その2
読んで頂いている皆様方へ
明けましておめでとうございます!
本年もどうか宜しくお願い致します。
いいね・感想誠にありがとうございます!
今回は、現状確認回になっております。
では、どうぞ・・・
東海郡郡治所太守執務室
マイ天使・糜燐との蜜月を、愛でて楽しもうと目論んだ糜芳だったが、半月後には半ば無断欠席をかます太守に、業を煮やした従事の尹旋・金敦が引き取りに糜董邸を訪れて、泣く泣く引き摺られつつ現場復帰となり、せっせと職務を消化していた。
「う~ん・・・中央や地方も刻々と揉めてんな~。」
4月、洛陽から荀攸から書簡が届き、すわ面倒事かと警戒した糜芳だったが、只単に自分が策謀した事に関する経過報告だったので、胸を撫で下ろす。
(徐州の田舎に居て、中央や辺境の情報を正確に入手出来るのは、有り難いこったなんだけど・・・。
アッチも何か有った時の非常時に備えての繋ぎで、書簡をくれてるんだろうから、どうしても身構えちまうよなぁ)
極々普通の定期報告に安堵する。
(まぁ、こっちゃも屯田制の経過報告を定期的に送ってるし、アッチもその度に何事か警戒してるだろうから、相身互いかな)
苦笑する糜芳。
一応笮融を経由して、浮屠信者からの情報網も利用出来るので、荀攸の連絡情報は浮屠経由情報の、裏付け程度の位置付けでは有るが。
2月、涼州では韓遂が史実に近い動きをし、同じ反乱に加わっていた辺章と、もう1人の有力者を殺害して、勢力を拡大し自己兵力を増強する。
この一連の動きは韓遂からの、勅命に服して降伏する際に提示した、条件の2つの内の1つであり、反乱軍の韓遂側と国軍の荀攸(何進)・董卓側双方にとって利に成る為、提示した2つの条件は、共に極秘裏に了承されていた。
韓遂にとっては、如何に主上直々の勅命に依る降伏勧告とはいえ、受け入れて降伏した途端、誅殺される危険性が拭えないので、一計を案じ保身を兼ねて、真っ先に自分を裏切りそうな同志を始末して兵を束ね、「自分を裏切って誅殺したら、俺の意を受けた部下達が、散発的な反乱行為を繰り返す事になり、収拾が着かなくなるぞ!」と喧伝する事で、自身の身の安全を図れる利があった・・・韓遂的にはだが。
そして董卓には、「反乱軍が一纏め」に成る事で、何人もの反乱軍の頭領格の動向や、離合集散を注視する手間がなくなり、万一の時は韓遂1人を討てば済むという利があり、何進には、「万一董卓軍が異民族に敗れた時の保険」として、敢えて韓遂に反乱軍を纏めさせて、非常時には異民族に対する第2防波堤として利用出来る、という利があった。
現状とある悪辣少年の策謀により、異民族と韓遂は相互不信に陥っており、互いの協力関係は破綻しているし、韓遂からすれば憂国の志で、洛陽の腐れ者を抹殺する為に異民族を利用しているのであって、亡国の望みが有るわけでは無いので、異民族が自分抜きで洛陽に迫る状況下なら、韓遂は異民族と敵対する公算が非常に高い為である。
そして韓遂が提示したもう1つの条件は、「涼州に巣くう汚職官吏・悪徳官吏の粛清」である。
これは韓遂だけでなく、董卓も「我らが郷里を汚し踏み躙る腐れ者に、例え如何に同郷人と雖も死の鉄槌を!」と賛同しており、又何進側は、「韓遂がアホ・腐れ者共を自動的に始末してくれれば、涼州の治世が安定化するし、恨み辛みも韓遂持ちでコッチの負担も減るから、一石二鳥で無問題、どうぞどうぞ」と大喜びで賛成。
吸収した軍の編成が終わり次第、韓遂は悪徳太守・汚職県令等を粛清する予定のようだ。
筋書きでは、悪吏・汚吏を始末した後、董卓軍と一戦して敗れたと見せかけ、霊帝の威光に従って降伏する、という筋書きの模様。
(う~ん・・・コレで涼州は比較的安定化するかな?
