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糜芳andあふた~  作者: いいいよかん
65/111

その2

読んで頂いている皆様方へ


明けましておめでとうございます!


本年もどうか宜しくお願い致します。


いいね・感想誠にありがとうございます!


今回は、現状確認回になっております。


では、どうぞ・・・

       東海郡郡治所太守執務室


マイ天使・糜燐との蜜月を、愛でて楽しもうと目論んだ糜芳だったが、半月後には半ば無断欠席をかます太守に、業を煮やした従事の尹旋・金敦が引き取りに糜董邸を訪れて、泣く泣く引き摺られつつ現場復帰となり、せっせと職務を消化していた。


「う~ん・・・中央や地方も刻々と揉めてんな~。」

4月、洛陽から荀攸から書簡が届き、すわ面倒事かと警戒した糜芳だったが、只単に自分が策謀した事に関する経過報告だったので、胸を撫で下ろす。


(徐州の田舎に居て、中央や辺境の情報を正確に入手出来るのは、有り難いこったなんだけど・・・。

アッチも何か有った時の非常時に備えての繋ぎで、書簡をくれてるんだろうから、どうしても身構えちまうよなぁ)

極々普通の定期報告に安堵する。


(まぁ、こっちゃも屯田制の経過報告を定期的に送ってるし、アッチもその度に何事か警戒してるだろうから、相身互いかな)

苦笑する糜芳。


一応笮融を経由して、浮屠信者からの情報網も利用出来るので、荀攸の連絡情報は浮屠経由情報の、裏付け程度の位置付けでは有るが。


2月、涼州では韓遂が史実に近い動きをし、同じ反乱に加わっていた辺章(へんしょう)と、もう1人の有力者を殺害して、勢力を拡大し自己兵力を増強する。


この一連の動きは韓遂からの、勅命に服して降伏する際に提示した、条件の2つの内の1つであり、反乱軍の韓遂側と国軍の荀攸(何進)・董卓側双方にとって利に成る為、提示した2つの条件は、共に極秘裏に了承されていた。


韓遂にとっては、如何に主上直々の勅命に依る降伏勧告とはいえ、受け入れて降伏した途端、誅殺される危険性が拭えないので、一計を案じ保身を兼ねて、真っ先に自分を裏切りそうな同志を始末して兵を束ね、「自分を裏切って誅殺したら、俺の意を受けた部下達が、散発的な反乱行為を繰り返す事になり、収拾が着かなくなるぞ!」と喧伝する事で、自身の身の安全を図れる利があった・・・韓遂的にはだが。


そして董卓には、「反乱軍が一纏め」に成る事で、何人もの反乱軍の頭領格の動向や、離合集散を注視する手間がなくなり、()()()()()()()()()()()()()()()という利があり、何進には、「万一董卓軍が異民族に敗れた時の保険」として、敢えて韓遂に反乱軍を纏めさせて、非常時には異民族に対する第2防波堤として利用出来る、という利があった。


現状とある悪辣少年の策謀により、異民族と韓遂は相互不信に陥っており、互いの協力関係は破綻しているし、韓遂からすれば憂国の志で、洛陽の腐れ者を抹殺する為に異民族を利用しているのであって、亡国の望みが有るわけでは無いので、異民族が自分抜きで洛陽に迫る状況下なら、韓遂は異民族と敵対する公算が非常に高い為である。


そして韓遂が提示したもう1つの条件は、「涼州に巣くう汚職官吏・悪徳官吏の粛清」である。


これは韓遂だけでなく、董卓も「我らが郷里を汚し踏み(にじ)る腐れ者に、例え如何に同郷人と(いえど)も死の鉄槌を!」と賛同しており、又何進側は、「韓遂がアホ・腐れ者共を自動的に始末してくれれば、涼州の治世が安定化するし、恨み辛みも韓遂(向こう)持ちでコッチの負担も減るから、一石二鳥で無問題(モーマンタイ)、どうぞどうぞ」と大喜びで賛成。


吸収した軍の編成が終わり次第、韓遂は悪徳太守・汚職県令等を粛清する予定のようだ。


筋書き(シナリオ)では、悪吏・汚吏を始末した後、董卓軍と一戦して敗れたと見せかけ、霊帝の威光に従って降伏する、という筋書きの模様。


(う~ん・・・コレで涼州は比較的安定化するかな?

