12,ラスボス
ラスボス。それは物語の中で最後に戦う敵のこと。ちなみに夢色ローズガーデンには戦闘の概念はない。多少は物騒なシーンはあるけれど、基本的にはトップスターを目指すヒロインの青春物語のなので国家を揺るがす陰謀に巻き込まれるといったことも無い。しかし、それでもラスボスは存在する。
「ペルルドール殿下。ご無沙汰しております。」
クラージュがスッと立ち上がり、頭を下げる。伯爵子息のクラージュ・レイニーブルーがかしこまるほどの相手、クリアスカイ王国第3王子のペルルドール。夢色ローズガーデンのファンの間でラスボスと言われる人物だ。その呼び名の理由は、最後にヒロインの前に立ちはだかるから、ではない。この王子様は、攻略難易度がアホのように高いのだ。夢色ローズガーデンでは攻略対象とのエンディングを見るために、各キャラに対応するステータスを上げなければならない。例えばクラージュ・レイニーブルーだと『知識』と『根性』が120以上必要になる。大体の攻略対象は対応する必要ステータスが2つか3つなのだがペルルドール王子を攻略するためには、なんと全てのステータスを120まで上げなければならない。これは序盤から緻密に計画をたててヒロインの育成しないと到達できない数値だ。まさに夢色ローズガーデンを極めた者にしか攻略できない『ラスボス』なのだ。
「そんなにかしこまらないでよ。今日はプライベートなんだから。」
その言葉を聞いた途端、クラージュが椅子に腰を下ろす。
「王子が歓楽街で遊んでるなんて、税を納める民に謝った方が良いんじゃないか?」
「プライベートだって言った途端これだよ。相変わらずキレキレだね。」
クラージュの失礼な物言いにも臆さず、ペルルドール王子はわたしたちの隣の席に腰を下ろす。実はクラージュ・レイニーブルーとペルルドール王子は幼い頃からの友人、つまり幼馴染だ。ゲームでも二人が絡むシーンは多く、ひょうひょうとした王子様とツンツンの伯爵令息のコンビはファンの間でも人気がある。もちろん、わたしも好きだ。ペルルドール王子と絡んでいる時にしか見ることが出来ないクラージュ・レイニーブルーがある。ありがとう幼馴染。そして今、わたしはそれを特等席で味わっている。劇場会話に続いて幼馴染まで拝めるなんて過剰摂取でどうにかなってしまいそうだ。
「そういうキミだって、こんなところで女性と食事しているじゃないか。まさかデートかい?」
「そうだ。」
「えっ!?」「んんっ!?」
わたしとペルルドール王子の声が被る。ペルルドール王子は当然レイニーブルー領の下っ端メイドのことなど知るわけがない。彼から見れば対等な関係の男女に見えてしまう、そのうえデートだと公言すればわたしたちの関係を勘違いするだろう。いくらなんでもクラージュ・レイニーブルーの唯一無二の友人ともいえるペルルドール王子に誤解されるのはあまり良くないだろう。思わず立ち上がって訂正する。
「違いますっ!わたしはただのレイニーブルー家の下働きです!!デートなどではございません!!!」
「今日はデートだと言ったはずだが。」
「そうですけど、そうじゃなくて!誤解されてしまいます!!」
「誤解とは?」
「クラージュ様とわたしが、恋人だと思われてしまいます!」
口にしてからハッとする。鏡を見ろ。わたしのような地味な女がクラージュの恋人だと思われるだなんてそんなわけがない。
「すみません、自意識過剰でした。」
おずおずと席に座る。恥ずかしさで頬が熱い。穴があったら入りたい。縮こまっているわたしとは反対に、ペルルドール王子は楽しそうに笑う。
「あははっ。そういうことか。分かった、誤解はしないから安心してよ。」
「…恐縮です。」
「ねぇ、キミ。クラージュとのデートはどこに行ったの?」
「えっと、劇団ローズガーデンの観劇に…。」
「劇団ローズガーデン?ああ、聞いたことがあるな。けれど、クラージュに観劇の趣味があるとは知らなかったよ。それともキミの趣味だったり?」
「ペルルドール。」
クラージュがいつもより低い声で王子の名を呼ぶ。顔を見れば眉間のしわも3割増しだ。正直なところ助かった。決してペルルドール王子が苦手なわけではないが、わたしはヒロインではない。レイニーブルー領のメイドだ。ただのメイドが第三王子と言葉を交わして、もし万が一に失礼があったら大変なことになる。だからあまり言葉を交わしたくない、というのが本音だ。クラージュもフォロワーのように思えてしまうほどわたしに対して気安く接してくれるが、ゆるふわ貴族はレイニーブルー伯爵家だけなのだ。多分、クラージュもそれを気にしてペルルドール王子を止めたのだろう。