史実でも董卓が中央進出後に、反董卓連合(と言う名称の、軍と呼ぶのも烏滸がましい、公孫讃・孫堅・曹操以外の各軍団長から末端の兵士までが、軍務経験ほぼゼロの寄せ集め素人集団)と対峙した時は、涼州から多数の援軍が来ていたみたいだし。
ちゅう事は、外(異民族)は董卓が抑え、内(涼州内)は韓遂・馬騰(馬超の父)が抑えていて、安定化していたっつう証左だろうからなぁ)
概ね史実通りに推移していると推測する。
(結果的に今回の粛清騒ぎで、朝廷崩壊後の涼州でも韓遂と軍閥と言う、暴力装置が効果を発揮して、悪吏・汚吏が幅を利かせる事無く、容赦なしに粛清される事になり、曹操が介入するまで自立して、活動出来る原動力になるんだから、世の中何が幸か不幸かわかんねーよな~)
苦笑して荀攸の、連絡報告を読み進める糜芳。
3月、今度は并州に於ける張温率いる宦官閥軍が、黒山賊の度重なるゾンビアタックに耐えきれなくなり、遂には惨敗して軍団が壊乱、這々の体で前線を離脱し、軍団立て直しの名目で州都・晋陽に引き籠もってしまった。
その間に張遼達義勇軍は志願兵を用いて、対黒山賊防衛線の整備・構築を行って備えており、壊乱したアホ狸の皮算用集団に代わって、黒山賊との戦闘を開始し、一進一退の攻防を繰り広げている。
并州の顛末を観てこれ以上、利用価値が無いと判断した何進に依って、張温の敗北責任の追及が為され、趙忠・蹇碩も身の安全と保身に走り、宦官閥軍に協力した人々の不満や、騙くらかして嘘の利益誘導をした責任を、全て張温に押し付けて逃げを打って見捨てた為、張温の失脚が確実になった。
そしてどうやら趙忠は早速、「張温に代わる新しい宦官閥の看板」と言う名の別名、「責任と不平不満の押し付け要員」として、大司農になった曹嵩に目を付け、今まで自分が曹嵩の立身出世を阻んでいたのを、綺麗サッパリと忘れて手の平を返し、厚顔無恥にもすり寄っているようだ。
(おいおい・・・其処までポンポン手の平返しが、出来る度胸があんのはすげーよマジで・・・。
只単に心太式に、都合の良い記憶力を持っているだけかも知んないけど)
趙忠の変節振りに、呆れ半分感心半分な糜芳。
(まぁ、曹嵩のオッちゃんから観れば、現主流派の三頭(趙忠・蹇碩・張譲)は主上からの寵が衰えていて、没落に向かってまっしぐら。
そんな奴らと手を組むメリットがほぼ無いし、逆にオッちゃん達非主流派(例:当人・当主が宦官(曹騰)ではなく、家督を継いだ養子(曹嵩)や、養子の子孫(曹操)・親族(曹仁)の者達が主)が台頭する絶好の好機だろうから、先ず相手にしないだろうな)
精々利用してポイ捨てするぐらいか、と予測する。
そうして荀攸の連絡報告を確認した糜芳は、今度は糜竺からの民屯関連の、経過連絡の書簡を読む。
連絡に依れば、推挙した国淵が精力的な活動をして、現地を自ら歩き回って地元の古老から聞き取り調査や、土地の土壌性質を確認、それらから土壌に適した作物を導き出したり、開拓・耕作に必要な労働者と役人の人数・経費等々・・・色々な事柄を綿密な計算で起こされた、計画案を作成し提出して来て、州の役人と糜竺も舌を巻いたらしい。
結果的に来年以降になると予測された民屯事業も、早晩にも実現可能といった状況になっていて、予算確保と編成に駆けずり回っている模様。
(ほぇ~流石は曹魏の屯田の達人、広大な領地の食糧問題を数年で解決して満たした程は有るわ~・・・仕事が早い。
しかも麦・米の作付けに拘らず、痩せた土地には豆・蕪などの野菜の作付けを推奨したり、連作障害を防ぐ為に、「田畑換え」(田畑転換=ある程度の周期年数で田んぼを畑に、畑を田んぼにと交代で耕作する事。連作障害や虫害の軽減策として、日本でも近代まで行っていた農法)を提案したりと、先ずは食糧の生産・確保を第一にと、しっかり考えているようだし・・・プロの思考・目線はやっぱ違うわ)
プロフェッショナルの思考・行動に感嘆する。
糜竺の連絡に依ると、このまま海沿いの東海郡から、徐々に内陸部へ民屯事業を進め、南の揚州を除く北と西に位置する、青・豫・兗州の州境の県付近以外を、開拓する計画予定になっているようだ。