史実でも董卓が中央進出後に、反董卓連合(と言う名称の、軍と呼ぶのも烏滸(おこ)がましい、公孫讃・孫堅・曹操以外の各軍団長から末端の兵士までが、軍務経験ほぼゼロの寄せ集め素人集団)と対峙した時は、涼州から多数の援軍が来ていたみたいだし。

ちゅう事は、外(異民族)は董卓が抑え、内(涼州内)は韓遂・馬騰(ばとう)(馬超の父)が抑えていて、安定化していたっつう証左だろうからなぁ)

概ね史実通りに推移していると推測する。


(結果的に今回の粛清騒ぎで、朝廷崩壊後の涼州でも韓遂と軍閥と言う、()()()()が効果を発揮して、悪吏・汚吏が幅を利かせる事無く、容赦なしに粛清される事になり、曹操が介入するまで自立して、活動出来る原動力になるんだから、世の中何が幸か不幸かわかんねーよな~)

苦笑して荀攸の、連絡報告を読み進める糜芳。


3月、今度は并州に於ける張温率いる宦官閥軍が、黒山賊の度重なるゾンビアタックに耐えきれなくなり、遂には惨敗して軍団が壊乱、這々(ほうほう)(てい)で前線を離脱し、軍団立て直しの名目で州都・晋陽(しんよう)に引き籠もってしまった。


その間に張遼達義勇軍(何進配下の軍部)志願兵(囚人兵)を用いて、対黒山賊防衛線の整備・構築を行って備えており、壊乱したアホ狸の皮算用集団に代わって、黒山賊との戦闘を開始し、一進一退の攻防を繰り広げている。


并州の顛末を観てこれ以上、利用価値が無いと判断した何進に依って、張温の敗北責任の追及が為され、趙忠・蹇碩も身の安全と保身に走り、宦官閥軍に協力した人々の不満や、騙くらかして嘘の利益誘導をした責任を、全て張温に押し付けて逃げを打って見捨てた為、張温の失脚が確実になった。


そしてどうやら趙忠は早速、「張温に代わる新しい宦官閥の看板」と言う名の別名、「責任と不平不満の押し付け要員」として、大司農になった曹嵩に目を付け、今まで自分が曹嵩の立身出世を阻んでいたのを、綺麗サッパリと忘れて手の平を返し、厚顔無恥にもすり寄っているようだ。


(おいおい・・・其処までポンポン手の平返しが、出来る度胸があんのはすげーよマジで・・・。

只単に心太(ところてん)式に、都合の良い記憶力を持っているだけかも知んないけど)

趙忠の変節振りに、呆れ半分感心半分な糜芳。


(まぁ、曹嵩のオッちゃんから観れば、現主流派の三頭(さんとう)(趙忠・蹇碩・張譲)は主上からの寵が衰えていて、没落に向かってまっしぐら。

そんな奴らと手を組むメリットがほぼ無いし、逆にオッちゃん達非主流派(例:当人・当主が宦官(曹騰)ではなく、家督を継いだ養子(曹嵩)や、養子の子孫(曹操)・親族(曹仁)の者達が主)が台頭する絶好の好機だろうから、先ず相手にしないだろうな)

