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第二話 墓参りとスマホ

 お盆の最中、真夏の太陽が容赦なく照りつける霊園に、悠太ゆうたの一家はいた。


「悠太、お線香ちゃんと持って。ほら、お父さんたち先に行っちゃうわよ」


 母の声に返事をしながら、悠太は手桶と花束を両手に持ち、石畳の坂道を上っていた。今回は悠太一人ではなく、父、母、そして二歳上の姉・あおいの家族四人揃っての墓参りだった。


「暑い……マジで融ける……」


 隣を歩く葵が、ハンディファンを首元に当てながら不平を漏らす。

 墓前に到着し、父が墓石をきれいに磨き、母が鮮やかな生花を挿す。最後に線香をあげて全員で静かに手を合わせた。この墓には、二前に他界した大好きな祖父母が眠っている。温かくて優しい、いつも悠太たちを温かく見守ってくれていた祖母の笑顔が思い浮かんだ。


 お参りを終えた後、母が嬉しそうにスマホを取り出した。


「せっかく家族みんなで揃ったんだから、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの前で記念写真撮りましょうよ」


「えー、こんな汗だくで?」と葵は文句を言いつつも、髪を整えて母の前に並んだ。


 悠太が家族四人を画面に収め、セルフィーの要領でスマホを掲げる。


「はい、笑ってー。ちーず」


 カシャ。


 電子音が静かな霊園に響いた。


「どれどれ、うまく撮れた?」


 葵が悠太の隣からスマホの画面を覗き込んできた。

 写真には、墓石を背に笑顔で並ぶ四人の姿が写っていた。だが、悠太は画面のある一点から目を離せなくなった。


(なんだこれ……?)


 葵の右肩から背中にかけて、不自然な「黒い影」が写り込んでいたのだ。

 それはただの光の影ではない。まるで黒い墨を流し込んだような、異様な濃密さを持った人型に近い輪郭。よく見ると、その影は葵の首元を後ろから「掴んでいる」ように見えた。


「ねえ、葵……これ、なに?」


 悠太が影を指差すと、葵はきょとんとした顔で画面を見た。


「え? なにが? 普通にキレイに撮れてるじゃん」


「いや、ここだよ! この肩のところの黒い影……」


「……は? 何言ってるの、ただの木の影でしょ。変な冗談やめてよ」


 葵は気にも留めず、母に「お母さんにも写真送って」と言って歩き出してしまった。

 悠太は両親の顔も見たが、二人とも「葵の言う通り木の枝の影じゃないか」と笑っている。


 しかし、悠太にははっきりと見えていた。

 その影には、目のような二つの暗い窪みがあり、じっとこちらを睨みつけているように思えたのだ。


 帰りの車内でも、悠太の胸のざわめきは消えなかった。


 助手席に座る葵は、自分のスマホで友人たちと楽しそうにメッセージをやり取りしている。

 悠太は後部座席から、自分のスマホに保存された写真を何度も拡大して確認した。


(やっぱりおかしい……木の影なんかじゃない)


 拡大すればするほど、その影の質感は生々しく思えた。まるで湿った泥のような黒さで、葵の身体をじわじわと包み込もうとしているかのようだ。


 その時、悠太のスマホがブッと短く振動した。


 画面を開くと、先ほど撮影した写真のサムネイル画像が表示されている。

 だが、通知のテキストを見て、悠太は息を呑んだ。


『AIフォト解析:写真内に異常な危険要因(事故・障害物)が検知されました』


 見慣れないシステム通知だった。

 恐る恐る通知をタップして写真を開くと、画面の中の「黒い影」が、墓参りの時に撮影した位置よりも明らかに動いていた。


 影は葵の肩から伸び、彼女の胸元や頭部を覆うように大きくなっていたのだ。


「え……画像が、変わってる……?」


 気のせいではない。静止画のはずなのに、影の位置がズレている。

 さらに、写真の下部に赤い文字で、警告のようなタイムスタンプが表示されていた。


『予測時間:16時45分』


 スマホの時計を見ると、現在の時刻は16時38分。あと7分後だ。


「お父さん、今どこ走ってるの?」


 悠太の切羽詰まった声に、運転席の父がミラー越しに目を向けた。


「ん? もうすぐバイパスに入る手前の交差点だよ。どうした、急に?」


「ちょっと……なんか胸騒ぎがするんだ。スピード落として」


「あんたさっきから何なの? 怖がらせないでよ」


 助手席の葵が振り返り、呆れたように笑う。

 だが、悠太のスマホの画面の中では、あの黒い影がさらに黒さを増し、葵の顔全体を覆い隠さんばかりに広がっていた。


 タイムスタンプの数字が刻一刻と迫る。


『16時44分』


 車は大きな交差点の赤信号で停車した。

 先頭車両として、青信号に変わるのを待っている状態だった。


 葵はスマホに夢中で、外の様子など全く見ていない。


(あの影は……葵に迫ってる危険そのものなんだ!)


