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私の悪魔様-2

 教卓に立つ先生の声は、耳を滑っていく。

 このままじゃ駄目だと、集中して先生の話を聞こうとすればするほど、なぜか胸はドキドキして落ち着かなくなって、余計な事を考えてしまう……。

 教室は息苦しい。

 足元からざわざわと焦燥感にも似た、嫌な感覚が競り上がって来る。


(……しっかりしなきゃ)


 たまらず窓の外を眺め、ふうっと大きく息を付いた。

 窓側の一番前。私の席がこの場所で良かった。視界から嫌なものが消えて、一時の逃避が出来る気がするから。

 窓から見える大きな木。枯葉が落ちはじめ、葉と枝の間から隣に立つ部活棟の屋根まで見えるようになっていた。

 

(あれ?屋根の上に人が……)


 にょきっと現れた人影は遠く、顔は分からない。

 けれど、肩に掛けた黒いマントと長い髪をなびかせ、背筋を伸ばし腕組みする、堂々としたその様に、同じ制服を着ていても普通の生徒だとは、まったく思わない。


 リュウトさん……何をしてるんですか?


 小豆色の影が一瞬だけぴょん弾んで、同じ屋根の上に現れた。ここから小さな全身は見えないけど、あのピンと立った尻尾は猫ちゃんだ。


「ほずみー」


 猫ちゃんを呼んだのか、私を呼んだのかは分からない。ただリュウトさんの声が遠くから聞こえてくる。

 教室の誰かに、その声や姿を見られていないかと身構えた。


 みんな授業に集中している。余所見ばかりしているのは私だけみたい……。


 リュウトさんは、猫ちゃんと会話をする様な仕草を見せた後、ホウキの柄のような長い木の棒を引きずりながら、屋根の上をうろうろと歩き始めた。

 ぐるりと屋根を周回したかと思うと、直角に曲がったり、鋭角に戻ったり、変な動きを繰り返している。

 

 ……地面に何か、書いているんでしょうか?

 

 いったん、屋根の端に消えたかと思うと、今度は棒を杖のように付きながら戻ってくる。そして私に向かって手を振った。

 私からリュウトさんが見えるように、リュウトさんからもまた私が見えているみたい。


「ほずみー」


 猫ちゃんはピクリとも動かない。


 ……呼ばれたのは、やっぱり私だったんですね。


 思わず目をそらした。


 今は授業中ですし……。

 大きな声で聞き返すような勇気、無いですから……。


 このまま無視をするつもりが、何度も名前を呼ばれ、仕方なく横目に見ると、リュウトさんは空を指差していた。

 従うつもりは無いのに、視線を上げてしまう。


(あ……)


 教室のひさしに届きそうなくらい伸びた木。その枝先に止まっていたのは、小鳥。毛羽立った青い体に白い頭。黒模様の翼、黄色いクチバシ。


 セキセイインコ……?

 ……もしかして。


『――ピーちゃん』


 そう思った途端、インコが自分の名前を言った。


 迷子のインコ?どうしてこんな所に……!


 もしかしてリュウトさんは私に、ピーちゃんを捕まえろ。と言ってるんでしょうか……。

 む、無理です。

 ……私には出来ません。




 *****




「まったく薄情なヤツめ」


 大きな木を隔てた向こう側。穂積のいる校舎、その窓を見下ろし悪態を付いた。

 背を丸め、こちら見ていたはずの穂積は意思を持って俺から視線を逸らしたのだ。

 穂積が鳥を捕まえさえすれば、何事も無く終わると言うのに……!


「糞猫、そもそもはお前が鳥を捕まえ損ねたせいで、こんな所まで登る羽目になったんだからな」

「ニャーニャニャ……」


 町中を走り回り、奇跡的に鳥を発見したが、詰めが甘かった。

 鳥がホズミの牙をすり抜けたのは一度や二度ではない。この鳥は知能が高く、猫より一枚も二枚も上手なのだ。

 気が付けば鳥に導かれ、こんなところにまで登らされている。

 その上、俺たちが屋根へと登った途端、鳥は向こう岸、穂積の教室の方まで飛んで行ってしまった……。


 もしや、この鳥、ただの鳥ではなくトゥンペルの部類ではあるまいな。

 トゥンペルとは、美しい鳴声と羽色で旅人をいざない、奈落へ落とす魔界の害鳥の名だ。

 まさかこの俺を、屋根の上から地へ落とそうと企んでいるのか?