南の揚州は長江に隔てられて、偶に現れるのは川船の積み荷を襲う川賊ぐらいで、陸部襲来が少なく未だ安パイだが、陸続きの3州の内豫州・青州は、黄巾賊討伐以降も治安が悪く、兗州も他の2州よりは多少はマシといった塩梅で、その付近で民屯開拓事業を行うには危険過ぎた。
青州は冀州黄巾賊の残党が、多数流入して治安を乱し、ヒャッハーな世紀末的状態を徐々に呈し始め、豫州は何処ぞの「四世三公だった」名家の地元・汝南郡を中心に、名家連中が己の立身出世や現職復帰の為に、住民に重税を課して搾り取り、重税に耐えきれなくなった住民が、田畑を捨てて流民化した後に賊徒化、先の皇甫嵩・朱儁等の討伐・鎮圧も虚しく、またもや賊徒が跋扈する状態に陥っていた。
残る比較的マシな兗州は、隣接する東の青州・南の豫州の両方の住民が、流入して流民から賊徒化して兗州住民を害するという、とんだとばっちりを喰らって泣きをみていた。
そんな近隣の状況を受けて徐州は、揚州側は警戒態勢で様子見に留め、3州の州境付近では厳戒態勢を敷いており、砦や検問所を建設して州兵を展開、流民も賊徒との区別がパッと見付かない為に、出来る限り追い払っているのが現状である。
その様な状況で州境付近まで、民屯開拓事業を進めてしまえば、確実に賊徒をおびき寄せてしまい、賊徒ホイホイになってしまうので、3州の治安が回復して落ち着くまでは、調査のみに留めて開拓は保留となっている。
(ま、州境付近一帯を空白状態にして貰ってた方が、後々のコ○ン襲来の際に、有効活用出来るから、助かるっちゃあ助かるんだよな。
どっちみち、史実でも曹操が中原(北の黄河から南の長江までの間の地域)を制するまで、開拓は不可能だったから、襲来まで手付かずなのは確定だし)
想定内に収まりそうだと喜ぶ糜芳。
糜芳のコ○ン襲来に対する策謀として、州境付近一帯の民屯開拓空白地域に、飢饉と黄巾青州兵に因る急激な人口増加の圧迫に因り、コ○ンが引き連れてくる難民化する兗州民を、そのまま空白地域に定住させて民屯開拓を行わせ、自給自足をさせつつ食糧収穫量を底上げし、ついでに対コ○ンの堤防壁に利用しようと目論んでいた。
客観的に観れば、自領民を棄民扱いにして徐州に放り出すコ○ンと、それを食糧を提供しつつ受け入れて、自分達の食い扶持も与えてくれる糜芳(達)。
コ○ンと糜芳のどちらに恩義を感じ、服して従うのかは自明の理であった。
そんな状態でごり押しして、無理やり攻め込もうとするものなら、約100万という元自領民と兗州兵から、「自分達の食い扶持と未来を奪った!」と怨みと怒りを買って、その矛先が己自身に向かって殺到していくのは確実である。
如何に大義名分が有って、曹操が史実通り100万の大軍で攻め込んでも、糜芳の策謀が嵌まれば100万近い自領民が、ほぼ徐州側に寝返った状態になるので、幾ら稀代の名将と雖も勝利するのは、困難極まりない無理ゲーであった。
加えて勝っても負けても自領の兗州民からは、「自分達の親類縁者が、曹操に危害を加えられた!」と深い怨恨を買い、自身の支持率が暴落、勢力地盤の崩壊待った無しに陥るという、オマケ付きである。
つまり曹操がノコノコ襲来して来ても、出来る事はあ~だこ~だ文句を垂れてゴネる程度で、自分が棄民する民が徐州民になるのを大人しく見守り、すごすごと撤退するしか手段が無いのである。
(まぁ、一応曹嵩のオッちゃんには世話になってるし、万一にも殺される様な、危害が加えられねー様に浮屠の暗部に影供を頼むつもりだけどね。
下手に殺害されて報仇の大義名分を与えて、激昂して話も通じない状態だと困るしな。
もしそれでも最悪居座って揉めるようなら、部下の陳宮の謀反を、笮融達浮屠の暗部に裏工作を頼んで、焚き付けて促して早めたりと調整するのも可、だしなぁ・・・クックック)
ドス黒い笑みを浮かべる、本編の主人公。
(そんで兗州民受け入れで、徐州のキャパオーバーで人があぶれたら、笮融にこっそり委託している、揚州の開拓事業に回せば、なんとか賄えるだろう。
華北に比べて華南は人口が、漢民族的に結構少ない数しか居ないみたいだし・・・。
有る意味後漢のフロンティア地域って訳だ)
まぁ、なんとかなんだろと楽観視する。
(この策謀が上手くいけば、州境沿いはほぼ全てが元兗州民だから、再度侵攻を目論んでも、さぞや難儀するだろうなぁ、コ○ンくぅ~ん?
