私の悪魔様-1
リュウトさんと町を歩いていると、道行く人たちが立ち止まったり、振り返ったり、視線だけで追いかけてくる。
リュウトさんの容姿が、とりわけ人目を引くからだ。
でも当のリュウトさんは慣れっこなのか、無視して歩いていた。
……改めて、その横顔を眺める。
形の良い鼻に、長い睫、ぷっくりとした柔らかそうな唇。
誰もが目を奪われるのも仕方が無いかな。なんて、納得してしまう。
そんな薄茶色の綺麗な瞳が私を見て、ニヤリと笑った。
「俺の顔に、何かついているのか?」
「……あ、いえ。別に……綺麗だなぁと思って」
「ほう、ようやく俺の美貌に羨望の眼差しを向けるようになったか」
……口調が乱暴なので、喋るとすごく残念です。
「……もったいないですよね」
「何がだよ」
女の子らしくすれば良いのに。そう、言いかけて口をつぐんだ。リュウトさんは悪魔で、人間の常識には、あてはまらない。
悪魔の女の子は皆、こんな口調なのかも知れないですし……。
「おはよう、行ってらっしゃい」
ふいに声をかけられ、顔を上げると、パン屋の奥さんが、店先から人のよさそうな笑顔を向けていた。
「……おはようございます」
「おはよう。痛めた腰はもう良いのか?無理はするなよ、癖になる」
「大丈夫よぉ、ありがとうね」
リュウトさんは、誰にでも気さくに声をかけるので、町中にも知り合いがとても多い。
パン屋さんの奥さんとは親しげだ。
……リュウトさんは凄いです。新しい環境にも、すぐに慣れて。
魔界から来たリュウトさんが、こんなにも人の町に馴染んでいるのに、半年以上も前から住んでいる私は、町はおろか、学校にさえ馴染めていない。
昨日のリュウトさんなんて、お昼休みに私の教室にやってきたかと思えば“お姉様先生!”と、すぐさま囲まれ、誰かが作った手作りのお菓子で、両手も口の中もいっぱいにして……。
どうやら、学校にはリュウトさんに渡すために、わざわざクッキーやパウンドケーキを焼いている子がいるらしいです……。
……私だってお菓子作りには自信があるんです……!
電子レンジが壊れてなければ、私もクッキーやケーキを焼いてあげられるのに。
リュウトさんは、電子レンジを壊した事に責任を感じているから、言い出せませんが……。
せめて、フライパンでパンケーキを焼くくらいなら!
……お金が入ったら、ですけど……。
うぅ……。お金が無いのにアルバイトをする勇気も無い私って……本当に無能だと思います。
リュウトさんの保護者のような気持ちでいたのに、いつの間にか追い抜かれちゃったのかな。
「……青は藍より出でて藍より青し。ですかね」
リュウトさんが大きな目をさらに大きくして私を見た。
……変な事、言ったかな。
「お前って、脈絡の無い事を突然言い出すよな」
「あ……」
……頭で考えて過ぎて、言葉が飛んでしまう悪い癖!
「まったく、面白いヤツだ」
リュウトさんはそんな私をケラケラと笑った。
「……すみません」
「あぁ、そうだ。穂積、仮入部から本入部になったからな。今日の放課後は部室に顔を出せよ」
「え……?」
そんな……仮入部だって無理やり名前を書かされたのに!
そもそも、魔術研究会が何をする部活か分からないですし……。
「あからさまに嫌な顔をしやがって。爺さんが部に人数増やせって言うんだから、しょうがないだろう?それとも、お前は俺がクビになっても良いと言うんだな?」
別に……。と、言いかけた言葉を飲んだ。
リュウトさんが来なくなったら、柊さんが悲しみますよね……。
「分かりました。でも……」
「夏帆は良いってよ。お前が部員になれば他に入ろうとしてくる奴が減るだろう?」
「あ……なるほど」
確かにその通りですね。
私と関わりたがる人は、学校に居ないですから。
「何を素直に納得しているんだよ」
「痛いっ」
……何もデコピンする事ないじゃないですか、言い出したのはリュウトさんなのに。
理不尽です……!
むっとして、自分の靴と影を眺めていると、小豆色の長い尻尾が足にじゃれ付いてきた。
私と同じ名前の猫ちゃん!