 ピカッ。


 交差点の信号が、赤から青へと変わった。


「よし、行くぞ」


 父がブレーキペダルから足を離し、アクセルを踏み込もうとした。


『16時45分』


 悠太のスマホが、これまで聞いたこともないような激しいアラーム音を鳴らした。


 同時に、スマホの画面いっぱいに映し出された写真の中で、あの黒い影がカッと目を開き、画面から飛び出さんばかりの勢いでアジサイの花のような漆黒の手を葵に向かって伸ばした。


「お父さん、待って!!」


 悠太は身を乗り出し、後ろから必死で叫んだ。


「うわっ!?」


 悠太の凄まじい大声に驚いた父は、思わずアクセルを踏みかける足を引っ込め、強めにブレーキを踏んだ。車体が大きく揺れ、交差点の手前で急停車する。


「な、なんだよ悠太! 急に叫んだりして……!」


 父が怒鳴りかけ、葵が「ちょっとびっくりするじゃない!」と文句を言おうとした、まさにその瞬間だった。


 ガアアアアンッ!!!


 凄まじい破壊音と衝撃音が、目の前の交差点に響き渡った。


 左側の側道から、赤信号を完全に無視した大型トラックが、猛スピードで交差点に突っ込んできたのだ。


 トラックはノーブレーキのまま交差点を横切り、もし父の車が出発していたら、ちょうど助手席——葵が座っている側腹部に一直線で激突していたはずのタイミングだった。


 トラックは対向車線のガードレールに激しく衝突してようやく止まった。


 車内は、完全な静寂に包まれた。


「あ……あ……」


 父はハンドルを握りしめたままガタガタと震え、母は息を呑んで固まっている。

 そして、目の前を通り過ぎた死の恐怖を間近で感じた葵は、顔面を蒼白にして、声もなく固まっていた。


 もし、悠太が叫んでいなかったら。

 あと一秒、車が出発していたら。

 葵の命は、間違いなく奪われていただろう。


「助かった……のか……?」


 父がかすれた声で呟いた。


 警察や救急車が駆けつけ、周囲が騒然とする中、悠太たちの車は事故に巻き込まれることなく近くの駐車場に避難していた。


「悠太……どうして、トラックが来るのが分かったの?」


 葵がまだ震える声で、悠太を尋ねた。


 悠太は無言で自分のスマホを取り出し、あの写真を開いた。


「これを見てたんだ。写真の中に、変な影が映ってて……それが、葵に危険が迫ってるのを教えてくれてた気がして」


 葵と両親が、恐る恐る悠太のスマホの画面を覗き込んだ。


 画面に映っていたのは、墓参りの時に撮ったあの四人の写真だった。


 だが、そこにはもう、あの不気味な黒い影はどこにも存在しなかった。


 その代わりに——


 葵の右肩のあたり、さっきまで黒い影が取り憑いていた場所に、柔らかな温かい「光の輪」がぽつんと浮かんでいた。

 そして、その光はまるで、優しく葵の肩を抱きしめる「小さな手」の形をしていた。


「これって……」


 母が口元を押さえ、目から涙をこぼした。


「お祖母ちゃんの手だわ……」


 悠太も、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。


 あのおどろおどろしい黒い影は、きっと葵に襲いかかろうとしていた災いそのものだったのだろう。そして、それを見えにくいスマホの画面を通して悠太に知らせ、間一髪で葵を護ってくれたのは——あの日、墓の下で静かに眠っていたはずのおばあちゃんだったのだ。


「おばあちゃん……葵を助けてくれたんだね」


 葵はスマホに映る温かい光を見つめながら、涙をぽろぽろと零した。


「ありがとう、おばあちゃん……本当に、ありがとう……」


 窓の外を見ると、真夏の青空から注ぐ太陽の光が、静かに車内を照らしていた。

 悠太はスマホを胸に強く抱きしめ、心の中で何度も、優しかった祖母に向かって感謝の言葉を繰り返した。

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