ついでに元兗州民が、州境沿いから潜入・侵入する賊徒達に対する、元々の徐州民の防護壁になる利点も有るしな。
こちとらも慈善事業でやっている訳じゃねーんだ。
コッチも多大なリスクを背負うんだ、ギブアンドテークの言葉通り、アッチも相応のリスクを背負って貰わんと、勘定が合わんし・・・)
当然だわなと、ウンウン頷く。
(う~ん・・・コ○ン虐殺対策はこんなモンか。
思った以上に、史実に沿って時代が進んでる感じだし、そう大きくズレるこたぁ今の所、なさそうだ。
・・・うん?虐殺事件が無くなると、出○杉くんこと諸葛亮がボン備との接点も無くなって、三顧の礼処か蜀漢建国も無くなるんじゃあ?)
ふと重要な事柄が思い浮かぶ。
(まぁ、歴史か時空の修正力とかが働いて、どうにかなるかも知んないし、要観察ってとこか・・・。
最悪暗部に過労死杉るくん(諸葛亮)パパの身辺調査して貰って、悪事やスキャンダルを暴露させて、一家を州外追放にすれば修正出来そうだし。
意外ともしかしたら、代わりに醜チ○コボこと龐統が活躍するかも・・・)
結構エグい追い込み方を思考しつつ、それはそれでアリかもと想像する糜芳。
(正直、龐統の方が諸葛亮よりも軍師向きだし、人間性はぶっちぎりで龐統の方が上だしな~)
両者を比べた感想を思い浮かべる。
龐統の場合は風采が悪く、サボり癖が有るという欠点が有ったが、反面ユーモアと機知に富んで親しみ易く、人を褒めて伸ばすタイプの人だった。
劉備に上・中・下の策を献じた様に、幾つものパターンを想定・思考するといった柔軟性を持っていた人物でもあった。
諸葛亮の場合は、真面目で優れた政治センスを持ち、公明正大な性格という美点を持っていて、信賞必罰をモットーに、己にも他人にもフラットな視点で観る、寛厳一体タイプの人だった。
反面人を見る目が全く無く、プラス他人に仕事を任す事が出来ないという、管理職として致命的な、ドデカい欠点を持っていた。
龐統は全容を発揮する前に戦死したので、一概には言えないが、諸葛亮は三国志の後半を彩る、花形として記録が残っているので、問題点がハッキリ浮き彫りになっている。
ぶっちゃけ劉備軍の中で、軍部随一の有能で有害な人物は、関ジャイ・関羽だが、民部随一の有能で有害な人物は、蜀漢の御過労・諸葛亮だった。
何せこの御過労様、民部関連の事務処理を、事細かく雑務ですら、一手に自ら処理していたのである。
コレ、一見すると鞠窮尽力(必死に力を尽くして)で働いている様に見えるのだが、実際は「部下よりも自分でやった方が、早く処理出来るから」しているのであって、ついでに「部下にやらせるのは不安になるから」やらせない、任せないという思考回路で行動しているだけである。
わりかし一定数有能な人物が、管理職になった時に陥りがちな問題点で、職務の「自分が率先してやらなきゃ駄目だ」という責任感を優先して、肝心の職務である「部下の能力を把握して成績・実績を積ませ、上手く使って育てて後に繋げる」という、後進の指導を忘れてしまうのである。
ご多分に漏れず御過労様も、全く同じ問題点を踏襲し、蔣琬・費禕といった有能な人物にも、禄に仕事を任せず後方で遊ばせ、側近も当然仕事を任せて貰えずにやる気を失って、腐ってしまいマトモな人材が育たず、楊儀という呉の孫権から、「牧童程度の小物(使い走りの雑魚)」と酷評されたイエスマンしか居なかった。
結果、同僚の蔣琬等が居たので蜀漢は延命したが、諸葛亮の負の遺産(悪しき伝統を作った事)の所為で、文官の後進が禄に育たず、又軍部の後継者・姜維の無茶な北伐で、急速に衰えてしまう。
そしてもう1つの欠点、「人を見る目が全く無い」という問題点があった。
御過労様が目を掛けた(気に入った)人物程、禄でもない結果をだした者が多く(楊儀・姜維・馬謖)、逆に気に入らない人物程、優れた功績を持つ者が多かった(魏延・法正・李厳)。
