」
私の質問に、憔悴したように答えるエリュシア。
「そっか。あんたも大変だったもんね。まぁ、明日はお休みにするし、今日のところはゆっくり休みなさい」
「いえ、あの……そうでは、なくて……」
言いにくそうに、言葉を探すようにしていたエリュシアだったけれど、堪えきれずに溢れる涙と一緒に口をついて出てきた言葉に、私は耳を疑った。
「わ、わた、し、の……グスッ……私の、失敗の、せいで……また……お姉さま、たちが……ひどい目に、遭ったらって、思うと……」
「あんた……」
その言葉を聞いて、驚いた。この子ったら、自分もひどい目に遭ったっていうのに、それでも私達の心配をしていたなんて!
同時に、この子をここまで思い詰めさせているのが、私が冗談で掛けた暗示のせいかもしれないと思うと、お腹の奥にずっしりとした重石を入れられたような気になってくる。
そんなエリュシアへの罪悪感に囚われていた私だったけれど、次のエリュシアの言葉には黙っていられなかった。
「こんな……グスッ……こんな、私なんて…………いな、ければ、よかった……グスッ……こんな、思い、するくらっならぁ……明日なんて、来な、ければ……」
「っ!エリュシア!」
ついにはポロポロと涙を零して泣き出してしまうエリュシアを、思い切り抱きしめる。
「––––!お姉、さま?」
「ダメだよ、エリュシア。……それだけは、言っちゃダメなんだ」
驚いたように顔を上げるエリュシアに、涙で潤んだその瞳に、ゆっくりと語りかけた。
「ねぇ、エリュシア。なんで明日って来るんだと思う?」
「……なぜ、ですか?」
「うん。明日っていうのは、神さまがくれるチャンスなんだ。……誰だって辛い時はあるし、自分のことが嫌で嫌で『こんな自分なんて消えちゃえ』って思うときもある。けど、それでも頑張り続けてたら、明日にはそんな自分のことを好きになれるかもしれない。苦しくて辛いだけだと思ってた現在を、明日には笑って振り返ることができるかもしれない。……明日っていうのはね。そのためのチャンスをくれる日なんだよ」
「明日は……チャンス……」
呆然と呟くエリュシアに頷きを返しながら、言葉を継いでゆく。
「それにね。人の生命なんてあっけないものよ。……戦で戦って。それに巻き込まれて。流行り病だってあるし、魔物に襲われるかもしれない。そうして亡くなった人たちには、『明日』っていうチャンスも無くなってしまう。だから、その人たちのためにも『明日』と、『今生きている自分』を否定する言葉だけは、絶対に言っちゃダメなんだよ」
「…………はい」
まだ少し元気がないようだけれど、私の眼を真っ直ぐに見つめ返して頷くエリュシアに安心して、彼女の琥珀色の髪を優しく撫でてあげる。
「––––なんて。今言ったのは全部、お父さんの受け売りなんだけどね」
「お父様、ですか?」
「そ。孤児院のね」
「それじゃあ、本当のご両親は……」
「私がまだ赤ちゃんの時に、魔物に襲われて、ね」
普段はあまり話すことのない、自分の出自。この話をすると、変に気を使う人がいるから、敢えて何でもないことのように話す。
と言っても、別に辛かったり悲しかった思い出ってわけじゃない。
孤児院にも「兄弟姉妹」達はたくさんいたし、寂しいなんて言ってる暇もない程に賑やかではあった。
本当の両親にしたって、物心ついてから『お父さん』に教えられたってだけで、顔も知らない『両親の死』に、いまいち現実味がなかったことを憶えている。
「––––だから、そんな悲しそうな顔しないで」
私は気にしてなんていないんだから。そう言い聞かせても、まるで自分のことのようにエリュシアは浮かない顔をしたまま。
しばらくそうしていると、エリュシアがポツリと口を開く。
「……やっぱり、私はお姉さま達にご迷惑をおかけしたくありません……」
「ん?うん」
「でも……お姉さま達と一緒にいられないのも、嫌です……」
「……そっか」
「……だから……絶対に、お姉さま達のお役に立てるように、なります、から……………………それまで、私を見捨てないでいて…………くださいますか?」
不安を押し隠すような表情で私と目を合わせるエリュシア。何かを恐れるように。自分の価値を示せなければ、捨てられてしまうとでも言うように。
「エリュシア」
口を開いた私に、エリュシアの翠玉のような瞳がピクリと揺れる。
「言ってなかったっけ?私は、一度仲間だって認めたら絶対に見捨てたりしない。だから、あんたが決めたその決断を私は応援するし、手伝ってあげる」
「––––っ!お姉さま……」
「けど、覚悟しときなさいよ?あんたがやるって決めたんなら、途中で投げだしたりしたら承知しないからね?」
「はい……はい!……ありがとうございます、お姉さま」
あんたももう私達の仲間だからね、と言うと、エリュシアはくしゃくしゃの泣き笑いを浮かべて、何度も何度も頷いた。
「––––さぁ、もう休みましょう。今夜はずっとこうしててあげるから」
「はい。おやすみなさい、お姉さま」
––––こうして、実の姉妹のように互いの温もりを交し合った彼女たちの夜は、静かに、静かに更けてゆくのでございました。