「猫ちゃん!おはようございます」
「ニャー」
「よぉ。やっと来たな。夏帆は自分の教室へ行ったか?」
「ニャッ」
猫ちゃんが首を横に振ると、リュウトさんはそれに舌打ちで答えた。
リュウトさんは、柊さんが授業を教室で受けるよう、お爺さん……つまり、理事長に頼まれているらしい。
「明日は教室までしっかりと連れて行けよ。お前に与えた仕事なんだからな」
「ニャニャー!」
リュウトさんの言葉に、猫ちゃんが尻尾をしならせた。
二人は時折、こうやって息の合ったやりとりを見せる。主人と従者の関係がどういうものか、私には分からないけど、仲は良いみたい。
「よし。では、俺たちは行くとするか」
「ニャー!」
「……どこに行くんですか?」
私が尋ねると、リュウトさんが悪戯っぽく笑って言った。
「賞金稼ぎだ」
「え……?」
「お前も来るか?迷子のインコのピーちゃんを探し出せば、金一封が出るようなのだ」
直感的に「楽しそう!」と胸が弾む。でも、もしも、万が一にも「学校を休んで遊んでいた」なんて、実家に連絡が行ったら……? それを少し考えただけで、気持ちは萎み、一緒に行くとは、とても言えなくなってしまう。
「ううん……私は学校に行きます。頑張って下さいね。あ、怪我はしないように」
「良いのか?」
呼び止めるリュウトさんに「うん」と、一言だけ告げて、逃げるようにその場を離れた。
去り際に「部活には顔を出す」と言ったリュウトさんに「分かりました」と心の中で答える。
そして「柊さんに会ったら、そう伝えます」とも心の中で付け加えた。
*****
リュウトさんたち楽しそうだったな。
校門へと伸びる、レンガの敷道を踏んだ時、五回目のため息が出た。
「やっぱり行きたかったな」と、後悔して二回。
「でも学校はサボれないし」と納得して二回。
……迷子のインコなんて、そう簡単に見つかるのでしょうか。
でも、リュウトさん達なら本当に見つけてしまいそう!だって、二人はこの世界の人では、ないですし……。
インコの止まる木の枝めがけて、大きくジャンプする猫ちゃんの姿を想像してみる……。手足をいっぱい伸ばして高く飛ぶだろう。
もし、私がその場に居合わせたら、ドキドキするだろうな……。
リュウトさんはきっと「でかした」と、両手を叩いて喜ぶだろう。
――七瀬、一人で笑ってない?キモーイ。
通り過ぎた誰かに、不機嫌な言葉を投げかけられた。
心臓がぎゅっと掴まれたような痛みが走って、苦しくなる。
……大丈夫、大丈夫。
奥歯を強く噛んだ。気を張って“何も感じない”という顔を作る。
私の存在を遠くで見て、嘲笑するような冷たい視線が幾つか通り過ぎて行く。
リュウトさんと居る時には感じない「見られるのが怖い」という嫌な感覚……。
途端に教室へ行く足は途端に重くなる。
……早く帰りたいな。
登校したばかりで、もう帰ることを考えてしまう。
六回目のため息は、憂鬱で深かった。
*****
机の上に教科書を並べていると、後ろから紙くずがポンッと飛んでくる。
そして、囁くような笑い声。
いつもの事だと無視して教科書を開く。
一つまた一つと紙くずが飛んでくる。
それを手で払って床に落とすと、背後から「最低」と言う声が聞こえた。
肩で息を付いて、こんな事では傷つかない。
そんなフリをする……。
ふと、目の前に人の立つ気配がして、顔を上げた。
「ねぇ、七瀬」
授業の合間の短い休み時間、遠慮がちに私に声を掛けてきたのは二人。中西さんと武井さん……だと思う。
バスケ部に所属する快活そうな二人とは、もちろん友達では無く、言葉を交わすのも初めてだと思う。
少し戸惑った私に、二人は気楽に話を続けてきた。
「あのさ、お姉様先生の彼氏って知ってる?」
「……彼氏ですか?」
どう答えて良いかわからなくて、口調が構えたものになってしまった。憂鬱そうに聞こえたかもしれない……。
二人の表情が鋭くなったのが分かる。
「ウチらこの前、公園で会ったんだけどさ、名前とか分かる?」