精々利用してポイ捨てするぐらいか、と予測する。


そうして荀攸の連絡報告を確認した糜芳は、今度は糜竺からの民屯関連の、経過連絡の書簡を読む。


連絡に依れば、推挙した国淵が精力的な活動をして、現地を自ら歩き回って地元の古老から聞き取り調査や、土地の土壌性質を確認、それらから土壌に適した作物を導き出したり、開拓・耕作に必要な労働者と役人の人数・経費等々・・・色々な事柄を綿密な計算で起こされた、計画案を作成し提出して来て、州の役人と糜竺も舌を巻いたらしい。


結果的に来年以降になると予測された民屯事業も、早晩にも実現可能といった状況になっていて、予算確保と編成に駆けずり回っている模様。


(ほぇ~流石は曹魏の屯田の達人、広大な領地の食糧問題を数年で解決して満たした程は有るわ~・・・仕事が早い。

しかも麦・米の作付けに(こだわ)らず、痩せた土地には豆・(かぶ)などの野菜の作付けを推奨したり、連作障害を防ぐ為に、「田畑換(たばたが)え」(田畑転換(たばたてんかん)=ある程度の周期年数で田んぼを畑に、畑を田んぼにと交代で耕作する事。連作障害や虫害の軽減策として、日本でも近代まで行っていた農法)を提案したりと、先ずは食糧の生産・確保を第一にと、しっかり考えているようだし・・・プロの思考・目線はやっぱ違うわ)

プロフェッショナルの思考・行動に感嘆する。


糜竺の連絡に依ると、このまま海沿いの東海郡から、徐々に内陸部へ民屯事業を進め、南の揚州を除く北と西に位置する、青・豫・兗州の州境の県付近以外を、開拓する計画予定になっているようだ。


南の揚州は長江に隔てられて、偶に現れるのは川船の積み荷を襲う川賊(せんぞく)ぐらいで、陸部襲来が少なく未だ安パイだが、陸続きの3州の内豫州・青州は、黄巾賊討伐以降も治安が悪く、兗州も他の2州よりは多少はマシといった塩梅で、その付近で民屯開拓事業を行うには危険過ぎた。


青州は冀州黄巾賊の残党が、多数流入して治安を乱し、ヒャッハーな世紀末的状態を徐々に呈し始め、豫州は何処ぞの「四世三公だった」名家の地元・汝南郡を中心に、名家連中(バカ坊達)が己の立身出世や現職復帰の為に、住民に重税を課して搾り取り、重税に耐えきれなくなった住民が、田畑を捨てて流民化した後に賊徒化、先の皇甫嵩・朱儁等の討伐・鎮圧も虚しく、またもや賊徒が跋扈(ばっこ)する状態に陥っていた。


残る比較的マシな兗州は、隣接する東の青州・南の豫州の両方の住民が、流入して流民から賊徒化して兗州住民を害するという、とんだとばっちりを喰らって泣きをみていた。


そんな近隣の状況を受けて徐州は、揚州側は警戒態勢で様子見に留め、3州の州境付近では厳戒態勢を敷いており、砦や検問所を建設して州兵を展開、流民も賊徒との区別がパッと見付かない為に、出来る限り追い払っているのが現状である。


その様な状況で州境付近まで、民屯開拓事業を進めてしまえば、確実に賊徒をおびき寄せてしまい、賊徒ホイホイになってしまうので、3州の治安が回復して落ち着くまでは、調査のみに留めて開拓は保留となっている。


(ま、州境付近一帯を空白状態にして貰ってた方が、後々のコ○ン襲来の際に、有効活用出来るから、助かるっちゃあ助かるんだよな。

どっちみち、史実でも曹操が中原(ちゅうげん)(北の黄河から南の長江までの間の地域)を制するまで、開拓は不可能だったから、襲来まで手付かずなのは確定だし)

想定内に収まりそうだと喜ぶ糜芳。


糜芳のコ○ン襲来に対する策謀として、州境付近一帯の民屯開拓空白地域に、飢饉と黄巾青州兵に因る急激な人口増加の圧迫に因り、コ○ンが引き連れてくる難民化する兗州民を、そのまま空白地域に定住させて民屯開拓を行わせ、自給自足をさせつつ食糧収穫量を底上げし、ついでに()()()()()()()()に利用しようと目論んでいた。