人物眼に関しては面白い事に、不思議と劉備とは真逆の評価となっており、ボン備さんは意外と人を見る目があった模様。
まぁ、御過労様が重用した人物は、ここぞという所で大失態を犯したり、讒言で人を陥れた後に自爆したり、失敗を繰り返して亡国の引き金を引いたりと、惨憺たる有り様である。
そして御過労様が軽んじた人物は、御過労様に疎まれながらもキチンと軍功を立てて、活躍したのに讒言されて、悲惨な末路を遂げたり、「呉の陸遜に匹敵する」と評されながらも、前線に出させて貰えず、不慣れな後方の軍政官をやらされて、補給物資確保・搬送に失敗して失脚したり、漢中郡争奪戦で大活躍をしたが、直後に病死したりと、不遇な人生を歩んだ人が多かった。
公明正大では有ったが公平無私とは言えず、結構依怙贔屓するタイプであり、それが後々内紛を引き起こしている。
後進人材育成・軍事後継者等人事面の失敗、地元益州人や蔣琬達の意見を無視しての北伐の断行→失敗と、特に軍事面での失敗が多く、三国志の著者・陳寿も、「軍人としての才覚は、ちょっとねえ」と蜀漢贔屓な人も辛口な評価だった。
これも又出来る人特有の、「軍部に任せられない」といった、丞相という立場から見当違いの、責任感に因る失敗と言えよう。
(う~ん・・・よくよく考えて観ると、諸葛亮って結構色々やらかしてんな~。
「国力差が有ったから、敗北も仕方なかった」って、良く言われてるけど、それなら尚の事搦め手(謀略・策略)を、駆使しないとあかんやろ・・・)
軍師なら、寧ろそっちが本業だろうと思う糜芳。
(孟達の件は、向こうから持ち掛けて来た話だから違うし、他にそういった形跡も無いし、堂々と正面から戦ったら、文字通り国力差が有るんやから、そら勝てんかったんも当たり前だわな。
つうか大体の敗退理由が、「食糧の補給の失敗」から来てるって書かれてたけど、前線基地付近に旧ロシア軍みたく、「必要に応じた量の物資を、必要とする時より前にコツコツ備蓄する」といった概念が、そんなにポンポン失敗するんなら、大概は思い付くやろうに。
・・・ああ、この時代の丼勘定だったら無理か)
東海郡の算数概念状況を思い出し、益州の役人の質を想像して、納得してしまう。
それはさておき、
(まぁ、今から考えてもしょうがないか・・・。
とりあえず笮融を通じて、御過労様周辺を暗部に監視して貰えば良いか。
よし、遠い未来の事柄は置いといて、と。
サッサと近況の確認をしますかね)
荀攸・糜竺の書簡を隅に追いやり、郡から上がった報告書を手に取って、文章を目で追う。
糜芳の提案で設立された、就業支援型職業訓練所は、先の裁判で労役刑に処された、元衛兵隊長・楊濱が所長に就任し、同じく労役刑に処された、元スリの浮浪児・介少年が、補佐役になって稼動を開始した。
元々の楊濱の人望や、同じ立場だった介少年の説得も有って続々と郡内から集まり、幼年・少年の年齢別、男女の性別に分け、それぞれに訓練を始めた。
少年でも男性年長組は働きたくても伝手が無くて、働き口が無い状況だった者が多く、訓練所の後見で基礎訓練だけ受けて、早速働きに出たのであった。
次いで女性年長組は、糜芳が伝手を頼ってお願いした、年配の熟練者から裁縫・料理・掃除・礼法を教授して貰い、一部の子には、「虎子商会」に入社内定をもぎ取った猛者も現れた。
少年年少組は、男女共に城内清掃の雑務をこなしつつ、職人爺さん連中の扱きに耐えて励み、それぞれが必死に就業の為に技術習得をしようと、入所前の死んだ魚の目の如く沈んでおらず、イキイキと快活に頑張っている。
只、そんな中でも極一部だが、跳ねっ返りと言うかやさぐれているのか、揉め事を起こすバカ共も存在したので、容赦なく「鉱山送り」にした。