『……ピーちゃん!』


 俺を嘲笑うように鳥が名乗りあげる。


「鳥の癖に悪魔を(あざけ)るとは……しかし、お前は今、俺に追い詰められていると言う事を忘れるなよ!」


 手に持った木の棒を、地面に強くこすりつけ、バツ印を一つ書き加える。

 

「よし、完成だ。目に物を見せてくれよう!」


 屋根の上に簡易的な魔法の陣を描いたのだ。


「魔界の者としての力、あの鳥に思い知らせてやる」

「ニャン!」


 その円陣の中心点に座るホズミが得意気に鳴いた。

 魔術と式の間に成り立つ関係を、古代の魔界記号を用いて表示したこの陣を使えば、ホズミのような知識の薄い者でも、詠唱を省いて術を使う事が出来る。

 ただし、陣の軌道に必要量の魔力を乗せる事が出来れば。で、ある。


「分かってるな?鬼の手を作るんだぞ」

「ニャ!」


 ホズミが魔法の手を作り、遠隔で鳥を捕まえる。その算段だ。

 稼動式バックスクラッシャー。

 俗称、鬼の手。

 高い所の物を取るのに便利。痒いところに手が届く。と、第三の手として魔界では一般的に使われている。

 本来なら陣も詠唱も不必要。ごく簡単な術だが、愚かなホズミの為わざわざ、お膳立てしてやったのだ。失敗は無いだろう。そう、期待する。


「準備は良いな」

「ニッ!」


 返事の良さには不安を覚えるが、頼るしかない。


「さぁ、主人の望みに応えて見せよ」

「ニャッ!」


 さらに威勢良く応えたホズミは、どんぐりのような目を見開き、赤くギラギラと光らせる。

 地面に鋭い爪を立て、牙を剥いた。

 尻尾の毛が太く逆立つ。


「ナァーーーー!」

 

 ホズミを中心に、底から冷たい風が吹いた。足元を滑っていく風が、俺のスカートと外套をバサバサとめくり、髪を乱す。

 

 よし、良いぞ!そのままだ。

 心の中で声援を送る。口に出せば調子に乗るに違いないのだ。

 

 ふっ、と一瞬の静寂が訪れ、風が止まり、円陣の全体が一度だけ青く輝く。陣に魔力が乗った合図だ。やがて淡い光がいくつかに枝分かれし、さらなる風を呼び、陣の中を競い合うように走っていく。