客観的に観れば、自領民を棄民扱いにして徐州に放り出すコ○ンと、それを食糧を提供しつつ受け入れて、自分達の食い扶持も与えてくれる糜芳(達)。

コ○ンと糜芳のどちらに恩義を感じ、服して従うのかは自明の理であった。


そんな状態でごり押しして、無理やり攻め込もうとするものなら、約100万という()自領民と兗州兵から、「自分達の食い扶持と未来を奪った!」と怨みと怒りを買って、その矛先が己自身に向かって殺到していくのは確実である。


如何に大義名分が有って、曹操が史実通り100万の大軍で攻め込んでも、糜芳の策謀が嵌まれば100万近い自領民が、ほぼ徐州側に寝返った状態になるので、幾ら稀代の名将と雖も勝利するのは、困難極まりない無理ゲーであった。


加えて勝っても負けても自領の兗州民からは、「自分達の親類縁者が、曹操に危害を加えられた!」と深い怨恨を買い、自身の支持率が暴落、勢力地盤の崩壊待った無しに陥るという、オマケ付きである。


つまり曹操がノコノコ襲来して来ても、出来る事はあ~だこ~だ文句を垂れてゴネる程度で、自分が棄民する民が徐州民になるのを大人しく見守り、すごすごと撤退するしか手段が無いのである。


(まぁ、一応曹嵩のオッちゃんには世話になってるし、万一にも殺される様な、危害が加えられねー様に浮屠の暗部に影供(かげとも)を頼むつもりだけどね。

下手に殺害されて報仇(ほうきゅう)の大義名分を与えて、激昂して話も通じない状態だと困るしな。

もしそれでも最悪居座って揉めるようなら、部下の陳宮(ちんきゅう)の謀反を、笮融達浮屠の暗部に裏工作を頼んで、焚き付けて促して早めたりと調整するのも可、だしなぁ・・・クックック)

ドス黒い笑みを浮かべる、本編の主人公。


(そんで兗州民受け入れで、徐州のキャパオーバーで人があぶれたら、笮融にこっそり委託している、揚州の開拓事業に回せば、なんとか賄えるだろう。

華北に比べて華南は人口が、漢民族的に結構少ない数しか居ないみたいだし・・・。

有る意味後漢のフロンティア地域って訳だ)

まぁ、なんとかなんだろと楽観視する。


(この策謀が上手くいけば、州境沿いはほぼ全てが元兗州民だから、再度侵攻を目論んでも、さぞや難儀するだろうなぁ、コ○ンくぅ~ん?

ついでに元兗州民が、州境沿いから潜入・侵入する賊徒達に対する、()()()()()()()()()()になる利点も有るしな。

こちとらも慈善事業でやっている訳じゃねーんだ。

コッチ(ウチら)も多大なリスクを背負うんだ、ギブアンドテークの言葉通り、アッチ(兗州民)も相応のリスクを背負って貰わんと、勘定が合わんし・・・)

当然だわなと、ウンウン頷く。


(う~ん・・・コ○ン虐殺対策はこんなモンか。

思った以上に、史実に沿って時代が進んでる感じだし、そう大きくズレるこたぁ今の所、なさそうだ。

・・・うん?虐殺事件が無くなると、出○杉くんこと諸葛亮がボン備(劉備)との接点も無くなって、三顧の礼処か蜀漢建国も無くなるんじゃあ?)