折角なので、少年年少組と幼年年長組・年中組の子達を、バカ共を鉱山送りにするついでに、社会見学ツアーを急遽開催し、揉め事をおこしたバカ共の末路をキチンと見届けさせた。
結果、目で泣いて喜ぶ処か、身体の下腹部からも泣いて喜ぶ程の者が続出し、社会見学ツアーは大成功だった模様。
翌日から、前はだらけ気味だった者も、軍人並みにピシッとしだしたようだ。
(うんうんそらそーだ。
訓練所だって、奇特な人が行っている慈善事業=人道的支援事業じゃねーからな。
あくまでも就業による犯罪行為抑制と、非人道な人身売買防止、治安維持・向上を旨とした、政治的支援事業なんだよ。
コッチの意に沿わず、暴力・窃盗・損壊を起こす輩なんぞの、面倒を見る義務も義理もねーんだ。
歴とした犯罪行為してんだから、当然の処置だわな)
真面目に一生懸命生きようとする人達の、邪魔をすんじゃねーと憤る。
そして幼年組は、年少組はお守りを少年年少組の女の子達に賃金を払って頼み、年中組からは文字の読み書き・算数といった、糜芳の将来を見据えた本格的な実学を教えている。
・・・因みに講師の1人は、蔡琰先生であった。
(いや~流石に才女だわ。
ちょろっとアラビア算数を教えたら、あっという間に習得しちまうもんなぁ。
コレ幸いに講師を頼んだら、泣いて喜んでくれたし、WIN・WINになって良かった良かった)
棚からボタ餅的な僥倖に喜ぶ。しかし、
「お父様に手紙を書きますね!」
泣きながら書いていた、サーティーンな親父に宛てた内容が、気になる今日この頃であった。
(ま、まぁ、それは置いといて・・・。
これで我が糜芳家に於ける、将来の人材発掘・育成が出来るんだ。
こちとらも銭出して投資してんだから、当然それなりの見返りが有っても、罰当たんね~よな~?
ウヒヒヒヒ・・・)
下衆な笑みを零す糜芳。
何故幼年組のみキチンとした、教育を施すかと言えば、前述の通り有能な人材獲得の為であった。
青年組は年上過ぎて論外、少年組は同年ぐらいなので、自分と変わらない年齢の者に教育を施しても、後進(子や孫の補佐役)に繋がらない可能性が高く微妙なので、余程の才能が無ければ躊躇するレベル。
取捨選択で自動的に幼年組に、人材獲得の白羽の矢が立った訳である。
(まぁ、俺が求めているのは、知的に優れた人材だから、余所では早々発揮出来ない才能だからな。
居れば即採用出来るのが強みだよな~)
儲け儲けと笑みを深める。
この時代・国に限らず、日本で言う江戸・明治時代ぐらいまでは、日雇い人夫等のガテン系バイト以外は、大概誰かからの紹介・仲介が無ければ、就職はかなり困難だった。
理由は単純明快、その人物と面識が無く身元も不明な為、「信用出来ないから」であり、紹介・仲介人は既知の間柄で有るので、
「身元保証人として信用出来るから、その人の紹介・仲介なら採用しようか。」
といった感じで、漸く就職に漕ぎ着けたのである。
まぁ、現代でも高卒・大卒が就職が出来るのは、本人の実力・努力と公的機関の「学校(法人)」が、身元保証人的信用になっている背景も有るのだが。
それはさておき、
そうした理由で知的派は、優れた才能を持っていてもこの時代では、紹介=推挙されない限りは難しく、魏の明知・賈詡の様に、無名から実力を示して世に出るのは、極めて稀だった。
つまり、外でオラオラと戦う脳筋(武官)タイプは、実力本位で即採用も可だが、内でスラスラと書く末成り(文官)タイプは、バックボーンが無ければ、就職すら出来ないのだった。
(それに加えて、家の内情を知り得る事が多いから、スパイの可能性が、常に拭えない忌避感もあるし。
そら~自然と現状雇ってる、使用人の紹介を採用するのが当然だわな)
至極当然と頷く。
(余所に比べてウチは大丈夫!
