幼女いろは-2
「アミちゃん! ちょうど良かった! ようちえん帰りか?」
公園に差し掛かった時、母親と連れ立って歩くアミを見かけ、いつものよう自然に声を掛けたが、俺が誰だか分からないらしい。
きょとん。と、目を丸くさせている。
「あなた誰? アミちゃん知らない!」
「リュウトだお、リュウト!」
「お姉ちゃん?」
「ああ、そうら!」
アミは「違うよ!」と、一度は怒ったが、モモリンのシールをチラつかせると、納得する所があったのか「ふぅん」と、疑り深くも俺を認めたようだ。
アミの母親が膝を折り、俺の顔をまじまじと見てきた。
「もしかして、リュウちゃんの妹ちゃんかな?」
……そうか。
リュウトであると主張するより、妹を名乗る方が、受け入れられやすいのかもしれない。
「……妹でち」
「わぁー! 似てるねー!」
アミの母親は「美人姉妹だ」と、はしゃいだ声を出す。
「そっかー、リュウちゃんって、小さい妹ちゃんが居るから、アミと遊んでくれてたんだねぇ」
アミの母親は、若く快活な女性で、くしゃっと笑う顔が可愛いのだ。そして、時折くたびれた人妻の色気を感じさせる良い女だ。
「これを見てくれ! 神社で貰ったのら!」
この身に起きた幸運を、得意げに話して聞かせた。
「良いなぁ! アミちゃんも欲しい」
「ふふん、アミちゃんも貰ってきたらどうら? まだ居るかもしれないお」
子供らしい無邪気な笑みを浮かべ、シールセットをアミの母親に向け、広げて見せた。
「キラキラのシールも付いているのら」
アミにするように、俺も頭をぐしゃぐしゃと撫でられ「良かったねぇ!」と笑顔を向けられたい。
さぁ、来い! 心の準備は出来ている!
ぐい、と頭を突き出した。
しかし、期待に反しアミの母親は眉を吊り上げたのだ……。
「駄目じゃない! 知らない人から物を貰っちゃ!」
「え……」
こんな筈ではなかった……。
どうやら、子供相手に悪さをする不届き者が存在し、娘を持つ母親は、それを常に心配をするものらしい。
世にはびこる悪い大人について、懇々(こんこん)と説教を受け、自問するように「リュウちゃん達のお母さんに、相談した方が良いよね」と、アミの母親は悩みはじめた。
あげく「家はどこか」と、詰め寄ってくる。
困った俺は、しどろもどろに答え、泣きマネもしてみたが全く許されない。
子供の姿も悪くない。などと、心から思った事は撤回だ……。
アミに助けを求めて見たが、ブランコに気を取られている事は明白。友だと言うのに頼りにならない。
ホズミなど、一足先に滑り台の上で転がっていた。
……飴玉を貰い、何の疑いも持たずに食べた事は、口走らなくて良かった。
実の母上にも叱られたことが無かったのに、人間の、それも他人の母親に、こうも説教を受けるとは……。
「……ごめんなたい」
叱られている気まずさから、とりあえず何度も詫びを入れた。
「ねぇ、リュウちゃんの妹ちゃん。お名前は?」
「う……」
リュウトだと言えば、再び叱られかねない。
「ええと……」
「どうしたの?」
幼名であるリンネロッタとは名乗りたくない。
ふと、歩道の端に、顔見知りを見つけ、口をついで名前がこぼれた。
「……アリア」
「アリアちゃんって言うのね? ママは?」
近づくその人物を指差した。
「母上!」
助けを求めるよう手を振った。
背筋を伸ばし、上品に着物を着こなす女性。
――誠司の母が、そこに居たのだ。
母上は不思議そうな顔で俺を見るが、走り寄って名乗った。
「あたち……誠司の隠し子れす!」
******
「慌てて来て損した……」
仏頂面の誠司が、チョコレートパフェと向かい合う俺と、母上を一瞥した。
「何が『アリアちゃんの一大事。至急迎えに来るように』だよ。のんびりお茶してるだけ、じゃないか」
走って来たのだろうか。
誠司は乱れた息を整えるよう、大きく息を吐きながら母上の隣に座り、給仕の者が差し出した水を飲み干した。