ふと重要な事柄が思い浮かぶ。


(まぁ、歴史か時空の修正力とかが働いて、どうにかなるかも知んないし、要観察ってとこか・・・。

最悪暗部に過労死(すぎ)るくん(諸葛亮)パパの身辺調査して貰って、悪事やスキャンダルを暴露させて、一家を州外追放にすれば修正出来そうだし。

意外ともしかしたら、代わりに()チ○コボこと龐統(ほうとう)が活躍するかも・・・)

結構エグい追い込み方を思考しつつ、それはそれでアリかもと想像する糜芳。


(正直、龐統の方が諸葛亮よりも軍師向きだし、()()()()()()()()()()()()()()()()だしな~)

両者を比べた感想を思い浮かべる。


龐統の場合は風采(見た目)が悪く、サボり癖が有るという欠点が有ったが、反面ユーモアと機知に富んで親しみ易く、人を褒めて伸ばすタイプの人だった。


劉備に上・中・下の策を献じた様に、幾つものパターンを想定・思考するといった柔軟性を持っていた人物でもあった。


諸葛亮の場合は、真面目で優れた政治センスを持ち、公明正大な性格という美点を持っていて、信賞必罰をモットーに、己にも他人にもフラットな視点で観る、寛厳一体タイプの人だった。


反面人を見る目が全く無く、プラス他人に仕事を任す事が出来ないという、管理職として致命的な、ドデカい欠点を持っていた。


龐統は全容を発揮する前に戦死したので、一概には言えないが、諸葛亮は三国志の後半を(いろど)る、花形として記録が残っているので、問題点がハッキリ浮き彫りになっている。


ぶっちゃけ劉備軍の中で、軍部随一の有能で有害な人物は、関ジャイ・関羽だが、民部随一の有能で有害な人物は、蜀漢の御過労(御家老)・諸葛亮だった。


何せこの御過労様、民部関連の事務処理を、事細かく雑務ですら、一手に自ら処理していたのである。


コレ、一見すると鞠窮尽力(きっきゅうじんりょく)(必死に力を尽くして)で働いている様に見えるのだが、実際は「部下よりも自分でやった方が、早く処理出来るから」しているのであって、ついでに「部下にやらせるのは不安になるから」やらせない、任せないという思考回路で行動しているだけである。


わりかし一定数有能な人物が、管理職になった時に陥りがちな問題点で、職務の「自分が率先してやらなきゃ駄目だ」という責任感を優先して、肝心の職務である「部下の能力を把握して成績・実績を積ませ、上手く使って育てて後に繋げる」という、後進の指導を忘れてしまうのである。


ご多分に漏れず御過労様も、全く同じ問題点を踏襲し、蔣琬(しょうえん)費禕(ひい)といった有能な人物にも、禄に仕事を任せず後方で遊ばせ、側近も当然仕事を任せて貰えずにやる気を失って、腐ってしまいマトモな人材が育たず、楊儀(ようぎ)という呉の孫権から、「牧童程度の小物(使い走りの雑魚)」と酷評されたイエスマンしか居なかった。


結果、同僚の蔣琬等が居たので蜀漢は延命したが、諸葛亮の負の遺産(悪しき伝統を作った事)の所為で、文官の後進が禄に育たず、又軍部の後継者・姜維(きょうい)の無茶な北伐で、急速に衰えてしまう。


そしてもう1つの欠点、「人を見る目が全く無い」という問題点があった。


御過労様が目を掛けた(気に入った)人物程、禄でもない結果をだした者が多く(楊儀・姜維・馬謖(ばしょく))、逆に気に入らない人物程、優れた功績を持つ者が多かった(魏延・法正・李厳)。


人物眼に関しては面白い事に、不思議と劉備とは真逆の評価となっており、ボン備さんは意外と人を見る目があった模様。


まぁ、御過労様が重用した人物は、ここぞという所で大失態を犯したり、讒言で人を陥れた後に自爆したり、失敗を繰り返して亡国の引き金を引いたりと、惨憺たる有り様である。


そして御過労様が軽んじた人物は、御過労様に疎まれながらもキチンと軍功を立てて、活躍したのに讒言されて、悲惨な末路を遂げたり、「呉の陸遜に匹敵する」と評されながらも、前線に出させて貰えず、不慣れな後方の軍政官をやらされて、補給物資確保・搬送に失敗して失脚したり、漢中郡争奪戦で大活躍をしたが、直後に病死したりと、不遇な人生を歩んだ人が多かった。