そもそもの話、使用人自体が殆ど居ないからね!アットホームな職場だよ・・・泣きたい・・・。
なんでウチ使用人が全然来ないんだろう?)
自分で言って悲しくなる糜芳。
実際は最初の時に糜家から、縁故採用しようとした段階で採用試験を設け、結果的に全員不採用になった挙げ句、試験に臨んだほぼ全員が、降って湧いた不幸や災厄に見まわれた為、「彼処に就職しようと訪れたら、その人に災いが訪れる」と、近隣からリアルホラー扱いをされているのであった。
(ま、まぁ、今回の訓練所の人材育成で、何年後かには優れた人材を獲得して、ウハウハだろうから。
ヤバい記録とか帳簿は、現代日本語で書いてるから、まず解読不能だから安心だし。
・・・次、いってみようか)
大丈夫、ダイジョウブと自分に言い聞かせる。
次の報告書は、訓練所に平行して建設された、神医と呼ばれる超老・華陀監修の診療所・施療院についての報告だった。
施療院は郡内の各県に建てられ、華陀の弟子がそれぞれ数人常駐しており、かなりの好評を得ていた。
やはり老父母や病がちな子供を抱えて、難儀していた人達が多かったらしく、各県内で非常に感謝され、糜芳の人徳を称える役人達が、日に日に増しているのである。
只施療をするだけでなく、試験的な薬草栽培や健康法の告知、華陀考案の体操教室を定期的に開き、未病に備えての対策等の事を行っている。
そして統括責任者の華陀は、月1ぐらいで各施療院を巡り、弟子に知識・技術を教授したり、気まぐれに患者を診察したりしていた。
(ウンウン、経過は良好良好。
虎子商会からも、女性看護士が雇用されて活躍しているみたいだし、良かった良かった・・・うん?
え~とその女性看護士目当ての野郎共が、怪我や病でも無いのにちょくちょくやって来て、施療の邪魔になっている、どうにかして欲しい?
・・・たく、何時の世も男は変わんねーなぁ)
イメクラじゃねーんだからと呆れる。
「う~ん・・・よし、そんなアホ共は、「遠慮なく新薬や新施術の被験者にして良しとする」、と。
まぁ、まかり間違ったとしても、女性看護士の看護を受けれるんだから、本望だろう。」
何処ぞの偽りの天才さん並みに、エグい撃退法兼マッドな決まりを書き記す。
そうして現状報告書の数々を読み終えた糜芳は、ウ~ンと軽く伸びをして、体を解していると、コンコンと扉がノックされ、
「失礼します太守様、書類をお持ちしました。
決裁と確認を願います。」
従事の尹旋が、新たに書類の束を持って来る。
「ああ、了解した。
・・・さて、頑張るとするか・・・。」
こうして糜芳の187年はスタートを切り、姿勢を正して新しい書類を迎え撃つのであった。
続く
え~と、諸葛亮に関しては、個人的な解釈ですので、悪しからずご了承ください。
個人的には諸葛さん、わりかし結構やらかしてるよねこれ?と思う事が多いので、つい・・・。
楽しんで読んで頂けたら、嬉しいです。
優しい評価をお願いします。