「そう言わないの、不審者が居るんですって! こんな小さな子、一人で帰せないわよ、ねぇ」
「あい、母上。手間をとらせまちた」
「そのわりに、買い物も楽しんだように見えるけど」
母上が誠司に押付けた紙袋には、大量の子供服が入っている。
誠司を待つ間、子供の服を選ぶのは久しぶりだと、楽しそうに俺の服を見立ててくれたのだ。
「この子、アリアちゃんの妹なんでしょ?」
「え?」
「アリアちゃんって偉いのね。学校の先生をしながら、小さい妹を養って……」
母上は労わるように、俺の前髪を優しく撫でた。
誠司は「どういう事?」と、目だけで合図を送ってくる。が、目を瞑り見ないふりをした。
「ねぇ、いつから、アリアちゃんとお付き合いしてるの?」
「んん?」
「あんなに可愛い子を射止めるなんて、誠ちゃんも隅に置けないわね」
誠司が救いを求めるような目で、俺を見た。
嘘に嘘を重ねた結果、話しがややこしくなったのだ。
その上、母上の解釈が俺の予想を斜めに超えて来ている。
「……あたち、子供らから、分かんないれす」
「ちょ……!」
ぷい、と誠司から目を逸らし、目の前のアイスを口へと運ぶ。
……すまん誠司。
母上の導き出した解答に従ったばかりに、訂正するのも面倒になる程、話はこじれているのだ。
大人の俺と、子供の俺は、姉妹であり、とてつもなく不幸な境遇により、貧しい暮らしを強いられている。例えば親の形見を、質で売らねばならないほどに。だ。
そして、父の顔も知らない、可哀想な幼女。
幼女は姉の恋人である、誠司をいつの間にか父だと思うようになり……。
そんな、物語を母上は脳内で作り上げたのだ。
「で、誠ちゃんが、この子のお父さん代わりをしてるって事は、お母さん分かった!」
「……は?」
「あのね、誠ちゃん。アリアちゃんとのお付き合いは反対しないわよ。でも、二人の面倒を見る気があるなら、中途半端は止めて、大学だって辞めて良いから、早く就職して結婚した方が――」
「就職……? それに結婚って!? ま、待って……母さん! その子は……」
母上の言葉を遮った誠司だが、額に汗を浮かべて唸った。
この子供は妹ではなく、リュウト本人だと説明しようと試みて、言葉が詰まったのだろう。
大人が子供になるなど、人間の常識に当てはめれば、馬鹿げた話だ。
信じるはずも無い。
「じゃあ、誠ちゃん。アリアちゃんの事、どう思ってるのよ」
「ちょ……今ここで、それを言うのは辛い」
硬い表情の誠司と目が合ってしまった。
ここで助け船を出さずに居ると、後が怖い。
「母上、誠司をせめないで、くらたい」
母上からは、小動物でも見るように優しい目を向けられ、誠司からは、次は何を言い出すのだ。と、警戒するような視線が突き刺さる。
「あたちの為に、誠司の未来は奪えまてん。お姉たまも悲しみます! もう誠司の事を、父上とは思わないれす」
言いながら、ひざの上に置いた手をきつく握り締めた。
母上が「そんな……」と、同情的な声を漏らす。
誠司の呆れた顔が視界に入るが、昂ぶる気持ちを抑えられず、かまわず続けた。
「これ以上、誠司に迷惑がかかるなら……あたち、死にます!」
完全に自分を見失っていた。
自分が何者か分からず、母上の作った物語に乗せられ、気分はスッカリ女優だったのだ。
「子供が死ぬなんて、そんな悲しい事、言わないで……!」
同じく母上も演技がかった声を出し、ヒシッと俺の手を取ったが、ふと真顔になった。
「えぇと……お名前は何だっけ?」
「……」
母上が大人の俺に名づけた名を、幼女である俺が名乗るのは、おかしい。
誠司を見るが、誠司は俺がしたようにプイと横を向いて見せた。
「……リンネロッタれす」
幼名を、自ら肯定する事になってしまったのだ……。
その場しのぎの嘘を並べていると、自滅する。そう学んだ。