公明正大では有ったが公平無私とは言えず、結構依怙贔屓(えこひいき)するタイプであり、それが後々内紛を引き起こしている。

後進人材育成・軍事後継者等人事面の失敗、地元益州人や蔣琬達の意見を無視しての北伐の断行→失敗と、特に軍事面での失敗が多く、三国志の著者・陳寿(ちんじゅ)も、「軍人としての才覚は、ちょっとねえ」と蜀漢贔屓(びいき)な人も辛口な評価だった。


これも又出来る人特有の、「軍部(他人)に任せられない」といった、丞相(管理職)という立場から見当違いの、責任感に因る失敗と言えよう。


(う~ん・・・よくよく考えて観ると、諸葛亮って結構色々やらかしてんな~。

「国力差が有ったから、敗北も仕方なかった」って、良く言われてるけど、それなら尚の事搦め手(謀略・策略)を、駆使しないとあかんやろ・・・)

軍師なら、寧ろそっちが本業だろうと思う糜芳。


(孟達の件は、向こうから持ち掛けて来た話だから違うし、他にそういった形跡も無いし、堂々と正面から戦ったら、文字通り国力差が有るんやから、そら勝てんかったんも当たり前だわな。

つうか大体の敗退理由が、「食糧の補給の失敗」から来てるって書かれてたけど、前線基地付近に旧ロシア軍みたく、「必要に応じた量の物資を、必要とする時より前にコツコツ備蓄する」といった概念が、そんなにポンポン失敗するんなら、大概は思い付くやろうに。

・・・ああ、この時代の丼勘定だったら無理か)

東海郡の()()()()状況を思い出し、益州の役人の質を想像して、納得してしまう。


それはさておき、


(まぁ、今から考えてもしょうがないか・・・。

とりあえず笮融を通じて、御過労様周辺を暗部に監視して貰えば良いか。

よし、遠い未来の事柄は置いといて、と。

サッサと近況の確認をしますかね)

荀攸・糜竺の書簡を隅に追いやり、郡から上がった報告書を手に取って、文章を目で追う。


糜芳の提案で設立された、就業支援型職業訓練所は、先の裁判で労役刑に処された、元衛兵隊長・楊濱が所長に就任し、同じく労役刑に処された、元スリの浮浪児・介少年が、補佐役になって稼動を開始した。


元々の楊濱の人望や、同じ立場だった介少年の説得も有って続々と郡内から集まり、幼年・少年の年齢別、男女の性別に分け、それぞれに訓練を始めた。


少年でも男性年長組は働きたくても伝手が無くて、働き口が無い状況だった者が多く、訓練所の後見で基礎訓練だけ受けて、早速働きに出たのであった。


次いで女性年長組は、糜芳が伝手を頼ってお願いした、年配の熟練者から裁縫・料理・掃除・礼法を教授して貰い、一部の子には、「虎子商会」に入社内定をもぎ取った猛者も現れた。


少年年少組は、男女共に城内清掃の雑務をこなしつつ、職人爺さん連中の扱きに耐えて励み、それぞれが必死に就業の為に技術習得をしようと、入所前の死んだ魚の目の如く沈んでおらず、イキイキと快活に頑張っている。


只、そんな中でも極一部だが、跳ねっ返りと言うかやさぐれているのか、揉め事を起こすバカ共も存在したので、容赦なく「鉱山送り」にした。


折角なので、少年年少組と幼年年長組・年中組の子達を、バカ共を鉱山送りにするついでに、()()()()()()()を急遽開催し、揉め事をおこしたバカ共の末路をキチンと見届けさせた。