……すぐに思い浮かんだのは中森君。
でも、二人が恋人同士だなんて、聞いた事ないです……。
黙った私に、二人はつまらなそうに顔を見合わせた。
「ええと……背が高くて、髪は少し長くて、ちょっと遊んでそうな感じの人なんだけど」
リュウトさんと似た、凛とした瞳が思い浮かぶ。
「……もしかして、リンネさんの事ですか?」
「あ!そうそう!そんな感じの名前で呼んでたかも。やっぱり知ってるんだ!何してる人?写メとか持ってない?」
「大会の帰りに一組の子と三人で会ったんだけどさー、お姉様先生、ウチらに何も教えてくれないんだよね」
好きなアイドルの話しでもするように、二人は明るい声を上げ、リンネさんのファンなのだと笑った。
「リンネさんの事はよく知らなくて……すみません。でも、恋人では無いらしいんですけど……」
ただ、私だけが知っているのは……。
眠るリュウトさんに、そっとキスをして、驚いた私に「内緒にしろよ」と片目を瞑り、悪戯っぽく笑っていたリンネさん。
まるで物語の一場面のような情景に、ドキドキした。
「かっこいいですよね……リンネさん」
言った後、はっと口をつぐんだ。
同級生と同じ話題を共有するのは久しぶりで、会話のどこまで踏み込んで許されるか、見誤りそうになる……。
でも、中西さんが「そうそう!」と声を大きくさせ、武井さんが「ヤバかった!」と同意してくれたので、少しほっとした。
「あのさー、お姉様先生って……」
武井さんが何か思いついたように、口を開いた直後、顔を青ざめさせた。
「あれぇ?珍しい!七瀬と仲良かったんだ?」
そう言って後ろから覗き込んで来たのは、うちのクラスで一番、発言力のある女子生徒――川上エミ。
市議会議員の一人娘で、容姿端麗のミス清桜。
女の子らしい甘い声は笑って聞こえる。でも、目は笑っていなかった。
「違うよ」
中西さんが鋭い声でそれに答え「ね」と武井さんに同意を求める。
聞かれた武井さんも「七瀬と仲が良いわけないじゃん。エミ冗談きついよ」と軽く笑って、私の机から離れて行った。
「ふぅん、驚いちゃった」
川上さんは、ふっと醒めた顔になって私を見つめた。
「邪魔しちゃった?」
そう吐き捨てるように言うと、取巻きを引き連れて教室から出て行く。
川上さんに対して、何も思わない。好きでも嫌いでも、憎いとも思わない。ただ、キツかった。胸が締め付けられて、吐きそうになる。
でも、今はリュウトさんや柊さんのおかげで、前よりはずっと良い。もう、あんな事は起こらない。
*****
あれは、ついこの間のような、だいぶ昔のような。
リュウトさんと出会う前の日。
私の机を囲んだ数人内の誰かが、口火を切った。
「ねぇ、七瀬。前の高校の子から聞いたんだけど、教室でストリップショーやったんだって?」
心の奥にしまった黒い記憶が、乱暴に引きずり出される。
「っ……そんな事!」
「ねぇ、これ七瀬でしょ?」
差し出されたスマホの画面に写っていたのは、下着姿で教室にうずくまる私だった。
……血の気が引いた。
乱れた髪で、顔はほとんど隠れているけど、見る人が見れば分かる。過去の私。
まだ、こんな物が残っているなんて……。
「……違います」
「うそぉ!絶対、七瀬だよ。ウチの学校でもやる?あー、それとも男子がいなきゃ、やる気でない?」
「……嫌です」
「七瀬、おっぱい大きいから、将来は風俗で稼げば儲かるよ。良かったね、進路が決まったじゃん」
「…………」
「あ!私、今すごく良い事思いついちゃったな」
そう言って手を打ったのは、川上エミ。
彼女の言葉に、周りの子は擦り寄るような声で「何?」と期待を寄せた。
嫌な予感しかない……彼女の次の言葉に身構えた。彼女は虫も殺さないような顔で一番残酷な事を言うから。
「ね、七瀬!職業体験してみようよ!」
「……な、なんですか……」
「私、ネットでお客さん見つけてあげるね。七瀬の進路に役立つと思うの。七瀬の為に言ってるんだよ?」
そう言った顔は笑顔だった。