「ごめんごめん。ちょっと興味があっただけ。だってあのクラージュが、ねぇ?」
「どういう意味だ。」
「自分が一番分かってるでしょ。あーあ、まさかクラージュに先を越されそうになるなんて。僕もデートしたいなあ。」
「お前とデートしたいと思っているヤツなんて山ほどいるだろ。」
「ん-、誰でも良いわけじゃないんだよね。こう見えて僕、理想が高くてさ。」
よーく知っている。
「それはそうと、劇団ローズガーデンにちょっと興味あるんだよね。クラージュ、今度僕も連れてってよ。」
「…お前とは趣味が合わない。それに観劇は今後も彼女と行きたいと思っている。」
「つれないなぁ。言っとくけど僕をフれるのはキミだけだからね?」
後ろに控えていた護衛の騎士がスッと近づき「談笑中に失礼します。ペルルドール様、そろそろお時間が…。」と声を掛ける。
「はいはい。んじゃ、観劇じゃなくていいから今度遊ぼ。連絡するから無視しないでね。」
「善処する。」
「確約してよ。彼女ちゃんからもペルルドールにもっと優しくしてあげてって言っといて。」
ペルルドール王子は「バイバーイ」と気の抜けた挨拶を残して出て行った。ペルルドール王子はクリアスカイ王国の女性たちから人気がある。麗しいお顔と飄々とした態度のギャップが女性の心を射止めるのだろう。そして前世でも。わたしも彼を攻略したことがあるので知っているが、あんな風でいて彼の抱える事情は複雑で心の内には闇深いものを抱えている。オタクはみんなこういうキャラが好きだ。ちょっと主語がデカかったかもしれない。しかし実際、彼のオタクには過激な人が多かった気がする。フォロワーにも同担拒否の人がいたっけ。やー、恐ろしい男だ。
「アイツの言うことは気にするな。」
「そんなこといって、クラージュ様だってペルルドール様のこと悪く思っていないのでしょう?観劇くらい連れて行ってさしあげれば良いのに。」
「何度も言わせるな。今後も行くならばお前と行きたいと思っている。」
なんだかずいぶん頑なだ。まあ、趣味のお出掛けは趣味の合う人と行きたい気持ちは分かる。なによりクラージュが今後もローズガーデン劇場に足を運ぼうと思っているのならば、わたしとしては願ったりかなったりだし、あわよくばイベントシーンが生で見れるチャンスでもある。
「チケット代、次は自分で払いますからね。」
ここだけはやっぱり譲れないけど。
「……迷惑か?」
「え?」
「…………デートだと言ったり、恋仲だと誤解されたら、迷惑か?」
なにを言っているんだ。クラージュ・レイニーブルーがわたしの中で迷惑になることなど今までもこれからも未来永劫一生無い。どんな時だろうと推しの存在は神様だ。むしろ誤解されて迷惑になるのはそっちだろう。モネとくっついて欲しいのに、万が一にも勘違いされたらややこしくなってしまう。でもそういうすれ違いストーリーも美味しいかもしれない。いやいや、ゲームのシナリオにはそんなものは無いのだからやっぱり困る。とにかく、わたしが迷惑だと思っているのかというと、それは違う。
「わたしはクラージュ様の迷惑になりたくないのです。」
「それは、」
クラージュがなにかを言いかけて言葉を止めた。その続きが口に出ることはなく、変わりに「そうか。」と短い相槌が打たれた。何を言おうとしたのか気になるが、クラージュがあまりにも神妙な面持ちだったのでこれ以上踏み込んではいけないような気がした。何故そんな表情をするのだろう。クラージュは誤解されても良いと思っているのだろうか?わたしと?そんなことを考えてしまうこと自体、自意識過剰だ。前のお出掛けの時に接触してしまってから変に意識をしてしまう。ちょっとファンサをもらいすぎてしまっているのかもしれない。駄目だ。自分を律するのだ。沈黙が気まずい。場の空気を変えなければならない。
「それよりも、さっきの話の続きをしましょう。」
「ああ。」
推しとオタク、主従、趣味の合う同志、それがクラージュとわたしの関係。ただそれだけ。クラージュ・レイニーブルーに寄り添うのはヒロインでなければならないのだ。