結果、目で泣いて喜ぶ処か、身体の下腹部からも泣いて喜ぶ程の者が続出し、社会見学ツアーは大成功だった模様。


翌日から、前はだらけ気味だった者も、軍人並みにピシッとしだしたようだ。


(うんうんそらそーだ。

訓練所だって、奇特な人が行っている慈善事業=人道的支援事業じゃねーからな。

あくまでも就業による犯罪行為抑制と、非人道(誘拐等)な人身売買防止、治安維持・向上を旨とした、()()()()()()()なんだよ。

コッチの意に沿わず、暴力・窃盗・損壊を起こす輩なんぞの、面倒を見る義務も義理もねーんだ。

歴とした犯罪行為してんだから、当然の処置だわな)

真面目に一生懸命生きようとする人達の、邪魔をすんじゃねーと憤る。


そして幼年組は、年少組はお()りを少年年少組の女の子達に賃金を払って頼み、年中組からは文字の読み書き・算数といった、()()()将来を見据えた本格的な実学を教えている。

・・・因みに講師の1人は、蔡琰先生であった。


(いや~流石に才女だわ。

ちょろっとアラビア算数を教えたら、あっという間に習得しちまうもんなぁ。

コレ幸いに講師を頼んだら、泣いて喜んでくれたし、WIN・WINになって良かった良かった)

棚からボタ餅的な僥倖に喜ぶ。しかし、


「お父様に手紙を書きますね!」

泣きながら書いていた、サーティーンな親父に宛てた内容が、気になる今日この頃であった。


(ま、まぁ、それは置いといて・・・。

これで我が糜芳家に於ける、将来の人材発掘・育成が出来るんだ。

こちとらも銭出して投資してんだから、当然それなりの見返りが有っても、罰当たんね~よな~?

ウヒヒヒヒ・・・)

下衆な笑みを零す糜芳。


何故幼年組のみキチンとした、教育を施すかと言えば、前述の通り有能な人材獲得の為であった。


青年組は年上過ぎて論外、少年組は同年ぐらいなので、自分と変わらない年齢の者に教育を施しても、後進(子や孫の補佐役)に繋がらない可能性が高く微妙なので、余程の才能が無ければ躊躇するレベル。


取捨選択で自動的に幼年組に、人材獲得の白羽の矢が立った訳である。


(まぁ、俺が求めているのは、知的に優れた人材だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

居れば即採用出来るのが強みだよな~)

儲け儲けと笑みを深める。


この時代・国に限らず、日本で言う江戸・明治時代ぐらいまでは、日雇い人夫等のガテン系バイト以外は、大概誰かからの紹介・仲介が無ければ、就職はかなり困難だった。


理由は単純明快、その人物と面識が無く身元も不明な為、「信用出来ないから」であり、紹介・仲介人は既知の間柄で有るので、


「身元保証人として信用出来るから、その人の紹介・仲介なら採用しようか。」

といった感じで、漸く就職に漕ぎ着けたのである。


まぁ、現代でも高卒・大卒が就職が出来るのは、本人の実力・努力と公的機関の「学校(法人)」が、身元保証人的信用になっている背景も有るのだが。


それはさておき、


そうした理由で知的派は、優れた才能を持っていてもこの時代では、紹介=推挙されない限りは難しく、魏の明知(めいち)賈詡(かく)の様に、無名から実力を示して世に出るのは、極めて稀だった。


つまり、外でオラオラと戦う脳筋(武官)タイプは、実力本位で即採用も可だが、内でスラスラと書く末成(うらな)り(文官)タイプは、バックボーンが無ければ、就職すら出来ないのだった。


(それに加えて、家の内情を知り得る事が多いから、スパイの可能性が、常に拭えない忌避感もあるし。

そら~自然と現状雇ってる、使用人の紹介を採用するのが当然だわな)

至極当然と頷く。


(余所に比べてウチは大丈夫!

そもそもの話、使用人自体が殆ど居ないからね!アットホームな職場だよ・・・泣きたい・・・。

なんでウチ使用人が全然来ないんだろう?)