 その速さは次第に高まり、屋根の上の枯葉や砂埃をさらに高く巻き上げた。

 たまらず目を細め、両手で風を遮る。

 陣など初めて描いたが、ホズミの頼りない魔力で正しく術が成立するのなら、上出来ではないか。


「ニャニャー!」


 風は渦となりホズミを包み込み、やがて白い“もや”があたりに立ち込めた。


「ニャニャニャニャー!」


 鳴声に応えるように、“もや”は濃い霧へと姿を変える。夏雲の様に、むくむくと立ち上がった霧は、白く巨大な手の形を作った。

 鬼の手の完成だ。

 だが……。 

 巨木の如くそびえた鬼の手、その黒い影が俺を見下ろす。

 指の一本だけを見ても、俺の背丈をゆうに越えているのではないだろうか。


「……でかすぎないか?」


 この大きさ、ありったけの魔力を使ったに違いない……。


「ニャ?」

「加減を知れ!これでは使い物にならん!鳥を捕まえるどころか、潰しかねないぞ」

「ニャニャニャーニャニャ!」

「……試さぬと分からぬだと?あきらめろ。やり直しだ」

「ニャニャー……」


 もう魔力は残っていないらしい。


「愚か者め」


 ホズミの頭に拳を落としたが、石を殴りつけたような感覚に、涙がじわりと滲む。猫の癖になんて石頭だ!痛みを紛らわせるように、拳にフーフーと息を吹きかける。


「ニャニャー」

「どうしましょう。だと?」


 あまりに巨大な鬼の手が、その正体である霧を大量に吐き出し続けるせいで、青い空は隠れ、見る間に視界が悪くなる。

 まとわりつくような湿気が鬱陶しい……。


「策を講じるのも面倒だ。お前が捕まえに行け」

「ニャ?」

「次は逃がすなよ」


 猫の首根を掴み、鬼の手に握らせた。


「行って来い!」

「ニャー!」


 鬼の手は一度だけ大きく仰け反ると、まるで投石機のようにホズミを空へと放り出した。そして自らが起こした強風に煽られ、形を失い、大気に消えた。

 なんと言う脆さだ。

 一方、緩やかな弧を描いて飛んだホズミは、派手な音を立て、間を隔てる木に真っ直ぐ衝突した……。

 正々堂々、頭からぶつかったが、さすがは小鬼、石頭。木に爪を立てしがみつくと「ニャー」と鳴く。

 出来そこないの鬼の手は、コントロールも悪いのか。


 『オハヨー、キョウモカワイイネ!』

 

 ホズミのぶつかった衝撃で、木は揺さぶられ、枝先に止まっていた鳥はベランダの手すりへと飛び移ってしまった。


「なんと言うことだ!」

「ニャー……」


 ホズミの目にも、飛んで行く鳥の姿が見えたのだろう。情けない声が聞こえる。

 あの距離だと、穂積に頼るが早いか。


「おーい穂積! 鳥を捕まえてくれ! そっちに飛んだ」


 窓辺に見える穂積の陰気な背中がビクリと反応し、探るように顔をこちらに向けた。

 なにやら口をパクパクと動かしている。


 む、り、で、す


「無理だと?」

 

 まったく無理だとはなんだ!

 賞金がかかっているのだぞ、これを仕事だと思え!

 この鳥は知能が高く厄介な鳥だ。掛けられた金も高額であるに違いない。電子レンジを買い換える事も夢ではないだろう。


「お前の為でもあるのだ!」


 しかし穂積は俺から視線を外し、頬杖を付いて見せた。なんて非協力的な態度だろうか!


「仕方ない、猫! そこからもう一度……」

「ニャーニャニャー……」


 ホズミが不安そうに鳴いた。

 猫の癖に木から下りられなくなったか?

 いや……違う。様子がおかしい。


「おい、嘘だろ……」


 ホズミの居る木が幹をしならせながら、隣の校舎、穂積と鳥のいる方向へ、ゆっくり傾いているではないか。

 メキメキと嫌な音が立て、幹が裂けていく。

 

 そんな馬鹿な……。ホズミがぶつかっただけで折れるとは、中が腐っていたのか?

 そうなれば悠長に見守っている場合ではない。

 倒れた木が校舎にぶつかれば大変な事になる……。


「穂積!そこから逃げろ!」


 とにかく穂積の居る校舎に向かって叫んだ。


「猫、お前は、少しでも長く木が倒れないよう、無い知恵を絞ってどうにかしろ! 俺は教室にいる者を避難させて来る」

「ニャッ!?」


 言うが早いか、屋根の上から飛び降りた。

 バンと派手な音を立て、渡り廊下の屋根へと着地する。


 「痛てぇぇ……」


 両膝がビリビリと痛い……。

 たかだか身の丈ほどの距離を降りただけで、まったくこの足は……!

 だが、悶絶している時は無い。愛らしい太ももを叱咤し、渡り廊下の屋根からは、柱を伝い慎重に地面へと下りた。

 パラパラと音を立て、空から木屑と枯葉が降っている。

 

「離れろ!木が倒れる!」


 行き違う生徒たちに向かい叫んだ。

 距離や位置からみれば、穂積の居る教室が一番危ない……。

 降る木の枝や葉を、外套で防ぎながらニ階の穂積の教室を目指し走った。


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