自分で言って悲しくなる糜芳。


実際は最初の時に糜家から、縁故採用しようとした段階で採用試験を設け、結果的に全員不採用になった挙げ句、試験に臨んだほぼ全員が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、「彼処(あそこ)に就職しようと訪れたら、その人に災いが訪れる」と、近隣からリアルホラー扱いをされているのであった。


(ま、まぁ、今回の訓練所の人材育成で、何年後かには優れた人材を獲得して、ウハウハだろうから。

ヤバい記録とか帳簿は、現代日本語で書いてるから、まず解読不能だから安心だし。

・・・次、いってみようか)

大丈夫、ダイジョウブと自分に言い聞かせる。


次の報告書は、訓練所に平行して建設された、神医と呼ばれる超老・華陀監修の診療所・施療院についての報告だった。


施療院は郡内の各県に建てられ、華陀の弟子がそれぞれ数人常駐しており、かなりの好評を得ていた。


やはり老父母や病がちな子供を抱えて、難儀していた人達が多かったらしく、各県内で非常に感謝され、糜芳の人徳を称える役人達が、日に日に増しているのである。


只施療をするだけでなく、試験的な薬草栽培や健康法の告知、華陀考案の体操教室を定期的に開き、未病に備えての対策等の事を行っている。


そして統括責任者の華陀は、月1ぐらいで各施療院を巡り、弟子に知識・技術を教授したり、気まぐれに患者を診察したりしていた。


(ウンウン、経過は良好良好。

虎子商会からも、女性看護士が雇用されて活躍しているみたいだし、良かった良かった・・・うん?

え~とその女性看護士目当ての野郎共が、怪我や病でも無いのにちょくちょくやって来て、施療の邪魔になっている、どうにかして欲しい?

・・・たく、何時の世も男は変わんねーなぁ)

イメクラじゃねーんだからと呆れる。


「う~ん・・・よし、そんなアホ共は、「遠慮なく新薬や新施術の被験者にして良しとする」、と。

まぁ、まかり間違ったとしても、女性看護士の看護を受けれるんだから、本望だろう。」

何処ぞの偽りの天才さん並みに、エグい撃退法兼マッドな決まりを書き記す。


そうして現状報告書の数々を読み終えた糜芳は、ウ~ンと軽く伸びをして、体を(ほぐ)していると、コンコンと扉がノックされ、


「失礼します太守様、書類をお持ちしました。

決裁と確認を願います。」

従事の尹旋が、新たに書類の束を持って来る。


「ああ、了解した。

・・・さて、頑張るとするか・・・。」

こうして糜芳の187年はスタートを切り、姿勢を正して新しい書類を迎え撃つのであった。


                    続く

え~と、諸葛亮に関しては、個人的な解釈ですので、悪しからずご了承ください。


個人的には諸葛さん、わりかし結構やらかしてるよねこれ?と思う事が多いので、つい・・・。


楽しんで読んで頂けたら、嬉しいです。


優しい評価をお願いします。

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― 新着の感想 ―
好色な英雄って多いから、せっかく配下に来てくれた将来の英雄を気づかない内に新薬でぽっくり失うとかありそう。 現状の主人公って恐怖で縛って利で従わせてるから、何か失敗して不利になった時周囲にどれだけ人が…
[気になる点] ・呉から出向でやって来た監視役 ・大して活躍せず早死 ・得意技は暴言と身内贔屓と過大評価 ・廖立(ゴミ)と並ぶ人材 流石にこんなのと強引に比較されて叩かれたら諸葛亮が可哀想では?…
2024/09/09 04:34 退会済み
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[一言] 曹操が音楽(糜芳)のために覇道を諦めるとは思えないが 同時に覇道のために気に入った人間を諦める人物でもないと思うので 曹操配下の人間達が無理難題(徐州侵攻しつつ糜芳を我が元へ)命令されて一番…
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